FC2ブログ
“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

最新トラックバック

カレンダー

06 | 2010/07 | 08
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

月別アーカイブ

FC2カウンター

全記事表示リンク

「汽笛一声」今は昔

ブログのネタが夏枯れならぬ「梅雨枯れ」を迎えている本日は、「鉄ネタ」で、お茶を濁します。
写真もまた、毎度の窮地の策。昼休みに会社近くで速攻で撮影したものです。
そして、タイトルは、ご覧の通り「『汽笛一声』今は昔」。
私と同年代の方なら、また少しでも鉄道好きの「鉄分の多い」方ならピンと来るでしょう。しかし、私の職場で仕事をする大学生のバイトさんたちに「『汽笛一声』って知ってる?」と聞いても、大方はポカンとされます。

BL0715新橋1R1003286  BL0715新橋2R1003282  BL0715新橋3R1003272

私の会社は住所では東京都港区東新橋ですが、会社のビルが建つ再開発地域一帯の通称は「汐留」です。
実際に会社の真下には、新交通「ゆりかもめ」や都営地下鉄・大江戸線の汐留駅があるのですが、会社から交通費が支給される際は、なぜか、ゆりかもめで1駅先、数100メートル離れた新橋駅が最寄りとされます。
何のことはない。ゆりかもめや大江戸線の料金が割高なため、経費削減策にひっかかるというわけです。
聞いた話では、同様のことは東京都庁でもあるらしく、自らが運営している大江戸線の都庁前駅は最寄りだと認められず、新宿駅から交通費が精算されるそうです。

そんな「せこい」話はさておき、新橋といえば多くの方が思い描くのは駅西側「烏森口」の「SL広場」です。
そう、選挙結果が出たり大きな社会問題が起きたりしたとき、テレビ局のリポーターらがサラリーマンなどの「街の声」を取材する際に定番になっている場所です。

その名の通り、広場の端には黒く威厳のあるSL=蒸気機関車が置かれ、今にも動き出しそうです(右)。
このSLは「C11 292号」で、1945年に製造され、中国地方で108万キロ余りを走った機関車。
「鉄道100年記念」の1972年に、旧国鉄の協力を得て港区がここに設置したということです。

その100年前、明治初期の1962年に、日本で初めて鉄道が走ったのが新橋-横浜の間。
列車は蒸気機関車が引っ張っぱり、蒸気船の方が先に一般的だったため「陸(おか)蒸気」と呼ばれました。
「汽笛一声」というのは1900年につくられ、新橋から神戸に至るまでの車窓の風景を歌った「鉄道唱歌」の「東海道編」(その後に「山陽・九州編」や「北陸編」など各地方のバージョンが加わりました)の66番あるうち1番の歌い出しのフレーズです。

「汽笛一声新橋を はや我(が)汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として」

私は、この歌詞を大阪の小学校時代に覚えましたが「新橋」も「愛宕の山」も見たことはなく、それらの地名は異国のような響きでした。
その後、仕事で東京に来て、それらの場所を実際に知ると、歌がいっそう身近に感じられて、新幹線の車内放送の前後に「鉄道唱歌」のメロディーが流されるたび、風景を思い浮かべて頭の中で口ずさんだものです。

そして長らく、SLも置かれている今の新橋駅こそ、日本の鉄道発祥の地だと信じ込んでいました。
しかし、何年か前に私の会社が虎ノ門から汐留に移転してきて、同じ再開発地区を歩いてみると、その北の端のビルの足もとに「旧新橋停車場」として明治時代の駅舎が再現されているではありませんか(中央)!

そう、SL広場から数100メートル東の、この場所に元の新橋駅があったのです。今の新橋駅が出来た後は、汐留駅と呼ばれる貨物駅になっていたとのこと。
そういえば、今の汐留の高層ビル街は、かつては広大な「汐留操車場」の跡地でした。

お恥ずかしながら実のところ私はまだ入ったことがないのですが、復元された「停車場」の中には入場無料の「鉄道歴史展示室」が設けられています。
「停車場」の北側には花壇がつくられ、木も植えられていて、建物の全体を撮影するのは困難です。
年配のグループがスケッチをされていましたが、その1人のおばさまも「良く見えないから想像して描いているのよ」と苦笑されていました。

「停車場」から北に向かって行くと大通りや高速道路に隔てられているものの、わずか200メートル足らずで銀座中央通りの南端、8丁目の一角に達します。
それもそのはず、明治以降の銀座は、この新橋駅の「駅前商店街」として発展したということなのです。

新橋界隈で昼食をとったあと、蒸し暑い中をSL広場、旧新橋停車場と足早で歩き、会社の前に戻ってくると、すぐそばの高架線路の上には、数分おきに新幹線が行き来しています(右)。
今や鉄道の起点は新橋でも汐留でもなく、東京ですので、新幹線はかなりのスピードで走り過ぎていきます。

私の子ども時代、SLはわずかながら北海道などで営業運行をしていましたが、乗る機会は逸しました。
しかし鉄道の電化はまだまだ進んでおらず、煙をはく気動車(ディーゼル列車)や、木製の座席や床の客車は少し田舎に行けば一般的でした。
遠くに旅行する際には、客車の窓を開けてホームを行き来する駅弁売りの人から弁当を買い求めました。
もちろん、列車は窓を開けていても辛うじて大丈夫なほどのスピードで走っていました。

つまり、車窓の景色を楽しむ「鉄道唱歌」の情緒を、自然に体感することができる時代だったのです。
ところが、超便利な新幹線に乗ると、遠くの景色さえ流れるスピードが速すぎて、眺めると目まいがします。
新幹線の中は、ビールをひっかけて眠るところ。
そんなふうに決め込んでしまっているのも、そうしたスピードが原因なのではないかと思っている次第です。

スポンサーサイト