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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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比叡山1日だけ回峰行

昨日、京都に実家の用事で出かけ、昼食後に両親と別れた後、ふと思い立って比叡山を登りに行きました。
先月は京都で両親と用事を済ませ昼食をいただいた後、名刹・建仁寺を訪問したのですが、今回は母親が少し疲れている様子だったことから、京阪電鉄の三条駅で両親を見送ることにしました。

母親に少しでも心身の健康を保って欲しいと思って、先月は散歩用に軽量のダウンジャケットをプレゼント。
毎日の散歩を欠かさない父親と一緒に、1週間に2度だけでも歩くように勧めたのですが、どうやら1月に3、4回がやっとだとのこと。それでも数日前にはそろって約2時間を歩き、母親はその疲れが残っているようでしたので、本日のところは、元気の余っている自分独りで歩くことにしたのです。

そして独りになった午後3時ごろ、天気も良く、日差しも暖かかったことから京都と大阪の途中にある実家に背を向けて北に向かう下り電車に乗り込みました。

京都の奥座敷とも言える山また山の「北山」には大学時代、毎週のように入っていた私ですが、ケーブルでも車でも行けて、山頂付近は延暦寺の広大な境内となっている比叡山は山登りの対象だとは考えていませんでした。
より深くて、原生林や自然林が多く、人がいないところを目指していた私にとって、登りきると開ける山なんて興ざめするだけだと思っていたわけです。

それでも山登りの体力づくりにと、大学時代もたまに走っていた私は、一度だけ比叡山に走って登ろうとして、急勾配を走れずにほとんど歩き、体力のなさを実感したことがありました。
「富士登山競走も完走できるようになった自分なら、ジーンズのままでも30年前ほどは苦しくないはず」
そう思って、昔の自分と「脚比べ」をするため、三条駅前の古本屋で比叡山のコース案内も載っている北山のガイドブックも買い込みました。

また50歳の誕生日に、バレエ講師の元子先生から譲っていただいた五木寛之さんの小説「風の王国」の中に延暦寺の僧侶が極める修業の「比叡山千日回峰行」に触れたくだりがあり、現代の「ウルトラトレイル」にも通じるその荒行の「さわり」に触れてみたい思いもあったのです。
いわば、1日だけ比叡山をかじってみる「なんちゃって」の回峰行の真似事というわけです。

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京阪電車の終点である出町柳からは叡山電鉄の電車に乗り換えて、登山口の修学院を目指しました。
かつては京福電鉄が運営していた愛称「叡電」の叡山電鉄は9年前に京阪電鉄の完全子会社になりました。
私が大学時代を京都で過ごした1980年代ごろ、叡電といえばオンボロ電車の代名詞でしたが、出町柳のホームで出迎えてくれた電車はピカピカで、車体には叡電ならぬ「EIDEN」の文字。隔世の感があります。

しかも、この電車は大型の窓に正対するソファ型の座席も設けた「パノラミック電車」で、比叡山に京都側から登るメーンの登山道「雲母坂(きららざか)」にちなんだらしい愛称は「きらら」。
叡電が、関東でいえば伊豆急行や富士急行のような観光路線となっていることが分かります。
その座席の横にいらしたのは、関東からグループで旅行に来てい女の子の一行のうち美人の2人(中央)。
お持ちのカメラで記念写真を撮ってあげたついでに、もう1枚、うきうきした雰囲気の2人を撮影。
背後の窓には、ちょうど比叡山の山頂が写っていました。

修学院からは、急勾配で両岸をコンクリートに固められた水路状になっている音羽川に沿ってしばらく登り、左に折れていよいよ雲母坂をたどります。
雲母坂は平安時代から、都と比叡山を結ぶ主要なルートで、天皇の伝令である勅使も通ったことから別名は「勅使坂」。法然、親鸞といった高僧も、この道を歩いたということです。

坂の入口近くの路傍に残る石の道標に刻まれた文字は「雲母寺跡」(右)。
その昔、延暦寺と同じく天台宗の寺が建てられていた場所だということです。

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勾配が急すぎず緩すぎず、快くどんどん高度を上げていくことができる雲母坂は、主に雑木林の中を通って、大学時代に感じたよりも自然が豊かな印象。約30年を経て、木々が繁ったためかもしれません。
落ち葉に覆われた地面は、踏みつけや雨水による侵食で切り通しのようにえぐられた部分もあって、古くから多くの人たちに歩かれてきたことが分かります(左)。

中腹の尾根づたいで、西側の足元に谷が切れ込んでいる場所では、京都の市街の北に隣接する松ケ崎の丘陵や(この地域に京都国際会館があります)、その北にあって市街地より標高が一段と高い岩倉の一帯が見渡せます(中央)。
遠方には比叡山の反対側から市街を見下ろす愛宕山の、ぽっこりと空に突き出したような山頂も見えます(写真の左奥)。この山には、中学時代に友人らを誘って登った思い出があります。

標高800メートルを越える比叡山ですから当然ですが、下界は暖かかったものの、山頂が近づくと植林地も抜ける登山道はすっかり雪に覆われるようになり(右)、汗ばんでいた体も急に冷えてきました。

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雪に足を取られて歩くペースがダウンしていくのにつれて、夕陽はどんどん傾いていきます(左)。

そしてようやく山頂一帯の開けた地域に出ましたが、ふもとの八瀬比叡山口から登って来るケーブルも、そこから乗りつぐロープウエーも冬期は運休中。
ロープウエー乗り場の建物は、屋根に分厚い雪をかぶり、窓に夕陽が映り込んでいました(中央)。

山頂近くまで来ればケーブルか少なくともバスに乗って下山できると思っていましたが、なんとバスも最終が出た後だと分かり、ちょっとしたピンチに追い込まれました。
比叡山の山頂付近を南北に貫くドライブウェイは自動車専用道路で「歩行者通行禁止」の看板が掲げられていたため、山道づたいに人がいるはずの延暦寺に抜けようと思いましたが、道は雪で埋もれて行き止まり。

結局のところ、意を決してドライブウェイをたどり、夜も運行しているバス路線が通る峠まで約8キロを走って下ることにしました。
車はほとんど通らず、道路わきのヤブはときおりガサガサと音をたてて、イノシシなど獣の気配がします。
夜の帳は降りてきますが、ふもとの修学院にあった100円ショップで小さな懐中電灯を買い込んでいたのが不幸中の幸い。

肝心の延暦寺は訪ねられませんでしたが、無心に暗い道路を駆けるのは、修行のようでもありました。
そして、道すがらときどき展望できる琵琶湖の南部沿岸地域の夜景が、寂しさをまぎらせてくれました(右)。

ケーブルやバスの運行状況も調べず、実は峠まで走ったドライブウェイの距離すら事前に知らなかったという自分の計画性のなさには驚くばかりです。
しかし、普段着のままでも走ることができて「走っていれば、そのうちどこかに着くだろう」と思って落ち着いていられるくらいの体力を維持できていることも、われながら捨てたものじゃないと感じています。

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