
名古屋の職場の仲間たちでつくる野球チームに参加して本日、約10年ぶりの草野球を楽しみました!
会場は自宅に近い鶴舞公園を隔てて反対側にある野球場で、自宅からはわずか1キロ余りのところ。
夏カゼでノドとハナが最悪の状態であるとはいえ、これではサボるわけにもいきません。
もちろんジョギングで野球場に向かったものの、相変わらずの暑さもあって足は重たい感じだったのですが、「これぐらいのハンディは背負っても良いだろう」と考えて試合にのぞみました。

太陽が傾く夕方のプレーボールとなった試合の相手は、地元の大手自動車メーカーの関連会社のチーム。
わが方と違ってユニフォームをそろえ、見るからに強敵。ピッチャーの球もビュンビュンとうなります(左)。
私は約10年前まで居た職場には通勤ランニングと草野球をしに行っていたようなもので、そのころ仕立てたユニフォームを着て出場しました(中央)。
大阪出身で、生まれつきの阪神ファンである私がそのころつけていた背番号は「22」。
もちろん往年のスラッガー・田淵幸一選手の番号を、勝手にいただいたものです。
前の職場を離れたあとに、しまい込んでいたユニフォームは、ランニング大会の仮装で着ることはあっても、再びこれを着て野球をすることはないと思っていましたが、人生、何があるか分からないものです。
わがチームの応援団の美女たちからは、白と青のユニフォームは「ドラゴンズみたい」と言われました。
「ああ、ここは名古屋なんだなあ」と納得して、「タイガースの法被を着てこなくて良かった」などと思いながら、美女たちと一緒に、つい写真におさまってしまいました。
(美女の1人は、カメラマン役をしていて、ふざけてカメラを構えられたため、お顔が見えていません。
彼女は、私が着任した日に撮影の取材をした動画の中に登場され、一瞬お顔も見られますので、よろしく。
http://www.47news.jp/movie/general/post_153/)
さて、かつては野球に明け暮れていたとはいえ、10年のブランクはバカになりません。
やはり久々にはいたスパイクには、足をとられる感じがして、センターの守備について早速飛んできた打球に見事追い着いたものの、球はグラブをかすって捕球できませんでした(といっても、この打球はレフトの後ろに飛んできたもので、守備範囲の広さだけは以前通りなのですが)。
「3番」の初打席では、三遊間を抜く鋭い当たりのヒットを飛ばしましたが、その後の2打席は凡打続き。
そのうち3打席目の内野ゴロでは、相手のエラーで得点を挙げることができましたが、悔しい思いをしました。
夕方の試合とあって、猛暑が少しやわらいだ中でプレーすることができましたが、夕日はみるみる傾きます。
頭上に○を描いたように浮かぶ雲も、オレンジ色に染まっていきました(右)。
日没で終了となった試合は、わがチームのエース&キャプテンの豪腕をバックが支えきれず4対5で敗北。
私にとって記念すべき名古屋での草野球の復帰第1戦は、勝利で飾ることができませんでした。
とはいえ試合の後、私の歓迎会を兼ねた打ち上げが自宅近くの鶴舞駅前で開かれ、2次会まで楽しく飲み、夏カゼにやられたノドとハナを「消毒」することになりました。
会場は自宅に近い鶴舞公園を隔てて反対側にある野球場で、自宅からはわずか1キロ余りのところ。
夏カゼでノドとハナが最悪の状態であるとはいえ、これではサボるわけにもいきません。
もちろんジョギングで野球場に向かったものの、相変わらずの暑さもあって足は重たい感じだったのですが、「これぐらいのハンディは背負っても良いだろう」と考えて試合にのぞみました。



太陽が傾く夕方のプレーボールとなった試合の相手は、地元の大手自動車メーカーの関連会社のチーム。
わが方と違ってユニフォームをそろえ、見るからに強敵。ピッチャーの球もビュンビュンとうなります(左)。
私は約10年前まで居た職場には通勤ランニングと草野球をしに行っていたようなもので、そのころ仕立てたユニフォームを着て出場しました(中央)。
大阪出身で、生まれつきの阪神ファンである私がそのころつけていた背番号は「22」。
もちろん往年のスラッガー・田淵幸一選手の番号を、勝手にいただいたものです。
前の職場を離れたあとに、しまい込んでいたユニフォームは、ランニング大会の仮装で着ることはあっても、再びこれを着て野球をすることはないと思っていましたが、人生、何があるか分からないものです。
わがチームの応援団の美女たちからは、白と青のユニフォームは「ドラゴンズみたい」と言われました。
「ああ、ここは名古屋なんだなあ」と納得して、「タイガースの法被を着てこなくて良かった」などと思いながら、美女たちと一緒に、つい写真におさまってしまいました。
(美女の1人は、カメラマン役をしていて、ふざけてカメラを構えられたため、お顔が見えていません。
彼女は、私が着任した日に撮影の取材をした動画の中に登場され、一瞬お顔も見られますので、よろしく。
http://www.47news.jp/movie/general/post_153/)
さて、かつては野球に明け暮れていたとはいえ、10年のブランクはバカになりません。
やはり久々にはいたスパイクには、足をとられる感じがして、センターの守備について早速飛んできた打球に見事追い着いたものの、球はグラブをかすって捕球できませんでした(といっても、この打球はレフトの後ろに飛んできたもので、守備範囲の広さだけは以前通りなのですが)。
「3番」の初打席では、三遊間を抜く鋭い当たりのヒットを飛ばしましたが、その後の2打席は凡打続き。
そのうち3打席目の内野ゴロでは、相手のエラーで得点を挙げることができましたが、悔しい思いをしました。
夕方の試合とあって、猛暑が少しやわらいだ中でプレーすることができましたが、夕日はみるみる傾きます。
頭上に○を描いたように浮かぶ雲も、オレンジ色に染まっていきました(右)。
日没で終了となった試合は、わがチームのエース&キャプテンの豪腕をバックが支えきれず4対5で敗北。
私にとって記念すべき名古屋での草野球の復帰第1戦は、勝利で飾ることができませんでした。
とはいえ試合の後、私の歓迎会を兼ねた打ち上げが自宅近くの鶴舞駅前で開かれ、2次会まで楽しく飲み、夏カゼにやられたノドとハナを「消毒」することになりました。
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