“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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嵐の去ったバラ園

鯖街道ウルトラマラソンのレポートが無事に完結した本日は、台風くずれの低気圧による初夏の嵐が去った昨日の夕方、近所の鶴舞(つるま)公園を散歩して撮影したバラ園の写真を掲載します。

このバラ園が、しばらく前から満開になっているというのはニュースで見て知っていましたが、鯖街道に遠征をしたり東京に行ったりで忙しく、なかなか時間がありませんでした。
「6月上旬までが見ごろ」と伝えられたことを信じて、そろそろ行ってみようと思ったところが、突然の早すぎる梅雨入りと、台風の接近。

連日の雨と大荒れに荒れた暴風によって、バラの花が相当ダメージを受けていると覚悟していましたが、これほどまでとは思いませんでした。
一部で固まった花が咲き残っているものの、地面に落ちた花びらや花そのものの方が目立ち、見るも哀れな光景が広がっていました。雨で洗い流されたのか、花の香りも、ほとんど感じないほどでした。

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仕方なく撮ることになったのは、花壇の地面に落ちて積もったバラの花びら(左)。

そして、花びらが落ちたあとに残ったガクやシベの様子(右)。

かろうじて咲き残っていたのは、小ぶりで八重咲きの品種など、わずかでした(中央)。

「そのうちに」と思いながら、すぐにできる物事を先延ばしにすると、往々にして大事なものが台無しになって、2度と取り返しのつかないハメに陥るということを思い知らされたというわけです。

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走った!撮った!鯖街道4

今月22日に福井の小浜から京都まで、3つの険しい峠を越えて76キロにわたり往時の物資運搬路・鯖街道をたどった報告「走った!撮った!鯖街道ウルトラマラソン」は、いよいよ最終の4回目です。

今回もまた、まず写真12枚を掲載したうえ、追って記事を書き加えることにします。あしからず。

そして、ここからが続き。
前回は3つめの険しい峠となった標高800メートル余りの杉峠(杉ノ峠)の登り道まででしたが、今回は峠のエイドステーションからゴールまでの約19キロを振り返ります。

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スタートからの「積算標高差」で1600メートルを超える登りが、ほぼ終わりとなる杉峠のエイドで待っていた「給食」は「豆腐素麺」(左)。
フワフワ、ツルツルの麺は、ふつうの素麺よりもさらに食べやすく、全身に疲労がたまってきた後半には、ありがたいメニューで、私はまたまた3杯をたいらげました。

長い旅のウルトラマラソンでは、こうしてエイドごとに「名物」の給食が置かれているのは、刺激にも励みにもなって、うれしいものです。リピーターのランナーは、これらを目当てに頑張ることもできます。

私もかつて5年連続で完走したサロマ湖100kmウルトラマラソンで、70キロ過ぎにある、お汁粉(と素麺)が目の前にぶら下がるニンジンになりました。
上手く走れないときは60キロも過ぎると足は疲労の固まりになりますが、何もないよりは「お汁粉、お汁粉」とつぶやきながら走る方が元気が出るのです(とはいっても、それを食べたからといって足の疲れは、たいして変わらないことが分かっているのですが)。

杉峠といっても京都の人すら大半はピンとこないと思いますが、ここから数100メートル行くと、鞍馬から芦生原生林の登山口である広河原に達する道路の山越え地点として知られる花背峠に出ます。
花背峠から鞍馬までは、舗装路の急坂を一気に下ります。普段は下りが得意な私ですが、大会の前から少し傷めていた太ももの筋肉が張ってきていて、思うように飛ばせず、それでも何人ものランナーをかわしました。

そうこうするうちに、前の方から超スローテンポなイングランド民謡「グリーンスリーブス」のメロディーが流れてきます。なんだか聞き覚えがあるなと思ったところ、広河原行きの京都バスがやってきました。
山間部は自由乗降区間となるために、バスの存在を音楽でアピールするという工夫ですが、それを思い出すのに時間がかかったため、このバスは一瞬の差で撮影しそびれました。

すると、しばらくして今度は後方からスコットランド民謡の「アンニーローリー」が聞こえてきました。
これは上りのバスのメロディーで、今度は、振り返ってランナーを絡めた写真を撮ることができました(中央)。

関門とエイドステーションが設けられる鞍馬の1キロ半ほど手前に、小さなエイドがもう1つありました(右)。
勾配が緩くなってきたのに従って、1キロごとの距離が、より遠くへと引き延ばされるように感じ始めていて「え、関門はまだ先なの?」という言葉がつい口をついて出ました。
でも、コーラなどをいただくと、また少し元気が出るように感じ、実は、とてもありがたいエイドでした。

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ようやく到着した鞍馬の町は昔風の街並みが残っていて、京の都が近づいたという気分になれます(中央)。
私は20代のころ、正月に帰省する度に、中学・高校の同級生の友人たちと初詣で鞍馬を訪れ、鞍馬寺から尾根の反対側にある貴船神社へと、大木の根っこがむき出しになった「木の根道」を歩くのが恒例のイベントでした。
もちろん今回は鞍馬寺も貴船神社も立ち寄りませんが、日が差して暑くなってくるアスファルトの上で、真冬の凍てつく木の根道を思い出すと、心なしか涼しく感じました。

鞍馬のエイドステーションの名物はグレープフルーツ(左)。
「日本一おいしいグレープフルーツだよ。たくさん食べてってね」
そう言われても、どう見たって普通のグレープフルーツですし、そもそも、どのグレープフルーツも輸入モノのはずだよな-とも思いましたが、ボランティアの方の言葉は本当でした。
ざっくり切ったグレープフルーツもオレンジも、美味しさが身体全体に、しみわたりました。

鞍馬から約3キロの市原が最後の関門で、ここでは民家の家族が総出でエイドを出してくれていました(右)。
「美味しいマーマレードパンがありますよ!」とエイドの手前まで迎えに来てくれるのは、笑顔のお子さま。
そう、ここの名物はマーマレードを、その場でたっぷり塗ってくれる一口サイズのパン。
これまた、本当に美味しくて元気が出る感じでしたが、実際に元気を取り戻したのは心だけで、身体の方は、このあたりが走り続けるには限界。

といいますか、計算してみると、この後は9キロ余りを歩いても制限時間以内にゴールできることが判明。
そうなると身体は現金なモノで、エイドの後に少しだけある緩やかな上りで歩き出したまま、再びちゃんと走ることはできなくなりました。

思い出してみると、大会でしっかり歩いたのは、過去に3回ぐらい。
1度はマラソンを初めて数年目で、フルを3時間少しで走れたころの小笠掛川マラソン(今の新茶マラソン)。
ひどいカゼで熱もあり、5キロ以上歩いて3時間半ほどでゴール。
次は1回目か2回目のサロマ湖100kmウルトラマラソンで、故障していた足首をかばって、反対の方の脚が動かなくなり、約10キロを歩いて11時間台でゴール。
そして最後が数年前の北海道マラソンで、猛暑の中を飛ばしすぎて、35キロで急ブレーキ。
それでもやはり、7キロ歩いて3時間55分ほどでゴール。

なんのことはありません。なんだかんだいっても、歩きながらもゴールしてきたのです。
今回は練習不足と重たい荷物、そして太ももの故障-と、それなりに理由はそろっていますが、やはり歩けばゴールできるからには、リタイアの理由はないわけです。
格好が悪くても情けなくても、歩き続けるしかないわけで、歩きに切り替えたことで、さらに遠ざかるゴールを目指して、大きく手を振って歩きに歩きました。

なんだか、そんなふうに振り返ると、歩き始めてからのマラソンこそ、いっそう人生に似ているようです。
故障しようが、失速しようが、みっともなくなろうが、とにかく歩み続けるしかないわけですから。

杉峠の手前から抜きつ抜かれつしていた男女混成グループの私より年配の男性は、このあたりでは一緒に歩くようになっていて、先ほどまで「走りたくても、あと20キロ!」と言われていたのが、今度は「歩きたくても、あと10キロ!」と、ご自身や周囲のランナーを励ましてくれます。
好きで遊んでいるわけですから、当然の言葉ですが、そうした言葉が妙に新鮮に響いてきます。
そう、人生も嫌々やるぐらいなら、いつでもリタイアできるわけで、やはりランニングも人生も「楽しんでなんぼ」と、総括したくなるわけです。

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まさにウルトラマラソンという感じで長ーいこの報告は、記事も歩き始めたかのように間延びしてきましたが、このへんで、ちょっと盛り返してピッチを上げるようにします。

市原からしばらく行くと、コースは京都の市街地を南北に貫く鴨川がY字に分かれた先の2本の支流のうち、東側の高野川の河川敷をたどります。
Y字の分岐点にある出町柳がゴールですから、あとは川沿いに確実に下りだけなのですが、歩くしかできなくなった脚には、わずかな下り勾配を感じる力は残っておらず、景色が単調になったことから、残る道のりが、ひたすら長く感じるばかりです。

そんな中で、幾つもくぐった橋のうち1本の下にあったのが最後のエイドステーション(左)。
京美人のボランティアのVサインが、もうひと頑張りの力になりました。

散歩やジョギングを楽しむ市民らが、ナンバーカードをつけた私たちに気を止めることもなく、行き来していく中で、応援してくれたお母さまとお嬢さまに見えるお2人の拍手やガッツポーズも、また貴重な力に(右)。

そして、ようやく川の左岸から橋を渡って後方を振り返りながら右岸に移り(中央)、ゴールが間近です。

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出町柳の橋の下でゴールすると、先だって紹介した完走賞の焼き鯖や、オレンジ色と黒の洒落たパーカーに完走証、それに銭湯の無料入浴券をゲット。
しかし制限時間のわずか11分余り前のゴールだっただけに、会場はすぐに撤収の準備が始まり、疲れ果てていたこともあって、自分の写真を誰かに撮ってもらう機を逸し、撮ったのは後続のランナーらの写真のみ(左)。
そそくさと荷物をまとめて、会場近くの銭湯に向かいました(右)。

とっくにゴールしていたツアー仲間のジダンさんや、きのっぴさん、裕之さんは銭湯の向かいの居酒屋に。
「店員の女の子が、超かわいい!」という浮かれた内容のジダンさんの携帯メールを受けとって、少しばかり期待して風呂上がりに合流すると、そのアヤカさんは、本当に超かわいい京美人でした(中央)。

※※※

そうそう、そのジダンさんですが、先日、転勤で名古屋から故郷の大阪に戻ったのを機に、「チームジダン」という美人女性ばかりを集めたランニング・サークルを立ち上げ、おまけに「監督ブログ」というブログもスタートされて、私よりもさらに走りまくっているほどのクレイジーなランニング人生について、せきを切ったように語り始められています。

しかも、携帯から絵文字を連射して、1日に何回も更新するという、すごいスタートダッシュ。
なんだか、写真展の開催を機に、このブログを開設したころの自分を思い出してしまいます。
ジダンさんは既に、このブログで常連の登場人物になっていますが、私もジダン監督のブログに登場をさせてもらっておりますので、遅ればせながら、アドレスを紹介させていただきます。のぞいてみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/cmxyq649

走った!撮った!鯖街道3

ちょうど1週間前に、小浜から京都までの鯖街道を走って撮ったウルトラマラソンの記事は本日が3回目。
今回は、コースで3つ越える峠のうち2つ目のオグロ坂峠の手前から、3つ目の杉峠の手前までです。

ほぼマラソン距離の41キロ地点にエイドステーションが設けられている久多の集落は既に京都市左京区の中にありますが、まだまだ京都北山の核心部です。
ここから標高差約500メートルを登って、オグロ坂峠を越えると、そこには深い山に囲まれて関西では珍しい高層湿原の広がる八丁平にたどり着きます。
八丁平は、私が大学生時代に何度も通ったお気に入りの場所の1つで、懐かしさがこみ上げてきます。

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マラソン距離以上のウルトラマラソンの領域に足を踏み入れてからの500メートルの登りは、さすがに厳しく、
前後のランナーともども小走りすらできず、早歩きに切り替わっています。
ブナやミズナラ、トチなどが生い茂る雨上がりの自然林の景色や空気を楽しみながら進むには早歩きの方がふさわしく、私は何度も足を止めて、森や木々などの写真を撮りました(右)。

大きな葉のカエデには赤く色づいたプロペラがついていて、新緑とのコントラストが美しく見えました(中央)。

最後の急斜面では、山道は何度も左右に折り返すつづら折れになっています。それでも、折り重なる木々のこずえの向こうに見えるスカイラインが少しずつ低くなっていき、ようやくオグロ坂峠を越えました(左)。

オグロ坂峠には、屋根が落ちてしまった小さな祠がたたずみ、両側の斜面が、なだらかに落ち込む様子は、歴史を感じさせる風情があって、いかにも北山の峠といった趣きです。
峠を越えたあたりは、鯖街道が幹線ルートだった往時の「六尺道」の名残をとどめているということです。

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オグロ坂峠から緩やかに下っていくと、標高約800メートル、周囲約2キロの高層湿原・八丁平の縁をたどるようになります。

京都市内から京都北山の奥地に行く京都バスの路線は主に2つあって、1つは芦生原生林のふもと・広河原行き、そしてもう1つが比良山系や八丁平などの登山口となる葛川梅の木行き。
葛川梅の木は38キロの関門から登り直さず、針畑川沿いに数キロ下った先にあり、鯖街道ウルトラマラソンでは約半分の距離を走る通称「半鯖」のBコースのスタート地点となっています。

私は大学生時代、これらのバスに1月に2度も3度も乗り込んで北山や比良山を歩き、何度も訪れた八丁平では、春真っ盛りの季節にテントを張って山の夜を過ごしたこともあります。

うるさいほどの鳥のさえずりで目を覚ました朝、みずみずしい新緑に囲まれた八丁平は、湿原を流れるガラスのように澄んだ水と同じく空気も透明で、スモモのような木に白い花が満開になって甘酸っぱい香りを放っていました。その朝は、私がこれまでの人生で迎えた最も美しい朝の1つで、それ以来、私の中では八丁平の風景が「桃源郷」のイメージとなっています。

「関西の尾瀬」とも言われる八丁平は、その後、尾瀬と同じく湿原を貫く林道の計画が反対運動でとん挫し、今は京都市の山村都市交流林として整備が進んでいるとのこと。
30年前にはなかったはずの木道が設けられ、倒木を整理するためか一部では伐採も進み、金網が張り巡らされているなど、かつての風景とは、かなり様変わりしていました(左)。

懐かしい八丁平でしたが、そんなわけで走りながら撮りたいと思う風景には、あまり出あうことなく、水たまりに映った木々を、心象風景的に撮ってみました(右)。

八丁平の外れには林道が到達していて、その終点付近にエイドステーションが設けられていました(中央)。
ここで美味しかったのは、このエイドの名物という「冷やし飴」で(写真の右端)、勧められるままゴクゴクと3杯もいただきました。

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八丁平からは小さな峠を2つ越え、それぞれの先にある大原尾越、大原大見という山間の集落を通ります。
大原尾越の付近で、軽やかな足音が後方から近づき、振り返ってみると2人の女性ランナーでした(左)。
2人が着ていた、おそろいのベストには「スウィーパー(掃除役)」の文字が。そう、普通は最後尾のランナーを拾い上げる役で、どうりで足取りが軽いはず。その文字を見て、ちょっと焦りました。

「え!?スウィーパーさんですか。制限時間、大丈夫ですか。もう後ろにはいませんか」
矢継ぎ早に質問したところ、彼女たちは、間に合いそうなランナーを励ます役で、「このペースなら大丈夫」。
後ろにはまだ20人か30人がいるということでした。
確かにプレッシャーがかかり、その後、私は少しペースを速め、彼女たちを引き離して先を急ぎました。

植林地を含めて、針葉樹林と広葉樹林が交ざり合うのが京都北山で代表的な山の景色(中央)。
錦絵のように見える秋だけでなく、春には緑の濃淡が美しいデザインをつくり出します。

大原大見は、地形的には八丁平と似て、山懐に広い平坦地が広がっていて、かつてはやはり湿原があったのではないかと思われるような場所です(右)。
私の大学時代、ここに産廃の埋立地をつくる計画があり、八丁平と似ていて、しかも人が住んでいる本当の桃源郷を夢想して訪ねた私は「産廃埋立地、反対!」という看板に面食らいました。

集落の人に話を聞くと「町のゴミで、美しい故郷を埋め立てようというんや」と憤ってられました。
琵琶湖に流れ込む安曇川水系の源流で、産廃の埋立地をつくると水汚染の問題も心配されるはずです。
私は、そうした話を新聞社に投稿して、その記事は、紙面に掲載されることになりました。
それは、小さな声の1つでしたが、その後、計画は倒れたらしく、懐かしい大原大見は昔のままの姿を保ち、写真はうまく撮れませんでしたが、ここにも地元の人たちがエイドステーションを出してくれていました。

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大原大見からは、いよいよ標高差250メートル余りを登って、最後の峠である杉峠への道をたどります。
大学時代に大見を訪ねたときに歩いたのと同じ道で、既に越えた根来坂峠やオグロ坂峠とは違って、未舗装ではあるものの車も通れる幅員の林道になっています。

ここも、もちろんメーンは早歩きですが、制限時間を考えると、勾配の緩いところは走りを交えるべきです。
そこで頼りになったのは、長らく近くを走ってきた男女混成グループ(中央)。
リーダー格で私より年配とみられる男性が、「よーし、行くぞー!」と号令をかけては、走りに切り替えてくれ、私は、まるでグループの一員のような顔で、その後ろを着いて行くことにしました。

おかげで最後の登りが終わる杉峠の制限時間もクリアできそうになったころ、林道のわきに咲くオレンジ色のツツジにカメラを向ける余裕ができました(左、右)。

走った!撮った!鯖街道2

3日間のブランクを挟んで「走った!撮った!鯖街道(ウルトラマラソン)」の2回目を、いよいよ掲載します。

ここからが続き。「走った!撮った!ぎふ清流マラソン」は記事を書き終え、鯖街道も1回目を終えています。
2回目は、コース中で3つ越える険しい峠のうち最初の根来坂峠を越えて、38キロ付近に設けられた最初の関門を過ぎたあたりまでです。

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福井県小浜市と滋賀県高島市の境にある根来坂峠は標高が約850メートル。
「京都北山」の中でも最も奥まったところにあって、大学生時代に北山の大部分を踏破した私も訪れていない名峰・百里ヶ岳(931メートル)から2キロほどにある峠ですが、コースは残念ながら山頂は通りません。

しかし峠の近くまで登って来ると山道の周囲は自然林に覆われ、ブナなどの巨木も現れて、深山の趣きです(左、右)。
雨脚は強く、かぶったビニールポンチョに雨粒が当たって弾けるパラパラという音がうるさいほど。
ポンチョをかぶったときに、手に持つカメラは防水仕様の機種に替えていて、写真はこれで撮ったもの。
防水とはいえ、レンズ前のプロテクターに水滴がついて、画像は所々に、にじみが出ますが、これがガスった景色になじんだ感じになりました。

峠の近くではイワカガミの群落が次々に現れ、せっかく防水カメラを手にしているからと何度もしゃがみ込み、雨に濡れた可憐なピンクの花をねらいました(中央)。

関門やゴールには制限時間が設けられていますが、このころは、まさかギリギリになるなどと思わず、後ろにいたランナーらに次々と抜かれながらも、焦ることはありませんでした。
実は、このあたりで既に、かなり遅いランナーと前後して走っていたのですが、いつも練習で花などの写真を撮りまくる習慣が、大会でも出てしまったようです。

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根来坂峠を越えると、コースは、琵琶湖に注ぐ安曇(あど)川の支流、針畑川に沿った谷間に下り、その後は15キロほど舗装路が続きます。
このあたりは現在は高島市ですが、かつては朽木(くつき)村だったところ。
深い森に囲まれた山あいの風景は、どう考えても「村」の方が、ふさわしい感じがするのですが(中央、右)。

「うしろすがたのしぐれてゆくか」
雨の中を黙々と走る他のランナーの姿を見て、自分の姿も思うと、山頭火の句が口をついて出てきます。

針畑川沿いに出たあたりからは、ほんの数キロ右手に行くと、中学生時代から魅せられて何度も足を運んだ芦生(あしう)の深い深い原生林が広がっていますが、今回はやはり、そちらにも行きません。
でも、自分の「心の故郷」ともいえる芦生の森には、遠からず、また足を踏み入れたくなりました。

針畑川沿いで最初のエイドステーションでは、飲み物やフルーツなどに加えて素麺が出されていました(左)。
ツルツルと食べやすい素麺は、味も最高で、立て続けに3杯いただきました。
こんなエイドの充実ぶりを見ると、飲食物も含めて大きな荷物を担いできたことが後悔されて、両肩にかかる重みが倍増するような感じになりました。しかも、起伏の少ない舗装路では、山道に比べると荷物の重たさを余計に感じるものだということも思い出しましたが、すべて後の祭りでした。

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エイドでは、ポンプで井戸水を汲み上げていました(左)。どうりで素麺が美味しかったのだと思いましたが、残念ながら、水そのものは出されず、ポカリスエットを溶かすのに使われていました(左)。
「井戸水でつくったポカリだから、美味しいですよ」と言われると、少しだけそんな気もしましたが。

写真を撮ったり、エイドで長い休憩をとったりしながらモタモタと走ったおかげで、このころには最後尾から遠くないところを走っていたようです。
「関門に間に合うかどうか、心配です」と抜かしていったランナーの言葉を聞いて、そのことに初めて気付き、関門があること自体も思い出し、荷物は重たいものの、少しピッチを上げて走りました。

そんな中で、頼りにさせていただいたのが、何キロもの間、一緒に走らせていただいた美人ランナー(中央)。
「このペースなら、関門はクリアできますよ」
昨年、38キロの関門に引っかかったという彼女の言葉には間違いがなさそうで、ちょっと安心しました。

でも民家の玄関先で、子どもたちが私設エイドを出しているのを見ると、立ち寄らざるを得ません(右)。
美人ランナーとは、しばしお別れしてエイドに駆け込み、写真を撮らせてもらいました。

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針畑川の澄んだ流れのそばで3人組の女性が、ドライブに来たのか車を止めて応援してくれていました(左)。
おもむろにカメラを向けさせてもらうと、Vサインでこたえてくれましたが、真ん中の美女が目を閉じてしまったのは、申し訳ありませんでした。

関門の手前約2キロの商店前にあるエイドまで来ると、制限時間をクリアできることを確信して、また一休みさせてもらいました(右)。

38キロの関門を通過したのは制限時間だった午後11時半より、わずか10分余り前。
これで少し安心できて、道路わきのあちこちで満開になっていたフジの花を撮影するなどしましたが(中央)、その後も、関門は次々に設けられていて、それぞれさほど余裕のないタイムでクリアしながらゴールを目指すことになりました。

このあたりで、ようやく雨が上がってくれましたが、そうでなければ、ゴールは危うかったかもしれません。

明走会トラ部キックオフ!

名古屋から上京した昨夜、明走会の「分科会」の1つである「トライアスロン部」のメンバーがシーズン初めに集って互いの健闘を願う「キックオフ」パーティーが開かれました。

私は10年余り前にトライアスロンを何レースか経験していましたが、その後ウルトラマラソンやトレイルランに「脚を染める」一方でトライアスロンからは久しく遠ざかり、一昨年、川崎でショート(オリンピック・ディスタンス=計51.5キロ)の大会に出場しました。
その後、昨シーズンは転勤・引っ越しのため再び休止しましたが、今年は地元の東海地方で開かれるレース2本に出場する予定です。

そのうち1本は9月に中部国際空港近くで開かれるミドル・ディスタンスの「アイアンマン70.3セントレア常滑ジャパン」で、由緒正しいアイアンマン・シリーズのレースの会場が自宅から1時間以内で行けるとあっては、トライせざるを得ません。

もう1本は、トライアスロン部の合宿も兼ねて多くの仲間と一緒に参加する8月の「沼津千本松トライアスロン大会」。静岡・沼津が会場で、ショートの半分の距離を身体を慣らす意味も兼ねて泳ぎ、走ります。

私がトライアスロンから遠ざかったきっかけは、初めて挑戦したロングレースを最初のスイムで棄権したこと。
韓国・済州島で開かれたアイアンマンのレースで、3キロ余りのスイムを終えればバイクで島1周の約200キロを走り、さらにフルマラソンを走る予定だったところ、その長くなるはずの1日が、朝のうちに、あっけなく終わってしまったのです。

棄権した大きな理由は、6月の海の水温が20度を大きく下回る寒さ。皮下脂肪が少ない上、袖無しタイプのウエットスーツを着ていた私は体温がどんどん下がり、身体が思うように動かなくなりました。
さらに、わずか数メートル先が見えないほどの濃い霧で、動けなくなっても、救助をされる見込みがないように思われ、明らかな命の危険を感じて、監視のボートに引き上げてもらったのです。

それはそれで懸命な判断だったと今でも思っていますが、バイクなどを飛行機で運んで、はるばるやってきた海外で、ほとんど何もできないまま「初ロング」の夢がついえたショックは大きく、あまり得意ではないスイムに対するトラウマもできてしまって、トライアスロンへの復帰は、ためらい続けてきました。

そんな私が、長いブランクがあきながら、トライアスロン復帰を決断したのは、レースには真剣に取り組んで、仲間うちでは和気あいあいと雰囲気を盛り上げ合うトライアスロン部の活動でした。
復帰戦の川崎でも、スイムで前を泳ぐ人たちに蹴りまくられて、パニックになりそうになり、あやうく再び棄権をしそうになりましたがなんとか持ち直し、10キロのランは44分というまあまあのタイムで追い上げ、なんとか納得できるレースをすることができました。

今後のトレーニングで大事なのは、とにかくスイムの練習は早く再開して泳ぎ込むことに尽きます。
富士登山競走では、練習を本格化する際に「毎日階段を走る」とブログで宣言したことが功を奏しました。
今回も、近くスイムの練習を始めた後は、自らを追い込むためにも練習目標を公表してみるつもりです。
そして、長く抱え込んだトラウマを払しょくして、10年前の自分を乗り越えるためにも、ロングレースの完走を目指したいと目論んでいます。

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東京・赤坂で開かれた昨夜のキックオフには、トライアスロン部の「トラ仲間」約20人が参加(中央)。

パーティーは、7月にブラジルに赴任することになった信義さんの送別会も兼ねていて、明走会や東京夢舞いマラソンの重鎮でもある、お富さんから、粋な模様のフンドシ2本が信義さんにプレゼントされました(左)。

信義さんの会社の後輩である利紀さんは、トラ部の集まりには初参加(右)。
昨年まで名古屋勤務だった利紀さんは、実は昨年9月に私が転勤・引っ越しした際、愛猫チーコと心置きなく一緒に暮らすためのペット飼育可能のマンションを、あっせんしてくださいました。

パーティーの後は信義さんをはじめとする常連の飲み仲間が2次会に向かい、6月の写真展でもデザインを担当してくれる尚さんも打ち合わせを兼ねて合流。
信義さん、尚さん、私の3人は、2人の地元であり私の東京時代の地元でもある西葛西で3次会に突入。
私は信義さんとスーパーランナー・さつきさん夫妻のお宅に、昨夜も転がり込ませてもらい、ささやかな4次会まで楽しませていただきました。
こんなあつかましい駆けっこ仲間のめんどうを、いつもありがとうございます。信義さん、さつきさん。

※※※

さて、このブログのカウンターが、またまた不調になったようです。
本日、訪問してくださった方々の数が一部しか記録されていないもようであるうえ、昨年10月以来のカウント数が、2000余り減ったままになっています。
このあとも修正されないようであれば、また手動で減少分を加えるなどの調整をします。
(管理者から障害が起きて、失われたデータの復旧はできないという連絡がありました。
幸い、直前にカウント数を控えていたため、障害によって減少した「1918」を自ら加えて調整しました。)

それにしても、デジタルの世界は、当たり前ですがデータが消えると、どうしようもないもの。
先日、送別会などで複数の店をハシゴしている間、大事なデジタルカメラの1つが紛失してしまい、メモリーに記録していたデータの大事な部分は既にコピー済みだったものの、そのほかは、おそらく2度と戻らなくなってしまいました。

考えてみると、今の世の中には目に見えない「ブラックボックス」にあふれていて、紛失したり壊れたりすれば2度と戻らないデジタルデータもしかり、そして、何も見えないというのに自然環境や人間の健康に計り知れない打撃を与える放射能もしかり。

とはいえ、大事なデジタルデータはマメに二重三重に保存しておけば事故をある程度防ぐことができますが、放射能の方は、いったん放出されれば、手の施すのが極めて困難になります。
大震災の発生から3カ月になろうとしているのに、放射能の放出を食い止めるメドも立たない福島第1原発の事故の深刻さを見ると、万が一の場合にお手上げになってしまう相手を、100パーセント制御できると誤解をしていたことの浅はかさ、愚かさを思わずにおれません。