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山の幸、海の幸

昨夜は、サッカー・ワールドカップの準々決勝でドイツがアルゼンチンから4点も奪って完勝を収めた試合を見ながら、遅い夕食をいただきました。

前夜までの深酒の連続で身体も肝臓も疲れ切っていたため、晩酌はなめる程度。
その代わりに山の幸、海の幸も盛り込んだ、けっこう豪華な食事をいただき、栄養補給に努めました。

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閉店間際の大型スーパーで半額で仕入れた刺身や豚の水炊きに加えて、いただいたのは写真の3品。
まずは、塩とレモンだけで味付けしたノンノオイルのサラダ(左)。
小さめで甘いトマト、キュウリ、セロリに加えて、水炊きに使った白菜の芯の部分を入れました。
歯ごたえがあり、甘みを含んだ味もつまった白菜の芯の部分は、韓国の人も良く生で食べるということ。
それに習って私も、いつもサラダに入れたり、味噌を付けてそのままかじったりしていただいています。

そして、大型スーパーの中にあって必ず立ち寄る福島県のアンテナショップで買ってきたワラビ(中央)。
季節を考えると、ほとんど終わりかけの時期ですので、春の名残としていただきました。
あく抜き用の木灰も一緒にいただいてゆでましたが、えぐみは残り、それがなぜだか、お酒に疲れた身体に生気を戻してくれるような気がしました。

さらに、これまた半額で買ったサザエの壺焼き(右)。
サザエは指でフタを押すとひっこみ、まだ生きていただけに美味しく、これも肝臓に良い感じがしました。

生きている魚介類を買うのは殺生をすることになって気持ちが良くないものですが、刺身で自ら包丁を入れるのに比べると、焼いたり煮たりして命を奪う瞬間から目をそむけられる調理法は私も辛うじてできます。
それに、閉店間際の店頭で私が買わなければ、おそらくはゴミになって、サザエたちは「犬死に」です。
それでも、熱した網にサザエを乗せるときには、つい「ごめんな」と、つぶやいてしまいます。

たまにこうして自分が食べるために殺生をすると思い起こすのは、当たり前のことながら人間も他の生き物と同じように別の生き物の生を奪って食べることによって生きながらえているという因果な仕組みです。
ワラビも生き物ですし、スライスして売っている豚肉だって、元は元気よく太ったブタを殺したものです。

そうしたことを思い出させてくれたのは、最近の口蹄疫騒ぎでした。
どうせ食べられる運命にあるはずだった牛を処分するときに、農家の人たちが「ごめんね」と言って涙を流すシーンには、多くを考えさせられました。
そもそもが食べられるためにだけに生を受ける家畜の生は、あまりにも悲しいものです。
でもそれは自分たちが生きていくためには仕方のないこと。それを一番知っているのが農家の人たちです。
食べられる日までは、精一杯かわいがって、家族のように接してやろうという農家の人たちこそ、この世界のつらく悲しい因果を日々感じているのでしょう。

そこで、さらに考えてしまうのが、今話題になっている反捕鯨映画の「ザ・コーブ」のこと。
私はこの映画をまだ見ていませんし、表現の自由は何があろうとも保証されるべきだと思いますが、それでも欧米の人たちによる反捕鯨運動一般には、常々うさん臭いものを感じています。

まずは、彼らがよってたつ価値基準に疑問があります。
つまり「クジラやイルカは知能が高く、人間に近いから捕獲して食べるのはかわいそう」という考え。
生き物の生に貴賤があると考えるのは、やはり傲慢な感じがするわけです。
知能の低い魚を捕ることや、ほ乳類でも知能の劣るキツネや鳥を狩猟するのは罪が少ないのでしょうか。
そもそも家畜は、食べるための生き物だから、いくら残虐に殺しても良いというのでしょうか。

知能が高い動物だからかわいがろうというのは、キリスト教的な選民思想からくるものかもしれません。
かつて欧米の人たちは優秀でアフリカやアジアの人たちは劣ると線を引くことができたのも、そもそも人間と他の動物の生の重みは決定的に違うという思想があってこそだったと思うのです。
私は、そもそも山が好きな人間だからなのかもしれませんが、生き物の生の重みに線引きをする思想よりも、すべての生き物や物に神が宿ると考えた太古の人たちのアニミズム的な思想の方が理解しやすく感じます。
人間も他の生物も、自分以外のすべての生き物があってこその自分なんだと、いつも思っているからです。

その私には、反捕鯨の人たちは「野蛮なアジア人を諭してやろう」と価値観を押しつけているように見えます。

さらに、そうした活動をしている人が自ら気づいているかどうかは分かりませんが、所詮はお金儲けや売名のために活動しているようだということも見過ごせません。
「ザ・コーブ」が制作された背景はよく知りませんが、日本の捕鯨船に海賊行為を仕掛ける「シー・シェパード」の人たちの組織的な活動は、明らかに特定の意図を持った企業などの後ろだてがなければできないもので、それに従事している人は何らかの手当をもらっているのではないでしょうか。

まあ政治的・思想的な意図がある映画であれ、表現の自由は守られるべきです。
それに映画がすべて芸術的でなければならないとも思いませんので、ここは食わず嫌いはせずに、そのうち機会があればこの映画も鑑賞させていただきたいと思ってはいます。

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