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福島の茅葺き古民家

昨日から家族と一緒に宮城・福島を訪ねる旅に出てきた私は本日、福島郊外の茅葺きの古民家にお住まいの米子さんと健兒さんのご夫妻に会いに行きました。

薬剤師で、有機農業や安全で美味しい食の研究を続けられ、環境問題にも造詣が深い米子さんは、それらに関する様々な地域活動に携わるほか、20冊以上の著書もあって、「福島のレイチェル・カーソン」と呼ばれることもあるほどです。
福島大学の教育学部で教鞭をとられ、現在は名誉教授の健兒さんも、農業や食の問題を生かす「食農教育」を研究されていて、20年余り前に移り住んだ茅葺きの古民家は、そんなお2人の生活と研究の足場でもありましたが昨年、米子さんが大きな病気をされたのを機に、とうとう手放すことを決心されました。

そのことを今年の年賀状で知った私は、なかなか訪ねる機会がないとはいえ、この古民家を、いつでも待っている自分の田舎のように思っていただけに、他の人の手に渡ってからでは遅いと感じて、訪問する機会をうかがっていました。
ご病気のことなどがあって、残念ながら宿泊させていただくことは難しかったのですが、宮城から往復してお昼をいただくという形で、お2人との再会を果たすことができました。

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地方記者時代、事件や事故を追うかたわら、まさに環境保護や食の安全をテーマとする取材を続けていた私は、松林や水田への農薬の空中散布の問題を取材するなかで、米子さんご夫妻に出会いました。

駆け出しの記者だった私は、初任地で米子さんの郷里でもある群馬・前橋の支局時代、1年目に日航ジャンボ機が墜落したのをはじめ大きな事件も続いて1カ月に200時間以上も残業するほどの忙しさでしたが、そんな合間に松林への空中散布問題で同期の記者とともに全国レベルの特集を組み、福島で反対運動を成功に導いた米子さんを訪ねました。

当時はまだ福島市街地の住宅にいらっしゃった米子さん健兒のご夫妻とは、取材の際にいきなり家に泊めてもらい、お酒を飲んで意気投合。
それ以来、ご家族の皆さんとも仲良くさせてもらって、3人のお子さまのうち当時まだ小学生くらいだった一番下の桃ちゃんは長らく将来の結婚相手は私だと思っていたそうです。

前橋の後、仙台に転勤となった私はさらに米子さんを通じ、東北地方の水田に対する空中散布の問題などを取材して、地元紙にも大きく掲載されるような記事を書くなどしましたが、それはそれとして、ご家族とお付き合いして、美味しいものをいただくことの方こそ、記者生活の楽しさのように感じていました。
そう、名刺1枚で会いたい人と会えることこそが新聞記者の醍醐味であり、大きなことをなしている取材相手に対して自分自身は、いつまでも何ものにもなれないものの、取材を通じてつくる人間関係こそが財産なのだと思って、そのころの私は仕事をしていました。

ただ気が付いてみると、そうして各地で築いた人間関係ではあるものの、その多くは既に途切れ、年賀状だけのやりとりに終始しそうな相手も少なくないわけで、今こうして定年を3年後に控えた私としては、そうした人間関係を再び確かめたおきたいという思いにかられたのかもしれません。

そんなふうにして訪ねた米子さんたちの茅葺きの家のたたずまいは、10年ほど前に来たときと何ら変わることなく、あふれかえるような緑に包まれていました。
裏山などで採られたというフキノトウやツクシ、それにウコギなどを使った料理は今回もすべてが美味しく、健兒さんが自ら打ってくださったソバも絶品でした。

ただ、自然に寄り添う暮らしをされているご夫妻にとって、6年前の震災・原発事故は想像以上の大打撃で、最近までは庭の畑や裏山で採れる野菜や山菜を食べることもかなわず、放射能が高濃度でたまった茅葺きの屋根も吹き替えを余儀なくされたとのこと。
健兒さんが直前まで調査されていた近くの飯館村では、住民の方々が避難生活を強いられ、規制が解除されたといっても、子どもたちが帰ってくることはできないままだということです。

原発に反対する活動も続けてられた米子さんの、ささやかな田舎暮らしを標的にするかのように原発事故による放射能が降り注いだというのは全く因果なもので、そのことが売りに出された古民家に、なかなか買い手がつかない理由の1つになっているというのも受け止めがたいことなのだと思います。

そもそも、高速道路を下りて茅葺きの古民家に向かう途中は、行けども行けども山も田畑も緑一色。
この地域と何ら変わらなかったはずの緑あふれる広大な地域が、いまだに放射能によって人も入れないということに対しては、抑えられないほどの憤りを感じるばかりです。

震災被害と一言でいうものの、純粋な自然災害である津波被害と、ほぼ100%「人災」と言える原発事故の被害は全く別物です。それがあたかも同じように論じられ、すべてが天災だったかのようにされたうえ、原発が次々と再稼働を迎えているという今の世の中の不合理を、茅葺きの古民家への再訪で再び思い知ることにもなりました。

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仙台で至高どぶろく

本日から3日間の休みをいただき、宮城と福島への旅行に出かけてきました。
東北地方の中心である宮城の仙台は、私が入社して4年目からの2年間の地方勤務の記者時代に住んでいた場所で、今回はそのころに取材で知り合って長年、年賀状のやり取りは続けているものの、お会いする機会がなかったり少なかったりした人たちを訪ねる旅となりました。

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今回の旅行には家族にも付き合ってもらいましたが、大阪から東京経由で新幹線に乗るのは長い時間と乗り換えの手間がかかるうえ、運賃・料金もかなりの額になることもあって、関西空港から仙台行きの格安航空会社・ピーチアビエーションの便を初めて使ってみることにしました。
とはいえ、ピーチの便は関空のメインターミナルから離れた第2ターミナルでタラップを上って搭乗するうえ座席も狭く、早朝と午後の便しかなかったため夕方に到着することとなりましたが、それでも空の旅は韓国に行くのとほぼ同じ1時間余りで、飛行機の便利さを実感することになりました。

仙台空港でレンタカーを借りて向かったのは、仙台市の郊外で田んぼを作ってられる稲作農家の重利さんのお宅。
かつて宮沢賢治が冷害に強い品種として東北各地での栽培を勧めていたという品種「陸羽132号」を復活させた重利さんは、その赤っぽく色づき、稲穂が大きく垂れる132号の米を使ってひそかにドブロクも醸してられて、当時いただいたドブロクは忘れられないほどの美味しさでした。

重利さんはその後、陸羽132号から生まれた新しい品種や、「亀の尾」「龍錦」といった、やはりいにしえの酒造好適米の栽培も試みて、稲作とドブロクをテーマにした詩集も出版。
何年も前に、その本を贈っていただいてから、また重利さんのドブロクを飲んでみたいという思いが膨らんでいたのです。

今回の旅行前、20年以上ぶりにお電話した重利さんに、のっけから「ドブロクありますか?」とぶしつけな質問をした私に対し、「まだ少しだけ残っていますよ。ゆっくり来てください」と口調こそ昔のままに無愛想ながら、やさしく言ってくださった彼は、震災後に建て替えたという家の座敷に落ち着いた私に、さっそく新品種と龍錦で醸したドブロクの一升瓶を両手に提げて差し出してくれました。

そのドブロクの美味しさといったら、この世のものとは思えないほど。
私自身も大のドブロク好きで、自宅で作ってみたこともあるとはいえ、しょせん清酒を造る前段のお酒くらいに思っていましたが、実は全く別のお酒で、しかも美味しく醸したドブロクは、その複雑で深い味わいも圧倒的な香りも、清酒以上なのだということを思い知ることになりました。

当時、「宮沢賢治の米を復活」などという見出しで、刈り取ったばかりの陸羽132号を抱えて満面の笑みをたたえる重利さんの写真をつけて配信した私の記事は全国の新聞で大きく掲載されました。
それ以来、岩手の「賢治記念館」や賢治の研究者から数多くの問い合わせを受けて、何年もの間、講演や執筆活動に忙殺されたという重利さんは、喜んでくれていたと思いきや「えらい目に遭った」と何度も私を責めましたが、その目が笑っているのを見ながら安心して美味しいドブロクの杯を重ねた私は、「気を付けて飲んでくださいよ」という助言も空しく、ついにダウンを喫し、旅行の初っ端から失態をさらすことになりました。

そとば同窓会BBQ

昨日は、駆けっこ仲間・宗明さんの大阪・吹田市にあるご実家で、ゴールデンウイーク恒例のバーベキューが開かれました。

このバーベキューは、大学時代に一時所属していた「劇団そとばこまち」の「同窓生」らが長年開いているもので、私は大阪に戻ってきた3年前から参加させてもらっています。今年は宗明さんのお母さまのほか、お兄さまやお嬢さんもいらして子どもを含む25人が集合。
美味しいお肉やお酒のほか、茶道をされている小百合さんが「野点」も披露してくださり、さわやかな外の空気を浴びながら、大いに食べて飲んで語り合いました。

「そとばのメンバーは親戚のようなもの」と長老格の1人の俳優・川下大洋さんが言われた通り、皆が田舎の家に戻ってきたような雰囲気の中、楽しい時間を過ごさせてもらいました。

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夏野菜を植え付け

本日は、自宅のそばに借りた家庭菜園に夏野菜の苗を植え付けました。

苗の買い出しに出かけたのは、車で1時間ほどの京都・精華町にある家庭菜園の専門店。
粘土質の菜園の水はけの悪い部分に合いそうなサトイモやショウガを扱っていたからですが、農家の人も来る店とあってトマトやピーマンの品種も数え切れないほど。迷いに迷った挙げ句、どうせ狭い菜園を存分に楽しもうと少しずつを選ぶことにしました。

苗を選ぶのに時間がかかったため、買い出しに付き合ってくれた息子も飽きてしまいましたが、大好きなミニトマトや自分で選んだ辛みのない「子どもピーマン」も植わったとあって、帰宅後は、じょうろを使っての水やりもしてくれ、私同様に野菜たちの成長と収穫を楽しみにしてくれているようです。

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55花見マラニック5

まだ桜が満開だった今月9日、50代半ばの駆けっこ仲間を中心とした「チーム55」で出かけた京都・長岡京市と八幡市のお花見スポットをめぐるマラニックの写真は、ようやく最終回・5回目です。

今回は後半のハイライトとなった石清水八幡宮を後にして、枝垂桜などが美しく地元では知られる「さくら近隣公園」を経由し、ゴールのスーパー銭湯に至るまでに撮った9枚を掲載します。

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