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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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富士登山競走「完走記」

私の駆けっこ人生で久々の快挙となった富士登山競争の完走から一夜明けた本日。
予想された通り、私はボンヤリとして、腑抜け状態になっています。
完走したという実感も希薄で、なんだか夢の出来事のようにも感じられますが、昨夜はほとんど書かなかったレース中の様子や「勝因」の分析などを、忘れないうちに書いておこうと思います。

そうしたことを書くのは、書いてモノを伝えるシゴトに携わる私の使命のようなものでもあります。
それに何より初挑戦から5年目にして、ようやく胸を張って富士登山競走を語る資格も得たわけですから。

BL0724富士登山競走2-1IMGP2987  BL0724富士登山競走2-2IMGP2991  BL0724富士登山競走2-3IMGP2992

ペンタックスの「Optio S4」という、約90グラムで今でも最軽量級の古いデジカメをウエストバッグに入れて走りましたが、レース中は走りに集中・専念していましたので、途中の写真は1枚もありません。
そこで、本日の記事の併用写真はその前後に撮影し、昨日の記事に掲載していない残りモノ3枚のみです。

まずは富士吉田市役所わきのスタートライン前に並んだときの2枚。
スタートライン前にクレーンでせり出した台の上には市長や、自らも完走した経験のある司会の消防団員らが乗って、あいさつや注意事項の説明などをするほか、気勢を上げる音頭をとってくれます(中央)。

「エイエイオー!」と3回叫んで、皆が拳を突き上げたところで、振り返って撮ったのが左の写真。
ご覧の通り、道路を埋め尽くす「山頂コース」の参加者はほとんどが男性。きれいなコスチュームに身を包む女性ランナーが目立つ昨今のマラソン大会とは対照的に、質実剛健な男臭さが漂います。

そして制限時間のわずか50秒前にゴールに滑り込み、フィニッシュラインをいったん過ぎたあとに戻って来て撮ったのが右の写真。
ゴールした多くのランナーが、山頂に飛び出る手前の鳥居をくぐって登ってくるランナーを見守っていて、私がゴールして間もなく、「10!9!8!…」とカウントダウンが始まりました。
つりそうな足を引きずって戻って行くと、係の人が走路を遮断しようとするところで、ぎりぎりに男性ランナーが飛び込んできました。
この方が最終ランナーかと思いきや、記録を調べたところ、どうやらタッチの差で間に合わなかったようです。
わずか11秒及ばなかった3年前の自分の姿が思い起こされる一瞬でした。

(このあとは、いよいよマニアックな内容で、長ーくなると思います。ご注意を。)

【富士登山競争「5度目の正直」完走記】

富士登山競走のスタートは午前7時。
制限時間4時間半で山頂に登った後、1時間半ほど以上かけて自力で5合目まで下りて来る必要があるため山の天気が安定する2時ごろまでに下山を終えるには、逆算すると早朝のスタートが必至なのです。

スタート順は前年の記録などに応じて3つのブロックに分けられ、私は辛うじて2番目の「Bブロック」。
制限時間ギリギリの完走を目指す者にとって、スタートダッシュはかなり重要ですので、約30分前に会場に着くと、すぐにブロックの前の方に陣取って好位置を確保しました。
「もう1度手洗いに行きたい」という気持ちは待機中にも走り始めてからもありましたが、緊急を要するまでは忘れることにしました。結局のところ問題はなく、緊張のためにそう感じただけだと分かりました。

▼「もの足りない」と感じる上り坂
号砲が鳴ってからスタートラインを越えるまでは1分余り。
タイムロスはさほど多くありませんが、スタート後しばらくは大混雑で、思うようにスピードに乗れません。
スタート後、数百メートルで左に折れると、目抜き通りの坂を上り始め、その後ほぼずっと上りが続きます。
上り始めた途端、脚が重く感じ「嫌だな」と思うこともありますが、今回は意外とスムーズに脚を運べます。
10キロや20キロは「無感覚」のまま過ぎる、調子の良いときのマラソンのような感じです。

ただ単に調子が良かっただけかもしれませんが、やはり登りに重点を置いた現地での練習や、それに先だち繰り返した山を走る練習、そして5月以来、14階の職場まで毎日走って登った成果が現れたようです。
平地ばかりを走っていては、上り坂がつらく感じるのは当たり前。逆に上り坂に慣れてしまうと、それが普通になってきて、むしろ前半の緩やかな上りは「もの足りない」と感じられるようです。

▼ランシャツ・ランパンが正解
前半に調子よく感じた理由の一つは、昨日も書きましたが、ランシャツ・ランパンというウエアの選択です。
これまでは後半の寒さに備えてTシャツにハーフタイツ、ハイソックスを着けて走りましたが、それでは暑くて汗だくになる前半が不利になり、後半のダメージも大きくなるのは当然のこと。
1秒でも速く進みたいのに、後のことを考えて付加を抱え込むなんて考えてみればバカげています。
「後のことは後で考えれば良い」と割り切ったのは、まさに正解でした。
「山頂の気温は11度」とスタート前にアナウンスされ、山中も寒くはないと知って、それを確信しました。

もちろんレースとはいえ自己責任の登山ですから、超薄手のウインドブレーカーの上下や超軽量のTシャツ、レインポンチョ、手袋やアームウオーマーなどはウエストバッグに入れてありました。
しかし、そうした最低限の荷物はあっても、今回の身軽さ、涼しさは段違いでした。

▼目標より2分早く5合目通過
ぎりぎりの完走を目指して設定していた中盤までのタイムは、車道の終点である「馬返し」が1時間7分。
タイム的にほぼ中間点に当たる5合目が2時間10分。ぎりぎりアウトだった3年前とほぼ同じ数字です。
そして実際には、馬返しが1時間7分30秒、5合目が2時間7分58秒で通過しました。

馬返しの手前の急坂は、いつも歩き出したくなるほどつらいのですが、今回は余裕で通過できました。
その割にはタイムは縮まっていないのですが、同じタイムでも余裕があるかないかでは意味が全く違います。
余裕を維持できた結果、山道に入り歩きが主体となる馬返しからは多くのランナーを抜いて進めました。
馬返しからしばらくは、山道の中央部に深さ30~40センチもの風呂桶のような「土砂だめ」が幾つも掘られ、ほとんどのランナーは脚への負担を避けて両脇を通りますが、私はほぼ中央を突破して、その度に何人もを抜くことができました。

5合目の手前の細い道で渋滞になりましたが、それでも目標タイムを2分も上回ることができました。
「なんとか完走できるかもしれない」
そんな思いがようやく浮かび、自分のゴールシーンもイメージできました。
しかし、現実は、そう簡単に運ぶわけではありませんでした。

▼脚がつり「特効薬」で神頼み
5合目を過ぎると再び渋滞になり、大幅にタイムロス。
それを取り戻そうとするのですが、なかなか思うように歩きのスピードを上げることができません。
7合目から8合目の間に続く岩場で挽回を図ろうと、練習で試みたように鎖や岩を手でつかんで腕力も使い、少しでも無理をして「直登」に近いコースどりを心がけ、ようやく次々に前のランナーを抜きました。
しかし、馬返し以降のそうした積極策がついに裏目に出て、脚にダメージがきてしまったのです。

岩場の途中で突然、両方の太ももが「つり」始め、スピードは大幅にダウン。
しゃがみ込んで何度もストレッチするうち、さらにどんどん時間が過ぎます。それにストレッチをしてもほとんど効果がありません。とにかく、つったままでも進める限り進むことにしました。

そこで思い出したのが、明走会の知人からいただいていた「特効薬」。脚がつったときに即効性があるというマグネシウムのサプリメント「マグネフォース」の、目薬のような容器に入った試供品です。
私はサプリの類は使うことがなく、自然に反するような気がして抵抗感もあるのですが、「わらをもすがる」このシチュエーションでは、神頼みでも何でも試さざるを得ません。
マグネフォースを数滴、ミニ水筒のお茶にたらして飲んだところ一瞬、筋肉が弛緩したような感じがしました。
実は直後に再び脚はつり始めたのですが、そんな状態でも進めたのは、やはり特効薬の効果でしょうか。

▼8合目で「8割方いける」
岩場を通過して脚がつることもほとんどなくなったものの、スピードはもはや思うように上がりません。
脚をいたわりつつ、歩きのピッチだけは保つようにして、少しずつ、黙々と進む以外にはなくなりました。
「まともに進んでいるはずはないよなあ」と思いながらも、8合目の関門は順調に近づいてきます。
そして4時間制限の関門通過は、3年前より3分ほど早い3時間53分21秒。
実のところ、関門を通過した記憶がなく、前のランナーに「通過しましたっけ」と聞いたのが3時間54分ごろのことでした。

8合目通過の目標タイムは3時間52、53分でしたので、「これで8割方行ける」と思うことができました。
とはいっても、もう1度脚がつれば即刻アウトですので、飛ばして余裕を広げることもできません。
急にお腹がすいてきたため、最後の山小屋でオレンジジュースを買って、飲みながら歩き続けました。
あと数百メートルまで来ると、ほぼ完走を確信できましたが、ゴールタイムは予想以上にギリギリでした。
ただギリギリでもゴールできるようにと、頭と体を使って計算しながら進むことができたのは、これまで何度も挑戦と練習を重ねた「経験」のたまものだったと思えます。

▼まぶしく感じる陽光
山頂直前に立つ最後の白い鳥居をくぐると、ゴールラインとタイム表示の電光板が見えました。
オレンジジュースのペットボトルを持ったまま、両手を上げてフィニッシュしました。
お腹の底から熱いものがこみ上げてきて、体が震え、泣き出したいような気持ちです。

3年前、制限時間に11秒足らなかったときは、ゴール直前で突っ伏して、しばらく動けませんでした。
日本で一番太陽に近い所にいるのに、目の前は真っ暗闇に感じました。
ところが今回は、まぶしい陽光が、いっそうまぶしく感じられます。
その差は、わずか1分1秒。21キロ、3000メートルを駆け上がった挙げ句の1分余りです。
こんな小さな差で一喜一憂できるバカバカしさは、なんだか人生に似ているようにも思えます。
たかが「遊び」なのですが、この日本一過酷な駆けっこ大会である富士登山競走。実にぜいたくな遊びです。

▼捨てたものじゃない底力
ゴール後はベンチに座って、靴ひもを調整しようとするだけでも脚がつりまくります。
ゴール後に脚がつることはフルマラソンなどでは時々ありますが、今回は特にひどい状態。
これで、よく歩き続けられたものだと自分で驚いてしまいます。
精神の糸が切れなかったから脚が動き続けたのか、脚を動かし続けることで血流を滞らせなかったから歩き続けられたのか。実際に何が起こったかは分かりませんが、人間の底力は捨てたものじゃないと思えます。

さらに驚いたのは、缶ビールで祝杯をあげ、大休止をしてから下山したとき。
脚は完全に元通りになっていて、かなりの猛スピードで走って下ることができたのです。
本当はレース中にも、もっと飛ばせる余裕があったのか、完走がうれしくて元気がみなぎったのか。
これまた実際にどうだったのか、何が起こったのか、今でもよく分かりません。

▼応援・激励がパワーに
そして今回の快挙の大きな原動力となったのは、多くの友人・知人が応援してくれたことです。
完走後には多くの方々から、お祝いの電話やメールをいただきましたが、前日にもまた「完走祈願」や激励のメールが何通も届けられ、それが快いプレッシャーになりました。

その多くは駆けっこ仲間からのものですが、富士山で試走した帰りに知り合った大学生の豊彦さんもメールをしてくれました。彼は下山中の馬返し直前で走って追い抜いたあと、真っ暗な車道を歩いているところを車でピックアップしてあげて、一緒に銭湯に行くことになった仲です。

「富士山と辰巳さんからパワーを頂いたので、これからしばらくエネルギッシュに生きられます。
富士登山競走で走る辰巳さんのことをイメージしたら、僕のたいていの問題は乗り越えられそうです」
銭湯に行った翌日、こんなメールをくれた豊彦さんは、前日にも励ましの言葉を贈ってくれました。
「富士山と風が、辰巳さんと一体になって応援してくれると想像いたします。
素敵な一日になるよう応援しております。がんばってください」(勝手に転載して、ごめんなさいね。)
うーん、最初に私のことを「おじさん」と呼んだだけあって、若者らしく詩的な言葉です。

「自分が勝手にやっている遊びに応援も激励もあったものじゃない」という思いもありますが、そうした言葉はやはりうれしいものです。
そして、それは間違いなく自分のパワーになってくれました。

人生のすべてのエネルギーは、つまるところ人とのつながりから得られるものじゃないだろうか。
いつも抱いている、そんな思いを、富士登山競走を通じて再びかみしめることになったというわけです。

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