
昨夜は「東京夢舞いマラソン」のスタッフ会議と忘年会が東京で開かれ、私は名古屋から駆け付けました。
今年の夢舞いマラソンでは、スタート・ゴール会場となった国立競技場で、昨年の大会を走りながら撮影した写真を展示したほか、夢舞いを舞台とした日韓市民ランナー交流企画の第1弾として韓国・高敞(コチャン)から招待したランナーらの接待係を担当。
韓国ランナーらと一緒に夢舞いの全コースを走りながら「走った!撮った!」をしました。
またそれに続く交流企画第2弾として先月下旬、明走会・夢舞いの駆けっこ仲間5人を率いて高敞コインドルマラソンを走るツアーを仕立て、そのコンダクターも担当。
ツアーによる交流の成果を報告する役目があったため、あえて上京することにしたのです。
さらにちょうど銀座で私が写真を出展している写真展が始まったばかりで、そのギャラリーにも行かなければならなかったうえ、日曜には千葉で開かれるハーフマラソンに申し込んでいたこともあり、金曜に休みをいただくことができたことから3泊4日の東京・千葉「旅行」ができることになりました。

東京・赤坂の夢舞いマラソン事務所で開かれたスタッフ会議に続き、近くの居酒屋を会場にした忘年会には約20人が参加しました(中央、右下は事務局長の津田昌利さん)。
初めて国立競技場を使用するなど、今年もさらにグレードアップした夢舞いの成功を振り返るとともに来年に向けて再びスタートをしたいと意気込みを語られたのは、夢舞い「実動部隊」の大黒柱である実行委員長の片岡久さん(左)。
夢舞いマラソンでは、ダンディな理事長の大島幸夫さんのアイデアで、ゴールした女性ランナーにバラの花が1輪ずつスタックから手渡されますが、忘年会では「お富さん」こと事務局次長の鈴木富子さんのはからいで、逆に女性陣から男性スタッフに花が手渡されました(右)。

コチャンツアーに参加した「コチャン組」としては、快速ランナーでありながら、制限時間ギリギリで私と同時にゴールした文さんがあいさつ(左)。
楽しかったツアーの思い出を語る一方、今年初挑戦して惜しくも合格に及ばなかった1級建築士試験とともにマラソンでも来年はリベンジをはかりたいと抱負を述べられました。
そしてツアーの団長だった夢舞いマラソン実行委員会理事長の大島幸夫さんが交流企画とコチャンツアーの総括報告をしてくださいました(中央)。
右奥の壁にプロジェクター映し出されているのは、私が撮影した高敞コインドルマラソンの写真。
忘年会場では、私が夢舞いマラソンとコインドルマラソンを「走った!撮った!」で撮影した写真計200枚を、他のカメラマンの方が撮影した写真とともに上映しました。
大島さんが報告で強調された点の1つは、夢舞いマラソンが当初から目指してきた、「インターナショナル」であることを現実のものとした今回の日韓交流企画は、エポックメーキングな成果だということ。
そして、行政の姉妹都市交流などと異なり、世界の共通言語であるランニングを通じた今回のような交流は実はほとんど例がなく、ホームステイするなど「生身のひとのつきあい」は、この上なく貴重だということ。
ジャーナリストとしても大先輩であり、海外マラソンの経験も私よりずっと多い大島さんによるこうした報告は本当にありがたく感じました。
そして今回は仕事の都合がつかず、ご一緒できなかったものの、来年はぜひコチャンに行きたいと言われているのは、私の写真展や、このサイトのデザインを担当してくれた金森尚さんもあいさつ(右)。
「以前は何度もブログに登場したのに、最近は少ない」とクレームがついたことに加えて、あいさつの内容がふるっていましたので登場していただきました。
といいますのは「今年したことで自慢できるできるもの」として「『辰巳せんせい』の写真展のデザインを一手に引き受けたこと」と、私が前に座っていたからかもしれませんが、うれしいことを言ってくれたのです。

忘年会の終わりごろには、参加者全員がそろって記念撮影(左)。
来年の大会に向けて「ガンバロー」と気勢も上げました(右)。
夢舞いのコース上で道案内役をした「走路班」のスタッフが、あちこちで掲げた「メッセージボード」の内容や、飾り付けのすばらしさを競う「メッセージボード大賞」の発表も行われました(中央)。
「ゴールまでもう少し」。師走のこの時期にも、ぴったりの言葉です。そうですね、ファイティング!
今年の夢舞いマラソンでは、スタート・ゴール会場となった国立競技場で、昨年の大会を走りながら撮影した写真を展示したほか、夢舞いを舞台とした日韓市民ランナー交流企画の第1弾として韓国・高敞(コチャン)から招待したランナーらの接待係を担当。
韓国ランナーらと一緒に夢舞いの全コースを走りながら「走った!撮った!」をしました。
またそれに続く交流企画第2弾として先月下旬、明走会・夢舞いの駆けっこ仲間5人を率いて高敞コインドルマラソンを走るツアーを仕立て、そのコンダクターも担当。
ツアーによる交流の成果を報告する役目があったため、あえて上京することにしたのです。
さらにちょうど銀座で私が写真を出展している写真展が始まったばかりで、そのギャラリーにも行かなければならなかったうえ、日曜には千葉で開かれるハーフマラソンに申し込んでいたこともあり、金曜に休みをいただくことができたことから3泊4日の東京・千葉「旅行」ができることになりました。



東京・赤坂の夢舞いマラソン事務所で開かれたスタッフ会議に続き、近くの居酒屋を会場にした忘年会には約20人が参加しました(中央、右下は事務局長の津田昌利さん)。
初めて国立競技場を使用するなど、今年もさらにグレードアップした夢舞いの成功を振り返るとともに来年に向けて再びスタートをしたいと意気込みを語られたのは、夢舞い「実動部隊」の大黒柱である実行委員長の片岡久さん(左)。
夢舞いマラソンでは、ダンディな理事長の大島幸夫さんのアイデアで、ゴールした女性ランナーにバラの花が1輪ずつスタックから手渡されますが、忘年会では「お富さん」こと事務局次長の鈴木富子さんのはからいで、逆に女性陣から男性スタッフに花が手渡されました(右)。



コチャンツアーに参加した「コチャン組」としては、快速ランナーでありながら、制限時間ギリギリで私と同時にゴールした文さんがあいさつ(左)。
楽しかったツアーの思い出を語る一方、今年初挑戦して惜しくも合格に及ばなかった1級建築士試験とともにマラソンでも来年はリベンジをはかりたいと抱負を述べられました。
そしてツアーの団長だった夢舞いマラソン実行委員会理事長の大島幸夫さんが交流企画とコチャンツアーの総括報告をしてくださいました(中央)。
右奥の壁にプロジェクター映し出されているのは、私が撮影した高敞コインドルマラソンの写真。
忘年会場では、私が夢舞いマラソンとコインドルマラソンを「走った!撮った!」で撮影した写真計200枚を、他のカメラマンの方が撮影した写真とともに上映しました。
大島さんが報告で強調された点の1つは、夢舞いマラソンが当初から目指してきた、「インターナショナル」であることを現実のものとした今回の日韓交流企画は、エポックメーキングな成果だということ。
そして、行政の姉妹都市交流などと異なり、世界の共通言語であるランニングを通じた今回のような交流は実はほとんど例がなく、ホームステイするなど「生身のひとのつきあい」は、この上なく貴重だということ。
ジャーナリストとしても大先輩であり、海外マラソンの経験も私よりずっと多い大島さんによるこうした報告は本当にありがたく感じました。
そして今回は仕事の都合がつかず、ご一緒できなかったものの、来年はぜひコチャンに行きたいと言われているのは、私の写真展や、このサイトのデザインを担当してくれた金森尚さんもあいさつ(右)。
「以前は何度もブログに登場したのに、最近は少ない」とクレームがついたことに加えて、あいさつの内容がふるっていましたので登場していただきました。
といいますのは「今年したことで自慢できるできるもの」として「『辰巳せんせい』の写真展のデザインを一手に引き受けたこと」と、私が前に座っていたからかもしれませんが、うれしいことを言ってくれたのです。



忘年会の終わりごろには、参加者全員がそろって記念撮影(左)。
来年の大会に向けて「ガンバロー」と気勢も上げました(右)。
夢舞いのコース上で道案内役をした「走路班」のスタッフが、あちこちで掲げた「メッセージボード」の内容や、飾り付けのすばらしさを競う「メッセージボード大賞」の発表も行われました(中央)。
「ゴールまでもう少し」。師走のこの時期にも、ぴったりの言葉です。そうですね、ファイティング!
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