東京・日本橋の「ギャラリー遊」で開幕した私の写真展「走った!撮った!わが町マラソン」のオープニング・パーティーが本日夕、ギャラリーの別室で開かれ、多くのすばらしいゲストや仲間が集まってくれました!!!
ギャラリーが閉館した午後6時過ぎから始まったパーティーには30人余りの皆さんが駆け付けてくれました。
「また写真展?」と、多くの方にあきれられているだけだと思っていましたが、それなのにこんなに多くの方がわざわざ足を運んでくださったことに、感謝感激です。
ゲストとしてスピーチをいただいた方々のお話の内容は後日、ご紹介したいと思いますが、とりあえず写真を中心にパーティーの雰囲気だけを速報いたします(アップは1日以上遅れていますが)。
メーンのゲストは今回もまた、写真展を全面的に応援してくださったスポーツジャーナリストの増田明美さん(中央)。
チラシ向けのメッセージに加えて、会場に飾ったパネルにもスペシャルメッセージを贈ってくださった増田さんですが、パーティーでいただいたあいさつも、愛情にあふれるありがたい内容でした。
特に、写真展によってすばらしい仲間が集まってくれることが素敵だと強調をしていただき、私だけではなく、参加してくれた皆さんへの気配りも行き届いていて、うれしく思いました。
増田さんのあいさつが始まろうとしたころ皆さんの顔に驚きの表情が浮かび、私の背後に視線が集中。
振り向くと兄(辰巳琢郎)が立っていました(左)。私も皆さん以上に驚きました。
兄は先日、私が住む名古屋の老舗劇場「御園座」で、大作詞家の故星野哲郎氏の生涯を描く舞台「恋文」で主役を演じきったばかり。その際には身内として致し方なく記事や映像の取材をして、劇場にも2度足を運びましたが、そんな大劇場でのメジャーなイベントと私の趣味のミニイベントでは訳が違います。
ですから今回もギリギリにチラシと案内文を兄の事務所に送りつけてはいたものの、オープニングに招待するなど大それたことだと思って、直接声を掛けることはしていなかったのです。
「これじゃ主役が入れ替わってしまうじゃないですか」と思わず口にした私を前に兄が話してくれたのは、こうして好きなことを貫き、それによって仲間が集まってくれることは人生で最もすばらしい-といった内容。
好きな芝居を仕事にしているとはいえ、それが仕事であるからこそすべてを意のままにできるわけではないはずの兄がそんなふうに話す言葉は、妙に重たく感じました。
そんな兄が付け加えたのは「(私の)仕事は大丈夫なんだろうか」といった言葉。
その点をフォローしてくださったのは、元駐カンボジア全権大使の今川幸雄さん(右)。
私が通信社の特派員としてカンボジアのプノンペンに駐在した15年ほど前、カンボジアの和平をリードした「ミスター・カンボジア」の今川さんは大仕事を終えて離任される時期で、私はほんの数カ月、新米の特派員としておつきあいさせていただいただけでしたが、そんな私のことを、若手なのに強気で精力的に取材をしていたというふうに、おそらくサービスを水増しして話してくださいました。
わずか1年余りの赴任で生涯1度だけの特派員生活を終えた私が書いたわずかの記事と、今川さんが成し遂げた歴史的な業績とはまさに雲泥の差で、僭越ながらわずかに共有させていただいたのは、カンボジアとカンボジア人が大好きだったということだけ。
今回のささやかな写真展に先立ち、前回もゲストとしてお招きした今川さんにも声をおかけするべきかどうか迷った挙げ句、やはり直前に簡単な案内状を送りつけさせていただきましたが、前日に電話をした際、奥さまからは「一緒におうかがいすると決めていますよ」と伝えていただきました。
パーティーでは、駆けっこ仲間とも気さくに交流してくださった今川さんを見ていて、すごい人ほど気さくで心が優しいものだということを再認識しました。(続く)
東京夢舞いマラソン・明走会の代表としてあいさつをいただいたのは「夢舞い」理事長の大島幸夫さん(左)。
東京マラソンの土台となった歩道を走るマラソン・夢舞いの創始者である大島さんは、ジャーナリストとしても大先輩で、フィルム・カメラを使ってやはり走りながらの撮影をされていました。
そんな大島さんが強調されたのは、私の写真に現れているような走ることによる元気やエネルギーが震災後の日本にとって力になるだろうということでした。
そして、写真界の大先輩としてお招きしたのが、写真家の曽根陽一さん(右)。
昨年の写真展の会場で初めてお会いして、その後、懇意にしていただいている曽根さんは、知人の写真家らによる同人誌「DRUG(ドルーク)」の最新号への投稿を私に依頼してくださって光栄に思っていたのですが、ギャラリーに届けていただいた本を見て驚いたのは、私の名前や写真が、曽根さんに続いて2番目に載っていることです。
(同人誌については追って、別の記事で紹介します。)
さらにシロウトである私のブログを時々訪問していただき「写真もしっかり撮れている」などと太鼓判を押していただき、誰もやっていない「走った!撮った!」を続けるように激励してくださいました。
(曽根さんのブログでは、自らが撮られた私の写真がアップされています。
http://ys-ode.net/sfs6_diary/sfs6_diary.cgi?action=day&year=2011&month=06&day=24)
さらに何人もの方々のごあいさつをいただき、乾杯の音頭をとられたのはギャラリー遊をご夫婦で運営されるオーナーでスキーマラソン仲間の遊座武さんでした(中央)。
写真の左にいらっしゃる着物美人は、昨年の写真展でお会いして以来、懇意にしていただき、既に明走会の一員になられた人気作家の衿野未矢さん、その隣りは衿野さんも執筆されているムック「地球の歩き方」で、次号に向けて「マラソン大会の選び方」をめぐる座談会に私を招いてくださった編集長の数藤健さんでした。
(衿野さんのブログでも、オープニングの様子を紹介していただいています。
http://www.erino.jp/2011/06/post-4.html)
オープニングに先立ってギャラリーを訪ねてくださったのは、昨年の写真展でほぼ毎日来場された明走会の幹事長・芝山義明さん(左)。
芝山さんは、26日のサロマ湖100kmウルトラマラソンに出場するのに向けて無理を避けるため、一足先にいらっしゃったということでした。
オープニングの後にギャラリーで記念撮影していただいたたのはバレエ・ストレッチの先生で、やはり昨年の写真展も応援してくださった植野元子さんと、娘さん、お孫さんたち(中央)。
私の左後ろは、かつて東京・新橋で禁煙の精進料理店を営んでおられた植野さんともお知り合いで、禁煙を勧める人気ウェブサイト「タバコは美容の大敵!」を主宰される平賀典子さんでした。
メーンゲストの増田明美さんは翌日に朝からの出張が入っていることから当初、ギャラリーでのパーティーのみ出席される予定でしたが、楽しい場があまりにも盛り上がったため、結局、近くの店で開かれた2次会にも、ご主人の木脇祐二さんと一緒に参加してくださいました。
そして、別れ際に披露してくださったのは十八番である都はるみの物まね(右)。
「さよーなら、さよおなーら」と1フレーズ歌われて、大拍手に送られました。
(秘蔵にすべき写真を披露させていただき、失礼いたします!)
ギャラリーが閉館した午後6時過ぎから始まったパーティーには30人余りの皆さんが駆け付けてくれました。
「また写真展?」と、多くの方にあきれられているだけだと思っていましたが、それなのにこんなに多くの方がわざわざ足を運んでくださったことに、感謝感激です。
ゲストとしてスピーチをいただいた方々のお話の内容は後日、ご紹介したいと思いますが、とりあえず写真を中心にパーティーの雰囲気だけを速報いたします(アップは1日以上遅れていますが)。
メーンのゲストは今回もまた、写真展を全面的に応援してくださったスポーツジャーナリストの増田明美さん(中央)。
チラシ向けのメッセージに加えて、会場に飾ったパネルにもスペシャルメッセージを贈ってくださった増田さんですが、パーティーでいただいたあいさつも、愛情にあふれるありがたい内容でした。
特に、写真展によってすばらしい仲間が集まってくれることが素敵だと強調をしていただき、私だけではなく、参加してくれた皆さんへの気配りも行き届いていて、うれしく思いました。
増田さんのあいさつが始まろうとしたころ皆さんの顔に驚きの表情が浮かび、私の背後に視線が集中。
振り向くと兄(辰巳琢郎)が立っていました(左)。私も皆さん以上に驚きました。
兄は先日、私が住む名古屋の老舗劇場「御園座」で、大作詞家の故星野哲郎氏の生涯を描く舞台「恋文」で主役を演じきったばかり。その際には身内として致し方なく記事や映像の取材をして、劇場にも2度足を運びましたが、そんな大劇場でのメジャーなイベントと私の趣味のミニイベントでは訳が違います。
ですから今回もギリギリにチラシと案内文を兄の事務所に送りつけてはいたものの、オープニングに招待するなど大それたことだと思って、直接声を掛けることはしていなかったのです。
「これじゃ主役が入れ替わってしまうじゃないですか」と思わず口にした私を前に兄が話してくれたのは、こうして好きなことを貫き、それによって仲間が集まってくれることは人生で最もすばらしい-といった内容。
好きな芝居を仕事にしているとはいえ、それが仕事であるからこそすべてを意のままにできるわけではないはずの兄がそんなふうに話す言葉は、妙に重たく感じました。
そんな兄が付け加えたのは「(私の)仕事は大丈夫なんだろうか」といった言葉。
その点をフォローしてくださったのは、元駐カンボジア全権大使の今川幸雄さん(右)。
私が通信社の特派員としてカンボジアのプノンペンに駐在した15年ほど前、カンボジアの和平をリードした「ミスター・カンボジア」の今川さんは大仕事を終えて離任される時期で、私はほんの数カ月、新米の特派員としておつきあいさせていただいただけでしたが、そんな私のことを、若手なのに強気で精力的に取材をしていたというふうに、おそらくサービスを水増しして話してくださいました。
わずか1年余りの赴任で生涯1度だけの特派員生活を終えた私が書いたわずかの記事と、今川さんが成し遂げた歴史的な業績とはまさに雲泥の差で、僭越ながらわずかに共有させていただいたのは、カンボジアとカンボジア人が大好きだったということだけ。
今回のささやかな写真展に先立ち、前回もゲストとしてお招きした今川さんにも声をおかけするべきかどうか迷った挙げ句、やはり直前に簡単な案内状を送りつけさせていただきましたが、前日に電話をした際、奥さまからは「一緒におうかがいすると決めていますよ」と伝えていただきました。
パーティーでは、駆けっこ仲間とも気さくに交流してくださった今川さんを見ていて、すごい人ほど気さくで心が優しいものだということを再認識しました。(続く)
東京夢舞いマラソン・明走会の代表としてあいさつをいただいたのは「夢舞い」理事長の大島幸夫さん(左)。
東京マラソンの土台となった歩道を走るマラソン・夢舞いの創始者である大島さんは、ジャーナリストとしても大先輩で、フィルム・カメラを使ってやはり走りながらの撮影をされていました。
そんな大島さんが強調されたのは、私の写真に現れているような走ることによる元気やエネルギーが震災後の日本にとって力になるだろうということでした。
そして、写真界の大先輩としてお招きしたのが、写真家の曽根陽一さん(右)。
昨年の写真展の会場で初めてお会いして、その後、懇意にしていただいている曽根さんは、知人の写真家らによる同人誌「DRUG(ドルーク)」の最新号への投稿を私に依頼してくださって光栄に思っていたのですが、ギャラリーに届けていただいた本を見て驚いたのは、私の名前や写真が、曽根さんに続いて2番目に載っていることです。
(同人誌については追って、別の記事で紹介します。)
さらにシロウトである私のブログを時々訪問していただき「写真もしっかり撮れている」などと太鼓判を押していただき、誰もやっていない「走った!撮った!」を続けるように激励してくださいました。
(曽根さんのブログでは、自らが撮られた私の写真がアップされています。
http://ys-ode.net/sfs6_diary/sfs6_diary.cgi?action=day&year=2011&month=06&day=24)
さらに何人もの方々のごあいさつをいただき、乾杯の音頭をとられたのはギャラリー遊をご夫婦で運営されるオーナーでスキーマラソン仲間の遊座武さんでした(中央)。
写真の左にいらっしゃる着物美人は、昨年の写真展でお会いして以来、懇意にしていただき、既に明走会の一員になられた人気作家の衿野未矢さん、その隣りは衿野さんも執筆されているムック「地球の歩き方」で、次号に向けて「マラソン大会の選び方」をめぐる座談会に私を招いてくださった編集長の数藤健さんでした。
(衿野さんのブログでも、オープニングの様子を紹介していただいています。
http://www.erino.jp/2011/06/post-4.html)
オープニングに先立ってギャラリーを訪ねてくださったのは、昨年の写真展でほぼ毎日来場された明走会の幹事長・芝山義明さん(左)。
芝山さんは、26日のサロマ湖100kmウルトラマラソンに出場するのに向けて無理を避けるため、一足先にいらっしゃったということでした。
オープニングの後にギャラリーで記念撮影していただいたたのはバレエ・ストレッチの先生で、やはり昨年の写真展も応援してくださった植野元子さんと、娘さん、お孫さんたち(中央)。
私の左後ろは、かつて東京・新橋で禁煙の精進料理店を営んでおられた植野さんともお知り合いで、禁煙を勧める人気ウェブサイト「タバコは美容の大敵!」を主宰される平賀典子さんでした。
メーンゲストの増田明美さんは翌日に朝からの出張が入っていることから当初、ギャラリーでのパーティーのみ出席される予定でしたが、楽しい場があまりにも盛り上がったため、結局、近くの店で開かれた2次会にも、ご主人の木脇祐二さんと一緒に参加してくださいました。
そして、別れ際に披露してくださったのは十八番である都はるみの物まね(右)。
「さよーなら、さよおなーら」と1フレーズ歌われて、大拍手に送られました。
(秘蔵にすべき写真を披露させていただき、失礼いたします!)
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