FC2ブログ
“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

最新トラックバック

カレンダー

11 | 2010/12 | 01
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

月別アーカイブ

FC2カウンター

全記事表示リンク

京都、下鴨神社から鴨川へ

昨日は大阪・枚方市に住む両親を連れて京都に出かける所用があり、用事を済ませ食事をしたあと、紅葉が残る下鴨神社と夕暮れの鴨川沿いを歩きました。

京都は私が学んだ大学があり、大学時代の4年間のうち2年間は兄とともに下宿生活をした懐かしい場所。
街角の店などは変わったところが多いものの、下鴨神社の森や鴨川沿いの風情は、ほとんどかつてのまま。

ほんの短い時間ではありましたが、人生や世界がまだまだ果てしなく広がっているように見えた青春時代の、ほろ苦く甘い思い出の数々の断片が、胸の底で揺り動かされるような気分に浸りながら歩を進めました。

1214京都1R1007730  1214京都2R1007718  1214京都3R1007743

世界遺産の下鴨神社は、京都の中心部を南北に流れる鴨川が上流で、東の高野川と西の賀茂川の2つの支流にY字をなして分かれる「股の間」に位置しています。
その南に広がる鬱蒼とした原生林は「糺(ただす)の森」と呼ばれ、私は下宿時代の通学路に近かったために当時、四季を通じて訪れて季節ごとの表情を楽しみましたが、なかでも紅葉の美しさはひときわでした。

師走も半ばですので期待はしていませんでしたが、糺の森の紅葉はまだまだ残っていました。
森を背景に両親の記念写真も撮りましたが、高齢の両親に登場してもらっては、母にしばかれそうですので、たまたますれ違って写真を撮らせてもらった着物美人のお2人に登場していただきました(中央)。

カエデの紅葉は遠目にはきれいですが、近くでこずえを見ると枯れかけた部分も目立ちます。
そこで、森の中を流れる小川の岸辺で透明な水に浮かんだり沈んだりしている葉を切り取りました(左)。

地面に落ちたばかりで逆光に輝く葉を狙うと、背後に森の高木が並んでいる様子も撮せました(右)。

1214京都4R1007766  1214京都5R1007767  1214京都6R1007759

大学生時代の私は、朱塗りの鳥居や建物が目立つ下鴨神社よりも、塗装のない建造物が木の香りとともに、古代の雰囲気もかもす上賀茂神社が好きで、下鴨神社といえば神社よりも糺の森だと思っていました。
また下鴨神社の本殿は改修中で絵にならず、代わりにお守りや破魔矢の売り場の写真をアップします。

ここで特に目を引いたのは、かわいらしい和風の模様をあしらった何10種類もの「媛守」(左)。
その1つを選んで手に入れるより、幾つも並んでいるところを撮る方が良いと思ったわけです。

売り場で巫女さんのような衣装を着た女性は、せっせと床を掃き清めてられました(中央)。
女性はまさに「平安美人」で、衣装にも神社の雰囲気にも似合ってられました。

境内の「舞殿」には、来年の干支である卯(ウサギ)を描いた大きな絵馬が置かれていました(右)。
寅(トラ)年のことしが幕を閉じるのも、間もなくであることを実感します。

1214京都7R1007801  1214京都8R1007792  1214京都9R1007804

鴨川と支流の合流点に近い左岸のほとりにある出町柳駅は、かつて鞍馬や八瀬に行く叡山電鉄(「叡電」)の終点でしたが、その後17年前に京阪電鉄が延伸して、私にはなじみの薄い駅舎を両社が共有(中央)。
夕日を背にした自分の長い影が、駅前の交差点にのびた様子を撮影しました。

私は京阪沿線の実家に戻る両親を出町柳駅で見送って、独りで夕暮れの鴨川沿いを歩くことにしました。
最近では映画「パッチギ」の中で派手なけんかシーンの舞台になった鴨川の岸辺に、川の名前となっているカモや京の都ゆかりのミヤコドリ(ユリカモメ)の姿も見られましたが、今出川通が川を渡る賀茂大橋の下にはアオサギも見ることができました(左)。

出町柳の地名通りに川の堤防には柳の木が植わっていて、夕陽に映えて、しだれる柳のこずえ越しに月が上ってきていました(右)。
写真では柳のずっと向こう、画面の左上に、ユリカモメでしょうか鳥が連隊を組んで飛翔するのが、わずかに見えますが、残念ながら柳にフォーカスを合わせたためゴミくずのようにしか写っていません。

1214京都10R1007825  1214京都11R1007814  1214京都12R1007877

鴨川の河川敷を下流に向かって歩いていくと、対岸の町の向こうにオレンジ色の夕日が沈んでいきました。
対岸にそびえる大木や地平線近くの雲のシルエットが影絵のように美しく、レンズを望遠にして撮影(左)。
これも撮影時には気付きませんでしたが、右側の木のこずえにはカラスでしょうか、群れた鳥のシルエットも写っていました。

鴨川の上流を望むと、糺の森の向こうに京都盆地の北にたたなづく「(京都)北山」の山々が夕陽を受けて、立体的に見えました(中央)。

学生時代の私が毎週のように山に入って、山道という山道を歩き尽くした北山の姿は昔と何ら変わりません。
その北山の谷川の水を集めて流れ続ける鴨川も、景色そのものは昔のままです。
ふと、平安・鎌倉時代の歌人・随筆家である鴨長明の名作「方丈記」の冒頭を思い浮かべました。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」

ほとんど何も変わらないように見える京都の町も確かに建物の多くは建てかわり、たずねる知人らもいつしかいなくなっています。
両親とも既に70代の後半になって、なんとか今しばらく元気でいてくれるだけでもありがたいと思っていると、自分自身も既に50の大台で、鴨長明の時代なら寿命が尽きていてもおかしくないほどの年齢。

人の生というものが、流れの中にわずかの間だけ形をむすぶ泡(うたかた)のようだという鴨長明の言葉も、今や人ごとではなくなりつつあります。
20歳のころ山を放ろうして健脚だと思っていた自分は、今では山を走り回ることができて、うわべの体力は、30年前より勝っているものの、疲労がとれにくくなってきたことなど年齢を実感していることも確か-。

そんなことを思いながら私は三条大橋を渡り、京都中心街の河原町、新京極、錦町市場を通り、地下鉄駅のある四条烏丸まで歩きました。
錦町の外れには、学生時代には気にもとめなかった「錦天満宮」という神社があり、境内にある「なで牛」は、受験生たちから「頭が良くなるように」となでまわされたため、黒い塗装がはげて金属の地肌があらわになりツルツルに光っていました(右)。

スポンサーサイト