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廃墟にも春の陽光

トークイベントにゲスト参加するため上京していた3日前、トレラン中に遭難事故で亡くなった駆けっこ仲間・Mさんをしのび、山の安全を願う祈念石碑を訪ねた私は、それに続いて事故の際にMさんらが登山道から外れてしまった廃屋のある広場のような場所に向かいました。

祈念石碑が設置された鴨沢から雲取山に向かう登山道の「小袖乗越駐車場」から、この尾根上の廃墟までは直線距離でわずか2キロほどですが、その間には滑落事故の現場となった深い谷があるため、いったんバス道路に戻って多摩川の渓谷沿いをさかのぼり、親川バス停からの登山道を登り直します。とはいえ、バス停からここまでは早足で歩けば登りも下りも20分足らず。あまりにあっけなく着いてしまう道のりを再び実感すると、3年近くがたった今でも、こんなところで痛ましい事故が起きたことが信じられないくらいです。
「ちょっとした気の緩みで 重大な事故につながる」という祈念石碑の言葉の重みを、あらためて感じます。

祈念石碑は、その上にある小さな神社の境内の一角に当たるためか、そのすぐそばに立派な桜の木があって、満開の花に飾られていました。それに比べ、事故の出発点ともいえるこの廃墟は、何10年か前まで人が住んでいたはずなのに桜は見当たりませんでしたが、それでも広場状の尾根の上には春の陽光が降り注いで、山の自然はおだやかな表情を見せてくれていました。

Mさんたちが誤って広場の端まで行ってしまった分岐点には、事故のあとに設置された道標が「通せんぼ」をしてくれていて、同じ場所で再び事故が起こることがないようになっています。
しかし廃屋が建つ石垣の下にかつて設置されていて、Mさんたちが見落としてしまった道標は、新たに崩れた小屋の木材などに押し倒されていました。どうやら先日の大雪による被害だとみられ、自然はときに牙をむくものだということを教えてくれているようでした。

とはいえ、3日前は本当にうららかな春の日で、廃墟から下る道の途中にはピンク色のツツジも咲き誇り、鴨沢と親川の間にあって、私が再びバスに乗り込んだ「お祭」のバス停前ではスイセンの花もまだ盛りでした。
春の訪れが遅い山の中では、多くの花が一斉に咲くとともに芽吹きも始まり、多くの生命が競うようにして、その美しさを見せてくれています。

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花に包まれ祈念石碑

3年前の7月、奥多摩の雲取山ろくでトレラン中に事故に遭って亡くなった駆けっこ仲間Mさんをしのび、山の事故がなくなるようにと願うための祈念石碑が現地に設置されました。この石碑は今月27日に除幕式が開かれて山に入る人たちの目に触れるようになりますが、私はこの日の式に出席するのが難しいため、上京していた一昨日に現地を訪れて、一足先に完成したばかりの石碑を見せていただきました。

「山はいいよ」という、Mさんの声が今にも聞こえてきそうな言葉で始まる祈念石碑は、表面の縦横が約40センチ×30センチ、高さ約40センチのシンプルなもの。
磨かれた表面にはさらに「でも ちょっとした気の緩みで 重大な事故につながる 必ず安全に下山して家に帰ろう 笑顔で「ただいま」と云うために」と記されています。
また遭難事故の3カ月前にMさんが参加して112キロを完走されたウルトラマラソン「チャレンジ富士五湖」の完走メダルが埋め込まれています。

この石碑は、私と同じく東京夢舞いマラソンのボランティアに加わってられたMさんが所属していたランニングサークル「IBJ=インターナショナル・ビューティフル・ジョガーズ」のメンバーら彼女の友人有志が寄付を募って企画したもので、地元関係者との交渉の末、Mさんが遭難した日のトレランの出発地点となった鴨沢ルートの「小袖乗越駐車場」の道向かいに設置することができたということです。

この駐車場は東京方面から車で雲取山に向かう人の多くが利用していて、そうした人たちが入山前に石碑を見ると、少しでも気を引き締めてくれるものと思います。そうすれば、Mさんも仲間たちも本望なのではないでしょうか。

雲取山の山ろくは、東京や大阪では散ってしまった桜がちょうど満開で、ほかの木々の花も足元に咲く花も目を楽しませてくれて、まさに春らんまんでした。とくに石碑のすぐそばにある1本の桜の美しさは見事で、その姿はMさんをしのばせるようでもありますが、また春が訪れるたびに、この桜がMさんをなぐさめてくれるような気もします。

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この日、Mさんをしのび登山の安全を願う祈念石碑は序幕式前で、保護のためにブルーシートで覆われていましたが、Mさんや仲間のみなさんが許してくれるものと信じて、少しの間だけ見せてもらうことにしました。

石碑にはMさんの本名も刻まれていますが、このブログでは以前からイニシャルで表記させてもらっていましたので、シートの上に供えられていた花を、その部分の上に置きました。その後、この花はシートのくぼみに入れた水に差して立てさせていただきました。

チャレンジ富士五湖のメダルを撮った写真の背景には、Mさんが参加したトレランの下山予定先に近い遭難現場の方面の山があって、富士山はさらにその先にありますが、このあたりからは見えません。

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私は当初、祈念石碑を訪ねたあとにMさんたちのトレランルートを途中までたどって、東京の最高峰・雲取山かその手前にある七ツ石山あたりまで走って行こうと思っていました。しかし前日に足に軽いケガをしたことから予定を変更して、一行が登山道から外れてしまった地点も訪ねることにしました。

その途中、奥多摩湖の上流を見下ろす斜面には、淡い色や濃い色の桜、それに桃の花などが咲き乱れていて、桃源郷という言葉を思わせる景色が連続しました。

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バス停があるふもとの鴨沢からの登山道や、帰り道に通った所畑への車道沿いには、紫のムスカリの花や柳の仲間の花などが咲き、広葉樹の芽吹きは春の日差しを浴びて輝いていました。

※※※

さて、悲しい遭難事故から間もなく3年が過ぎようとしています。
こうして生命の息吹がはじけるような春が来るたびに、山が大好きだったMさんの分まで春を楽しもうと思います。しかし、残されたご家族のつらさは時がたてば深まるはずだと思う一方で、私のような一介の駆けっこ仲間にとっては、事故の記憶は悲しいかな、少しずつ薄れていくのをいなめません。

また私はこの間、名古屋から大阪に移り住んで新しい生活を始め、息子にも恵まれました。
Mさんと一緒にトレランに出かけて、ご家族とはまた別の意味でつらい記憶をぬぐうことができない仲間たちも、それぞれが前に向いて歩き続け、やはり新しい生活を始めたメンバーもいらっしゃいます。

そんなふうに私も世の中の人たちも、亡くなった人たちのことを置き去りにしていくしかありません。
しかし一方で、事故が残した教訓のようなものは時がたっても色あせることなどはなく、私たちが心に留め置き、それぞれの行動によって生かすとともに、語り継いでいくことも大切です。
そう考えると、こうしてMさんが「山はいいよ」と語りかけてくれるような、すばらしい祈念石碑が建立されたことは実に大きな意味を持つことなのだと思います。

私は高校時代にワンゲル部で山に登っていたころ、南アルプスか近畿の山かで遭難事故の慰霊碑に強い印象を受けたことがあります。
「振り返らずに 歩いて行ける そんな勇気を与えてほしい」
その碑の言葉は今でも記憶に残っていて、「振り返らずに歩こう」というのは私の座右の銘の1つにもなっています。

今回建立された祈念石碑もまた、「笑顔で「ただいま」と云おう」という大事な心構えを、山が好きな多くの人たちの心に残してくれるものと思います。

※※※

Mさんの遭難事故のあと、私は彼女の身に何が起こったのかを知りたいと強く思って、自分でできる範囲の取材・調査をさせてもらいました。そのときそれなりに努力を重ねることができたのは、亡くなったMさんに尻をたたかれていたからじゃないかと、今になって思うほどでした。

しかし、私が知りえたことや感じたことをブログに書き連ねることはしたものの、それを新聞や雑誌の記事にしたり本にしたりするという、私が仕事がら本来やるべき次の1歩に踏み出すことはできませんでした。
それはMさんの仲間たちの多くの方々ばかりか、トレランや山歩きの好きな人たちの多くがブログを訪問してくれて、ある程度の納得をしてくれたことが大きな理由の1つでした。また、Mさんに同行した仲間たちが責められるように感じてしまうことに心が痛んだこともありました。

とは言いながら、「自分は、やるべきこと、できることを十分にやれたのだろうか」という疑問は、心の底に沈んだままだったように思います。
今回もまた、祈念石碑の建立に当たって、地元のメディアが取材してくれる予定だということを聞き、「自分自身も取材をしたうえ、公に向かって字にするべきじゃないだろうか」という思いが胸をよぎらないわけではありません。

でも、ピカピカに磨かれた石碑からMさんの声が聞こえてきそうな「山はいいよ」の言葉に出あい、なくなったすべての命のパワーも取りこんではじけるような桜の美しさにうたれてみると、「これでいいかな」とも思えてきます。
そう、忘れてはいけないもの心に刻みつけたものは、ずっと大事にしながら、振り返らずに歩くこともまた、生きているものとしては、やめるわけにはいかないのです。

わかれ、これから

去年7月、雲取山にトレランに出かけて、下山中に滑落して亡くなった駆けっこ仲間、Mさんの事故を振り返る報告会が本日、東京で開かれ、私は名古屋から上京して会に参加させてもらいました。

実のところ本日はまたプライベートで、私にとって人生で最も世話になった方と、おわかれをする儀式も東京方面であったために、報告会には途中までしかいることができず、中座した後の様子は事後的に参加者から伝え聞くなどすることになりました。

というわけで本日は、ひととのわかれに絡む、心の重たいイベントが2つあったのですが、プライベートな話題は控えさせていただき、報告会についてのみ、少しばかり触れたいと思います。
報告会はもちろん写真を撮るようなイベントではなく、その前後も、とても写真を撮ろうという気持ちにはなれませんでした。
また、このところ撮っていながらアップしていない写真を掘り起こして「埋め草」にしようとも思ったのですが、それはあまり意味のあることとは思えず、話題にもそぐわないことから、本日は東日本大震災が発生した日以来となる写真なしの記事を書くことにします。

といいましても、Mさんの遭難事故の内容については既に、トレランに同行した3人のうちの1人の方から話を聞くなどして何本もの記事で書かせてもらっているうえ、本日の報告会を経ても、把握することができた事実に大きな変わりはありませんので、その詳細を繰り返し書くことはしません。

報告会には、Mさんとトレランに同行した3人の仲間全員がそろって来てくれたほか、Mさんが所属していたサークルのメンバーや仕事仲間、それに学生時代からの友人など、Mさんを慕っていた人たちが20人以上も集まりました。

事故からほぼ半年が過ぎた今、あらためてその日に何が起きたのかを当事者の人たちから直接聞き、それぞれの心のひっかかりやわだかまりを解くとともに、事故から学ぶべきものを整理して、こうした事故の再発防止に結び付けよう-というのが報告会の趣旨です。
それぞれにとって、これから生きていくうえでの頼りとなる、こんな機会を設けてくれたサークルの中心メンバーの方々には頭が下がる思いがしますし、重たい事実を背負い続けなければならない同行の仲間たちが、自らの言葉でつらい記憶について話してくれた勇気にも、感謝します。

報告会では、取り返しのつかない結果を招いてしまった今回の事故を振り返って、Mさんと同行した3人とは別の友人の中にも、それぞれ自分が事前に何かできたのではないかと悔やむ人が少なくありませんでした。
頑張り屋のMさんがトレランに夢中になったり、ハードな富士登山競争に出場した2日後に今回のトレランに参加したりするのを知って、「気をつけるように」「無理をしないように」と声をかけるべきだったと自分を責める人さえいました。

一方で、まだまだ多くのやりたいことや、できることを残しながら突然、人生に幕を下ろさざるを得なかったMさんの分まで一所懸命に生きよういう思いを抱いていることは、報告会の参加者全員に共通しています。
同行した人たちのショックは特に大きかったわけですが、かれらもまた、いつまでもくよくよしていては「Mさんから叱られそうな気がする」などとして、彼女の走る予定だった大会や走りたいと話していた大会に積極的に参加するようにしているということで、彼女と一緒に撮った写真を身に着けて走るという人もいます。

それほどMさんは多くの人たちから愛されていたわけで、彼女がいなくなったことは、それほど多くの人の胸を揺さぶり、生き方にさえ影響を与えているということなのでしょう。
私もまた、事故の直後に現場に何度か足を運んだり、同行した方の話を聞いたりして何が起きたのかを必死になって知ろうとしましたが、今から思うとそれも彼女のパワーが乗り移って私を動かしてくれたようにも思います。

もちろん、そうし行為は一言でいえば、私自身ができることや、やるべきことをやることで、自分が後悔しないように、楽になれるようにと思ってやったことですが、私を突き動かしてくれたパワーは、彼女が残してくれた「気持ち」のようなものにも源があるような気がします。

私は先に話したプライベートで世話になった方にも、最後にお会いすること、お礼を申し上げることができないままになりました。それは悔いても悔いきれないほど無念なことで、私の人生における大失態の1つとなるのですが、Mさんに対して直接には何もしてあげられないことと同じく、永遠に取り返しのつかないことです。

人というものは、自分以外の多くの人の命を糧にして生きていくものですが、そうした命は自分の命を含めて当たり前のことながら限りがあります。
まさに、この世は無常だということですが、かといってすべてが変わらず永遠に続くとすれば、人生の楽しみもまたなくなることになるでしょうから、無常であることを無情だと言って嘆くよりは、無常であることを前向きに受け止めながら生きていくしかないのでしょう。

そのためには、そのときどきを一所懸命、後悔しないよう精一杯に頑張ったり楽しんだりするしかありません。
月並みな言葉ですが、そんな思いを新たにするばかりです。
そして取って付けたように言えば、人の命が奪われる危険が常に伴う登山やトレランでは、町でいるとき以上に周到な準備と細心の注意が必要ですし、仲間と一緒に行動するのであれば、いつもより以上に、お互いに対する思いやりを忘れてはならないのだと、あらためて思わざるを得ません。

大地震や大津波のような天変地異であっても、後々から思えば当たり前の備えさえしていれば、もたらされる被害は大幅に小さくできるものと思われます。
ましてや、自ら接しようとするときの山の自然は、山に対する接し方の作法さえ守れば、滅多に牙をむくものではありません。むしろ人を優しく包んで、心を豊かにしてくれるものですし、仲間たちと一緒にいれば、互いの関係をも豊かにしてくれるものだと思います。

Mさんのことと同じく、Mさんの身に起こったこともまた、忘れることができませんし、忘れてはならないと思いますが、半年が経ったことを1つの区切りに、彼女の分までさらに前向きに生きていきたいと思います。
同行された仲間たちのつらい心情は、本人たちでしか分からないものだとは思いますが、やはりそんなふうでいてくれればと願っています。

なんだか、取り止めもなく当たり前のことどもを書きつづってしまったようですが、報告会を開くことに尽力してくれたみなさんに、重ねて、ありがとうと申し上げたいと思います。

登山地図・地形図

駆けっこ仲間のMさんが亡くなったトレラン練習中の遭難・滑落事故については、一昨日までの記事で、私が現地入りするなどして集めた情報や、それを基に行った検証の内容をほぼ書き尽くしたように思っています。
ただ振り返ってみると、登山やトレランの必需品である地図については、実際の図面を示したうえで説明していなかったことから、不親切な内容になっていたように思います。

そこで本日分の記事では、私が両方を携帯することを勧めている登山地図と地形図について事故現場近くのそれぞれの図面を示したうえで、追加の説明を多少しておくことにします。
ひとことで言えば、山の詳しい地形を読むためは地形図が必要であるものの、コースタイムやバスの路線を含む付帯的な情報は登山地図の方が詳しいことが普通で、山道=登山コースについても、より正確なことが多いということです。

とりあえず、両方の図面を掲載したうえで、説明は追って加えることにします。

そして、ここからが続きです。
いったん書くのを中断すると、なかなか書き始められないことがあるもので、ぐずぐずしている間に、ふと気がつけば、この書きかけの記事に対する拍手が増えていて、驚いています。
これはもう、せかされているようにも感じられて、観念したというわけです。

そういえば何日か前に、このブログの訪問者数が、昨年の10月にカウンターを設置して以来、2万アクセスを突破しました。ブログをスタートしてからの推計では3万5千アクセスを超えているものと思われます。
こんな個人的な趣味の世界のブログで、しかも写真のブログと銘打っていながら、やたら長文の記事を書きなぐっているにもかかわらず、こんなに多数の方々にお付き合いいただいて、本当にありがたく思っています。

では、写真を挟んで、本当に記事を続けます。

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接写レンズで複写したのは、Mさんら一行が雲取山と飛龍山を越えて、下山中に道に迷ったという「高畑」の集落跡や滑落事故の現場となった丹波川の支流・後山川の谷、さらに高畑の手前約2キロほどと本来たどり着くべきだった国道の下山口・親川バス停などを含む一帯の登山地図と地形図です(左、中央)。

登山地図として代表的な「山と高原地図」の、一帯を含む図面の縮尺は1キロが2センチになる5万分の1、そして地形図は山間地のものとしては最も詳細な2万5千分の1で、1キロは4センチ(右)。
複写した写真2枚は、ほぼ同じ地域のものですが、元々の大きさは面積にして1対4の差があります。

等高線の間隔は登山地図では20メートルですが、地形図の方は10メートルで、より詳しい地形のヒダまで描かれていますが、山や橋の名前など地名は登山地図の方が詳しく記載されているのが分かります。
そして問題なのは登山道で、登山地図では赤線で描かれ、地形図では他の山道も含め点線で描かれているのですが、このルートが両方の地図では、かなり異なっているということです。

それでは、どちらが正しいのか。
結論から言えば、登山地図の方が実際のルートに、ほぼ沿って赤線が描かれているようです。
より細かい測量や調査が行われる地形図では、測量などの間隔が何年も開いてしまうため情報が古くなってしまい、崩壊したり人が通らなくなったりして「廃道」となった昔の道がそのまま描かれていることが多いのに対し、地形図を「下敷き」にしてつくる登山地図では、登山ルートだけを短い間隔で踏査しているというのが、その理由です。

そして地形図に描かれた昔の道と登山地図に描かれた実際の登山道との関係は、その両方を重ね合わせるようにして比べてみれば分かります。

昔の道は、写真では左上から右下に向かって「天平(でんでいろ)尾根」の上をたどって通る1本目と「後山」「高畑」の2つの集落跡を結び、等高線にほぼ沿う形で通る「巻き道」の2本目で、それらの2本は高畑の先で交差しています。
一方、今の登山道は1118メートルのピークの手前で尾根を左に外れ、後山のあたりで巻き道に合流。
その後、高畑の先で再び、尾根に平行になります。

正確に言えば、かつての巻き道は高畑のすぐ先で崩壊して通行ができなくなり(その旨を記した看板を見て、確認してます)しばらくは少し谷側を通るなどして付け替えられています。

しかし、登山地図の方が道が正確だからといっても、それだけでは、やはり不十分だと言えます。
後山と高畑という廃屋のある集落跡は約1キロの間隔で2カ所あり、地形図には家の並ぶ様子まで描かれているうえ(それぞれ2軒と3軒描かれている廃屋は、実際には1軒と3軒に減っていますが)、高畑で真っすぐ谷に突っ込んだMさんらがたどるべきだった右カーブも、見事に描かれているからです。

そもそも、高畑で道に迷うことは現場を見た人すべてが「あり得ない」と言う通り納得し難いものですが、この地形図を持っていれば、その「あり得なさ」は100%どころか200%にもなったはずなのです。

それに対し、登山地図の「廃屋」の文字は後山と高畑の間に、言ってみれば「乱暴」に書かれているだけで、いったいどこに廃屋があるのか分からないばかりか、一行が突っ込んでいった「急斜面」には「高畑」の文字が大きく書かれているために、ただでさえ粗い等高線が見えなくなっています。

というわけで最終的な結論は、やはり登山でもトレランでも、より安全に山道を歩いたり走ったりしたい方々に対しては、登山地図と地形図を併用することを私は強く勧めるということです。
私自身は山に入る際、基本的にそれら両方を持ち歩き、事前にヒマがあるときには、あらかじめ双方を照合したうえで、登山道の位置に食い違いがあれば、地形図に登山地図のルートを赤線で上書きをして、コースタイムなどの情報も書き写してしまいます。

もちろん高尾山のメーンコースのように幅が広く踏み固められた山道が整備され、道標も完備しているようなハイキングコースでは、登山地図だけで問題ない場合も確かにあります。
しかし初めて足を踏み入れる登山の領域で、しかも登山地図に丁寧に「迷(いやすい)」と書かれているような山に、登山地図やガイドブックの付録の地図だけを頼りに入るのは、あまりに危険です。

また何度も繰り返しますが、迷う前よりも迷ってしまった後にこそ、地形図は頼りになるものです。
微細な地形が読みとれることから、現在地や戻るべき方向を探しやすく、周囲に危険な場所がないかを知ることもできるからです。
それに比べ、色を塗って、ただでさえ粗っぽい等高線を見づらくしている登山地図では、地面の微妙な起伏をイメージすることは困難です。

そして振り返ってみるとMさんらの一行は、そうした登山地図の、さらに等高線を薄れて見づらくしてしまったコピーしか持っていませんでした。
それなら、なおさら道の踏み跡に注意してほしかったし道なき道に突っ込むような無茶は控えてほしかった。
そう思えて、本当に返す返す残念ですが、今さら私にはどうすることもできません。
山ヤ仲間たちにもトレラン仲間たちにも、2度と同じようなミスを繰り返してほしくないと願うばかりです。

※※※

実を言いますと、今回の記事で紹介した登山地図と地形図の問題は、私の会社の同僚であり、その筋では名だたるフリークライマーでもある学さんから指摘をいただいたものです。
指摘を受けて以降、その後に書いた、いずれかの記事の中で、この問題についての記述を加えようと思っていたものの機を逸し、結局こうして独立した記事にすることになりました。

確かに地図を示すことなく、遭難の詳細を文章だけで書いてきたのは、不親切だったとも思います。
学さんは、かつて札幌などで一緒に仕事をし、部屋の中にパイプを組んだ「オーバーハング」の壁をつくっていると聞いていた、まさに「クモ男」ですが、最近はトレランにも「脚を染めている」ということです。
どうりで、トレラン中に起きた今回の事故は他人ごとではなかったようですが、ご指摘に感謝します。

また、この間も、多くの方々から記事に対するコメントをいただいていますが、個別の返信は控えています。
もちろん、とてもありがたく読ませていただいています。この場で、お礼を申し上げます。
ありがとうございます。

急斜面

先月の24日、山梨県丹波山村で起きた駆けっこ仲間Mさんの山岳遭難・滑落事故の現場を、私が一昨日に再び訪ねた際の報告は2回目の最終回となります。

昨日の記事でも話した通り私は、トレランの練習で山道を丸1日かけて走り・歩いたMさんら4人の一行が、国道に出る1キロほど手前で道に迷ったという廃屋のある集落跡を訪問し、さらに一行が突っ込んで行った道のない急斜面に、実際に足を踏み入れてみました。その体験を中心につづってみるのが今回の内容です。

かつて高畑と呼ばれた集落跡には今も人が住めそうなほど立派な廃屋が2軒建ち残り、国道からはバイクで来ることもできそうなほど明瞭な道がついています。
数週間前、一行が踏んだルートの後半をたどってみた私も、やはり同様に現場を訪ねた別の仲間も、そして地元の救助関係者らも「なぜ、あそこで道に迷ったのか分からない」と口をそろえるほどです。

しかし実際には、地形についての誤った「思い込み」と、地形を読める地図を持っていなかったことなどから、一行は道が分からなくなり、山城のように、そそり立つ台地の上にある集落跡から谷に向かって断崖のような急斜面を下りて行きました。
これもまた「なぜ、あんな所を下りて行こうとしたのか分からない」と地元関係者らが驚くような決断でした。

「4人全員が理性的な判断をできなくなっていたのでしょう。だからこそ事故が起きたのです」
そのような警察幹部の言葉によってでしか、説明がつかないように思えるほどの出来事だったのです。
それでも、その運命の「分岐点」について検証を試みた昨日の記事に続き、今回は「猟師ぐらいしか下りようと思わない」とまで言われた「急斜面」に足を踏み入れてみた体験記というわけです。

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3軒目の家屋が建っていたと思われる岬のような「広場」の突端から、Mさんら一行は樹林の海に突っ込んだものと思われます。
そんな決断を後押ししたのが、急斜面に誘い込むようにして木の幹に巻かれたピンクのテープだったことは、昨日も話した通りです。

とはいえ3本目のテープが巻かれていた場所は、ちょうど斜面が一気に急になるあたりで、そこに近寄ることすら容易ではありませんでした(左、テープは左上に小さく見えています)。
上からのぞき込んだ写真では斜面の傾斜は分かりづらいのですが、そのあたりで斜面を真横から見て撮ったのが右の写真です。これはカメラに内蔵された電子水準器を使い実際の傾きが分かるように撮影していて、45度に近い急な傾斜を見てとれます。

私はこのあたりで先に進むべきか引き返すべきか、しばらく逡巡しているうち急にお腹の減りを覚えました。
また下りていくにしても、木などにしがみつきながらでないと不可能だと分かり、軍手やアームウオーマーが必要だということが分かりました。
しかし、ここでは休むこともできず、バックパックから物を取り出すことも不可能だったため、いったん広場まで戻り、持ってきたおにぎりを2つ食べて腹ごしらえし、完全防備したうえで再びトライすることにしました。

この樹林は手入れの行き届いていない杉の植林地で、地面は落ち葉や枯れ枝、間伐をされたらしい倒れた木などで覆われてはいるものの、低木のヤブは発達していないことから、つかまる物が少なく、下降は思いのほか困難です。
落ち葉の下にある浮き石を踏むと、ガラガラと音をたてて遠くまで落ちていくほどの傾斜ですから、一瞬でも気を抜くことはできません。

低木のヤブがあれば枝につかまって下りることができ、滑落の危険も減りますし、岩場ならば安定した足場やつかむ場所を探しながらロッククライミングのように「3点支持」で下りることができるかもしれません。
ところが、こうした「つかみどころ」のない急斜面の樹林は最も危険で、できるだけ安定した足場を探しつつ、しかも万が一滑っても途中で木にぶつかるなどして止まれるかどうか見極めながら下りることになるわけで、時間もかかるものです。

それでも、斜面が急であるため、気が付くと相当な高度差を下りていることが分かり、振り返ると垂直の壁のように見上げる急斜面が立ちはだかっていて、登り返せるような気がしないほどです(中央)。

一行は急斜面を下り始めて間もなく「ここは道じゃないな」と気づいたということですが、長い行程を経て疲れ切っていたうえ、どんどん暗くなっていく中にあって、こんな斜面を見上げたとすれば引き返そうという気持ちが砕かれたのも分かるような気がしました。

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そんな急斜面ですが、私が実際に下りていき、一行の4人中3人までは谷までたどり着いているわけですから全く下りることができないわけではありません。
そもそも、斜面の上の方は植林地でもあって、山仕事の人たちが足を運んでいるのも事実です。

しかし、山仕事の人たちは危険なところではヘルメットをかぶって、ロープなどの装備も持っているでしょうし、履いている地下足袋はトレラン用のシューズよりずっと踏ん張りがきくものです。
私もかつて独りで沢登りをする際には地下足袋にワラジを着け、ヘルメットもかぶったうえ、いざというときに安全に斜面を下りられるよう20メートルほどのロープを持っていました。

そんなふうに考えると、丸腰でこんな急斜面に踏み込んでいる自分が、うかつに思えてきました。
それでもできることは、とにかく安全に下りられて、かつ登り返すこともできるルートを慎重に見極め、注意深く進むことしかありません。
その結果、私は一行が下りていったと思われる斜面が最も急な部分を避けて、わずかに尾根状に膨らんだ部分をたどり、一行のルートから離れていったようです。

「川が見えたので、下りて行けば国道まで川沿いにたどり着くか、向かい側の林道まで登れると思った」
私は一行のメンバーのそんな証言を聞いていたため「せめて川が見えるところまでは行ってみよう」と思っていたのですが、同じところを下りていかないのでは検証の意味がないようにも思います。
それでも現実的には、斜面の最も急な部分には近づくことがはばかられ「どこでも良いから川が見えるところまで行こう」と、目標をすりかえることにしていたのです。

そうして、ようやく谷底に流れる後山川の川面が見えたのは、集落跡から下り始めて1時間近く経ってから(中央、画面の中央より少し上に白く見えるのが川面)。
標高差にして、わずか150メートルほどを下るのに、それほどの時間を費やしたということです。
それに比べMさんたちが道に迷ってから滑落事故が起きるまでの時間は、なんと30分足らずとみられます。

「廃屋から下りる道が分からなくなった」という一行ですが、すぐ見つかるはずだった本来の道を時間をかけて探すこともしなければ、途中ですら滑落の危険があった急斜面を相当に危なっかしいスピードで下りて行ったものとみられます。周囲が暗くなっていく中で、それほどまでに焦っていたということなのでしょうか。
それにしても1歩ずつ慎重に下りなければ危険なはずの急斜面で、一行4人のうちMさんを含む2人が先の2人から50メートル以上も引き離されてしまったというのは、にわかに信じ難く思われます。

※※※

私が木々のこずえ越しに川面を見ることができたころに、周囲の樹林は、植林地から雑木林に変わっていましたが、林床に低木のヤブが発達していない状況は同じで、依然として気が抜けないままでした。
それでも私は谷底までほんの50メートルほどのところまで下っていき、そこでとうとう100%安全なルートがとれないことが分かって途方に暮れました。

そこを下りたとしても、滑落事故の現場からは300メートル以上も上流のようですし、「ゴー」と勢い良く水が流れる音を聞くと、滑落現場までたどり着くことはおろか、対岸にわたれるかどうかも分かりません。
しかも足を滑らせれば、一気に谷底まで落ちることはないように見えるもののケガをする可能性はあります。
さめて考えれば引き返すべきだと分かっていましたが、それでも頭の中に誘惑の声が聞こえてきます。

「谷底までは、ほんの数分で下りられる。そこで動けなければ、登り返せば良いだけではないか」
「現場までも簡単に行けるかもしれない。そうすれば対岸に渡って林道に出る方が、ずっと楽じゃないか」
それはまさに、私自身もまた、誘惑に負けて理性を失おうとした瞬間でした。

人間というものは窮地に立たされたとき、目先にある楽な選択肢に、簡単に飛びつこうとしてしまう弱い存在だということを理解できるように思った瞬間でもありました。
「道に迷ったら引き返す」「谷には下らないようにする」といった、山の鉄則が分かっている登山者であっても、自ら迷い道にはまりこみ、滑落などの悲劇に遭うということがある理由は、こうした人間の弱さも大きな部分を占めるのでしょう。

それでも私は結局のところ臆病で、かつ無理をして進む必要がなければ引き返す時間の余裕もあったため、100%安全ではないと悟った地点できびすを返しました。
見上げる壁のような斜面は威圧的で、登り返す気持ちをなえさせましたが、すぐそこに見えた谷底に背中を向けた瞬間、大きな安堵感に包まれて、ほっとするとともに我に返る感じがしました。
そして「なんで、あんな無茶をしかけたのだろうか」と、少しでも躊躇していた自分が、おかしく思えました。

※※※

ともあれ私は、やっとの思いで下りてきた急斜面を登り返すことにしました。
植林地の林床は色彩が乏しい中で、切り株から生えたコケの黄緑色が目立って見えました(左)。
この森は明らかに人の気配よりも獣の臭いの方が強く、シカのものと思われる、ひづめの足跡が地面の上にうっすらとついているのを見かけましたが、前の方の足跡は下の方にスリップしていました(右)。
獣でさえも足を滑らせるほどの急斜面ということなのでしょう。

急斜面を再び登り切るのに要した時間は、下りより短かったものの、それでも50分ほど。
全く無事に生還したと言いたいところですが、実は不安定な斜面の途中でハチの襲撃を受けました。

そのとき、左足の靴下の上、靴下より薄手のゲーター(脚半)式サポーターの中で突然、身体中に響くような激しい痛みを感じて目を向けると、大きなハチが黄色と黒の身体を丸めて針を差し込んでいました。
あわててはたき落としたものの、ハチは浮かび上がって何度も私の顔をめがけて突進してきます。
足を滑らせそうになりながら、やっとハチを追い払ったものの、その際に右手を自分の身体にぶつけたのか木にぶつけたのか、薬指をひどく突き指してしまいました。

野生の生きものたちの領域に、無闇に足を踏み入れないようにと、戒められたような気もしました。

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ようやく集落跡の広場に戻ると、薄暗かった樹林の中とはうって変わって視界が開け、もう1つの別世界から現実の世界に戻ってきたような感じがして、ほっとすることができました。

広場の一角には、なぜか根元が踏まれたように折れて横倒しになったユリの仲間の株がありましたが、そのピンクの花は枯れずに咲いていました(左)。
下山する際、ふもとのバス停を示す道標近くの林の中では、黄色いマルダケブキが咲いていました(中央)。
また、登山口の近くではツユクサの花が、その名の通り花びらに透明な露を付けていました(右)。

そう、登山道にも、ふもとの丹波山の里にも、何事もなかったかのように、のどかな空気が流れています。

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