
パリマラソン前日の10日は、朝方にブレックファスト・ランを楽しんだあと、「マラソン・エキスポ」の会場でナンバーカードをピックアップ。その足で夕方、郊外に住む旧友のカンボジア人女性のお宅を訪ねました!

このクメール(カンボジア)美人はペン・ピラーンさんで、以前からパリに住んでいたカンボジア人男性と結婚し、現在はご主人、2人の子どもの4人家族で、2年前に購入したマンションで暮らしています(中央)。
私が特派員としてカンボジアのプノンペンで仕事をしていた1996年ごろ、ピラーンさんはカンボジアでのPKO活動を率いた国連の代表事務所で働いていました。英語もフランス語もたんのうという当時のカンボジアでは珍しい才媛で、記者会見などで会うと、メモ取りなどの仕事をてきぱきとこなされていて、私は自分の会社に引き抜きたいと思って説得したほどです。
結局のところ、その説得は功を奏しませんでした。私の任期が長くなく、私の会社が特派員を近く引き揚げることも予想されたうえ、当時のカンボジアでは記者やその助手は男性の仕事とみなされ、地元の女性はいなかったからです。
それでもピラーンさんには、当時のシアヌーク国王が発表するフランス語のメッセージを英語に翻訳してもらうという仕事をパートタイムで手伝ってもらい、そればかりか、ご家族と一緒に旅行に連れて行ってもらうなどして、地元の人の生活に触れる機会をもたせてもらいました。
私が帰国したあとも国連機関などで仕事を続けていたピラーンさんですが、数年後に今のご主人と結婚することになり、私も当然のことながら結婚式ではプノンペンに駆け付けて、お祝いをさせてもらいました。
ご主人は1970年代の後半、カンボジア全土が収容所のようになって知識人を中心に国民の約3分の1に当たる約200万人が死亡した「ポル・ポト時代」に、家族と一緒に旧宗主国のフランスに亡命して以来パリで生活をしていて、ピラーンさんも母国をあとにすることになったわけです。
私が、パリに引っ越したピラーンさんと会ったのは、6年前にベルリン・マラソンを走るためドイツに向かう途中、パリを経由したとき以来。そのときピラーンさん一家はアパート暮らしでしたが、今は広々としたマンションを購入。6年前には赤ん坊だった長男に加えて、長女ももうけられていて、幸せそうな暮らし向きに私は安心するとともに、うらやましくさえ感じました。
左の写真は4歳の長女が書いた両親の絵。右はカンボジア風の春巻きに続いていただいた少しベトナム風のヌードル。牛肉のダシと、好きなだけちぎって入れる生のモヤシや香草がマッチして、実に懐かしい味わいでした。
おかげでパリマラソンの本番を前にした栄養補給はばっちり。おまけに一家そろって都心のホテルまで送り届けていただき、感謝感激でした。
実は、マラソン本番のコースが、すぐ近くを通るということで、ピラーンさん一家も沿道に出てくれたのですが、私が地図を入念にチェックしなかったことから、会えずじまいで、たいへん申し訳ないことをしてしまいました。
ということで、ピラーンさんのご一家は、「走った!撮った!」の本編に登場していただくことがかなわなくなり、この記事で紹介させていただくことになりました。



このクメール(カンボジア)美人はペン・ピラーンさんで、以前からパリに住んでいたカンボジア人男性と結婚し、現在はご主人、2人の子どもの4人家族で、2年前に購入したマンションで暮らしています(中央)。
私が特派員としてカンボジアのプノンペンで仕事をしていた1996年ごろ、ピラーンさんはカンボジアでのPKO活動を率いた国連の代表事務所で働いていました。英語もフランス語もたんのうという当時のカンボジアでは珍しい才媛で、記者会見などで会うと、メモ取りなどの仕事をてきぱきとこなされていて、私は自分の会社に引き抜きたいと思って説得したほどです。
結局のところ、その説得は功を奏しませんでした。私の任期が長くなく、私の会社が特派員を近く引き揚げることも予想されたうえ、当時のカンボジアでは記者やその助手は男性の仕事とみなされ、地元の女性はいなかったからです。
それでもピラーンさんには、当時のシアヌーク国王が発表するフランス語のメッセージを英語に翻訳してもらうという仕事をパートタイムで手伝ってもらい、そればかりか、ご家族と一緒に旅行に連れて行ってもらうなどして、地元の人の生活に触れる機会をもたせてもらいました。
私が帰国したあとも国連機関などで仕事を続けていたピラーンさんですが、数年後に今のご主人と結婚することになり、私も当然のことながら結婚式ではプノンペンに駆け付けて、お祝いをさせてもらいました。
ご主人は1970年代の後半、カンボジア全土が収容所のようになって知識人を中心に国民の約3分の1に当たる約200万人が死亡した「ポル・ポト時代」に、家族と一緒に旧宗主国のフランスに亡命して以来パリで生活をしていて、ピラーンさんも母国をあとにすることになったわけです。
私が、パリに引っ越したピラーンさんと会ったのは、6年前にベルリン・マラソンを走るためドイツに向かう途中、パリを経由したとき以来。そのときピラーンさん一家はアパート暮らしでしたが、今は広々としたマンションを購入。6年前には赤ん坊だった長男に加えて、長女ももうけられていて、幸せそうな暮らし向きに私は安心するとともに、うらやましくさえ感じました。
左の写真は4歳の長女が書いた両親の絵。右はカンボジア風の春巻きに続いていただいた少しベトナム風のヌードル。牛肉のダシと、好きなだけちぎって入れる生のモヤシや香草がマッチして、実に懐かしい味わいでした。
おかげでパリマラソンの本番を前にした栄養補給はばっちり。おまけに一家そろって都心のホテルまで送り届けていただき、感謝感激でした。
実は、マラソン本番のコースが、すぐ近くを通るということで、ピラーンさん一家も沿道に出てくれたのですが、私が地図を入念にチェックしなかったことから、会えずじまいで、たいへん申し訳ないことをしてしまいました。
ということで、ピラーンさんのご一家は、「走った!撮った!」の本編に登場していただくことがかなわなくなり、この記事で紹介させていただくことになりました。
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