
名古屋大学大学院の国際言語文化研究科のウェブサイトに、このブログへのリンクがはられました。
同研究科は以前、このブログにも登場してもらった、私のかつての同僚である中村登志哉さんが教授として着任され、また先日来、紹介してきた円頓寺映画祭の中心人物である島本昌典さんが学ばれているところ。
とはいえ、こんな体育会系のブログとは、そもそもレベルが違いすぎて縁などないはずの学問の府です。
それが、なぜこんなことになったのかといいますと、昨夜、島本さんからいただいたメールの中に、「映画祭をご紹介くださっている辰巳さんのblogを…リンクを貼って、紹介してもいいでしょうか?」という言葉があって、てっきり映画祭のサイトにリンクしてもらうものだと思い込んで、快諾する旨の返事をしたのです。
(私は寝ぼけていて、メールを斜めにしか読んでなかったのです。)
すると朝方「中村先生が驚かれるかもしれないですね!」というメールを受け取ったのに続き昼ごろ、研究科のトップページにリンクがはられたとの連絡を、アドレスとともにいただき、初めて何が起きたのかに気づいてちょっとたまげたというわけです。

島本さんのおっしゃる通り、研究科の厳かなウェブサイトの表紙にある「新着情報」のトップに「辰巳郁雄氏のブログ」が掲載されています(中央)。
「“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄のブログ」とやらなかったのは、島本さんのご配慮のようです。
ちょっとあわてた私が「私のおちゃらけたブログなんか紹介していいの」と返信したところ、その後のメールで「アテネ学堂の下に、辰巳さんのブログへの入り口。研究科の魅力が増すと思います!」のご返答。
いやいや、恐縮至極です。そりゃあ、中村先生は驚くわ。
そんな気恥ずかしいハプニングのおかげもあってか、本日のこのブログのアクセス数は約3週間ぶりに70を上回りました(「カウンター」の設置後1カ月半余りの1日平均は60弱です)。
その島本さんらは本日、円頓寺商店街で映画祭の際に上映会場を引き受けてくれた店などへのお礼回りに来られ、遅い昼休みにやはり商店街を訪れた私は、「ワンデイ・シェフ」の食事処「庵ひろ」さんで、みなさんにお会いしました(右)。
写真の中で、島本さん(右端)と話をしながら大ウケされているのは庵ひろ店主の木下博子さん(失礼いたします)、島本さんの隣の美女は、映画祭で自らの監督作品を上映された村松里実さん。
来年は映画祭の運営でも中心的な役割を果たされる予定です。
島本さんからは、お母さまぐらいの先輩になる木下さんに、学生からのプレゼントが手渡されました(左)。
昭和40年代までは名古屋の3大商店街としてにぎわって映画館やストリップ劇場も立ち並び、寺の参道の半間ほどのすき間にも露天がひしめいたという円頓寺。
その後は、地下鉄や地下街、そして大型店舗の進出などによって急速にすたれ、商店の3分の2は撤退し、店にも通りにも若者の姿が消えていったという円頓寺。
そんな商店街に「かつてのにぎわいを、とり戻してあげたい」という島本さんたちの活動は、今のところは焼け石に水のように見えます。
商店街の方の中には、上映会場などを提供はするものの、映画祭の「効果」にそれほど期待していない方も少なくないようです。
そんな中で木下さんは「若い人たちは私たちにはできない発想があっていいわ」「普段見られない映画を見て知らなかったことを勉強できるのも、すばらしいわ」などと、若者たちに全面的に協力する姿勢です。
こんな励まし合う親子のような関係が築かれていることを見ると、手弁当のミニ映画祭も捨てたもんじゃないように思えて、来年以降への期待を持ちたくなるものです。
同研究科は以前、このブログにも登場してもらった、私のかつての同僚である中村登志哉さんが教授として着任され、また先日来、紹介してきた円頓寺映画祭の中心人物である島本昌典さんが学ばれているところ。
とはいえ、こんな体育会系のブログとは、そもそもレベルが違いすぎて縁などないはずの学問の府です。
それが、なぜこんなことになったのかといいますと、昨夜、島本さんからいただいたメールの中に、「映画祭をご紹介くださっている辰巳さんのblogを…リンクを貼って、紹介してもいいでしょうか?」という言葉があって、てっきり映画祭のサイトにリンクしてもらうものだと思い込んで、快諾する旨の返事をしたのです。
(私は寝ぼけていて、メールを斜めにしか読んでなかったのです。)
すると朝方「中村先生が驚かれるかもしれないですね!」というメールを受け取ったのに続き昼ごろ、研究科のトップページにリンクがはられたとの連絡を、アドレスとともにいただき、初めて何が起きたのかに気づいてちょっとたまげたというわけです。



島本さんのおっしゃる通り、研究科の厳かなウェブサイトの表紙にある「新着情報」のトップに「辰巳郁雄氏のブログ」が掲載されています(中央)。
「“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄のブログ」とやらなかったのは、島本さんのご配慮のようです。
ちょっとあわてた私が「私のおちゃらけたブログなんか紹介していいの」と返信したところ、その後のメールで「アテネ学堂の下に、辰巳さんのブログへの入り口。研究科の魅力が増すと思います!」のご返答。
いやいや、恐縮至極です。そりゃあ、中村先生は驚くわ。
そんな気恥ずかしいハプニングのおかげもあってか、本日のこのブログのアクセス数は約3週間ぶりに70を上回りました(「カウンター」の設置後1カ月半余りの1日平均は60弱です)。
その島本さんらは本日、円頓寺商店街で映画祭の際に上映会場を引き受けてくれた店などへのお礼回りに来られ、遅い昼休みにやはり商店街を訪れた私は、「ワンデイ・シェフ」の食事処「庵ひろ」さんで、みなさんにお会いしました(右)。
写真の中で、島本さん(右端)と話をしながら大ウケされているのは庵ひろ店主の木下博子さん(失礼いたします)、島本さんの隣の美女は、映画祭で自らの監督作品を上映された村松里実さん。
来年は映画祭の運営でも中心的な役割を果たされる予定です。
島本さんからは、お母さまぐらいの先輩になる木下さんに、学生からのプレゼントが手渡されました(左)。
昭和40年代までは名古屋の3大商店街としてにぎわって映画館やストリップ劇場も立ち並び、寺の参道の半間ほどのすき間にも露天がひしめいたという円頓寺。
その後は、地下鉄や地下街、そして大型店舗の進出などによって急速にすたれ、商店の3分の2は撤退し、店にも通りにも若者の姿が消えていったという円頓寺。
そんな商店街に「かつてのにぎわいを、とり戻してあげたい」という島本さんたちの活動は、今のところは焼け石に水のように見えます。
商店街の方の中には、上映会場などを提供はするものの、映画祭の「効果」にそれほど期待していない方も少なくないようです。
そんな中で木下さんは「若い人たちは私たちにはできない発想があっていいわ」「普段見られない映画を見て知らなかったことを勉強できるのも、すばらしいわ」などと、若者たちに全面的に協力する姿勢です。
こんな励まし合う親子のような関係が築かれていることを見ると、手弁当のミニ映画祭も捨てたもんじゃないように思えて、来年以降への期待を持ちたくなるものです。
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