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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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富士山5合目まで試走2

富士登山競走のコースを5合目の先までたどった「試走」の報告は、本日が後半の2回目となります。
車道の終点である「馬返し」から、今やほとんど歩かれなくなった旧道を走る部分で、富士山の「知られざる」自然の表情と歴史の香りを満喫できる「穴場」ともいえます。
本日もまた、写真のみ15枚を掲載し、説明などは後ほど加えさせていただきます。

(以下が追加分です。)
いよいよ山道に入る馬返しは、その字の通り、ここから道が険しくなるために、以前は馬を返した場所。
この先は古来から富士山の「聖域」で、登山者が身を清めるための「お祓い所」もあったということです。

以前は登山道の起点である北口本宮浅間神社から馬返しまでは「草山三里」と呼ばれ、さらに5合目付近の森林限界までは「木山三里」、その先の頂上までは「焼山三里」と、それぞれ呼ばれていたとのこと。
今や「草山」には車道がつき、車で乗り入れた登山客が押し寄せる「焼山」は都会のようなにぎわい。
森林に覆われた静かな旧道が、朽ち果てた茶屋などの廃屋とともに残る「木山」だけが、往時の趣をしのぶことのできるエリアになっています。

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馬返しは、江戸時代には茶屋が建ち、馬を降りた人々が休憩して身支度を整える場所でした。
現代になってからも、1964年に「富士スバルライン」が開通し、多くの人にとって5合目が登山の起点になる前には、「登山口」としてバスが上ってきていたということです。

しかし、ここは今や単なる広場のようで、数々の石碑や鳥居、石灯ろうなどが往時をしのばせるだけです。
標高は約1450メートル。富士吉田市役所からは10キロ余りで約700メートルを上ってきています。
本番で制限時間内の完走を狙うには1時間5分ほどで通過したいところですが、それぐらいで走ってくると、脚はいつ痙攣してもおかしくないぐらい疲れます。
ここにも給水所が設けられますが、足を止めて休むほど時間の余裕がないのが富士登山競走の厳しさです。

馬返しにある石の鳥居の前には、こま犬ではなく猿の石像が向かい合っています。
後ろと前を向いた2体を合わせて撮ろうとカメラを構えると、ちょうど下りのランナーが通りました。

1合目に残っている建物は「鈴原天照大神社」(右)。
かつては本尊として密教の最高仏である「大日如来」をまつっていたということです。

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2合目に建っているのは「冨士御室浅間神社」。
富士山の神である「浅間明神(木花開耶姫命)」をまつり、この先は江戸時代まで女人禁制だったとのこと。
ここは富士山中で最初に建てられた神社だとされていますが、今や壁も屋根も破れて廃屋の状態(左)。
建物のわきには、キンポウゲの仲間の黄色い花が咲き乱れていました(中央)。

標高1700メートルを超えるこの辺りはコメツガやシラビソなどの針葉樹林に覆われています(右)。
小雨の中では甘酸っぱい香りが漂って、疲れた体が癒やしの気に包まれるような感じがします。

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3合目はかつて茶屋(山小屋)が並び「三軒茶屋」と呼ばれ、今も道の両側に廃屋が残っています(中央)。
かつて、ふもとを早朝に発った登山者の多くがここで昼食をとったことから「中食堂(ちゅじきどう)」とも呼ばれていたということです。
ここは眺望が良いことでも知られ、廃屋の中には「見張らし茶屋」と書いた看板が横たわっていました。
しかし本日は雨模様で、眺望があるべきところは、いずこも真っ白でした。

雨が多く、傾斜もきつい富士山の中腹とあって、登山道はU字型にえぐれて侵食されているところも少なくありませんが、一方で、昔ながらの石畳も、かなり残っています(左)。
私が昨年5月初め140キロを走った山口県の超長距離大会「萩往還マラニック大会」でたどる山越えの旧道「萩往還道」の石畳が思い起こされます。

石を割る機械も運搬する車や道路もない時代、山奥に石畳を敷く苦労はいかほどのものだっただろう-。
想像を絶するような先人たちの努力に思いをはせると、富士登山競走の参加者をはじめ、物好きしか訪れることがなくなってしまった、この由緒正しい登山道がいとおしく思えます。

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標高2000メートルを超えたあたりに残り、正面がトタン板で覆われた廃屋は「井上小屋」(中央)。
「五合目焼印所」と看板に書いてあるものの、ここは正確には「4合5勺」に当たるということで、競争の本番で関門が設けられる5合目までは、まだひとがんばりが必要です。

小屋の左手に切り立つ岩は、神のよりつく石とされる「御座石」と呼ばれています(左)。
岩の表面には、冨士講にまつわるらしい「日本橋」などの文字が彫られ、かつては岩の上に社がまつられていたそうです。
また60年に1度だけ、女性が2合目を越えて、ここまで登ってくることが許されたということです。

富士山には高山植物が少ないのですが、5合目付近にはシロバナノヘビイチゴが大きな群落をつくり、咲き乱れていました(右)

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富士登山競走の5合目の関門は、登山道がいったん舗装道路に出たあとの「佐藤小屋」前に設けられます。
しかし、そのすぐ上にある「星観荘」には既に「六合目焼印所」の看板がかかっています(左)。
ここから富士スバルラインの5合目まではコースタイムで30分余り。
最終バスは約20分後に出るところで、走れば間に合いましたが、もう走る元気はなく休憩をとりました。
小屋は6月初めから営業しているということですが、山開き前とあって売店のメニューに書かれた生ビールはまだなく、缶ビールをいただいて今年初の5合目の関門到達を祝いました。

小屋のそばから見上げると、山頂は雲に隠れていましたが、ここ数年と同じく残雪が多い様子でした(中央)。
山小屋の人たちが雪かきを進めていますが、7月1日の山開きに一般の登山客が山頂まで行けるかどうかは微妙なところだということでした。

下界の方もまた雲海に覆われ、晴れていれば見える河口湖や山中湖を眺めることはできませんでした(右)。

お伝えした通り休憩後には馬返しまで戻り、5合目から上の練習は山開きの後に出直すことになりました。
5合目から上は、ご存じの通り森林限界を越えて、砂礫と岩を踏むつづら折れの道が続きます。
高山植物や変化のある景色を楽しむ山とは異なり、巨大なピラミッドを登るような感じがします。
それに比べると、馬返しから5合目までの道の方がずっと山らしく、富士山ならではの自然を楽しめます。
うち捨てられ、朽ちていく小屋をいくつも見るのは、ゴーストタウンを抜けるようで複雑な気持ちになりますが、歴史の香りが漂っているともいえます。

富士登山競走で利用させるだけではなく、昔ながらの、ふもとからの登山も、地元は観光資源の一つとして見直してはどうかと思います。

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