
私が所属する駆けっこ仲間の集まり「明走会」の忘年会が昨日、東京で開かれ、名古屋から駆けつけました。
当初は忘年会に先だって大田区で開かれたロードレースの10キロを走る予定でしたが、数日前から引いたカゼで体調がすぐれなかったことなどからレースは棄権。
運動なしの飲み会という体に良くないパターンで、明走会の今年のイベントを締めくくることになりました。

明走会の忘年会場となった東京・天王洲の居酒屋には約40人のメンバーが集まりました。
私は少し遅れて到着したため冒頭の乾杯には間に合わず、1年を振り返る「1人1ことあいさつ」の後半から見届けることができました。
そのうち近くに座った「東京夢舞いマラソン」の理事長・大島幸夫さん(左)と「サミー」こと小形定雄さん(右)はそれぞれ70代、60代の現役ランナーですが、実はともに最近、ガンとの闘いから生還されています。
ランナーの肉体・精神年齢は非ランナーより10歳は若いとみられ、生活習慣病の罹患率も極めて少ないようですが、それでも遺伝子に傷が付くかどうかというロシアンルーレット的な性格があるガンから完全にフリーになることは難しいようです。
ただランナーは手術やリハビリに必要な体力や精神力が勝っていることから、おいそれと病気に負けることがないのも事実のようです。
大島さんは夢舞いのほか、自ら設立した障害者と支援者による組織「アキレス・トラック・クラブ日本支部」の活動を率いていて、本日は16キロレースで視覚障害女性(写真の左下)を努められました。
小形さんも「山や」出身とあって、トレイルランのレースに積極的に挑戦を続けられるスーパーランナーです。
明走会の創始者で会長を務める森部芳樹さんと、会の重鎮で夢舞いや合宿などで、いつも中心的な役割を果たしている土田園子さんの2人(中央)が発表された来年の明走会の「新機軸」は「婚活支援」。
「異業種間の交流」を掲げて、老若男女を問わずいろんな仕事のランナーたちが強いきずなで結ばれている明走会ですが、会員同士が「ゴールイン」するケースは、たしかに多くありません。
そこに業を煮やして「老婆心」を発揮した2人が提案されたのは、月例の定例会などに加えて、独身者だけを集めたミーティングを開くというアイデア。
それで、既に安泰のお2人は、いまや流行らない「仲人役」として「特別参加」されるのでしょうか。

今年の忘年会の幹事を務められたのは「ソーメー」こと科学専門誌「日経バイオ」編集長の橋本宗明さん(左)。
大学時代ともに芝居にかかわった縁から5年ほど前に私が明走会に引き入れた橋本さんも、今や明走会の重鎮で幹事団の一員。
お仕事が猛烈に忙しいなかで、会の幹事業務もテキパキとこなされています。
明走会の草創期以来のスペシャルな重鎮のお一人である会の事務局長兼幹事長の芝山義明さん(右)は、年齢など度外視されサロマ湖100キロウルトラマラソンを10回完走する「サロマンブルー」目指して邁進中。
このところ故障がちだった体の絞り込みに努力されていて、なんと現在は体脂肪率が1ケタ台だとか。
そして今回もグリークラブで鍛えた美声で「博多一本締め」の音頭をとられたのは、福岡在住の内山守太さんでした(中央の写真・柱の前、左隣は夢舞いマラソン事務局長の津田昌利さん)。

忘年会の会場前で撮った写真のうちスリーショット(中央左)に写っているのは(左から)「ちびっ子ランナー」のまり恵さん、本日の10キロレースで明走会トップだった「雄ちゃん」こと田中雄一郎さん、そして忘年会だけに参加された売れっ子作家で「シリアスなファンランナー」の衿野未矢さん。
「シンエイ株式会社」社長の田中さんは、2月の写真展で展示した123枚の写真パネルに続いて、10月の「東京夢舞いマラソン」と11月の「高敞(コチャン)コインドルマラソン」(韓国)の各会場で展示した私の写真合わせて80枚のパネルもすべて制作してくださいました。
今年もほんとうに、お世話になりました!
衿野さんは写真展に来場していただいて以来、懇意にさせていただき、なんと今月からは明走会のメンバーにも加わっていただきました。
これからも、よろしくお願いします!
そしてイルミネーションをバックにしたツーショット(中央右)の美女2人は、(右から)明走会幹事団の一員でウルトラランナーで、先月の河口湖マラソンで自己ベストに近いタイムでサブフォーを達成された直美さんと、社会人1年生にして明走会・夢舞いの中心的な存在に急成長し、コインドルマラソンも走った文さん。
明るいうちに始まった忘年会とあって、会が開いてもまだまだ宵の口で、名古屋から出てきた私の相手をしてくれるという仲間たちの10人前後が、2次会、3次会へと流れました。
出張先から2次会の会場に駆けつけてくれたのは、やはり幹事団の一員、森口信義さん(左)。
結局そのあと、最後までおつきあいいただいたうえ、私をご自宅に泊めてくださいました。おおきにでした!
年の瀬の仕事の激務で、グロッキー気味だった直美さんは2次会途中で撃沈されましたが(右)、それでも延々とおつきあいくださいました。
ウチのニャンコにはいつもしてやっているようなヒザ枕ですが、相手が美女となると、顔はほころびながらも、ちょっと緊張してしまって、なかなか酔いが回らない私でした。
当初は忘年会に先だって大田区で開かれたロードレースの10キロを走る予定でしたが、数日前から引いたカゼで体調がすぐれなかったことなどからレースは棄権。
運動なしの飲み会という体に良くないパターンで、明走会の今年のイベントを締めくくることになりました。



明走会の忘年会場となった東京・天王洲の居酒屋には約40人のメンバーが集まりました。
私は少し遅れて到着したため冒頭の乾杯には間に合わず、1年を振り返る「1人1ことあいさつ」の後半から見届けることができました。
そのうち近くに座った「東京夢舞いマラソン」の理事長・大島幸夫さん(左)と「サミー」こと小形定雄さん(右)はそれぞれ70代、60代の現役ランナーですが、実はともに最近、ガンとの闘いから生還されています。
ランナーの肉体・精神年齢は非ランナーより10歳は若いとみられ、生活習慣病の罹患率も極めて少ないようですが、それでも遺伝子に傷が付くかどうかというロシアンルーレット的な性格があるガンから完全にフリーになることは難しいようです。
ただランナーは手術やリハビリに必要な体力や精神力が勝っていることから、おいそれと病気に負けることがないのも事実のようです。
大島さんは夢舞いのほか、自ら設立した障害者と支援者による組織「アキレス・トラック・クラブ日本支部」の活動を率いていて、本日は16キロレースで視覚障害女性(写真の左下)を努められました。
小形さんも「山や」出身とあって、トレイルランのレースに積極的に挑戦を続けられるスーパーランナーです。
明走会の創始者で会長を務める森部芳樹さんと、会の重鎮で夢舞いや合宿などで、いつも中心的な役割を果たしている土田園子さんの2人(中央)が発表された来年の明走会の「新機軸」は「婚活支援」。
「異業種間の交流」を掲げて、老若男女を問わずいろんな仕事のランナーたちが強いきずなで結ばれている明走会ですが、会員同士が「ゴールイン」するケースは、たしかに多くありません。
そこに業を煮やして「老婆心」を発揮した2人が提案されたのは、月例の定例会などに加えて、独身者だけを集めたミーティングを開くというアイデア。
それで、既に安泰のお2人は、いまや流行らない「仲人役」として「特別参加」されるのでしょうか。



今年の忘年会の幹事を務められたのは「ソーメー」こと科学専門誌「日経バイオ」編集長の橋本宗明さん(左)。
大学時代ともに芝居にかかわった縁から5年ほど前に私が明走会に引き入れた橋本さんも、今や明走会の重鎮で幹事団の一員。
お仕事が猛烈に忙しいなかで、会の幹事業務もテキパキとこなされています。
明走会の草創期以来のスペシャルな重鎮のお一人である会の事務局長兼幹事長の芝山義明さん(右)は、年齢など度外視されサロマ湖100キロウルトラマラソンを10回完走する「サロマンブルー」目指して邁進中。
このところ故障がちだった体の絞り込みに努力されていて、なんと現在は体脂肪率が1ケタ台だとか。
そして今回もグリークラブで鍛えた美声で「博多一本締め」の音頭をとられたのは、福岡在住の内山守太さんでした(中央の写真・柱の前、左隣は夢舞いマラソン事務局長の津田昌利さん)。




忘年会の会場前で撮った写真のうちスリーショット(中央左)に写っているのは(左から)「ちびっ子ランナー」のまり恵さん、本日の10キロレースで明走会トップだった「雄ちゃん」こと田中雄一郎さん、そして忘年会だけに参加された売れっ子作家で「シリアスなファンランナー」の衿野未矢さん。
「シンエイ株式会社」社長の田中さんは、2月の写真展で展示した123枚の写真パネルに続いて、10月の「東京夢舞いマラソン」と11月の「高敞(コチャン)コインドルマラソン」(韓国)の各会場で展示した私の写真合わせて80枚のパネルもすべて制作してくださいました。
今年もほんとうに、お世話になりました!
衿野さんは写真展に来場していただいて以来、懇意にさせていただき、なんと今月からは明走会のメンバーにも加わっていただきました。
これからも、よろしくお願いします!
そしてイルミネーションをバックにしたツーショット(中央右)の美女2人は、(右から)明走会幹事団の一員でウルトラランナーで、先月の河口湖マラソンで自己ベストに近いタイムでサブフォーを達成された直美さんと、社会人1年生にして明走会・夢舞いの中心的な存在に急成長し、コインドルマラソンも走った文さん。
明るいうちに始まった忘年会とあって、会が開いてもまだまだ宵の口で、名古屋から出てきた私の相手をしてくれるという仲間たちの10人前後が、2次会、3次会へと流れました。
出張先から2次会の会場に駆けつけてくれたのは、やはり幹事団の一員、森口信義さん(左)。
結局そのあと、最後までおつきあいいただいたうえ、私をご自宅に泊めてくださいました。おおきにでした!
年の瀬の仕事の激務で、グロッキー気味だった直美さんは2次会途中で撃沈されましたが(右)、それでも延々とおつきあいくださいました。
ウチのニャンコにはいつもしてやっているようなヒザ枕ですが、相手が美女となると、顔はほころびながらも、ちょっと緊張してしまって、なかなか酔いが回らない私でした。
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