“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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知多半島南部を縦断ラン4

今月27日に行った愛知県・知多半島南部を縦断する長距離ランの報告は本日が最終回となりました。
本日、紹介する写真は菜の花畑もある後半の舗装道路沿いで撮った3枚と、半島南端の師崎付近で撮った3枚の合わせて6枚です。

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今回のコースは、中盤までは愛知用水に沿った道幅の狭い農道や林道が続き、熊野神社の山では本格的な山道も走りましたが、後半は一転、広い舗装路の広域農道をたどって、知多半島の南端を目指しました。
眺望も広がり、時おり遠く海も望めますが、丘陵が続く半島だけにアップダウンもかなりあります(中央)。

丘の緩やかな斜面いっぱいに広がる菜の花畑も見られ、南国の春のような雰囲気です(左、右)。

自宅を出る前には、時間の余裕があれば、半島の南端まで行った後、さらに海岸沿いを10キロ余り走って、日帰り温泉がある内海まで行きたいと思っていましたが、もはやそれはなりません。
出発が遅れたうえ、中盤まで多くの写真を撮りながら、のんびり走ったことなどから時間がなくなり、長くなった春の日も地平線に近づいています。

時計と地図を見てみると、半島の南端にある師崎の海岸で、夕陽を見ることができるかどうか微妙なところ。
そこで私は、少しペースを上げて走り続けました。

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そして知多半島の南端にある師崎(もろさき)の羽豆(はず)岬の海岸に到着したのは、日が落ちる寸前。
オレンジ色の夕日は、伊勢湾を挟んで遠くに見える三重の陸地の向こうに沈んでいきました(中央)。
風は冷たいながらも、春の陽光を存分に満喫できた1日は、こうしてまた夜を迎えました。

羽豆岬の突端まで来ると、岩礁に立つ灯台の向こうに、知多半島沖の篠島や、その先にある渥美半島などを見渡すことができました(左)。

岬の入口にあるバス停には、午後6時20分過ぎに名鉄河和(こうわ)線の終点・河和駅まで行くバスが2台、続けて来ました(右)。
1台は半島の北東海岸沿いを、もう1台は内陸部を通るもので、私は後の方に乗り込みました。
途中の停車場で名鉄知多新線の終点・内海駅行きのバスに乗り継ぐことができれば、駅の近くにある温泉に立ち寄ろうと思ったからですが、乗り継ぎ路線の最終バスは既に出た後だったため、河和駅まで乗りました。

でも、そのおかげで、名古屋・金山駅で富士登山競走の仲間である日本在住のアメリカ人・マイケルさんと、ばったり再会したのは27日の記事でお書きした通り。
人生も世の中も、不運もあれば幸運もあるもの。大震災で被災したみなさんや、この国にも、また良いことがめぐってくるように祈りたいものです。

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知多半島南部を縦断ラン3

今月27日に知多半島の南部を走った遠足のような長距離ランの報告は本日が3回目です。
今回は、約30キロの行程のうち、後半に入ったころに通ったトレイル(山道)のあたりで撮影した写真9枚を紹介します。
残る写真は6枚。最終の4回目は、ぎりぎりで年度内におさまる見込みとなりました。

知多半島は長さ20キロ余り、幅5キロ余りで、西側を中心にした丘陵に覆われているものの、その高さは、わずか50~100メートル程度。半島の「最高峰」は、名鉄知多新線の終点がある内海の町はずれの海岸に近い標高128メートルの「高峰山」です。
私は高峰山の奥にあって、地図では山頂近くに神社のマークが記された森を目指しました。

山道の入口近くで少し道を間違えて畑の中を通らせてもらう際、農作業をしていたおばさまに聞いたところ、「それは熊野神社じゃ」「このコンクリを敷いた道から行きなさい」と教えてくれました。

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森の中に入って行く、その辛うじて舗装された道は、小さな谷沿いで、以前は水田だった(地形図には水田のマークがありますので)休耕地を上っていきます(右)。

湿地に生えてロウソクのような穂を出すガマが、一面に繁る「ガマの原」も道沿いにあって、枯れた穂が傾きかけた日の光を浴びていました(中央)。

湿地の先の雑木林には、竹ヤブが交ざっているところもあって、「里山」らしい雰囲気を醸していました(左)。

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熊野神社の森に向かう道では、黄色いスイセンも見かけました(左)。

照葉樹の森で冬から春にかけて咲くヤブツバキも、たくさん花をつけていました(右)。

明るい黄緑がみずみずしいヤエムグラの草むらでは、その1本にスポットライトのような木漏れ日が当たっていました(中央)。

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熊野神社は、常緑の照葉樹が主体の森に覆われた標高100メートル余りの山の上にあります。
境内は小さな広場になっていて、コンクリートの鳥居と小さな祠が設けられています(左)。

展望はありませんが、コース中で最も標高の高い所ですので、記念写真も撮影(中央)。

周辺の森は、地形が入り組んでいることもあって、深い森の雰囲気がします。
地元の人たちの手で守られてきた里山という趣で、山道のわきには巨木も見られました(右)。

地形図には点線によって何本かの小道が描かれていますが、実際には山仕事用などの道が、さらに何本もある様子で、しっかりした道が廃屋のあるところで行き止まりになるなど、道を探すのは一苦労です。
結局、当初に下りていく予定だった集落から2キロほど離れた舗装路に出ましたが、愛知用水沿いの道路に戻って知多半島の南端を目指すには、かえって近道となりました。

ということで、知多半島南部の長距離ランの報告はあと1回。海に沈む夕陽などを紹介する予定です。

※※※

さて、大震災の発生から3週間が経ちますが、被災者の方々の窮状はまだまだ続き、福島第1原発の事故は収束の見通しがほとんどたたないまま、放射能による汚染の深刻さは増すばかりです。

日本という国が、この後、何10年もの間、放射能の問題と付き合わなければならないことは必至の状況で、唯一の被爆国が、再び最も深刻な原発事故に見舞われるというのは、ある意味で自業自得といえるとしても皮肉で、呪われていると思いたくなるほど残酷な現実です。

この大震災を機に、原発を中心としたエネルギー行政も、電力と物質の消費ばかりに頼る社会の在り方も、被災した土地や人々の復興やケアも、世の中のすべてが劇的に変わらざるを得ない、歴史的な転換点に、私たちは立っているのだと思います。

そんなときに、以前と変わらず、のうのうと野山を走り回っている私は、確かに不埒なのかもしれません。
それでも、私は少しばかり仕事で大震災とかかわることができましたが、多くの人たちは「自分に何ができるのか」を悩みながらも、義援金を出すことぐらい以外に、「できること」を見つけられないのだと思います。
そのためもあって、世の中の全体が、気の滅入るようなネガティブな雰囲気に押しつぶされているようです。

そんななか、私が卒業した高校の同級生が参加するメーリング・リストでも、大震災の話題で持ち切りです。
そこの投稿には、何らかの形で被災地の支援にかかわる友人もいれば、詳しい専門知識で今の状況を説明してくれる友人もいます。

しかし、「私にできること」について書かれた友人の文章は、特にポジティブで、元気づけられました。
その友人は、バリバリのキャリアウーマンでありながら母でもあり、同窓会のまとめ役も果たすという実にパワフルな女性で、文章の内容も力強いもの。
ここは、事後承諾を願うとして、転載をさせていただきます。

「私にできること、 それは、明日、何が起こっても後悔しないように今日を精一杯、生きること。
したい事は可能な限り、時間をおしんでもすること。
会いたい人には会って、買いたいものは買って、したい事はして…。
全部、しなきゃいけない事をした上でだけれど、もう私達、50才なんだもの。
親を見ていたらしみじみ、感じ始めていた。
老後はゆっくり楽しんで、なぁんて言っていたら、その時は体調がよくなかったり、諸々の足かせがでてきて、楽しむどころじゃなくなっちゃう…、 と。
そう感じていた矢先に今回の震災。 そして原発。特に原発に関しては、不安は一杯だし、情報も溢れているけれど、だからといって私にできることは見当たらない。
やっぱり日本が大好きだし、政府のしていることも多々、具合の悪いこともあるかもしれないけれど、みんな、必死に頑張って下さっていることは間違いない(と信じてる)。
ならば、私は日本と心中しても悔いはないかな。
だから、可能な限り、今までにも増して、したい事をして悔いなく生きていこうと思いました。
それがひいては経済の活性化にも繋がり、被災地のためにも回り回っていい結果となっていくハズ。」

知多半島南部を縦断ラン2

知多半島の南部を縦断し、樹林や果樹園などに覆われた丘陵を走った長距離ランの報告は本日が2回目。
今回は、愛知用水から少し離れて、コースのほぼ中間地点付近に当たる名鉄知多新線の終点がある内海の町の外れまでに撮影した写真9枚とともにレポートを続けます。

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知多半島の中央を南北に貫く愛知用水に近い地域は、標高30~50メートルほどの丘陵が続き、果樹園や雑木林、田畑などが、まだら状に広がっています。
私が走ったルートは、車がなんとか通れるほどの農道が多く、果樹園や作業用の建物などの周囲には、風の強い半島だけあって、防風林のような生け垣も多く見られます。

房総半島にもあるようなコウヤマキの生け垣も見られます(右)。
また、やはり常緑樹のカシの仲間らしい木の生け垣もあり、こちらは防風林にしては枝や葉がまばらですが、路面に描かれたシルエットは印象的(左)。逆光に光る葉も、きれいでした(中央)。

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道のわきには、太平洋岸の半島に多く見られるスイセンが植わっているところも少なくありません。
伊豆・下田の爪木崎や房総半島の「水仙ピーク」のような大規模な群落は、知多半島には、ないようですが、珍しいスイセンも見かけ、そのうちの一つが真っ白のスイセン(左)。

地形図に沢山マークが見える果樹園の大半は柑橘系の木を植えたもののようですが、ミカンの実は収穫の時期がほぼ過ぎている様子でした(右)。

愛知用水は、ときにはトンネルになり、ときにはカーブを描いて、丘陵の中に続いています(中央)。
知多半島は、中央部よりも西側が全体的に盛り上がっていて、標高100メートル前後、周囲が数キロ程度の小さな「山塊」が幾つも並んでいます(写真の遠方)。
私は、ちょっとしたトレイルランが楽しめる、そんな山塊の一つを目指して南下しました。

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山道に入るのに先立ち、コースはいったん、南知多町の主要な町の一つ、内海の町外れを通ります。
そのあたりで、道路わきの電柱から伸びる電線に円筒状のものが幾つも取り付けてあり、カラス除けのように見えましたが、そのそばに1羽のカラスが何食わぬ様子でとまっていました(左)。

里山の風景が広がる知多半島南部では梅の花もまっ盛りで、満開になった木のそばを通るたび、甘い香りが漂ってきました(中央)。

山道に入る直前、集落の端っこに立派な和風建築の屋敷があり、黒い板壁に白壁、生け垣に、背後の竹林などが並んだ風景のデザインが、美しく見えました(右)。

知多半島南部を縦断ラン1

昨日、愛知の知多半島南部を縦断して走った長距離ランニングの報告を本日から数回にわたり掲載します。
第1回目は、まず写真9枚をアップします。

今回、一般の舗装路のほか、農道や林道、山道(トレイル)をつなぎ、地形図に赤線を引いて自分でつくったルートは約30キロにおよびますが、これら9枚の写真はそのうち5キロほどの間に撮ったもの。
その5キロ付近に、知多半島の中央を貫く愛知用水に隣接してカワウの生息地があり、そのあたりで撮った写真が少なくなかったからです。

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名鉄の富貴駅をスタートし、知多半島の中央部に向かって町を抜ける際、学校の校庭のそばを通りました。
校舎には「たくましく 思いやりある ふきっ子」の1文字1枚のボードが掲げられています。
このボードを撮ろうとカメラを構えたそのとき、「ふきっ子」たちが自転車に乗って坂を下りてきました(左)。
子どもたちは10人以上もいましたが、文字が見えるサイズの画面に入るのは3人が、やっとでした。

この日は気圧配置が冬型で、寒くなるという予報だったことが、山ではなく半島に来た理由の1つでした。
実際に空気は相当に冷たかったのですが、高くなった太陽の光は暖かく感じ、同じ気温でも真冬と春とでは体感気温が違うのだということが分かります。
道路わきには、あちこちに菜の花が咲いていて、明るい春の陽光を浴びていました(中央)。

駅から、ゆるやかな丘陵を越えて有料の「南知多道路」を越えると、いよいよ愛知用水に達します(右)。
水路は、底も岸もコンクリートで固められた立派なもので、幾つものトンネルもつくられています。

愛知用水の幹線部分の総延長は約112キロで、知多半島を貫くだけにしては長すぎると思っていましたが、調べてみると、用水の起点となる取水口は、なんと岐阜県を流れる木曽川だということです。

愛知用水は、私が生まれた年の翌年である1961年に完成。
それに先立ち終戦から間もない1947年に大干ばつが起きて、農業用水をため池に頼っていた知多半島が大被害を受け、その教訓から遠大な用水路の建設計画が持ち上がったそうです。
今や、この用水の水は知多半島だけでなく、その途中にある名古屋近郊の数多くの地域も潤し、水の用途も農業用にとどまらず、飲料や工業用にもおよんでいます。

間近で見る愛知用水の水は、木曽川から「直送」されただけあって清く澄んでいて、確かに農業用にだけ使うのはもったいないと感じますが、原発事故で放射能が降り注げば細長いため池のような用水は、ひとたまりもないのだろうと思われます。

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愛知用水に沿ってしばらく走ると、用水沿いに大きなため池が現れます(左)。
この周辺は国内有数のカワウ(川鵜)の生息地で、池は、その名も「鵜ノ池」。
19世紀以来、地元の農民らが、そのフンを肥料に利用することもあって手厚く保護してきた結果、カワウが大繁殖したということです。

初めは池のほとりを歩いてみたものの、それらしい鳥を見つけることができませんでしたが、しばらくすると、対岸の上空に何百羽ものカワウの大群が上下左右に飛び交うのが見えました(中央)。
液晶画面では鳥は小さすぎて、その姿が良く分かりませんでしたが、拡大してみると、確かに水鳥でした。

さらに対岸に回って畑の奥から池のほとりの林に入っていくと、樹木の上で休んでいるカワウの姿をとらえることが、なんとかできました(右)。

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鵜ノ池を過ぎて振り向くと、田畑や池の周囲の林の向こうに見える真っ青な空と雲のコントラストがきれいで、1羽の大型の鳥(トビでしょうか)が悠々と飛翔していました(中央)。

付近の足下には、春の野の花であるイヌフグリ(左)やホトケノザ(右)が咲いていました。

週末走り込み-鶴舞・知多

昨日と本日は、合わせて約40キロを走り、久々に2日にわたる「週末走り込み」をすることができました。
実は来月、新たに「走った!撮った!」をするマラソンの予定があり、それに備えようと考えたわけです。

写真を撮りながらのマラソンは、タイムを無視してのんびり走りますが、今回はそのタイムが少々厳しく、練習不足を続けたままで臨んでしまうと、楽しむものも楽しめないと「直前」になって焦り始めました。

そこで、山にも行きたいところでしたが、それよりも「平地に近いところで、長めの距離を踏もう」と目論んで、本日は、かねてから行ってみたかった知多半島の南部地域を縦断して丘陵地帯で約30キロを走りました。
また昨日も足馴らしを兼ねて、近所の鶴舞公園で軽くジョギングしたあと、その足で街中に買い物に出かけるなどして10キロ近くを走って、2日間の走行距離が、なんとか格好のつく約40キロに達しました。

というわけで本日はまず、鶴舞公園で撮った春の花の写真3枚を掲載。
それに加え、知多半島行きで乗った往復の電車の写真と、帰路に通った名古屋市内の乗り換え駅で偶然に再開したアメリカ人の「富士登山競走仲間」らの写真の、合わせて3枚も掲載します。
知多半島の写真は明日以降、3回ほどに分けて、「長旅」の報告とともに掲載する予定です。

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昨日も鶴舞公園に出かけたのは夕方、日が傾いてから。
「花の公園」として知られる鶴舞公園は、桜の名所でもありますが、昨日は寒波に見舞われて桜の時期には少し早い様子でした。それでも、桜の木に近寄ってみると、つぼみは膨らみ、ほころび始めていました(左)。

春の早い時期に咲くモクレンの仲間のうち、鶴舞公園で目立つのはコブシ。
白い花のほかに、淡いピンクの花を咲かせていたのは、東海地方に特有の種類であるシデコブシ(右)。

園内をぐるっと1周回って土の地面の陸上競技場まで来ると、ちょうど、その向こうに夕陽が落ちるところで、競技場わきに咲いていたアンズの花の花びらがオレンジ色の逆光で透けて見えていました。

そこで、暗がりになっていた花の中心部を目がけて、もう1つの「手の中の太陽」であるストロボの光を当て、2つの太陽の競演、そしてレンズに差し込んだ夕日が屈折してつくり出す虹色の光(ゴースト)も取り込んで、目で見るのとは違う絵をつくってみました(中央)。

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知多半島行きで、自宅に近い鶴舞の隣駅である交通の要所・金山から乗り込んだのは名鉄の電車。
名古屋を中心に近郊の各地に放射状に伸びる名鉄の路線のうち知多半島に行くのは3本で、そのうち2本の「知多新線」(内海まで)と「河和線」(河和まで)が分岐する富貴駅が、スタート地点となりました(左)。
(知多半島に伸びる名鉄のもう1本の路線は中部国際空港までの「常滑線」です。)

緑豊かな知多半島南部の起点とも言える富貴までは、名古屋の自宅から1時間以内で到達。
東京から房総半島や三浦半島に走りに行くのに比べて、ずっと便利だということが分かります。

富貴駅からは、標高の高めの山がない知多半島の水不足を解決するため、半島中央部の丘陵地帯に掘削された全長100キロ余りの「愛知用水」に沿うようにして一路、南下。
知多半島で唯一、トレイル(山道)らしい森の中を走れる丘陵を抜けて、半島の南端・師にある羽豆岬まで走り、ここで海に落ちる夕陽の眺めを楽しみました(それらの写真は明日以降に掲載します)。

師からバスで戻ったのは河和駅。
ここからは、ちょうど間もなく連絡していた名鉄の特急に乗り込んで(右)わずか40分ほどで金山に到着。
大型スーパーにでも寄って、今夜の食材を探そうかと思ってたところ、コンコースで呼び止められました。
「イクオ!オー!あなたはイクオ・タツミさん!」
振り返って見ると、そこに居たのは富士登山競走仲間であるアメリカ出身のマイケル・ウィルコックスさん。

マイケルさんは、私が昨年7月「5度目の正直」で、ようやく制限時間内での完走を果たせた富士登山競走を数年間、好タイムで完走し続けているランナー(昨年7月22日の記事参照)。
最近まで富士山のふもと、山梨県富士吉田市の学校で英語を教えていましたが、このほど静岡県の学校に移り4月から仕事を再開されます。

本日は、数日間の研修で名古屋に来ているということで、やはり富士吉田市から静岡県に移り住んだ同僚のトレヴァーさんと一緒に金山のホテルに泊まり、食事をしようとしていたとのこと。
「それじゃ一緒に」ということで、私たち3人は金山駅近くの禁煙&食べ放題のレストランに直行(中央、奥がマイケルさん)。

トレヴァーさんも富士登山競走を連続で完走している「山や」ランナー。
カナダ出身ですが日本の山に夢中で「山梨100名山」を踏破に続き「日本100名山」の踏破にも挑戦中で、「200名山、300名山も登りたい」と話しています。

そんな「若者」たち2人と一緒でしたが、食欲の方は半日、走りっぱなしだった私の方が上回り、ビュッフェの美味しい料理をたらふく食べて、「飲み放題」もおまけしたためビールもたらふくいただいて、楽しいディナーの一時を過ごすことができました。

2人とも日本が大好きで、トレヴァーさんの方は最近結婚した相手の女性も日本人。
大震災の現場を空撮取材で見たときの様子を話すと、涙を浮かべながら聞いてくれました。

その富士登山競走ですが、密かに「2連勝」を目論んでいたものの、スタートでつまずいて夢を絶たれました。
富士登山の練習も兼ねてと思って岐阜・養老山にトレイルランに出かけた日が今年のエントリー開始日で、帰宅後に手続きをしようと思ったものの、1日足らずで既に満員になっていたからです。

大震災によって世間のランニング熱も多少は冷めていると思っていましたが、私と同じく多くのランナーらは、走りを控えるという形の「自粛」とは無縁なようです。
まあ、東京に比べると練習するにも本番に行くにも、富士山は少し遠くなってしまいましたので、1回ぐらいは休ませてもらい、その時間と集中力を別のことに注いでみるのも良いのではないかと納得しています。