“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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布川の花祭り3

本日は先週土曜の代休として、もう1日の休日をいただきました。
地震・津波で被災した方々のいつまで続くのか分からないような困難な日々は始まったばかりですし、極めて深刻な原発のトラブルも解決の見通しが全くたたないままですが、私はカレンダーとは1日ずれて、しっかりと3連休をいただいたというわけです。

3日間の休みのうち2日目までは、天候が不安定だったこともあって、ほぼ自宅で「自粛」していたのですが、さすがに本日は、じっとしておられず、「養老の滝」で知られる岐阜の養老山にトレランをしに出かけました。
でも、その写真は明日以降に紹介することにして、本日は引き続き奥三河・布川地区の花祭りの報告です。
3回目で最終回となる本日分の写真は、祭り2日目の明け方以降に登場した鬼たちや、祭りのクライマックスである「湯ばやし」などを撮った9枚を掲載します。

2回目の写真説明なども、まだ加えていませんが、今回もとりあえず写真のみを掲載します。

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ずいぶん間があきましたが、ここからが追加分です。
夜明けごろになって登場したのは、メーンの鬼である「役鬼」の2番手となる「榊鬼」(左、中央)。
大地に新しい生命力を吹き込む最も重要な鬼とされていて、大きな面も舞い手の所作も威厳たっぷり。

とはいえ、この鬼は人間との歳比べや榊の枝の引き合いで、いずれも人間に負かされてしまいます。
その相手となる「改め役」の宮人を演じたのは、地元保存会町で「花太夫」も務めた尾林さん(左)。
鬼に負けず劣らず威厳あふれる演技を披露されていました。

榊鬼が退いた後も舞いは続き、狂言に似た滑稽な所作が特徴の「翁(おきな)」も登場します(右)。
後方で笛を担当している4人のうち、左端の男性は、舞い手となった生徒らが所属する名古屋市の中学校の「太鼓・踊り部」で以前に顧問を務め、現在も外部協力の形で指導を続けられている先生。
右端の美女は、名古屋の大学で篠笛を学んでいる学生さん。
中学校以外にも、名古屋の人たちによる、花祭り存続に向けた協力の輪が広がっています。

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翁に続いて披露されたのが、花祭りのクライマックスである「湯ばやし」(写真3枚とも)。
舞いの舞台である土間の「舞庭(まいど)」の中央に設置された「かま(ど)」で湯を沸かし、その間中、4人の若者がワラを束ねたタワシを手にアップテンポの舞を舞った後、出し抜けにタワシを湯につけて観客らに振りかけて回るというものです。
この湯は生まれ清まった人の産湯とも考えられて、これを浴びれば無病息災で、健康に過ごすことができるとされています。

私は1月に、この布川(ふかわ)よりも奥にある下粟代(しもあわしろ)の花祭りを見て、観客らに容赦なく湯が浴びせられる場面を経験していましたので、今回は少しばかり余裕をもって構えることができました。
直前には、高感度撮影の機能に優れて「防じん防滴」で濡れにも強い一眼レフのカメラを、やはり濡れに強い高倍率ズームレンズとセットで購入して準備も万端。
タワシを振り回す舞い手に果敢に向かっていったところ、激しく湯が飛び散る瞬間も撮影できました(中央)。

15カ所の集落で存続している花祭りは、それぞれの集落で舞などの所作が微妙に異なって、舞い手たちが互いに応援し合うのは難しいとされています。
しかし、布川の湯ばやしでは、下粟代の保存会長・金田新也さんの息子さんで高校2年生の新(しん)さん(左の写真の奥)ら2人が下粟代から舞い手として加勢。
2人は数年前に応援を頼まれて、そのときに練習を積んだおかげで、両方の舞を舞えるということです。

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下粟代の花祭りを見た際はバスの時刻などの関係で、湯ばやしに続いて登場する最後の役鬼「茂吉鬼」や、その後に披露される獅子舞を見ることができませんでしたが、独りでやって来た今回は、それらを含め祭りを最後まで見届けることができました(中央、左)。
(下粟代の茂吉鬼は、新さんが初めて演じたということを後から知り、後悔しました。)

とはいうものの茂吉鬼は、山見鬼の胸に「山」の字が書かれ、榊鬼には「榊」の字が書かれていたように一見したところでは、それと分からなかったうえ、湯ばやしまでで気力を使い果たして観客の前列に陣取ることができなかったことから、あまり良い写真が撮れませんでした。

獅子舞までで舞が一通り終了した後、余興として披露されたのは、地元の小さな子どもが扮した鬼(右)。
その所作は、少しぎこちなかったものの、愛嬌たっぷりで、観客側の子どもも、びっくりした表情。
観客たちからは、大きな拍手と歓声が上がっていました。

「スペシャルイベントは、将来を担う舞い手の登場です」というふうに紹介された通り、少しでも、こうして次の世代が育っているのを見ると、心強く感じます。
山間地と都会との交流、地域の中での集落同士の交流、そして世代を越えて受け継いでいく努力といった、人のつながりによる力が一つになって、この貴重な無形文化遺産である花祭りが、今後も力強く存続していくことを願いたいものだと思っています。

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布川の花祭り2

本日もカレンダー通りに休みをいただきましたが、大震災で被災した方や被災者を支援する方には休みなどなく、避難している方たちには安らぐ場所すらないのだということを思うと、何もできない自分の心も安らかでありません。

それでも、申し訳ないという気持ちを抱きつつ食べたい料理をつくって美味しくいただき、お酒もいただいて、自宅でやるべき仕事を少しだけ進めるなど、平穏な1日を過ごさせてもらいました。
夕方には、名古屋駅近くで買い物があれこれとあったため、ジョギングで出かけました。
その途中、名古屋市の中心街・栄の街頭で、学生さんたちが被災者支援のため赤十字社に送る募金を呼びかけているのを見かけて、わずかばかりの募金をしてきました。

そして昨日に続き紹介する記事の内容は、地震とは関係のない奥三河・東栄町の布川地区の花祭りです。
第2回目の本日は、いよいよ花祭りのシンボルである鬼が登場。
さらに、今回の花祭り行きのメーンのイベントである名古屋の中学生たちによる舞の様子を紹介します。
(写真の説明などは、追っていたします。)

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花祭り会場の神聖な舞台である土間「舞庭(まいど)」では、夕刻から続いた様々な舞いに続き日付が変わるころ、ようやく祭りのシンボルである鬼が登場します。
メーンの「役鬼」のうち、最初に登場するのは「山見鬼(やまみおに)」(写真3枚とも)。
山を割って、生命の再生を図り、「生まれ清まり」の役割を担っているとされる鬼です。

山見鬼は他の役鬼と同様に、子分に当たる「伴鬼(ともおに)」を従え、威厳あふれる所作を繰り返しますが、舞庭に立って、ほろ酔い気分で舞い手を、はやしたてる「セイト衆」は、この鬼の正面に立ちはだかりもして、ちょっかいを出していました(左)。
でも、これもまた花祭りならではの、舞い手と観客らが一緒になって盛り上がる演出のようなものです。

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そして、山見鬼に続いて名古屋市の中学生が舞う「三つ舞」が披露されたのは、日付が変わった真夜中。
中学のクラブ「太鼓・踊り部」の一行は10数人に上り、中には笛などを担当する生徒もいて、舞い手を務めるのは2年生の女子生徒6人。そのうち3人ずつが組んで、2組がそれぞれ30分以上にわたって舞いました。

舞庭に現れた生徒たちは他の舞い手と同じような衣装を身に着けて、地元の人たちのようですが、さすがに初めは緊張した様子(左)。

周りを囲むセイト衆や観客らとぶつかりそうになり、酒を飲む人たちと向かい合う場面もあります(右)。
花祭りの本番は、普通の舞台に立つのとは違って、観客らとの距離が近いため、緊張はひとしおだそうです。

それでも、生徒たちが名古屋から来た「助っ人」であることを紹介されている観客らからは、暖かく励ます声も掛けられて、舞いの動きは次第に滑らかに、表情もやわらいでいきました(中央)。

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2組目の生徒たち3人もまた、初めは緊張して、動きもぎこちない感じ(左)。
それもそのはず、周りの観客らが、ご覧の通り、かまどの上に置かれたお酒のコップに手を伸ばすなどして、舞い手とは対照的にリラックスしすぎてもいますので。

それでもやはり、舞っているうちに表情はやわらいで笑みもこぼれ、楽しそうな様子に(中央)。

エネルギッシュな舞いを長い時間をかけて終えた生徒たちは肩で息をするほどで、その姿に観客らからは、暖かい拍手が浴びせられていました(右)。
太鼓を担当していた保存会長の尾林さんは、名古屋に何度も足を運び「出張指導」をしてきたこともあって、舞いの間から生徒たちを、いとおしそうに見守り、舞い終えた際には、声をかけてられました。

名古屋にあるこの中学の太鼓・踊り部の生徒たちが布川の花祭りで舞い、その存続に協力するという試みは今年が5年目。
クラブにとって、花祭りの舞いは、幾つか練習をする踊りや舞いの中で唯一、地元・愛知の芸能で、看板ともいえるものです。

長い間、練習を重ねた末の本番は、長時間の舞いだとはいえ、生徒たちにとっては、あっという間に終わってしまいますが、それでも本物の国指定の無形文化財の舞台に立ち、地元の人たちと触れ合って舞う経験は、普通のクラブ活動ではできないような貴重な人生の糧になるはずです。

また地元にとっては、こうした山間地と都会との交流によって、伝統の形を変える部分はあるとしても、自分たちの祭りを存続させていけることは、ありがたいことです。
ただ、花祭りを催している集落のすべてが、深刻な過疎・高齢化に悩まされていることは厳然とした事実で、支援を受ける側の本体である集落が、いかに存続していくかが、大きなカギとなっているようです。

中学生たちも、クラブ活動で舞っていることから、2年生のときに1度、本番を経験するきりで、せっかく猛練習して覚えた舞いを、再び披露する機会はないのが実情です。

それでも、生徒たちは「機会があれば、また舞いたい」と口をそろえていて、今の交流がさらに柔軟で幅広いものになっていければ、山間地と都会が互いに支え合いながら、この貴重な文化遺産を存続させていく術を見いだしていけるような気がします。

布川の花祭り1

今月5日から6日にかけて愛知県・東栄町に出かけ、1月に続いて見た民俗神事・芸能「花祭り」の様子を、地震による長いブランクがありましたが、本日から3回にわたって掲載します。
地震と津波による被災地の困難な状況は10日たっても、あまり変わっていませんし、原発のトラブルによる放射能汚染への心配も収拾するメドは立っておらず、世の中は依然として非常事態のままです。

しかし、だからといって、ずっとふさいでいても仕方がないような気もします。
そこで、本日はようやく「自粛」を解いて、せっかく撮影した楽しい写真を掲載することにしたというわけです。

実は、花祭りについては仕事の記事も書くつもりでいますが、こちらはタイミングを見計らっています。
かといって一応プライベートで出かけた今回の花祭り行きで撮影した多数の写真を、いつまでも腐らせているわけにもいかず、その整理・編集をする意味も込めて、まずブログの作業に着手しました。

1月8日と9日の記事で説明していますが、花祭りは東栄町とその近隣町村の15カ所の集落で、11月から3月にかけて行われています。
そのなかで、今回出かけた布川地区はシーズン最後の祭り。1月の下粟代地区は最後から2番目でした。

これも先にお話しましたが、この布川地区の花祭りでは過疎・高齢化によって足らなくなった舞の「舞い手」を名古屋市の中学生が努めるという形で、花祭りの存続を目指した山村と都会との交流が続いていて、今年で5年目を迎えています。

一昼夜にわたって神事や様々な舞が繰り広げられる花祭りは、それ自体がパワーあふれるイベントですが、これに中学生たちの元気も加わり、今回もほぼ徹夜をして体力的にはきつかったものの、たくさんのパワーをもらえたように感じました。
こんなご時世だからこそ、そのパワーの一部でも発信できればと思うのです。

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花祭りの基本的なプログラムは1日目の昼過ぎから夕方にかけて数々の神事がとり行われ、それに続いて、様々な舞が夜通し繰り広げられるというものです。
神事の部分を割愛する地区もあるなか下粟代も布川も、神事も含め伝統的な形を保っているとのことです。

しかし私自身は今回、現地に着いたのが夕方近くで、神事の多くを見ることはできませんでした。
かろうじて見ることができたのは、集会場の土間「舞庭(まいど)」の中央に設けた「かま(ど)」で、神聖な水をわかし、神々に献上するための儀式「湯立て」の神事(左)。
儀式をとり行った花祭りの神主に当たる「花太夫」の尾林良隆さん(写真の左)は布川の花祭り保存会長で、都会との交流でも中心的な役割を果たされ、中学生たちに対するの舞の出張指導もなさっています。

舞い手としてやってきた名古屋市内の中学校のクラブ「太鼓踊り部」の生徒らは出番が深夜になることから、夕方には近くにある宿泊用の別の集会所で、くつろいでいました。
クラブにとって、唯一の合宿形式の遠征とあって、生徒たちは、ウキウキしてはしゃいでいました。
食事のあとに始まったのは「王様ゲーム」(中央)。

ゲームの罰則は「一発芸」で、写真に写っているのはOBのお姉さん(右)。
時計の格好をして「12時!3時!9時!」とやったあとに、「落ち」は「ハニワ!」でしたが、写真は「9時」しか撮れませんでした。

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下粟代の若い男性の舞い手たちもイケメンぞろいでしたが、布川の舞い手も負けてはいません(左)。

一方、年配の舞い手が目立ったのは、下粟代とは異なるところ(右)。
下粟代に比べて布川の舞は、激しい動きが少ないことから、若者だけでなくてもこなせると聞いています。

さらに、子どもだけでなく「お姉さん」以上の女性が舞うのも、布川ならではで、美人ぞろいの舞い手が並ぶと舞庭が華やぎました(中央)。
(これも前回に説明しましたが、舞庭の舞い手の周りには、はやし立てたりかけ声を出したりする「セイト衆」や観客らが立ち、彼らが飲んだり、舞い手に飲ませたりする酒のパックやコップが、かまの上に置かれています。
私も「写真ばっかり撮ってないで飲め飲め」と勧められて、手がふさがるために一気飲みを続けているうちに酔っ払いの仲間入りをしていました。)

元来「女人禁制」だった花祭りの決まり事を破って、祭りの存続のため、初めて女性にも参加してもらうことにしたのは、尾林さんの「先代(父親)」だったということです。
当初、他の地域からは非難する声も上がりましたが、その後、小さな子どもによる「花の舞」は、女の子が舞うことが一般的になりました。

「肝心なのは神事の方」とおっしゃる尾林さんも、舞で女性や他の地域の舞い手を受け入れることは、祭りを存続させるためには必要なことだと考えてられます。

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中学生たちが舞った「三つ舞」に先だち、10歳以下の女の子による「花の舞」が披露されました(左、中央)。
舞の途中、お父さんらしい男性から衣装を直してもらっていた女の子は、うれしそう(右)。

親子など世代のつながり、地区の中や近隣地区とのつながり、そして新たに都会との交流という人と人との「きずな」によって、数百年の伝統を誇る貴重な神事・芸能である花祭りは存続の道をさぐっています。

奥三河の「花祭り」を満喫2

現在は10日午後なのですが、8日から9日にかけて愛知県の東部・奥三河で行われた民俗芸能「花祭り」のレポートの2回目を、ようやく9日分の記事としてアップします。

といいましても、8日分の1回目がまだ写真のみなのと同じく、今回もとりあえず写真のみのアップです。
夜通しの祭りを、ほぼ貫徹で観賞したことから、本日の日中はほぼ昼寝に費やし「時差ぼけ」を解消していたためです。

そして、ようやく記事を書き始める現在は14日の未明となりました。既に花祭りを見終えてから5日目になりますが、夜を徹して聞き続けた囃子のかけ声は頭の中に響き渡り続けています。

「テーホヘ トホヘ テホトヘ トホヘ」
日中、仕事の合間などに、つい口ずさんでいる自分が、ちょっと怖いぐらい。
この調子なら、次回に花祭りに行く機会があれば、かけ声をかけ、舞い手をやじる「セイト衆」が務まるような気さえしてきます。
(実際のかけ声は動画ニュースをご覧ください。http://www.47news.jp/movie/general_topics/post_2005/)

かつて仙台に勤務していたころ、青森の「ねぶた」に2度出かける機会に恵まれ、2回目には、会社の出先の同僚たちと一緒に衣装を着けて「はねた」ことが楽しい思い出になっています。
ねぶたのかけ声は「ラッセラー ラッセラー ラセラセ ラッセラー」という感じで、花祭りとは異なります。

しかし花祭りは、観客が全員ではないものの、ねぶたのように祭りに「参加」できるところは、少し似ています。
そして何より双方が共通しているのは、祭りのカーニバル的な盛り上がりが、北国や山間地の厳しい日常と鮮やかなコントラストを描いているようだということです。
つまり、1年間にわたって厳しい生活を続け、それに耐えてため込んだパワーが「ハレ」の祭りの日に一気に爆発するような感じがするわけです。

もちろん今の青森は都会で、奥三河と比較するのは語弊があるかもしれません。
でも、かつて聞いて「なるほど」とうなったのは、高校生たちが男女ともねぶたの期間中だけ門限がなくなって夜通し遊んでも許されるという話でした。

とにかく年中遊び回り、「お祭りマラソン」も度々走る私には、ハレの日のありがたさを実感する素地が欠けているように思えることだけは確かです。
脱線は、このあたりにして、写真の説明などを加えることにしましょう。

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花祭りのシンボルになっているのは「鬼」ですが、最初の鬼が舞庭(まいど)にようやく登場するのは夜も更け「丑三つ時」のころになってからです。
メーンの鬼は「山(見)鬼」「榊鬼」「茂吉鬼(朝鬼)」の3種類が時間をおいて登場しますが、メーンの鬼が登場するのに先立って子分である下っ端の「伴鬼(ともおに)」が現れて前座の舞いを披露します。

伴鬼は赤い鬼と緑の鬼が1組になっていて(左、右)、いずれも木でつくったまさかりを振り回しますが、舞い手が着ける面の表情のせいか、中に入っているらしいのが若者だからか、弱々しい感じで、仕草も滑稽です。
セイト衆からやじられるばかりか一緒になって舞いもして、その様子は「ディスコ」(「クラブ」ではなく)のような雰囲気をかもします。

神聖な舞庭の四方には、しめ縄が張られ、縄には半紙の切り絵がいくつも下がって飾られています(中央)。
小刀一本でつくられるというこの切り絵は「ざぜち」と呼ばれる神具で、何種類ものデザインがあって、写真は太陽と月をモチーフにしたもののようです。
ざぜちのすき間から見える五色の紙でつくられた天蓋状の飾りは、お湯を沸かす竈(かま=かまど)の真上にあるためか「ゆぶた」と呼ばれるやはり神具で、神々の宿る場所とされているということです。

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伴鬼に続いて、いよいよメーンの鬼の一番手である山鬼が登場します(写真)。
それまでの神事や舞の数々は、会場に備わる蛍光灯の下で行われてきましたが、山鬼の登場に当たっては照明がしぼられ、代わりに年長の女の子たちが手にした松明に火がともされて、それが鬼を照らす明かりとなります。
おどろおどろしい雰囲気を演出するためということです。

山鬼は、山を割って生命の再生を図り、「生まれ清まり」の役割を担っているとされ、大きなまさかりを舞庭の床に突き立てては、見えを切るようなポーズを何度もきめたあと、竃に片足をかけてまさかりを繰り返し振り下ろすしぐさを見せます。
花祭りの原型といわれる江戸時代の「大神楽」では、この鬼は浄土入りを目指す人を導いて白山(=浄土)を割り開くとされていたということです。

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山鬼の登場に続き、また幾つかの舞が披露され、明け方になると、2番目の鬼で最も位が高く重要とされる「榊鬼」が舞庭に現れることになります。
しかし、それに先立ち緑と赤の伴鬼がまた前座として登場し(中央)、真打ちは、もったいをつけて、なかなか出てきません。

伴鬼の面を良く見ると、角は生えているものの、それ以外はどう見ても鬼というよりは天狗の様子。
さまざまな信仰や芸能、伝承などをミックスして形作られた花祭りの「ごった煮」的な性格が、こんなところにも見てとれます。

伴鬼が舞っている間、座敷のかぶりつき部分で、「天保12年(1841年)」の年号銘が刻まれた太鼓を叩いていたのは、下粟代地区で花祭り保存会の会長を務められている金田新也さん(左)。
実は、これに先立って山鬼の面をかぶり、威風堂々とした鬼の所作を見事に演じたのが金田さんです。

花祭りのシンボルともいえる榊鬼は、「生まれ清まり」を実現するための呪法を行い、大地に新しい生命力を吹き込む重要な鬼とされ、この鬼の面は山鬼よりもさらに大きく、長さが50センチほどもあります。
私は、この鬼が登場している間は、ほぼ映像の撮影に集中していて、ポケットからカメラを取り出し撮影した写真はほんの2、3枚。
たまたま鬼が下を向いたところが迫力がありましたので、この写真を採用しました(右)。

榊鬼は登場して竃の回りで儀式を終えると「改め役」の人間と問答を交わし、歳比べや榊の枝の引き合いをしますが、これらはいずれも人間の方に軍配が上がります。
人が住む以前に住んでいた山の主である鬼から、人間が山の豊穣を分けてもらうという考えを現す筋立てということですが、その一方で、祭りそのものは山の神々に奉納するようなものですから、ちょっと突拍子もないストーリーのようにも思えます。

いずれにせよ人間に負かされてからの鬼は、しゅんとした感じになって、それを表現する舞い手の演技力は、なかなかのものでした。
会場を訪れていたあるアマチュアカメラマンが「鬼の面はアングルが変わると表情が違って見えるところが、おもしろい」と話していた通り、下を向いた榊鬼の表情は、どこか悲しげに見えるから不思議です。

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榊鬼がひっこんで、夜がすっかり明けたころに演じられるのは「おかめ」や「ひょっとこ」が舞いなどを披露する「おちりひゃら」という演目(左)。

おかめやひょっとこは舞っている際は扇や鈴を手に持っていますが、その前後には、竃の上に置いた巨大な「御幣もち」や味噌の付いた「すりこぎ」を持って舞庭の座敷や、会場の屋外を走り回ります。
そして御幣もちの米粒や味噌を観客らの顔面に次々になすり付けていくのですが、米粒や味噌を、ほっぺたなどに付けられることは、縁起の良いことだとされています。

その後も様々な舞いが続き、若者たちも再び登場。
観客が少なくなったなか、金田さんやセイト衆たちは、いつまでも囃子の掛け声をかけ続け、うたをうたい続けます(中央)。

写真で舞っているイケメンの若者2人のうち、左側の舞い手は、実は金田さんの息子さん。
堂々とした息子さんの舞いを、金田さんは、たのもしそうな眼差しで見守っていました。
過疎高齢化の波を受けるなか、伝統の祭りがこうして受け継がれているのは実にすばらしいことで、こうした地域や家族のきずなが、しっかり保たれていることは、うらやましくも感じるところです。

セイト衆たちがうたう長いうたの文句を墨書した紙は、舞庭の壁の高いところに掲げられていて、この文句をちらちらと見ながらうたう人たちもいました(右)。

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花祭りの2日目も昼ごろになって行われる祭りのクライマックスは「湯ばやし」。
舞い手の少年らが、再び薪をくべて湯がわかされる竃の前で舞ったあと、両手に持つワラをたばねてつくったタワシを湯に浸して、その湯を観客らに向かって、ところかまわず振りかけます(左)。
この湯は、生まれ清まった人の産湯と考えられて、これを浴びれば無病息災で、健康に過ごすことができるとされています。

私は、おちりひゃらの米粒や味噌は顔に塗ってもらいそびれましたが、湯ばやしでは、専用のレインコートを着せたビデオカメラや、防水使用のコンパクトカメラを向けて果敢に撮影に挑んだおかげで、湯はたっぷりと浴びることができました。これで、ほんとうに生まれ清まることができれば、ありがたいのですが。

花祭りはさらに夕方近くまで続いたもようですが、私たちは湯ばやしを見たところで、会場を後にしました。
昼すぎのころにはバスはなく、東栄町の役場近くにある温泉まで、ほぼ徹夜した体にいま一度むちを打って、山あいの道を約2時間かけて歩いて下りました。

途中に通ったトンネルの入口にはレリーフの鬼が描かれ(中央)、役場前には巨大な鬼の像がポーズをとっていて(右)、東栄町が「花祭りの町」「鬼の町」として町おこしを図っていることが分かります。

一昼夜にわたった花祭りは、異次元の宇宙に迷い込んだような体験で、その記憶は夢のようでもあります。
しかし竈の煙でいぶされて、洗濯して何日もたってもとれない服の焦げ臭さをかぐたび「テーホヘ トホヘ」のかけ声が、再び頭の中でぐるぐると渦巻きます。

約23時間をかけて140キロを走った一昨年の「萩往還ウルトラマラニック」と、良い勝負をするぐらいにどっと疲れた花祭りの見学・取材で、再び東栄町を訪れようという気にはしばらくなれそうにありません。
しかし一方で、この頭の中をめぐるかけ声に、再び呼び返されそうな気も、少なからずしています。

奥三河の「花祭り」を満喫1

現在は9日午後ですが、8日中に記事をアップすることはできず、後ほど処理をいたします。
といいますのも、本日午後までほぼ一昼夜にわたり、愛知県東部の奥三河に伝承される民俗芸能「花祭り」を仕事を兼ねて鑑賞する機会に恵まれ、余裕がなかったためです。

この「花祭り」行きは半ば仕事で半ば休暇という変則的なイベントで、私のメーンの仕事は映像と原稿。
従って、写真はそれら取材の合間のプライベートな時間に撮影したものですから、個人のサイトへの掲載は特に問題ないものと考え、それらの写真を8日、9日と分けて掲載できればと思っています。

さて、先に写真のみを掲載しましたが、何が写っているのか、興味を持ってくださった方もいるでしょう。
ということで、ようやく本文にとりかかりたいと思います。

「花祭りを見にいかないか」と職場の上司から年末に声をかけてもらった際に、お恥ずかしながら私は、その祭りがどんなものか、全く知識がありませんでした。
しかし少し勉強してみると、なかなか興味深く、地元・愛知についてより理解するためにも、仕事抜きでもぜひ行ってみたいと喜んで計画にのることにしました。

花祭りは毎年11月から3月にかけて、愛知県東栄町とその近隣町村の計15カ所で次々に行われます。
おおよそのスケジュールは午後の早い時間から夕方にかけて数々の神事がとりおこなわれ、それに続いて若者や子ども、それに鬼の面を着けた舞い手などによる様々な舞が、次々に夜を徹して披露され、それらを合わせるとまる一昼夜にもおよぶという壮大な祭りです。

冬至の前後に太陽の力の復活を願って行われる「霜月神楽」の一種で、宮崎県・高千穂地方の「夜神楽」と似かよっています。実際、既に世界遺産に登録された高千穂の神楽と同様に、花祭りも登録を目指す動きがあります。

花祭りの起源は、遠く鎌倉時代末期から室町時代までさかのぼり、初めは加賀・白山の聖(ひじり)や熊野の山伏が伝えられたとされ、その後に伊勢神楽や諏訪神楽なども取り入れながら、400年ほど前に今の祭りの原型がつくられたということです。

前置きはこのあたりにしますが、とにかくそんなディープな民俗芸能が、大都会・名古屋を抱える愛知県内に伝承され、生活の中に息づいているということ自体が、なんとも驚くべきことだと思います。

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今回の花祭りツアーに参加したのは職場の上司と私の会社と関連のある会社の先輩お2方、それに職場の美人敏腕カメラウーマンの計5人です。

私たちは、名古屋からJR東海道本線の新快速に乗って豊橋まで行き、単線のローカル路線である飯田線の2両編成のディーゼル列車に乗り換えて、東栄に向かいました。
列車の先頭部分は、両側のドアと座席わきにそれぞれロープが張られ、「荷物室」が設けられていました(左)。

渓谷沿いを走る列車の窓からは川底が見えるほどの清流の眺めも楽しめ、さっそく「お神酒」をくみ交わして豊橋で買い込んだ弁当を広げる先輩たちの様子は、まさに「大人の遠足」。
2時間足らずの乗車でようやく到着した東栄駅は、駅舎が鬼の面をモチーフにしていて笑えます(中央)。
しかも、その色づかいが列車と似せてあるところも、なかなか凝っています。

駅前からは乗車料金が100円で、バス停以外でも自由に乗降できるローカルの小型バスを2台乗り継いで目的地の下粟代地区へ。もちろん、花祭り会場に「一番近い所」と頼んで降ろしてもらいました。
朝の9時半ごろに名古屋で電車に乗りましたが、会場の集会所に到着したのは祭りの神事が始まる約1時間前の午後1時ごろ。
これほどの「山奥」だからこそ、こうした昔ながらの民俗芸能が残されているのでしょうが、当然のことながら、この地域は過疎高齢化の問題を抱え、花祭りも深刻な後継者難に直面しています。

一昼夜にわたる花祭りですが、午後2時ごろから夕方までは、どちらかと言えば地味な数々の神事が会場の内外でとりおこなわれます。
なかでも珍しいのは、その後の神事で使う神聖な「お瀧(たき)の水」を谷川で汲んでくる「瀧祓い」という神事ですが、これは映像取材の仕事中で、写真はありません。

右の写真は、その後に会場前の駐車場で行われた「辻固め」という神事の様子。
八百よろずの神々を招いて祭りを行うに当たり、邪魔ものが入り込まないよう「結界」を張るための儀式です。
オレンジ色の衣装の年配男性は、祭りをとりしきる神主に当たる「花太夫(はなだゆう)」、青い衣装の3人は補佐役の「宮人(みょうど)」。
この地区の花太夫さんは、神社の方ではありませんが、この役目を約50年も務めてられます。

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舞などが行われる集会所の土間は「舞庭(まいど)」と呼ばれ、その中央には茶わんを伏せたような形の「竈(かま=かまど)」が設置されています。
そして、舞に先立つ神事のクライマックスとなる「湯立(ゆだ)て」では、お瀧の水も加えて、かまどで沸かした湯を神に献じる儀式が行われます(左)。

舞に付き物であるお囃子の太鼓や笛は、花太夫や宮人の方々も演奏します(中央)。
本格的な舞が始まる前には、宮人らによる舞も披露されます(右)。

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本格的な舞の一番手は若者による「市(いち=一)の舞」(左)。
静と動の緩急が印象的で、特に、のけぞった格好になる(実はそのあと片足を後ろにはね上げます)決めのポーズは、フィギュアスケートの荒川静香選手による「イナバウアー」を思わせる格好の良さです。

それに続く舞の「地固め」は若者が2人1組で舞うもので、舞庭を踏み固める意味があるとのこと(中央、右)。
若者たちは皆がイケメンで、真剣に舞う姿が凜々しく、こんな様子が広く知れると、都会の若い女の子たちが殺到しそうですが、残念ながら凍えるような寒さの山村まで来て徹夜で祭りを楽しむ観客はカメラマニアらが中心で、まださほど多くありません。

右の写真では若者らに交じり、酒のとっくりを持つなど、いかにも酔っぱらいの男性が2人写っています。
表に面した戸が取り払われた集会所の舞庭に、このお2人が「乱入」してきたときには、そのスジの方が乗り込んできたのかと思って冷や冷やしました。

といいますのも、お2人は初めから、ろれつが回らないほど出来上がっている様子で、竈のフタをテーブルの代わりにして「立ち飲み屋」よろしく次々に杯を重ね、やじったり囃子の掛け声に口をそろえたりするのです。
ところが次第に分かってきたのは、こうした人らは観客の笑いを呼び起こすなどして舞庭を盛り上げる役目を担っているということです。
舞庭の「立ち見席」は「セイト」と呼ばれ、彼らは「セイト衆」という立派な祭りの「構成要素」なのです。

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舞のなかで「花形」ともいえるのが、小さな女の子たちによる「花の舞」です(写真)。
花笠をかぶって舞うことから「花笠の舞」とも呼ばれているこの舞いは、日付けが変わり祭り2日目の未明になって披露されます。

花祭りは、かつて「女人禁制」で行われ、今も舞い手をはじめ運営サイドの地元の人たちは男性ばかりであるなか、この花の舞だけは子どもとはいえ女性によって舞われます。
ピンクが目立つ色鮮やかな衣装の女の子たちが舞庭に登場すると、祭りの場がぱっと華やぎます。

女の子たちは3人1組になって舞います。
右手には鈴を持ちますが、左手に持つ扇や盆、それに湯桶は、成長とともに持ち変えるということです。

過疎高齢化が深刻である山間地・奥三河の花祭りにとって、後継者不足が深刻だと先にお書きしたとおり、約20戸・50人ほどの下粟代地区には花の舞を舞うだけの女の子はおらず、ほとんどの女の子らが花祭りを開けなくなった地区など近隣から「応援」に来てくれているそうです。

地元保存会の会長さんは「協力してもらえるのはありがたく、たのもしい」と話されています。
至近距離から撮影する私や他のアマチュアカメラマンなど気にもとめず、真剣な眼差しで舞う女の子たちを見ると、花祭りの保存に向けた地域ぐるみの努力が実を結んでいるのが分かります。

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花の舞を舞う女の子たちを見守る地元の人たちの眼差しは温かく、3日間にわたる稽古の指導に当たったとみられる人たちは、女の子たちの衣装の乱れを直したり、手をとって舞い方を教えたりしていました(右)。

舞いほとんど休みなく延々続きますが、夜も更けてくると眠たさや寒さとともに空腹感にも襲われます。
夕方、受け付けで3000円以上の心付けを渡した際、いなり寿司とワンカップの酒の「夕食」とともに「夜食」用の食券を受け取っていて、それを厨房に持って行くと、今度は、けんちん汁と熱燗の酒を奥の座敷でいただくことができます(左)。

それまでぶっ通しで見物し、夜食の時間が遅くなったことから、けんちん汁は煮詰まっていましたが、それでもお腹がほっとする感じです。
そして、あつあつの酒は、とっくりに満タンに入っていて、これまた体中にしみわたりました。

祭りの一番の「出し物」である鬼の登場は、さらに夜が更けてからで、その前に余興のような感じで登場した若者たちの舞は、アップテンポで目をさましてもらいました。
若者たちが額に巻いた太いはちまきには「彼女募集中」「○○製材よろしく」「祝新築」などの文字が書かれていて、吹き出しもしてしまいました。
(「奥三河の『花祭り』を満喫2」に続く。)