
今月15日に開かれた第1回の「高橋尚子杯 ぎふ清流マラソン」で、ハーフながら「走った!撮った!」をした際の写真を、いよいよ本日から掲載します。
掲載を予定している写真は12枚ずつ3回の合わせて36枚と、いつもよりは、やや少なめです。
ハーフとあって、当初は、それなりに頑張って走ろうと思っていたうえに、写真も撮りながら走ろうと方針を切り替えた後も、周囲のランナーの流れがそれなりに速かったため、コース上で立ち止まるのが難しかったというのが言い訳です。
とはいうものの、初めに頑張ったおかげで、高橋尚子さんと一時、並走し、走りながら高橋さんの表情を撮るという、なかなか得難い経験もできました。
その高橋さんの写真を含む1回目の12枚を、今回もとりあえず写真のみ、掲載します。

ここから、簡単に写真の説明などを加えます。
ぎふ清流マラソンのコースは岐阜市街地の北部を東西に流れる長良川の右岸近くにある総合スポーツ施設「岐阜メモリアルセンター」がスタート・ゴール。
スタート直後にいったん長良川を渡って岐阜駅前まで目抜き通りを往復し、その後、長良川の左岸に沿って上流へと走り、再び長良川を渡って今度は右岸沿いに戻ってきます。
私は陸連登録選手の部で、先頭近くからスタートしたことから、スタート直後は多くのランナーが勢い良く飛び出して、その様子を撮影するのには、道路わきに素速く寄ってカメラを構えなければなりません(左)。
スタートから間もなく、長良川に沿った「高橋尚子ロード」を横切って金華橋を渡る際、すぐそばに高橋さんが走っているのに気付きました(中央、右)。
私は当初、高橋さんはハーフに併設された3キロの部でファンランをされるのだろうと思っていましたが、実際にはハーフに出場されていたのです。
しかも、市民ランナーなら男子でも速めの1キロ4分余りのペースで快走し、そのままで1時間30分を切って余裕でゴールされたということです。
ガードランナーなどはつけず、市民ランナーの中に飛び込んで走った高橋さんは、橋の上では、「みなさーん、頑張りましょー!」と何度も手を突き上げながら掛け声をかけてられました。
私は以前、現役時代の高橋さんが出場した千葉マリンマラソンのハーフを走ったことがあり、その際は、途中の折り返し点よりずっと前で、目にもとまらぬスピードで走る高橋さんとすれ違いました。
ハーフなら1時間20分台の前半で走れた、そのころの自分ならば、写真を撮りながらでも高橋さんに着いて行けたのでしょうが、今の走力では、それがままならず、このあと間もなく引き離されてしまいました。
しかも「すごい写真が撮れた!」と思い込んだ、高橋さんが手を突き上げるシーンで、残念ながら彼女は目を閉じていて、まさに画竜点睛を欠く結果になってしまいました。

金華橋を渡った後は、岐阜駅前までの金華橋通りを往復します。
地方都市には元気がなくなってきているとはいえ、駅前の目抜き通りを大勢のランナーが走るとあって、沿道の応援は相当な盛り上がりでした。
しかし、このあたりまでは高橋尚子さんに離されないようにと、速いペースで走ったうえ、周囲のランナーらの邪魔にならないように立ち止まるのが難しく、写真を心ゆくまで撮るというわけにはいきません。
そんな中で撮ったのは、まず岐阜駅前の折り返し点近くで、通りを行き来するランナーたち(右)。
駅前に立つ金ぴかの織田信長像が、わずかに遠く見えています。
そして、岐阜の繁華街・柳ヶ瀬のアーケード街の入り口前を走るランナーたち(中央)。
「柳ヶ瀬ブルース」で歌われ、全国的に名前の知られた繁華街も、今は活気を失って「シャッター街」の様相を見せているだけに、マラソンが町に活気を呼び返すきっかけの1つになればと願うばかりです。
駅から少し離れたところで撮ったのは、横断幕を掲げて応援する野球少年たち(左)。
スポーツ少年団やクラブ活動の子どもたちによる応援は、コース沿道のあちこちで目立ちました。

マラソンは大震災の被災地を支援するチャリティー大会ともなっただけに、「がんばれ東日本」といったエールを書いた横断幕を掲げる応援グループも少なくありませんでした(右)。
長良川の川沿いに出ると、景色は一転して開放感あふれるものになり、ここでも強い日差しにめげず、元気に応援してくれる市民らがたくさん繰り出していました(左)。
写真を撮りながら、ずるずると後退すると、仮装のランナーも見られるようになります(中央)。
第1回目のハーフ大会ながら、応援する人もランナーも、かなり祭りのように盛り上がっていたのです。

岐阜の町を見下ろすシンボルといえば金華山のてっぺんに建つ岐阜城。
その岐阜城を見上げながら走る部分もあれば(中央)、そんなロケーションの場所で、歩道橋の上に陣取って応援してくれるグループもいました(右)。
エイドのボランティアの皆さんも元気いっぱいでテンションが高く、地元を挙げてマラソンを盛り上げようという雰囲気にあふれていました(左)。
掲載を予定している写真は12枚ずつ3回の合わせて36枚と、いつもよりは、やや少なめです。
ハーフとあって、当初は、それなりに頑張って走ろうと思っていたうえに、写真も撮りながら走ろうと方針を切り替えた後も、周囲のランナーの流れがそれなりに速かったため、コース上で立ち止まるのが難しかったというのが言い訳です。
とはいうものの、初めに頑張ったおかげで、高橋尚子さんと一時、並走し、走りながら高橋さんの表情を撮るという、なかなか得難い経験もできました。
その高橋さんの写真を含む1回目の12枚を、今回もとりあえず写真のみ、掲載します。



ここから、簡単に写真の説明などを加えます。
ぎふ清流マラソンのコースは岐阜市街地の北部を東西に流れる長良川の右岸近くにある総合スポーツ施設「岐阜メモリアルセンター」がスタート・ゴール。
スタート直後にいったん長良川を渡って岐阜駅前まで目抜き通りを往復し、その後、長良川の左岸に沿って上流へと走り、再び長良川を渡って今度は右岸沿いに戻ってきます。
私は陸連登録選手の部で、先頭近くからスタートしたことから、スタート直後は多くのランナーが勢い良く飛び出して、その様子を撮影するのには、道路わきに素速く寄ってカメラを構えなければなりません(左)。
スタートから間もなく、長良川に沿った「高橋尚子ロード」を横切って金華橋を渡る際、すぐそばに高橋さんが走っているのに気付きました(中央、右)。
私は当初、高橋さんはハーフに併設された3キロの部でファンランをされるのだろうと思っていましたが、実際にはハーフに出場されていたのです。
しかも、市民ランナーなら男子でも速めの1キロ4分余りのペースで快走し、そのままで1時間30分を切って余裕でゴールされたということです。
ガードランナーなどはつけず、市民ランナーの中に飛び込んで走った高橋さんは、橋の上では、「みなさーん、頑張りましょー!」と何度も手を突き上げながら掛け声をかけてられました。
私は以前、現役時代の高橋さんが出場した千葉マリンマラソンのハーフを走ったことがあり、その際は、途中の折り返し点よりずっと前で、目にもとまらぬスピードで走る高橋さんとすれ違いました。
ハーフなら1時間20分台の前半で走れた、そのころの自分ならば、写真を撮りながらでも高橋さんに着いて行けたのでしょうが、今の走力では、それがままならず、このあと間もなく引き離されてしまいました。
しかも「すごい写真が撮れた!」と思い込んだ、高橋さんが手を突き上げるシーンで、残念ながら彼女は目を閉じていて、まさに画竜点睛を欠く結果になってしまいました。



金華橋を渡った後は、岐阜駅前までの金華橋通りを往復します。
地方都市には元気がなくなってきているとはいえ、駅前の目抜き通りを大勢のランナーが走るとあって、沿道の応援は相当な盛り上がりでした。
しかし、このあたりまでは高橋尚子さんに離されないようにと、速いペースで走ったうえ、周囲のランナーらの邪魔にならないように立ち止まるのが難しく、写真を心ゆくまで撮るというわけにはいきません。
そんな中で撮ったのは、まず岐阜駅前の折り返し点近くで、通りを行き来するランナーたち(右)。
駅前に立つ金ぴかの織田信長像が、わずかに遠く見えています。
そして、岐阜の繁華街・柳ヶ瀬のアーケード街の入り口前を走るランナーたち(中央)。
「柳ヶ瀬ブルース」で歌われ、全国的に名前の知られた繁華街も、今は活気を失って「シャッター街」の様相を見せているだけに、マラソンが町に活気を呼び返すきっかけの1つになればと願うばかりです。
駅から少し離れたところで撮ったのは、横断幕を掲げて応援する野球少年たち(左)。
スポーツ少年団やクラブ活動の子どもたちによる応援は、コース沿道のあちこちで目立ちました。



マラソンは大震災の被災地を支援するチャリティー大会ともなっただけに、「がんばれ東日本」といったエールを書いた横断幕を掲げる応援グループも少なくありませんでした(右)。
長良川の川沿いに出ると、景色は一転して開放感あふれるものになり、ここでも強い日差しにめげず、元気に応援してくれる市民らがたくさん繰り出していました(左)。
写真を撮りながら、ずるずると後退すると、仮装のランナーも見られるようになります(中央)。
第1回目のハーフ大会ながら、応援する人もランナーも、かなり祭りのように盛り上がっていたのです。



岐阜の町を見下ろすシンボルといえば金華山のてっぺんに建つ岐阜城。
その岐阜城を見上げながら走る部分もあれば(中央)、そんなロケーションの場所で、歩道橋の上に陣取って応援してくれるグループもいました(右)。
エイドのボランティアの皆さんも元気いっぱいでテンションが高く、地元を挙げてマラソンを盛り上げようという雰囲気にあふれていました(左)。
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