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星野哲郎物語

一昨日にも紹介した名古屋の老舗劇場・御園座で兄(辰巳琢郎)が主演する芝居「恋文 星野哲郎物語」を見てきました。

身内の芝居の出来を評するのは難しいものですが、難しい役・芝居ながら、良く出来ていたと思います。
数々のヒット曲をはじめ何千曲もの演歌・歌謡曲を作詞した星野は、昨年亡くなったばかりで、そんな多くの人の記憶に新しい実在の大作詞家を演じるというのは、仕事とはいえ、大変な覚悟がいるものでしょう。
星野にゆかりの大物の歌手が連日「日替わりゲスト」として幕間にショーを演じるオマケつきの芝居とあって、本人を知る大物たちの、厳しいはずの目も光っているわけですし。

また、これは芝居のつくりの問題だといえるのですが、作詞家の一生をたどるという芝居ですから、どうしてもストーリーというよりも出来事をなぞるような展開になるうえ、ナマの演奏・歌唱を含めて歌もちりばめることになることから、芝居というよりショー的な性格の舞台になるわけです。
その中で、どうしても散漫な印象になりそうな舞台空間を緊張感のあるものとして保つのは、純粋なドラマの芝居をするのに比べて、相当な力量が問われることになるのです。

それに加え、大がかりな舞台装置も組まれる歌舞伎もできるような大劇場とあって、比較的少人数で進める今回のような芝居は、物理的にも散漫で寂しい感じにもなりがちです。

というわけで、初めのうちは舞台の「締まり」がイマイチという感じもして、ヒヤヒヤしましたが、次第に役者のアンサンブルもかみ合うようになって締まりも流れもでき、後半には安心して舞台を楽しむことができました。難しい部分の多い芝居であることを考えると、良くまとまったものだと感心するわけです。

星野哲郎物語1RIMG2028  星野哲郎物語2RIMG2030  星野哲郎物語3RIMG2025

御園座は、歌舞伎の舞台ともなる老舗劇場とあって、ビルの中にありながら厳かな雰囲気です(左)。

芝居がはねた後は本日も楽屋を訪ね、主演の兄と、星野の娘役で共演した実の娘の辰巳真理恵(要するに私の姪です)とのスリーショットを撮ってもらいました(中央)。
1週間余りの公演で、ようやく2日目を迎えて3回目の舞台を終え、なんとか軌道に乗ってきたのを感じてか、兄は心なしか、ほっとした表情でした。

楽屋を訪ねても、うれしいのかうれしくないのか、いつも言葉少ない兄ですが「おお、来てたんか」というそっけない言葉のほかに、いつも「どやった?」と感想も聞いてくれます。
シロウトの私に聞かれてもと思うのですが、こちらもしどろもどろで一言二言返すわけです。

先にも話した通り、兄は役者として器用な方ではないと思っていますが、本日は若いころから年老いるまでの星野を上手に演じ分けている感じがしました。
私にとっては、図太くて、あつかましいように見えながら、実はその裏に気の弱いところも、あわせ持っている兄の裏の方の部分が、うまく引き出されているとでも言いますか。
今回もキャスティング・演出のすごさを感じるわけですが、それに加えて、兄本人の努力も大きいのでしょう。

一生、作詞の世界にのめり込み続けた星野と同じく、兄もまた長らく芝居を続けてきたことで積み重ねてきたものは、私の想像を超えるほど大きくなっているのだと思います。
それと同時に、会社勤めのかたわらクレイジーな趣味を続けてきただけの私には、積み重ねてこられたものなど何もないという事実を思って、呆然としてしまうわけです。

辰巳真理恵は、歌が苦手なはずの兄の娘でありながら音楽を学んだソプラノ歌手で、役者として舞台に立つのは初めてでしたが、さすがに舞台慣れしているうえ舞台でも親子の役で、自然に演じることができたこともあってか、リラックスして堂々とした演技を披露していました。
だだっ子だった子どものころの印象が強い私としては、感心して目を丸くするばかりでした。

劇場のロビーには星野哲郎の名曲集や、ゲストとして登場する大物歌手らのCDが売られていました(右)。
芝居の中で次々に披露される星野の曲を聞くと、いかにテレビやカラオケで聞き慣れた名曲の多くが、彼の作品だったかということが分かって、驚くばかりです。

かつては演歌なんて、自分とは縁のないオジサンや夜の町のものだなどと思っていたものですが、しみじみ聞いてみると、なかなか心に触れるところが多いもの。
「男はつらいよ」だの「昔の名前で出ています」といった、どちらかといえばクサイ歌を聞いても、ちょっとホロリとしてしまう自分は、まぎれもなくオジサンになったのだと実感します。

流行歌は「人生の応援歌」だと言う星野の言葉通りの歌といえば「三百六十五歩のマーチ」なのでしょうが、そのほかの「ド演歌」もまた、人の情や縁などを言葉にする感性豊かな心から生まれたもので、これらも同じく応援歌であって、多くの人の心を潤してきたのだということが分かるように思えます。

また病弱だったからこそ1日1日を大事に生きたのでしょうが、来し方も未来も考えずに「今日の山を全力で登る」という星野の生き方も、心に響きました。

昨日、御園座で宣伝を担当する関係者にたずねると、客の入りはイマイチということで、彼は渋い声でした。
本日、劇場を訪ねてみても、広い観客席とはいえ、ちょっと空席が目立つのが気になりました。
不況の時代にあって劇場のビジネスはどこも苦しいようで、名古屋随一の老舗劇場である御園座も、最近は赤字を余儀なくされているということです。

歌舞伎や演歌のショーが中心で、しかも客の多くが常連の「会員」とあっては当然のことでしょうが、御園座を訪ねて、あらためて驚くのは客の年齢層の高さです。
劇場の方も、それを見越して、開演時間を午後0時と4時半という、早めの時間に設定しています。

そういえば先日、劇団四季の子ども向けの芝居を見る機会に恵まれた際は、客は見事に親子連ればかり。
要するに、普通の若者やサラリーマンなどは、ほとんど劇場に足を運ばないというのが現実のようです。
自分ですら、兄の芝居には毎回、足を運ぶものの、今や芝居を見る機会は、さほど多くありません。

コンピューターもDVDもテレビも映画もあって、日常の娯楽に事欠かない世の中ですから、その中で芝居がすたれていくのは仕方がないことかもしれません。
しかし役者と観客が、閉ざされた空間の中で直に触れ合い、互いが共鳴しあうことによって、その場その時にしか生まれない世界をつくり出すという芝居の魅力は、一方通行の娯楽にはないものです。

芝居の人気が低迷しているのは全国的なことで、それは作り手の側にも責任があるのでしょうが、それでも、かつて「天下の芸所」と言われた名古屋の老舗劇場で空席が目立つというのは、なんだか寂しいもの。

話が少し飛躍するものの、そういえばランニングのブームも、名古屋の町では、どこ吹く風という感じがして、盛り上がりに欠けていますし、近郊の山を走っても、登山者は少なく、見かけるのは年配の方ばかり。
皆が「おしとやか」で、とても居心地の良い名古屋ですが、文化やスポーツの面では、どこか元気やパワーに欠ける感じがするのは、ちょっと偏った趣味に染まる私だけなのでしょうか。

こんなに書くつもりじゃなかった本日も、長くなってしまいましたが、結論は1つぐらいです。
9日までの御園座の芝居、若い人でもけっこう楽しめるはずですから、ぜひ、ご覧になってくださいね。

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