
自転車の愛車・ノラコで通勤した本日は、昼休みに、名古屋城のそばを通る運河・堀川の上流、黒川べりの桜を見に行ってきました。
当初は名古屋城の北にあるノラコを買った自転車屋で、車体の点検を受けるなどするつもりだったのですが、あいにく店は休み。それで浮いた時間を使って、少し先まで足を伸ばして黒川べりに行ったというわけです。
黒川は、名古屋城と海とを結ぶ物資の運搬路として江戸時代に掘削された堀川の上流部分。
堀川は明治時代の1877年に庄内川まで延伸され、その工事を司った愛知県技士・黒川治愿(はるよし)氏にちなんで上流部分が黒川と呼ばれています。
ここは今年1月17日、大雪の後にランニングで通って、川沿いに立派な桜並木があることを知り、4月には、ぜひ再訪したいと思っていたところでした。
東日本大震災によって世の中が陰鬱な自粛ムードに染まるなか、連日のように桜をめでている私は無神経だと思われるかもしれませんが、ここで私が桜を見ることを自粛しても、世の中が変わるものでもありません。
それに桜の咲く季節は1年に1度だけで、しかも花の命はごく短いわけですから、今年見逃せば次の機会がめぐってくるという保証だってありません。
当たり前のことですが、人生の中で、そのときにしかできないことは、迷わずにした方が良いものです。
幾つになっても、若い気持ちでいるつもりの私も、若い人らと同じような感性を持とうとしても、持てなくなっている自分に気づいて、時の流れを実感することは少なくありません。
さらに、こうして毎日ブログを書いて、ふと以前に書いた内容を読み返してみても、ほんの数カ月前の自分と今の自分が既に同じ感じ方をできない場合もあることに気づきます。
これまた当たり前のことですが、世の中だけはなく自分自身もまた、いいトシをしてもなお日々移ろっているということで、それを考えるとなおさら、その日その日を大事にしようという努力目標を、忘れないようにしたいと思うわけです。


当初は名古屋城の北にあるノラコを買った自転車屋で、車体の点検を受けるなどするつもりだったのですが、あいにく店は休み。それで浮いた時間を使って、少し先まで足を伸ばして黒川べりに行ったというわけです。
黒川は、名古屋城と海とを結ぶ物資の運搬路として江戸時代に掘削された堀川の上流部分。
堀川は明治時代の1877年に庄内川まで延伸され、その工事を司った愛知県技士・黒川治愿(はるよし)氏にちなんで上流部分が黒川と呼ばれています。
ここは今年1月17日、大雪の後にランニングで通って、川沿いに立派な桜並木があることを知り、4月には、ぜひ再訪したいと思っていたところでした。
東日本大震災によって世の中が陰鬱な自粛ムードに染まるなか、連日のように桜をめでている私は無神経だと思われるかもしれませんが、ここで私が桜を見ることを自粛しても、世の中が変わるものでもありません。
それに桜の咲く季節は1年に1度だけで、しかも花の命はごく短いわけですから、今年見逃せば次の機会がめぐってくるという保証だってありません。
当たり前のことですが、人生の中で、そのときにしかできないことは、迷わずにした方が良いものです。
幾つになっても、若い気持ちでいるつもりの私も、若い人らと同じような感性を持とうとしても、持てなくなっている自分に気づいて、時の流れを実感することは少なくありません。
さらに、こうして毎日ブログを書いて、ふと以前に書いた内容を読み返してみても、ほんの数カ月前の自分と今の自分が既に同じ感じ方をできない場合もあることに気づきます。
これまた当たり前のことですが、世の中だけはなく自分自身もまた、いいトシをしてもなお日々移ろっているということで、それを考えるとなおさら、その日その日を大事にしようという努力目標を、忘れないようにしたいと思うわけです。






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