
大震災から3週間がたったものの、被災地の復旧・復興はスタート地点に立つまでにも至らず、原発事故は極めて深刻な状況から抜け出せないまま、放射能汚染を食い止めることができません。
それでも本日は新年度。毎年楽しみにしていた新聞のエープリルフール特集は、どうも休止のようで、まさに非常事態が続いていますが、季節は休むことなく変わっていきます。
出勤ランニングの際や昼休みに通った名古屋の町も、いよいよ春本番の装いとなっていました。
(このページの末尾にある「養老山・笙ヶ岳トレラン3」と前のページの「布川の花祭り2」は記事を書き終えています。そちらも、ご覧ください。)

遅い出番だった本日の出勤ランは、陽光の下で開花が進んでいるはずの桜など、本格化する名古屋の町の春を感じながら走ろうと、中心街に隣接した大規模グリーンベルトの久屋大通公園を通りました。
公園の植え込みのそばで、元気よく跳ね回る鳥はセキレイの仲間のよう(左)。
コンパクトカメラのレンズを望遠側にして寄って見ると毛(羽)並みは良くありませんでしたが、やんちゃ坊主のウチのニャンコのようで、愛嬌がありました。
公園の道向かいにあるビルのわきの街路樹は、ビルの上から斜めにさす春の陽に、こずえの先の方だけが照らされ、山の斜面に生える木々のように見えました(中央)。
名古屋の中心街には、コブシやモクレンの街路樹が多く、やはり道向かいにあったコブシは満開で、これまた春の陽を浴びて景色の中で浮かび上がっていました(右)。

テレビ塔の近くでは、この時期の主役である桜が、いよいよ二、三分咲きになっていました(中央、右)。
気が早いことに、ロープにつるされたコイノボリが飾られている一角もありました(左)。

昼休みには、食事帰りに職場近くにある名古屋城の外堀沿いを歩くと、石垣のそばにある草地に黄色い花が金貨をまき散らしたように咲いていました。
黄色いスイセンかとも思いましたが、近寄ってみるとタンポポでした(中央)。
水のない堀の縁から枝を張った桜は七分咲きほどで、陰になった堀の斜面をバックに輝いていました(左)。
職場のそばの石垣では、石の間から生えた桜が花を咲かせています(右)。
この桜は、どんなふうに育ち育てられてきたのか。生きにくい環境にあっても、その場を離れることができず、それでも立派に育って花をつけるという植物の力強さを思いました。
植物よりは、ずっと自由な人間ですから、被災した人たちもまた、きっと力強く生きていかれることでしょうし、1億分の1であっても、それを支える気持ちは抱き続けたいものだと思います。
それでも本日は新年度。毎年楽しみにしていた新聞のエープリルフール特集は、どうも休止のようで、まさに非常事態が続いていますが、季節は休むことなく変わっていきます。
出勤ランニングの際や昼休みに通った名古屋の町も、いよいよ春本番の装いとなっていました。
(このページの末尾にある「養老山・笙ヶ岳トレラン3」と前のページの「布川の花祭り2」は記事を書き終えています。そちらも、ご覧ください。)



遅い出番だった本日の出勤ランは、陽光の下で開花が進んでいるはずの桜など、本格化する名古屋の町の春を感じながら走ろうと、中心街に隣接した大規模グリーンベルトの久屋大通公園を通りました。
公園の植え込みのそばで、元気よく跳ね回る鳥はセキレイの仲間のよう(左)。
コンパクトカメラのレンズを望遠側にして寄って見ると毛(羽)並みは良くありませんでしたが、やんちゃ坊主のウチのニャンコのようで、愛嬌がありました。
公園の道向かいにあるビルのわきの街路樹は、ビルの上から斜めにさす春の陽に、こずえの先の方だけが照らされ、山の斜面に生える木々のように見えました(中央)。
名古屋の中心街には、コブシやモクレンの街路樹が多く、やはり道向かいにあったコブシは満開で、これまた春の陽を浴びて景色の中で浮かび上がっていました(右)。



テレビ塔の近くでは、この時期の主役である桜が、いよいよ二、三分咲きになっていました(中央、右)。
気が早いことに、ロープにつるされたコイノボリが飾られている一角もありました(左)。



昼休みには、食事帰りに職場近くにある名古屋城の外堀沿いを歩くと、石垣のそばにある草地に黄色い花が金貨をまき散らしたように咲いていました。
黄色いスイセンかとも思いましたが、近寄ってみるとタンポポでした(中央)。
水のない堀の縁から枝を張った桜は七分咲きほどで、陰になった堀の斜面をバックに輝いていました(左)。
職場のそばの石垣では、石の間から生えた桜が花を咲かせています(右)。
この桜は、どんなふうに育ち育てられてきたのか。生きにくい環境にあっても、その場を離れることができず、それでも立派に育って花をつけるという植物の力強さを思いました。
植物よりは、ずっと自由な人間ですから、被災した人たちもまた、きっと力強く生きていかれることでしょうし、1億分の1であっても、それを支える気持ちは抱き続けたいものだと思います。
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