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商店街で「円頓寺映画祭」

名古屋中心部の円頓寺(えんどうじ)商店街を舞台に一昨日の夕方に幕を開けた「円頓寺映画祭」は昨日が最終日でメーンの1日となり、私は朝から各会場を巡ることにしました。

先にも紹介しましたが、今年で2回目を迎えた円頓寺映画祭は、名古屋大学の国際言語文化研究科で学ぶ大学院生らが企画・運営。
自分たちが「見たい、紹介したい」という主に独立系の映画を上映するとともに、かつての活気をなくしている円頓寺の「商店街に、にぎわいを」と願って開く手づくりのミニ映画祭です。

芸術祭が町おこしと結びついているという意味では、先月までやはり名古屋市内で開催された現代アートの祭典「あいちトリエンナーレ2010」と似ています。
しかしトリエンナーレが行政も巻き込んだ地域の一大イベントであるのに比べて円頓寺映画祭は、今のところ大きな後ろ盾をもっているわけではなく、学園祭を商店街で開いたようなものです。

数10万円の運営費は、昨年は企業の協賛を受けて工面しましたが、今年は大学の助成金を充てています。
上映会場は商店街の店や集会所、近くのホテルなどで、すべて無償で提供を受けていて、そのため手弁当の映画祭とはいえ太っ腹な「すべて入場無料」を実現しています。

そうした商売とは無縁の「市民映画祭」としては、私が20年以上も前に初任地の群馬県で取材・応援した「高崎映画祭」を思い起こさせられもして、今回も応援してやりたい気持ちはあるのですが、仕事として事前に紹介する機会は逸してしまいました。
そこで、とりあえずは一観客として会場を回れるだけ回り、ブログで紹介することにしたというわけです。

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午前中に1本目の映画を見た会場は、既に何度か紹介している「ワンデイ・シェフ」の店「庵ひろ」(中央)。
食事をいただく縁側に面した板の間の座敷が上映会場となり、白い壁がそのままスクリーンになりました。
観客は、土曜とあって午前は数人しかいませんでしたが、午後は食事客も含めて満杯になりました。

午後はランチを食べながら見る客もいたため、ご覧のように縁側の雨戸は半分開けられて、映像を鑑賞する環境として問題がないわけではありませんが、このアバウトなところが手作り感あふれる部分でもありました。

私は1本目の映画を見終わって2本目が始まる前の昼休みにワンデイ・シェフのランチをいただきました。
昨日のランチはベトナム料理で、春巻きやベトナム麺の「フォー」に加えて、ベトナム風お好み焼きの「バインセオ」(右)まで出てくる豪華版でした。

バインセオは私が特派員をしていたカンボジアでは「パンチャエウ」と呼ばれていました。
カンボジアの地方に行くたびに、その土地に独特な香草や食用の木の葉などが山盛りになって出てくるのが楽しみなのですが、そのたびにお腹をこわしてもいたのが思い出されます。

昨日がデビューだったというワンデイ・シェフは、今回もまたまた美人の女性でした(左)。
ランチのあと別の会場を見に行って、写真を撮りに戻ってくると、デザートをいただいていなかったことを教えられ、大きなプリンをいただきました。
プリンも料理も美味しく大満足でしたが、こうした豪華なランチが毎回なんと800円という安さでなのです。

食事の話に脱線しましたが、午前中に見た映画は東ティモールがインドネシアから独立する過程での苦悩を描いたドキュメンタリー映画の「カンタ!ティモール」。
名古屋在住で音楽家でもある広田奈津子さんが長年にわたる取材を経て、昨年発表した作品です。

ハンディカメラを持って現地に飛び込み、取材対象の懐に入って取材する手法は、私がかつて出向していたテレビ局で試みていた「ビデオジャーナリスト」的な取材と似ていて、近しいものを感じました。
しかも東ティモールとカンボジアは、同じ東南アジアだけに自然の風景も人々の顔も見間違えるほどに似ているうえ、悲惨な大量虐殺を経験し、和平の過程で日本がコミットしたという点も類似しています。

そうしたことから、この作品はとても人ごとのように思えず、胸が騒ぐ感じをおさえられませんでした。
とはいえ自らを振り返ると、私自身はカンボジアにかかわり続けようと思っていながら、結局それができず、海外ニュースを扱う部署を離れたからと、東ティモールの現実も人ごとのようにしか見ていませんでした。

広田さんの映像が荒削りなところが気になったり、東ティモールの独立を阻止しようとしたインドネシアを支援していたとして当時の日本政府を執拗に批判しようとする彼女の物言いが、逆に説得力を弱めている感じがしたりするのですが、そんなことは些末なことです。

何はともあれ、こうして力のある作品をつくって世に問うところは若い力のすばらしいところで、そういう意味で非常に刺激を受けました。
「映像でも、自分にしかできないものをつくりたい」
あきらめかけていたそんな思いを、もうしばらく暖め続けていたいという気になってきました。

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商店街で道案内をするなどして映画祭を盛り上げたボランティアもまた、地元の大学生ら。
「庵ひろ」の店の前にも、そろいのピンクのウインドブレーカーを着た美女たちが立っていました(左)。

ランチのあと学生らが手がけたショートショート的な作品の連続上映を見た会場は、商店街の集会所である「ふれあい館」。その前にも、やはり映画祭の看板を横に案内役の美女が(右)。

商店街のなかで、もう1つの会場となったのは喫茶店の「まつば」(中央)。
昭和の香りが漂う円頓寺のなかでも、この店は特に昭和そのものといった雰囲気で、懐かしいといいますか、ドアから入った瞬間にタイムスリップする感じです。
年配のご主人が、使い込んだ鍋で湯をわかし、コーヒーを入れてくれるカウンターの向こうにある暗がりで、映画の上映は行われました。

ここで見た作品は、去年の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」で最優秀賞に輝いた「忘却」。
南米ペルーの生まれでオランダに帰化したというエディ・ホニグマン監督の作品で、ペルー社会のひずみを、首都のリマで取材したさまざまな人々を通して浮かび上がらせる力作です。
これまた取材の対象や手法はビデオジャーナリスト的な作品でしたが、映像そのものは安定しているうえに、美しく詩的でもあり、圧倒的な力をもっていました。

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アーケードの下に昔ながらの構えの商店や飲食店が並ぶ円頓寺商店街。
映画祭に対しては上映場所を提供はしているものの、お祭り騒ぎが繰り広げられるわけではありません。
とはいうものの、映画祭のポスターやチラシを、さりげなく店頭に掲げる店も少なくありません(中央)。

一方、学生たちは店の1軒1軒を訪問して映画祭の趣旨を説明したり協力を求めたりしたうえ、上映作品の「幕間」に流す店のCMを制作するなどして商店街のPRをしています。
学生たちと商店街を歩くと、年配の店主が彼らの顔なじみになっていて、息子か孫が店を盛り上げようとしているような、微笑ましい関係が築かれているのが分かります。

そんな学生たちのなじみの店の1つが肉屋の「丸小(まるこ)」。
私は上映会場の間をわたり歩く際、香ばしいにおいについ誘われて、ご主人が店頭で揚げているコロッケを買っていただきました(左)。
1個70円のアツアツのコロッケは、衣がサクサクとして中身はジューシーで、いやあうまかった。

やはり商店街を歩いていて突然現れたのは、レトロなデザインの郵便配達のバイク(右)。
昭和の香りがする商店街にあつらえたような、まさに映画の一場面を見るようなシーンです。
「街にお似合いですので、撮らせてくださいね」と頼むと、配達員の美女は満面の笑みでこたえてくれました。

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商店街の外れにある「名鉄イン名古屋駅前」では、作品の上映のほか監督らによるトークも行われました。
上映会場に提供された1階フロアの小ホールでは、スタッフの美男美女たちが迎えてくれました(中央)。
(写真の中央奥は、映画祭を中心となって企画した名大国際言語文化研究科の島本昌典さん。)

この会場で夕方前に続けて見たのは、「ショートショートフィルムフェスティバル」で国土交通大臣賞を受けた「井の中の蛙」(2009年、落合賢監督)と、名古屋大の大学院生による「Seeking OTSUKA」(村松里実監督)の2作品。
いずれも「旅」がテーマになっている短編作品で、若者にとって特別な意味をもつ旅のわくわくとする高揚感を思い起こさせてもらいました。

私自身もいまだに旅は大好きですし、人生そのものが休むに休めない旅のように感じています。
しかし、学生みたいに、計画がいい加減でも流動的でも良いような旅行ができなくなったように、人生でもまた先のことが少し気になり始めるなどして、なかなか若いときと同じような気持ちにはなりにくいようです。

作品そのものについていえば「井の中の蛙」は、スチールの写真をふんだんに取り入れて「パラパラ動画」のようなシーンが多く見づらい感じがする反面、映像とは違った写真の力や、映像と写真のコラボレーションの可能性を見せてくれました。

「OTSUKA」の方は小さなカメラなど安価な機材を使うディスアドバンテージをものともせず、人をひきつける作品をつくりあげているところは「カンタ!ティモール」と通じるところがあります。
映像は「ゆるい」感じがするシーンも少なくありませんでしたが、ナレーションの内容が魅力的でした。
人生に真摯に向き合っている感じが、これまた微笑ましくも思えて。
そして何より円頓寺が舞台になっていて、商店街の人たちが出演しているところも地域の映画祭ならではのアットホームな感じをかもしていました。

そして夕方のフィナーレを飾ったのが、昨日も紹介した映画祭のゲストである韓国の気鋭の女流監督であるチェ・ヒョンヨンさん(左)の短編2作品。
「ダマー映画祭in広島」でグランプリに輝いた短編作品「The After」と、名古屋や円頓寺で撮影した新作の「お箸行進曲」です。

チェ監督の故郷である大邱で起きた少女誘拐事件を題材にした「The After」は、サスペンス風の仕立てで、映像の美しさも巧みな構成もすばらしく、今すぐ商業映画を手がけられそうな、光る才能を感じさせます。

そして「お箸行進曲」の方は、映像はやや荒削りですがそれは当然で、なんとこの9月にわずか3日間でロケから脚本づくり、撮影、編集を仕上げたという驚きの作品なのです。
ハンディカメラで監督自ら撮影したという映像が「The After」より見劣りするのは仕方ありませんが、出演をしている女優のお姉さまと婚約相手役である学生、そしてやはり商店街の方が演じるその父親などとの息がぴったりで、そこには人をうまくのせるディレクションの力量も感じました。

日韓の食卓文化の違いをテーマにしているあたりは、「ハングル講座」のコーナーのような感じもしました。
しかし、前作とは対照的であるコメディタッチで軽妙な映像表現も秀逸で、監督の明るい性格が映し出されているようでした。
舞台となった一応レストランの「庵ひろ」が、本物の日本家庭のように見えたのも見事でした。

上映後のトークでチェ監督は、撮影に対する規制が厳しいように思っていた日本で、円頓寺の人たちが「みな快く協力してくれたことが、うれしかった」と振り返ってられました。
監督の話は、大半が大学で学んでいる日本語でしたが、ほとんど通訳いらずで、舌を巻くばかりでした。

チェ監督と一緒にトークを行ったのは、「OTSUKA」の監督、プロデューサーの美女2人と、韓国映画を紹介する「シネマコリア」の主宰者で、東海学園大学の教員でもある西村嘉夫さん(右の写真の左、「OTSUKA」の村松監督はその隣、さらに隣はプロデューサーの木村めぐみさん)。
独学ながら私などとは比べものにならないほど韓国語がペラペラの西村さんは今回、ご自身の教え子である学生たちがボランティアをすれば単位になるという仕組みをつくるなどして映画祭に協力されていました。

こうした多くの人たちの手弁当での努力や誠意、そして若い才能が結びついて、何か大きなものが動き出しそうな気もしてきます。

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