“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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OSAKA祝賀会

今月20日から昨日まで故郷・大阪で開催した写真展「走った!撮った!世界のマラソン OSAKA」を、盛況のうちに終えることができた私はけさ、名古屋に帰って仕事に復帰、日常の生活に戻りました。

今回の写真展でも連日、多くの出会いや再会に恵まれて、私は会場にほぼ立ちっぱなしで、来場してくれたみなさまをお迎えし、昼食をとるヒマすらほとんどありませんでした。
しかし、夜のとばりが降りると連日、仲間や友人らに囲まれながら高揚した気持ちに包まれて楽しく美味しいお酒をいただく宴を繰り広げ、付き合ってくれる相手の生活も考えないまま何度となく午前さまにも。
まさに、楽しく42キロ余りを走り続けるマラソンと同じように、ノンストップで祝祭の喜びにひたりました。

この間に取った年休は、いわば遅い夏休みでしたが、そんな具合では身体を休めることなどはできません。
分刻みで写真展の準備を進めた開幕前の日々も加えると、長らく身体も心も張り詰めっぱなしだったと言えます。
それでも、大勢の人たちと触れ合う時間がもたらしてくれた実りは何ものにも代えがたく、「こんなことをして、自分は一体、どこに向かって何をやっているのだろうか」と、いつもながらの自問を繰り返しながらも、充実感をかみしめることができています。

そんななか、今月9日の東京夢舞いマラソンのレポートも中断したままですが、写真展のネタの落ち穂拾いを少しばかり続けます。
それは22日の夕刻に、大阪の駆けっこ仲間たちが盛大に開いてくれた「祝賀会」の様子の紹介です。

とりあえずは22枚もの写真を一挙に公開しますが、これらの写真を見ながら振り返って分かるのは、仲間らの中で女性の占める割合が圧倒的に多く、しかも誰もが美女ぞろいだということ。
こんなハーレム状態は、幹事役を務めてくれたジダンさんの力によるところがほとんどなのですが、一応の「主役」としては、思い出すだけでも、ほおが緩んでしまいます。

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写真展3日目の22日(土)、大阪の駆けっこ仲間らによる祝賀会の会場となったのは、ギャラリーにほど近いお洒落な居酒屋の「hako」。
実はこの店、前日に開かれた写真展をサカナにしての中学・高校のミニ同窓会でも会場となりました。
ギャラリーの「下見」で訪れた際も含めると、なんと3回も同じお店に来ることになったのですが、その最大の理由はと言えば、お店の女性が、そろいもそろって超美人だということ。

両方の宴会で、ともに幹事を務めてくれたジダンさんは、自らが率いるトレランサークル、「チームジダン」の会員募集に当たって、男性に対しては「自分より目立ち過ぎないこと」「脚が速過ぎないこと」-などの厳しい条件を課しているのに対し、美人の女性は無審査で歓迎していることからも分かるように、キレイな女性にはめっきり弱いという分かりやすい性格。
その点については、ジダンさんと似ていなくもない私は、彼のお店選びに無条件で賛成したというわけです。

そのジダンさん、関西明走会の長身ランナー・俊彰さんと並んだお店の女性は、ご覧の通りの美人(左)。
お似合いの前掛けに社名が書かれた日本酒メーカーは、なんと俊彰さんの勤務先でした。

祝賀会は、関西明走会やチームジダンら、ジダンさんを通じての仲間が主に参加してくれましたが、私のツテで集まってくれた女性たちも。
その中で数年前の久米島マラソンで出会って以来のおつきあいで、去年の銀座での写真展にも来てくれたのは美人ランナーコンビの明日香ちゃんと奈々っち(右)。
初日には会場に花を届けてくれたうえ、祝賀会に先立ってギャラリーにも立ち寄ってもらっていたのですが、終盤に大混雑となったことなどから、会場では記念写真を撮りそびれてしまいました。

そのお2人や、前日の同窓会では都合がつかず、その代わりに祝賀会に合流してもらった同窓生の女性らも含め参加者が総勢20人に達した宴は、ジダンさんの乾杯でスタート(中央)。
私が後ろに引ききれず、全員に写っていただくことはできませんでしたが、ご勘弁を。
また、後方までストロボの光が十分に届かず、ジダンさんのアタマをのぞいて、その周囲の皆さまが暗く小さくなってしまったこともまた、ご勘弁を。

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写真の多くがリバイバル展示となったことなどから、今回の写真展では派手なオープニングを控えたことは、既にお伝えした通りで、祝賀会でも格式張ったあいさつなどはないものと思っていたのですが、それでも私は一応、主役に当たるということで乾杯後しばらくして、おもむろに一言話すよう司会役のジダンさんから促されました(左、中央)。

6日間の写真展で3日目までを無事に終えて折り返しを過ぎ、ホッとした気持ちと多くの美女を含む仲間たちに囲まれたことによる浮かれた気分から、私はシドロモドロで、気の利いたあいさつはできませんでした。
ただ、今回も多くの仲間たちに盛り上げてもらったことに対する感謝の気持ちを述べるとともに、仲間同士を結び付けてくれるランニングと同様に、写真もまた、こんなふうに写真展などを通じて、多くの人を結び付けるコミュニケーションの道具になることを実感する-といったことを話そうとしたように覚えています。

写真展の準備期間から私を全面的に応援してくれたうえ、2日続きの宴会の手配までを一手に取り仕切ってくれたジダンさんは、祝賀会では事実上の主役のようなもの(右)。
楽しい雰囲気が盛り上がり、飲み放題の杯が数えられないほど重ねられるに従って、私以上にハイになったジダンさんは、自らのチームの美女たちが勢ぞろいするなかで若いころの「武勇伝」などを臆面なく披露され、はたから見ている私の方が冷や汗で酔いがさめる思いをするほどでした。

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さて、ここからは、私に続いて自己紹介を兼ねた一言あいさつをいただいた皆さまを手短に紹介いたします。
写真の中には、私の気分が乗ってしまったことなどから画面が斜めに傾いたものもありますが、ご勘弁を。

まず最初に紹介する4人は左の写真から、美人ばかりの女性が中心というチームジダンの練習会で、ジダン監督に続いて参加率が高い男性というカッピコさん。
続いては、関西明走会の重鎮である恒平さんと深雪さんのご夫妻。

「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」の記念のTシャツを誇らしげに見せてくれたのは、フランスで開催されるその世界一過酷なトレイルレースを完走し、凱旋された関西明走会トレラン部の部長、徹さん。

そして、写真展の初日から受付の手伝いや打ち上げに付き合ってくれた美人ランナーのゆきてぃさんです。

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次なる4人の美女のうち、左から2番目は、ジダンさんや私の中学・高校の同級生で、今回の駆けっこ仲間による祝賀会に私の「特別招待」で合流してもらった美人2人のうち1人のサナさん。

残る3人はいずれもチームジダンの美女軍団で、左からやまぴーさん、O(オー)ちゃん、パインさん。
Oちゃんは、写真展の会場下見に来てくれたのに続いて、受付も手伝ってくれました。

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さらに続く4人のうち左端は、関西明走会きっての快足ランナーであるアミーゴさん。
去年、私と同じ時期に転勤で東京を離れ、大阪に勤務されていて、もうすっかり大阪のカオのもようです。

残る3人はやはりチームジダンの美女軍団で、左からノゾミールさん、YASUKOさん、かおる姫さん。
ノゾミールさんとYASUKOさんは、この日を含めて2度ずつ写真展に来場してくれました。

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最後に紹介する3人のうち、左から2番目のYUKAさんは、やはりチームジダン美女軍団の一員で、最近になってトレイルに脚を染めるようになったとのこと。
YASUKOさんとともに、下見にいらしたのに続いて、この日の受付美女コンビを組んでくれました。

残る2人のうち左端は、東京から駆けつけてくれた脚本家の尚美さん。
今年6月から7月にかけて東京・日本橋のギャラリー遊で開いた写真展「走った!撮った!わが町マラソン」では、ほぼ連日受付をしてくれたほか、明走会のイベントには5月に開かれた仲間うちの駅伝と、7月に富士北麓公園で開かれた「24時間駅伝」に参加するなど、本格的に走り始められているところです。

そして中央の右側は、サナさんと同じく私が特別招待した同窓生のクマさん。
明日香ちゃん、奈々っち同様に、去年2月の写真展では、大阪から駆けつけてくれています。
3人とも当時、私から「無理してでも来なきゃ、損をするからね」と脅かされて上京してくれたのですが、展示写真の多くを大阪で再展示することが分かっていれば、無理をなさることはなかったわけで、皆さん、ごめんなさい。といいますか、それにもかかわらず、またまた来場してくれたうえ、祝賀会にも来てくれて、ありがとうございました!!!

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OSAKAおおきに!!!

私の故郷・大阪で開催した写真展「走った!撮った!世界のマラソンOSAKA」は6日目で最終日となる本日も多くの方々に来場していただき、盛況のうちに幕を閉じることができました。
会場となったオリンパスギャラリー大阪に来場してくださったみなさま、応援・支援をしてくださったみなさま、どうもありがとうございました、おおきにでした!!!

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写真展の最終日は、ギャラリーの閉館時間がこれまでより早い午後3時。
それでも、昼休み時間を中心にして会場に駆け付けてくれる方々は途切れることなく、来場者数も過去5日と変わりないほどでした。

その中で昼ごろ、会場で待ち合わせて集まってくださったのは、東京マラソンの写真の被写体となってくれた男女のランナーと女性ランナーのご家族。
去年の東京マラソンで撮影した写真のうち、ランナーが被写体となった唯一の写真の中で、バナナに扮した仮装をしている奈美さんと、お母さま、そして徹さんの3人です(写真)。

実は奈美さんと徹さん、仲間の女性ランナーの3人が写っている写真について、徹さんを女性だと勘違いした私は当初、「3人組の女性ランナー」と説明文に書いてしまいました。
ところが、大勢が走る東京マラソンの中でも目立っていた3人とあって大阪方面でもお知り合いが多く、写真展がオープンして間もなく、私は来場した何人ものランナーから間違いを指摘していただき、訂正することができました。それと同時に奈美さんらは、そうした仲間から、ご自身の写真が展示されていることを知らされ、会場に駆けつけてくれたということです。

これまでの写真展でも、展示写真の被写体となってくれたランナーらが写真と対面するケースは少なくありませんでしたが、東京で撮った写真の被写体の方々に大阪で写真と対面していただけるというのは、なんだかうれしいものでした。
ランニングと同じく、人と人とをつなげるコミュニケーションの道具である写真というものの力を感じます。

写っていただいたことに対しては、こちらが感謝すべきところですが、奈美さんからは以下のようなメールまで送ってもらっています。
「どの作品もとても生き生きとしていて、大変すばらしかったです」「有意義な時間を過ごす事ができました」「母も大絶賛しておりました」「ブログを拝見していると、私の知り合いが多く出ており、どっかで人と人はつながっているのだと思いました」「すてきな『ご縁』ですよね」

そう言えば、今回の写真展は開催期間が6日間と短かったのですが、ランナーや職場の同僚、友人・知人らの間での口コミを受けて来場してくれる方々が次第に増えてきて、これまたうれしいことでした。
もう1つ言い忘れていたのですが、奈美さんは関西のランナー仲間らによる手づくりの大会である「水都大阪100kmウルトラマラニック大会」の事務局次長を務められています。

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写真展の会場で久々にお会いできる親戚も多い中、一志さんご夫妻も、そうしたお2人(左)。
そのうち一志さんは、フィルム用の一眼レフを愛用する写真愛好家で、今も大きな交換レンズや重たい三脚を持ち歩いて撮影を楽しんでられるとのこと。
コンパクトなデジカメで撮影した私の写真を、会場を何周も回って何度も見てくださったうえ「写りもシャッターのタイミングもすばらしい」と感心してもらうと、恐縮してしまいました。

私が勤める会社の同僚で、大阪支社に勤務してられる学さんは南極での長期滞在取材の経験もある山男にして、名だたるフリークライマー(中央)。
以前、社内での担当部署の異動に当たって「クライマーとしての自分の可能性も伸ばしていきたい」と相談をしてもらったこともある学さんは、最近ではトレランにも「脚を染めて」られ、私の駆けっこ仲間だったMさんの遭難事故についてブログで連載の記事を書かせてもらった際には、地形図と登山地図のメリット・デメリットについて鋭い指摘をしてくれたこともありました。

「仕事をしながら、こんなシゴトができることは、すばらしい」と学さんがこぼした言葉は、ご自身の生き方も重ねて表現されたものだと感じました。

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東京マラソンでバナナに扮した奈美さんと同じく「水都大阪」の実行委員で、医療本部長を務められているという医師の健司さんは、私の中学・高校の後輩(左の右)。
私が高校の21期生であるのに対して、健司さんは33期生で、なんと1回りも年が下ということになりますが、駆けっこ仲間は駆けっこ仲間で、年齢も性別も国籍も関係なく仲間です。
「卒業生の中に、こんなに走ってられる方がいらっしゃったとは、驚きでした」と、うやうやしく頭を下げて言われると、こそばゆい感じがしたものの、こうした奇遇をうれしく思いました。

その健司さんともお知り合いのノゾミールさんは、私と同期生であるジダンさんのチームに所属(同右)。
ジダンさん主催の祝賀会が開かれた3日目に続いて来場してくれました。

そしてジダンさんが少年時代にあこがれていたという同窓生の弘江さんと、私が卒業後になって初めて親しく話せるようになった、やはり同窓生の夏代さんの美人コンビも、会場近くでミニ同窓会が開かれた2日目に続いて再度来場して、写真展の名残を惜しんでくれました(中央)。
職場が会場近くだという弘江さんは、社内でも写真展の宣伝をしてくれて、ご本人に先立ち、職場で向かい側の席にいらっしゃる紳士も来場してくれました。

私と同じ中学・高校の卒業生の来場者としてトリを努めてくれたのは、兄の辰巳琢郎(右)。
今年6月から7月にかけ東京・日本橋の「ギャラリー遊」で開いた写真展「走った!撮った!わが町マラソン」のオープニングでは「通りがかっただけ」と言って飛び入りで現れ、主役の座を私から奪ってしまった兄なのですが、今回は閉館まで1時間を切って、来場者がまばらになったころに、ひっそりと登場しました。

昨夜遅く電話をしてきて「仕事で大阪に来てんねん」と来場を予告していた兄は、出がけにギャラリーを含むオリンパスプラザ大阪の美人社員に「近くで美味しいうどん屋かそば屋、あれへん?」とたずねて彼女を困らせたあと、再び大阪の街に消えていきました。

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兄が今年5月に作詞家の故星野哲郎さんを演じた芝居の舞台となった名古屋の老舗劇場に勤める駆けっこ仲間の美人ランナー・七保子さんは、大掛かりな歌舞伎の公演があったことから今月に入って3日目だという貴重な休日を使って来場され、兄と偶然にも出くわすことになりました(中央左)。

七保子さんは当初、ぎりぎりまで仕事が忙しいことから「今回は行けそうにない」と聞いていましたが、写真展の会場の様子を伝える私のブログの写真や記事を見て「名古屋でじっとしているより、ずっと楽しそうだったから」と予定を変えて駆けつけてくれ、「わが町マラソン」に続いてのご来場となりました。
そして、こじんまりとした会場で、比較的地味な展示となった「わが町」だけでは物足りなく感じていたものの、それを補完する形でより素直に楽しめる「世界のマラソン」を見ることで、より満足をしてもらえたということでした。

同窓会と祝賀会を先週のうちに開いてもらっているうえ、最終日は週の半ばとあって、「打ち上げをやろうよ」と自分から言い出せなかった私は、本日は大人しく静かな夜を迎えて6日間を振り返ろうという気持ちも少し持っていましたが、名古屋から七保子さんがわざわざ来阪してくれたとあっては、急きょ打ち上げをやらないわけにいかなくなり、それを口実に会場の撤収作業まで七保子さんに手伝ってもらうことになりました。

七保子さんと同じく、撤収作業を手伝ってくれることになったのは、KBS京都ラジオでランナー向けの番組を担当している「若ちゃん」こと走る美人パーソナリティの若林順子さん(中央右)。
ご自身の番組で、今回の写真展を大々的に紹介してくれた若ちゃんは、初日に一度来場されていましたが、閉幕前に「もう一度見ておきたい」として、仕事の合間を縫ってギャラリーに駆けつけてくれました。
残念ながら、若ちゃんが到着したときには撤収作業が始まってしまっていましたが、それでも若ちゃんは写真パネルを保管先に送るための発送票の宛名書きなどを手伝ってくれたうえ、次の仕事先に向かうまでの間、打ち上げ「その1」での乾杯に付き合ってくれました。ありがとうございました!

兄が退場して間もなく、閉館まであと数分になって最後の来場者になってくれたのは、親戚のマムさん(左)。
次の展示の準備が始まることから、写真をゆっくりと見てもらう時間はなく、失礼してしまいましたが、それでもマムさんは、1枚1枚を手短ながらも真剣に見てくれました。
「来て良かった。元気が出たわ」
両親の友人である高齢のみなさまをはじめ、今回も多くの方が口をそろえてくれた言葉で、マムさんは短くも楽しかった写真展を締めくくってくれました。

さて、今回の写真展は私の故郷とはいえ、長らく生活することのなかった大阪での開催となりましたが、多くの駆けっこ仲間や旧友らに支えられて無事、盛況のうちに幕を閉じることができました。
名古屋や東京から駆けつけてくれた仲間も少なくなかったほか、東京からはまた、明走会の仲間がすてきな差し入れを送ってくれました。

それは、鏡割り用の樽と日本酒のセット(右)。
図らずも私の中学・高校の同級生が社長を務める酒造会社・浪花酒造のお酒でしたが、写真展の開幕後にバタバタとしている中で、実際に鏡割りをして、お酒を味わう機を逸して失礼しました。
近く、特別な場を設けることができれば、ぜひいただきたいと思います。

差し入れを送ってくださったのは、以下のみなさんです。おおきにでした!!!
まり恵ちゃん、ノボさん、エノちゃん、拓史さん、尚さん、ガクさん、ジョージョーさん、真理ちゃん、さゆりさん、美酒RUNさん、飛鳥ちゃん、雄ちゃん、ソーメーさん、マツカヨさん、モトくん。

さてさて、七保子さんに「楽しそう」と言われた写真展期間中のブログですが、結局のところ毎晩のように美酒に酔いしれてしまい、写真も記事も相当の部分が歯抜け状態のままです。
抜けたところは今後、順次加えていくとともに、その際には新しい記事の中で、その旨をお知らせします。
乞うご期待です。

5日目も大盛況!

写真展「走った!撮った!世界のマラソンOSAKA」は5日目も大盛況となり、多くの再会や出会いに恵まれました。写真も記事も、追って加えます。

そして、ようやく写真展が無事に終了してからとなりましたが、ここから記事を加えていきます。

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5日目に来場してくれた多くの友人・知人の中で、まず紹介するのは、私の会社の大阪支社で部長を務めてられる雅紀さん(中央)。

昼休みを利用していらした雅紀さんは、実は去年2月に東京・銀座で開いた写真展の際も来場してくれるなどで大いに応援してくださいました。
今回の展示写真の大部分は前回と同じものであることから、銀座-大阪と続けて来場してくれる方々には、申し訳ない思いがあるのですが、それでも雅紀さんは、新作となるパリや去年の東京の写真などを楽しげに見てくださいました。

続いては、関西明走会のトレイルランナー、きのっぴさん(左)。
今年6月に京都府の日本海岸にある小浜から京都市の出町柳まで、3つの峠を越えて走る「鯖街道ウルトラマラソン」を私や、やはり関西明走会のメンバーで、トレランサークルの「チームジダン」を率いるジダンさんとともに完走したのに続き、先日はついに大目標だったフランスの「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」も見事に完走されました。

この日は、仕事場がギャラリーの近くにあることから、昼休みに来場してくれたきのっぴさんご本人もヘビーなブロガーで、写真好きですが、展示写真をじっくりと見てくださったうえ「どの写真も、伝えたいことが伝わってきて、すばらしい」などと、おっしゃっていただけて、光栄です。

きのっぴさんと一緒に出掛けた「鯖街道」の前夜、宿舎で夕食をとっている際に知り合い、当日には途中まで一緒に走らせてもらった美人ランナーの千里さんは、仕事を半日休んで駆けつけてくれました(右)。

「あのときも、楽しそうに応援の人たちを撮ってられましたよね」と思い出してくれた千里さんは、2日前に参加した大阪と奈良にまたがる生駒山のトレイルランニング大会でジダンさんと偶然に再会し、そのときにジダンさんから強く勧められて来場を決めてくれたとのこと。
そもそも、鯖街道前夜に千里さんに最初に声をかけたのもジダンさんで、彼は千里さんとの出会いも再会も仕立ててくれたキューピッドというわけです。

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故郷の大阪で開く写真展とあって、会場には中学・高校の同級生が次々と訪れてくれましたが、この日、久々の再会を果たすことができたのは、出版社に勤められている美人編集者の幸さん(左)。
幸さんの勤務先の出版社は、これまで多くの写真集も手掛けていることもあって、幸さんは「これは本には、せえへんの?」と言ってくれました。

「走った!撮った!」の写真を印刷物にするかどうかは、去年の写真展以来の「宿題」でもあるのですが、いったん持ち上がった話が頓挫するなどしたうえ、その後も新たな写真展を開くなどして忙しかったことから、いまだに宿題のままです。

私の写真は、応援してくれる人などを面と向かって撮らせてもらっていることから、入場無料の写真展で公開することは問題がないと思われますし、実際に東京マラソンの写真などで写ってくれた方々のうち、そのことを知った方はみな大喜びしてくれます。
しかし、これを有料の出版物にする場合には、肖像権の問題を考えたうえ、それをある程度クリアにする必要があるとも思います。

その点について、これまで私がおぼろげに考えていたのは、例えば写真集などができた場合には、被写体になってくれた方には無料でプレゼントすることや、売り上げの一部を大震災の被災地に寄付するといったアイデアです。
ところが、幸さんによると、彼女の出版社でも最近、お祭りをテーマにした写真集を出して、やはり被写体の人たちに写真をプレゼントすることにしたところ、大好評だったとのこと。
やはり、この時代、見知らぬ人を写真に撮らせてもらうには、同じような問題が生じるということですが、同じようなアイデアが既に採用されていたとは奇遇でした。

プロの写真家さんたちが撮る作品すらも、知らない人を隠し撮りするような写真が多くなってきているなかで、面と向かって撮影を断っているうえ、自然な表情を撮らせてもらえ、さらには被写体のみなさんに喜んでもらえるという撮影現場としてのマラソンコースは、ほかには滅多にない最高の場所だということを実感してきていいます。
ですから、マラソンの写真については、そうした問題は比較的容易にクリアできるものと思われます。

とはいえ、幸さんの言葉は、仕事絡みの「あいさつ」のようなものだと思っていたのですが、なんと翌日には、出版社の社長さんも来場してくれて、「今後、ご相談させてください」と、さらに現実的なごあいさつまで、いただきました。
世の中の多くの物事が人の縁(韓国語では「因縁=イニョン」)で動いているのだという思いを、ますます強くしている私としては、こんな縁が芽を吹いてくれるなら、そんな物事の流れに身を任せるしかないような気がしています。

中学・高校の同窓生としては、何年か下の期の卒業生で、ランナーの潤さんも、職場の同僚らを連れて来場してくれました(中央、潤さんは私の隣)。
潤さんは、大学時代に就職先を「人を直接、相手にする仕事」としてマスコミと教職に限っていた私が、母校に教育実習に行った際、担当した学年の在校生でした。

そして、同級生の中でも当時からの親友で、去年の写真展には家族で来場してくれ、今は中国に赴任されている一郎さんのご両親も来場してくれました(右)。
お2人ともに、仕事などでの海外経験を豊富にお持ちで、かつて訪れた各国の都市で撮った写真の数々を、時間をかけて、懐かしそうに、じっくりと見ていただきました。

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3日目に大挙して来場してくれたジダンさん率いるチームジダンの美女ランナー軍団ですが、この日も閉館の午後6時近くになって、お2人がご来場(右)。
この日も結局のところ、来場してくれる人たちが、ほぼ途切れないままでした(左)。

閉館間際に来場してくれたのは、長らくお会いしていなかった親戚の陽子さんと忠宏さんのご夫妻(中央)。
大阪・豊中市内で美術・工芸品の展示会やライブ演奏会などを開く「スペース草(そう)」を運営されています。
http://www7a.biglobe.ne.jp/space-so/information.htm

忠宏さんは木工作家で、閉館後、ギャラリーの近くで自ら内装を手がけられた日本酒と創作料理のお洒落な店や、昭和の香りを残すレトロなバーに、ハシゴして連れて行ってくださいました。
実は、30年ほどもお会いしていないお2人との楽しい飲み会には、仕事を半日休んで日中に来てくれた美人ランナーの千里さんも合流してくれました。

互いに初対面である自分の友人・知人同士を、自らの都合で引き合わせてしまう私の、いけないクセがまた出てしまったということですが、長年お会いしていなかった陽子さんも、お会いするのが、たった2度目の千里さんも、毎日会っている人たちのように私を含めてみなが打ち解けることができた、なんとも不思議で愉快な夜となりました。

※※※

ここからは、しばらく経った後に書き加えています。
陽子さんと最初にお会いした30年以上も前の話を少しばかり書いておきます。

私が陽子さんとお会いしたのは、私が大学浪人をしていた10代の後半の夏のことでした。
志望していた国立大学に落ちた私は、京都にある予備校に入っていましたが、あまり真面目な予備校生ではなく、そのためもあって同じ大学に2年続けて落ちた挙げ句、志望大学の近くにある私立の大学に入ることになりました。

その不真面目な浪人生だった夏、私は金沢に住んでいた伯母が営んでいた、お洒落な工芸品を扱う小さな店の店番を手伝いに行くという名目で、1カ月ほどの間、伯母の家に居候をしました。
その間も予備校の授業はあったはずですが、どうやら私をそれをさぼって逃げ出したのだったと思います。
避暑と気分転換、それにちょっとした社会勉強もできると目論んだ私は、そうして猛暑の大阪・京都を脱出し、一夏の「プチ親離れ」をして金沢の町に向かいました。

私は両親がともに石川県出身です。母の実家は歌舞伎の「勧進帳」の舞台となった「安宅の関」がある小松市安宅町の郵便局。父の実家は隣町の片山津です。
母の姉である伯母には3人の男の子がいて、そのいとこの末っ子が私と兄の間の年、真ん中が兄の1つ上と年齢が近かったこともあり、私と兄は子どものころ、夏休みごとに母の実家や伯母の家を両親と一緒に訪ね、いとこたちと「5人兄弟」のように仲良く遊んだものです。
(23日の記事で紹介いているユウタさんは、一番上のいとこのお子さまです。)
ですから伯母の家は、私にとって敷居も低い感じがして、鬱々とした浪人生としての夏を過ごすには、もってこいの場所だったというわけです。

どうせ居候に来るなら、少しは仕事を手伝ってほしいと頼まれた私は、毎日のように「出勤して」、伯母が用事のために店に行けない日や時間には独りで店番をして、接客や商品の包装、販売をこなすこともありました。
そして、私と同じように店の手伝いをしていたのが、伯母の義理の弟の娘さんに当たる陽子さんでした。
つまり、陽子さんは私からいうと「いとこのいとこ」ということになります。

当時は独身で20代後半だった陽子さんは、結婚の適齢期がまだ20代半ばとされていたことから、ご自身のことを「私も『結婚浪人』なのよ」と言われていましたが、とても魅力的で、寂しい浪人生だった私にとっては、目もくらむような存在でした。
そんな陽子さんが、ときには私と2人で店番をしてくれることもあったものですから、私の居候生活は、一気に張りのあるものになり、毎朝ウキウキとしながら店に出掛けることができました。

叔母の店は金沢市の中心部にありましたが、表通りから少し中に入った小さな商店街の一角にありました。
地元の陶芸作家がつくった現代風の九谷焼のうつわや、ユニークな日常雑貨を手がけるデザイナー・柳宗理さんの食器、北欧から輸入された木の玩具などツウ好みの商品が並ぶ店は、昔ながらの店ばかりの商店街にあって、異色の存在で、お客は決して多くはありませんでした。

「せっかくの浪人時代なのだから受験勉強ばかりでなく、その後の人生に役立つ勉強をしたい」
そんなふうに格好をつけて考えていた私は、英語の時事雑誌である「タイム」や「ニューズウイーク」などを、英英辞書を引きながら読んだり、受験では必要がないような歴史の本などを読んだりするなど、脱線ばかりの「勉強」を、店番の合間にしていました。

しかし、結局はあまり受験の足しにならなかったそんな勉強をする時間よりも、陽子さんと一緒に店番をして、話の相手をしてもらう時間の方が100倍も楽しく感じました。
お昼どきには、商店街にあるコロッケ屋さんやパン屋さんに買い出しに行っては、アツアツのコロッケなどを店の奥でほおばるのですが、ただでさえ美味しいコロッケは、陽子さんと一緒にいただくと、一段と美味しく感じました。

つまり陽子さんは私にとって、暗い浪人生の日々を華やがせてくれる「あこがれのお姉さん」だったのです。

中学時代から山に登っていた私ですが、さすがに浪人時代に山歩きに出かけるのは、はばかられました。
そんな話をしていたこともあってか、会社勤めなどをした後、北アルプスの剱岳近くにる山小屋で住み込みのアルバイトをしていたという陽子さんは、ある日、その小屋に用事があるので「一緒に行ってくれない?」と、私を誘ってくれました。

もちろん私は跳び上がって喜び、実家に頼み込んで、登山靴やリュックなど、封印してあった山用品の一式を叔母の家に送ってもらって、その日に備えました。

そして私は夏の終わりごろのその日、陽子さんが運転する車の助手席に乗って剱岳の小屋に向かいました。
今は自家用車で入れない立山アルペンルートの「室堂」から峠を越えて山小屋に向かったのは午後の遅い時間。
私たちは、ガスに包まれて四方がミルキーホワイトになった中、石だらけで「ガレた」登山道を歩きました。

登山道のわきには高山植物が咲いていたはずですし、ライチョウが道を横切ったような気もしますが、それらの記憶はあまりありません。陽子さんと一緒に山歩きをしていることに夢中だったのでしょう。

たしか、その道すがらだったと思いますが、陽子さんは山小屋に行く用事の内容を話してくれました。
それは、山小屋で働いていたときに知り合った忠宏さんと結婚することを決めて、お世話になった山小屋のご主人らにあいさつをするということでした。
忠宏さんの方は、そのときにまだ小屋で働いてられたのか、先に到着してられたのか、とにかく陽子さんとは一緒に行くことができなかったのです。

あこがれのお姉さんが、「大学浪人」の私よりも先に「結婚浪人」の生活を抜け出すと聞いて、私はショックを受けたように覚えています。

山小屋での滞在は1泊だけで、陽子さんにコブのように着いて行った私は、ここでも居候をさせてもらったのですが、「お世話になるだけじゃダメだから、少しは小屋の仕事を手伝いなさい」と陽子さんに言われて、夕食の後には食器洗いを手伝わせてもらいました。

雪渓から流れ出たばかりだったのか、氷よりも冷たく感じた山小屋の水で、手の指は感覚がなくなりました。
また、それに先立つ食事でいただいたアザミの天ぷらやタマネギとハムのサラダが、とても美味しかったことが今でも思い出されます。

山小屋では、忠宏さんにもごあいさつしたはずですが、複雑な思いを抱えた私は、きちんとしたあいさつが、できなかったように思います。

翌日の日中、「お邪魔虫」となった私は独りで小屋から剱岳の山頂までを往復しました。
岩場が連続する剱岳の登山道は一般の登山者にとって相当、難易度が高く、ある程度の危険も伴いますが、私は多くの登山者を次々にかわして、猛スピードで駆け抜けました。

あっという間に山小屋に戻ってきた私を見て、小屋の人の中には「もっと、じっくり登って山を楽しまなければダメだ」と言う人もいれば、「若いときは、あんな登り方をしたっていいんだ」と言ってくれた人もいたということでした。

私としてはもちろん、あこがれのお姉さんに対して抱いていた淡い恋心のような気持ちが、あっさりと砕かれ、それを吹っ切ろうとして頑張ったような気もしますし、早く戻ってきて、また陽子さんと一緒に山道を下りたいと思っていたのかもしれません。

金沢の叔母の家に戻って間もなく、私は「夏休み」を終えて、大阪に戻りました。
その前日、年の近い従兄2人は家で、ささやかなお別れ会を開いてくれました。
私が陽子さんを、あこがれていたことなどを分かっていた従兄たちは、「とにかく飲め、飲め」と言って、未成年だったはずの私に、さんざんお酒をすすめてくれました。

小学校のころからお酒をいただき、親戚の間でも「酒飲みの子ども」として知られていた私は、当時から、それなりに飲めたはずですが、このときばかりは意識が薄れるほどにいただきました。
私たちは、叔母が用意しれくれた夕食や「つまみ」をたいらげた後は煮干しをかじりながら飲んで、ビールや日本酒を飲み干すと、台所のシンク下にあった焼酎の1升びんを持ってくるなどして、さらに浴びるように飲みました。
従兄たちも、私につき合って、まさに「痛飲」をしてくれたわけでした。

※※※

そんな陽子さんとはその後、親戚の不孝があった際にお会いするぐらいで、長らく年賀状を交換させていただきながら、それだけに終わっていました。
それが、こんなふうに忠宏さんも一緒にお会いできる機会をつくることができたのは、まさに写真展のおかげで、会期中に数多くあった再会の中でも、最も楽しい再会となりました。

私が山小屋に行った際に「あの男の子、何ものなんや」と陽子さんにたずねたという忠宏さんは今回も「何を話ししたらええんか分からへん」とおっしゃっていたということですが、とてもすてきなオジさまで、むしろ話が尽きないほどでした。

美味しいお酒を飲みながら、忠宏さんに意見していただいたのは、私が会場で来場してくれた方々に話していたちょっとした言葉についてでした。

「私の写真は、芸術的な作家先生方の写真とは違って、ただのスナップです。それも、『体育会系』のもので、見にきていただいて恐縮です」
そんなふうに私はヘンに、へりくだって言っていたのですが、忠宏さんは「あんなふうに言うのは、来てくれる人に対して失礼や」と一喝してくれたのです。

まさに心の中を見透かされたような感じで、実は私自身も、美しさや自身の感情を表現するような芸術写真と、私が撮る、ときにジャーナリスティックで、自分も含めた人と人との関係を撮す写真が違うことは分かっていても、こちらが「下」だなどとは思っておらず「こちらの方も、おもしろい」と胸を張って言える自信があります。

それなら単純に、そう言えばいいだけで、ヘンにへりくだってみせるのは、相手にとって失礼なばかりか、ヘンに格好をつけているようにも見えるのだと思います。

そういえば同じような言葉を、つい口にしてしまった際、来場者の1人から言葉を返されたこともありました。
トレーニングウエアに身を包んで、汗びっしょりで現れたその男性は、フラメンコを学び教えている方で、私の写真を、じっくりと楽しそうに見てくれました。

「芸術って、人間が人間らしく行うこと、すべてが芸術なんですよ。人が生きていることだけで芸術なんです。これらの写真も、もちろん芸術ですし、私にとっては辰巳さんの存在自体が、すごい芸術です」
忠宏さんの言葉と同じく、「やられた」と思った、胸に残る言葉でした。

2軒目の店で、カウンターに座って飲んでいた際、私は、つい酔っ払った勢いもあって、美人のウエイトレスにカメラを向け、シャッターを切ろうとしたその時、今度は陽子さんから、おしかりを受けました。

「郁ちゃん、つい撮りたくなるのは分かるけど、ちゃんと断ってから撮りなさい」
これも全くその通りで、私は赤面して、一瞬お酒がさめていくような気がしました。
マラソンを走るときも、街で人を撮るときも、できるだけ声をかけて撮らせていただいている私ですが、写真展を開かせてもらったぐらいで、おごりのような気持ちが芽生え、「何でも撮って良い」といった錯覚をもち始めていたようなのです。

ほぼ30年ぶりでお会いした私に対して、そんなふうにモノをおっしゃってくれる陽子さんも忠宏さんも、私が、かつてあこがれたお姉さんと、そのご主人とあって、すばらしい方々なんだと実感しました。

そして、そんなやりとりや、私が上に書いたような他愛もない昔話などを、楽しげに聞いてくれた上、話の輪に自然に入ってくれた千里さんにも、とても感謝しています。

人と人とを引き合わせるランニングや写真の力を、またまた実感した、楽しい夜の長い長い話でした。

東京からも続々!!

「折り返し点」を過ぎて、本日で4日目を迎えた写真展「走った!撮った!世界のマラソンOSAKA」の会場、オリンパスギャラリー大阪には、東京からの駆けっこ仲間らが続々と来場してくれました!!

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東京から駆け付けてくれた駆けっこ仲間のうちで一番手は昨日、福島県で開かれた「第1回伊南川100kmウルトラ遠足」をボランティアスタッフとして手伝ってきたばかりの直美さん(中央)。
私と同じ明走会のメンバーで、東京夢舞いマラソンでもスタッフとして活躍される直美さんは、日帰りの強行軍で大阪入りして、写真展の受付を手伝ってくれました。

同じウルトラランナーの時子さんは職場が会場の近くにあって、本日が2度目の来場でしたが、ウルトラ仲間の晴充さんを誘ってきてくださいました(左)。

私の会社の同期生である隆昭さんは、泊まり勤務明けに来場してくれました(右)。

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お仕事の合間に時間をつくって来場してくれた中学・高校の同級生は信さんと寛成さんの2人(左の左右)。
信さんは医師、寛成さんは弁護士と、ともに「先生」という畏敬の友人たちで、写真展の2日目に開かれたミニ同窓会では仕事を終えてから合流してくれたものの、その日は事前に来場する時間がなかったということで、本日出直してくれたというわけです。

そして直美さん同様に東京から来てくれたのは、明走会の幹事長にして東京夢舞いマラソン実行委員会の重鎮でもある芝山善明さん(中央、右)。
去年の写真展でも、のべ11回も来場してくださったのに加えての連続来場となりました。

芝山さんは昨日、大阪版の夢舞いともいえる大会で、夢舞いのメンバーらも企画に協力したという「大阪ごちそうマラソン」に出場するため来阪。本日も、大阪府下の美味しい「ご飯やさん」に寄って大阪の味をたんのうされた後に来場してくださいました。

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さらに、やはり明走会・東京夢舞いマラソンの仲間であり、今回の写真展でも写真などのパネル制作の一切を担当してくれた「雄ちゃん」ことシンエイ株式会社社長の田中雄一郎さんも出張に合わせてご来場(左)。

実のところ雄ちゃんは、今回の展示写真のうちメーンの新作を撮った大会の1つである去年の東京マラソンのスタートシーンが写った写真の中で、一番目立っているランナー。
明走会の黄色いTシャツと真っ赤な夢舞いスタッフ用の帽子を身に着けて写ったご自身の写真の前で、写真の中と同じ両手を挙げたポーズをきめてもらいました(中央)。

3日目午後は大盛況!!!

私の故郷・大阪で開催している写真展「走った!撮った!世界のマラソンOSAKA」は昨日、3日目を迎え、午後には旧友や親戚、駆けっこ仲間らを含めて多くの方々に来場していただいて、大盛況のうちに折り返し点を過ぎることができました!

この記事の写真説明などは、長らくブランクになっていましたが、この後に書き加えます。
写真だけを掲載させていただいていた皆さま、たいへん失礼しました。

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それでは、ここから、この日に来場してくださった皆さまを紹介いたします。
まず、身長がノッポの私に迫るイケメンと美女の若者コンビは、ユウタさんと会社の同僚のお2人(左)。
ユウタさんは金沢市郊外の石川県能美市にある「アーティスト村」で、デザイン設計事務所「さとやま設計社」を営まれる私の母方の従兄、庸之介さんのご子息。

去年、銀座で写真展を開いた際「金沢でも開いてください」とおっしゃった庸之介さんから連絡を受けて、大阪で勤めてられているユウタさんが「代理役」を兼ねて来場してくれたというわけです。
なんと、お2人ともに以前は陸上の長距離をされていて、今は走ってないということでしたが、写真展に来場してくれたのを機に再び走り始められることを期待しています。

やはり元駅伝選手で、名古屋から駆けつけてくれたのは、私の自宅から、わずか3分ほどのFMラジオ局に勤務される美人の元ランナー、結実さん(右の写真の左)。
「一緒に走りましょう」と、あいさつがわりのように私から勧められている結実さんは、今のところ再始動を思案されているもようですが、それに先だって、この日は途中で滋賀県在住のご親戚と合流して、美女2人で来場してくれました。やはり、この写真展をご覧になったからには、再び走られるものと期待しています。

そして、来場するなり満面の笑顔を向けて「久しぶり!分かる?」と言ってくれたのは、私の会社の同期生であるエビちゃん(中央)。
私とは職種が違う技術系の社員だったエビちゃんは20年以上前に仙台で一緒に勤務した後、間もなく転職して、有名カメラメーカーなどに勤められていましたが、転職後しばらく経って、お互いの転勤などが重なったため連絡が取れなくなっていました。

今回の写真展については、ネットなどの情報で知って来場してくれたということで、この再会もまた、写真展を開催したことによる収穫の1つとなりました。
極めて優秀なエンジニアで、だからこそ会社を離れても「ヘッドハント」などで次々に新しい仕事を得てこられたエビちゃんは現在、大阪府下で独立してコンサルタントをする一方、やはり多くの写真を盛り込んでつづるブログを続けてられます。
http://ebiakihotmail.wordpress.com/2011/10/22/%e4%bc%91%e6%97%a5%e3%80%80in-osaka/

私と同じく人生を半世紀も経て、来し方行く末について、さまざまに思案されている様子のエビちゃんからは、自らのブログやメールで、写真展に来場された際の感想などを書いていただきました。
ちょっと、私が持ち上げられ過ぎで、お恥ずかしいのですが、転載させていただきます。

「友人の写真展を見に、大阪にあるオリンパスギャラリーへ行ってまいりました。
久々に会った友人はますます輝いていました。走ることを通じて、笑顔を人々に広める。ええ仕事してるなぁ」
「今日はええもんを見させてもらいました。
時速200キロで突っ走ってきて、そろそろのんびり生きようかなと思っていたのですが、生の出し惜しみをしているように感じられて、恥ずかしくなりました」

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