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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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藤原岳・茨川トレラン3

4月29日に三重と滋賀の県境に沿って連なる鈴鹿山脈の藤原岳を登り、滋賀県側の山懐深くにある廃村の茨川(いばらがわ)を訪ねたトレランの報告は本日が最終回の3回目。
今回は、林道を歩いてピクニックに来た友人らと合流した茨川と、一行と一緒に下山した林道沿いの様子を、写真15枚とともに紹介します。

茨川は、かつて炭焼きなどで生計を立てる人たちが住んでいましたが、1965年に最後の住民が離村して、廃村となりました。現在は数棟の建物が一部、山小屋などとして利用される形で残っていますが、その他は朽ち果てて、石組みなどから往時に人の住んでいたことが、しのばれるだけです。

ここは数百年前から人が暮らしていて、江戸時代には近江と伊勢を結ぶ山越えの道が通っていたことから、茶屋として栄え、近くにあった銀鉱山の労働者も多く住んで、50戸にも及ぶ村だったと伝えられています。
戦後も炭焼きのほか、畑地や茶畑の耕作が続けられ、廃村になるまで小学校もあったということです。

しかし、林道が開通したことから炭の代わりに薪が売れることになって炭焼きがすたれ、周囲の雑木を伐採し尽くして植林を進めたものの採算が合わず、ついに電気も通ることなく村の歴史に幕が下ろされました。
その後は谷沿いの林道の橋がことごとく落ちて、長らく修復されないままになっていたということです。

山奥にある廃村といえば、私は京都の北山をほっつき歩いていた大学生時代、戦前にうち捨てられたという「廃村八丁」に足を運んだことがあります。豪雪地帯でもある八丁ほどではないものの、この茨川も山あいの最奥にある僻遠の地で、ほんの半世紀近く前まで人が住んでいたとは信じられないほどの場所です。

そんな茨川の小学校跡地にある桜が「ゴールデンウイークごろに満開になるらしい」と友人から聞いたのが、今回のトレランを計画したきっかけ。私は久々に訪れる「廃村」のノスタルジックな響きを胸に、また、残された桜が暗い集落跡を照らすような風景を頭に描きながら峠道を下りて来ました。

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治田峠から茨川に下りる道は荒れ気味だったものの、谷間のかなり奥まで砂防工事が進んでいるところで、自然に帰っていく廃村のイメージが少し揺らぎます。しかし、谷川の合流点にあった茨川は、山あいにしては開けた場所であるものの新しい工事の手は及ばず、人の住んでいたにおいが残っている感じがします。

そんな茨川を流れる浅く澄んだ川の河原にシートを敷いて、ピクニックに来ていたのが私の友人ら3人(右)。
私は朝寝坊して予定より1時間ほど遅れたため、残念ながら一段落してしまっていた食事には、ほとんどありつけませんでしたが、担いで走って行った食料や日本酒を出して、しばし一緒に宴を楽しみました。

私が供出したのはトロロ昆布付きの握り飯6つと、前夜に煮付けたタケノコとフキ、それに缶詰めの日本酒「菊水ふな口」3本。花見を想定して作ったり選んだりしたメニューです。
しかし、ほろ酔い気分になって「そういえば桜はどこ?」と皆さんに聞いたところ「これです」の答え。
右の写真の手前から伸びているのが件の桜で、まだ開花前だったのです。

「じゃ、小学校というのは?」と聞くと、また「それです」の答え。
桜の木のそばに立っていた山小屋が、小学校として使われていた建物でした(左、桜の木は左)。
この小屋は滋賀・近江八幡市の高校が使っているということで、どう見ても山小屋。小学校には見えません。
それもそのはず、廃村になった当時は生徒1人、先生1人だったということですから。

花見は肩すかしに終わりましたが、桜の枝を近くで見ると、赤みがかったつぼみが膨らんでいました(中央)。

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小学校跡のわきにある石垣の石のすき間には、登山道で見たのと同じ春の花が生えて開花していました。
左の写真はネコノメソウを上から見たところ。右の写真はミヤマカタバミです。
茨川の村は山の自然に包まれたまま歴史を刻み、今や再び自然そのものの姿に戻ろうとしているようです。

小学校跡の小屋から数10メートル離れたところに、もう1軒の小屋が建っています(中央)。
これが最後の住民が住んでいた家屋の跡で、今は名古屋大が管理する無人の山小屋となり、一般登山者が宿泊することもできるもようでした。

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2軒の小屋から100メートルほど川沿いの上流に行き、浅瀬を渡った反対側には神社が残っています。
立派な木製の鳥居から石段を渡った先には小さな祠も(左)。

石段の途中にある杉の大木の根は、石組みを抱き込むようにトグロを巻いていました(中央)。

祠には稲の穂を飾り付けた真新しい、しめ縄が(右)。
この神社は、かつての住民らの手によって今も維持管理され、祭りも催されるということです。

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茨川でのピクニックに合流させてもらった3人は、鈴鹿の山を歩く仲間たち(中央)。
私の旧友で津市在住のユミコさんと、近所にお住まいの大学登山部OBのイサオさん(右)、同期生のOBで愛知・岡崎市在住のノボルさんでした。

私は当初、再び山を走って治田峠を越え、三岐鉄道の沿線に戻ろうかとも考えていましたが、桜のつぼみを見ながら酒盛りをした結果、気持ちが萎えて、皆さんと一緒に林道を数キロ歩いて下山することにしました。
そして名古屋に用事があるノボルさんの車に便乗。自宅前まで送っていただくという幸運にあずかりました。

山に入ったころから曇って肌寒い天気が続いていましたが、林道を歩く際には、ようやく晴天に。
蛇行を繰り返す渓谷沿いの林道を歩きながら時おり振り返ると、芽吹きの始まった谷間の景色は、のどかで「桃源郷」という言葉が思い起こされました。
江戸時代に栄えていたころの、桜が咲く茨川を、タイムスリップして訪れることができるのなら、まさに桃源郷そのものの風景に出会えるような気がします。

林道沿いには、里山の日向に咲く花、キブシの数珠のような花穂が、幾つも枝から垂れていました(右)。

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林道沿いの斜面は、桜やツツジに彩られながら、オレンジ色に芽吹く木々も多いため暖かな色合い(中央)。
「これじゃ春だか秋だか分からないよなあ」というイサオさんの言葉に妙に納得してしまいました。

日当たりの良い林道沿いとあって、スミレの花も、あちこちで咲きそろっています(左)。

桜もツツジも近くでは見えませんでしたが、水たまりに落ちたツツジの花は、みずみずしいままでした(右)。

学生時代から山に登っている私ですが、琵琶湖周辺の山としては京都北山や比良山、伊吹山や奥美濃の山々に比べて足の便が今ひとつだった鈴鹿山脈を訪ねる機会は、これまであまり多くありませんでした。
しかし標高が低い割に山深く、豊かな自然に恵まれて、歴史の香りも残る鈴鹿の山は、なかなか魅力的。
足の便が良くなった名古屋からは今後、何度も通うことになりそうです。

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