“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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岐阜のクラブで

駆けっこ仲間のMさんが、東京の最高峰・雲取山にトレランに行き、下山中に谷底に滑落して亡くなるという悲しい事故からちょうど1週間の本日、私は再び上京して彼女の実家を弔問するとともに、トレランで同行していたグループのメンバーから話を聞きました。

事故の経緯については、既に地元の関係者などから話を聞いて、自分なりに考察を加えた記事を2本書いていて、その内容は、当事者から聞いた内容と食い違うところは、ほぼありません。
ただ、当事者本人から聞く証言は、さらに生々しいもので、関係者からは聞き得なかった情報も含まれます。
とはいえ、この重たい内容のうち、ここに書くことができるものについて、今あわてて書き殴ることは控えようと思います。それはデリケートな部分を含んでいるうえ、その作業に取りかかるには私は精神的にも肉体的にもくたびれすぎているからです。

ですから、証言してもらった内容については、後日に紹介することにできればと思っています。
かといって、御嶽山の写真は自宅のPCで編集中であるため、続きの記事を書くこともままなりません。

そこで少し苦し紛れにカメラのカードから掘り起こしたのは昨夜、名古屋に近い岐阜で撮った写真。
なんと「クラブ」のステージでエネルギッシュなダンスを披露する若い女性グループの様子です。

土曜日ながら仕事のあった昨日、私は会社の同僚や後輩に誘われ、岐阜の繁華街・柳ケ瀬にあるクラブで、女性ジャズボーカリストのコンサートを楽しみました。
その誘いを受けた際、私の知り合いの女子大生で、クラブなどでダンスをしているmeikoさんに、その場所を知っているかどうか尋ねたところ、もちろん知っているということでしたが、それと同時に、同じ日に市郊外にある別のクラブでダンスのイベントがあって、それに彼女が出演すると聞かされました。

「ぜひ来てくださいね。来てくれたら、うれしいです」と、にっこり微笑まれた私には、なす術はありません。
同僚と一緒に、ほとんど初体験といえるクラブの「はしご」を敢行することになったというわけです。

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ジャズのクラブは大人も楽しめるところでしたが、ダンスのクラブの方は「ディスコ世代」の私たちには、場内の雰囲気も、そこで繰り広げられるダンスのスタイルも馴染みのないものです。
オヤジ2人は場違いな空気を感じながら、恐る恐る入って行きましたが、meikoさんが目ざとく私を見つけて駆け寄ってきてくれたため、ほっとしました。

meikoさんのグループは女性3人組の「CHEST VAMP」。
東海や関西のそのスジでは、ちょっと知られた存在だとのこと。ファンもたくさんいるもようです。
ダイナミックでキレが良く、息の合ったダンスは圧巻で、オヤジの私はしばし「カメラ小僧」と化しました。

メンバーは3人とも、はきはきとしていて礼儀正しく、すがすがしい気持ちになれました。
何かに打ち込んでいる人というのは、老若男女を問わず輝いているものだということが良く分かりました。

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御嶽山トレラン3

北アルプスの南にそびえる巨大な独立峰の名山、御嶽山に登ってから1週間が経ちますが、その報告はようやく本日が3回目です。今回もまた、とりあえずの写真3枚だけを掲載します。

この日は駆けっこ仲間のMさんも、東京都の最高峰・雲取山などを登っていましたが、私は無事帰還したのに対して彼女の方は、まさかの事故に遭って人生の幕を閉じられました。
自分だけが戻ってきた山を振り返り、その写真を見るのは少しつらいものですが、かといって掲載を中止する理由はありません。

こうして、あいかわらずの日々が続きますが、人生の日々が残されているだけでも幸せなのだと思います。

かなり経ちましたが、さらに写真10枚を追加します。

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御嶽山トレラン2

駆けっこ仲間・Mさんの遭難についての報告が続き、休止していた御嶽山でのトレランの報告を再開します。
本日を含めて残り3、4回の予定ですが、とりあえず本日分の写真のさわり、3枚だけを掲載します。
そして、さらに9枚を追加します。ご覧の通り、1回目は御嶽山の頂上までの様子です。

BL110724御嶽山2-1R0014090  BL110724御嶽山2-2R0014103  BL110724御嶽山2-3R0014100

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それでも花は

奥多摩の奥座敷にそびえる東京都の最高峰・雲取山の麓近くで起きた駆けっこ仲間・Mさんのトレラン中の遭難事故から4日経った本日、私は現場のある山梨県丹波山(たばやま)村を訪れ、現場付近を見るとともに救助活動に携わってくれた地元の関係者らの話を聞きました。

昨日は東京夢舞いマラソンの実行委員会があって退社後に名古屋から上京。
休みをいただいた本日は当初、10月に大阪で開く写真展の準備などを行う予定でしたが、それを変更して、JR中央本線の大月駅前でレンタカーを借り、山越えをして丹波山に向かいました。

夢舞いの会議は、元気印のMさんがいなくなったことで、まさにポッカリと穴が空いたように沈んだ雰囲気。
しかしMさんが残した楽しいアイデア満載の企画書に目を通していると、Mさんが「遅くなったわねえ」などと言いながら今にもドアから入ってくるような気がします。
夢舞いのメンバー誰もが、いなくなってしまうなどとは最も思えないMさんの「永遠の不在」に対して現実感を持つことができず、会議後の打ち上げでもMさんの話題ばかりを繰り返しながらも、悲しみというよりも呆気にとられたような感覚を共有していました。

そんな現実感のない事故だけに、忘れようとすれば、いとも簡単に忘れておくことができそうにも思えます。
しかし、それではMさんの最後の瞬間に抱いたはずの無念さは、救われないように思います。
その日に何が起きたかを知って、そこから自分や多くの人にとっての何らかの糧を得ようとしなければ鬱々とした胸の重さも、いつまでも軽くなってくれないように思います。

そう。結局のところは、何をしたところで今回起きてしまった悲劇を、なかったことにはできませんが、自分が少しでも楽になりたいと願って、しなくても良いことをして、もがいているのだと思います。
とはいえ、最も大きな重荷を背負うことになったトレランの同行メンバーから話を聞くことはまだ困難です。
そこで、とりあえずは少しでも現実感を持つために現場に触れて、救助に当たってくれた方々にお礼を言うとともに、客観的な目で見ていただいた事実や思いを聞かせてもらおうとしました。

うかがった話の中には、そのままここで書けないことも少なくありませんが、教訓になるような要素の幾つかを書いてみようと思います。

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丹波山は、山あいの谷と道路沿いに昔ながらの家屋が建ち並ぶ、のどかなたたずまいの山村です。
都会の喧噪や殺伐とした事件・事故とは最も縁遠く見える平穏な雰囲気の村では、流れる時間さえゆっくりとしているように思えるほどで、今回のような悲しい事故が起きたことも、村の景色を見ていると、余計に信じられないように感じます。
街道沿いの住宅の庭先には、ノウセンカズラの鮮やかなオレンジの花が咲き誇っていました(左)。

事故現場は、村外れにある川の合流地点近くから雲取山のふところ深くにある鉱泉の山小屋「三条の湯」に向かう林道を少し入ったところの谷底。
Mさんら4人の一行は、林道からは深い谷を隔てて反対側のガケといってもいいほどの急峻な斜面を下りてきて、Mさんはその途中で滑落してしまいました。

林道側から現場近くまで行くと、ちょうど三条の湯から下山してきたパーティーが通りがかりました(中央)。
谷の林道側は、高度差こそ反対側より小さいものの、斜面は同じように転げ落ちそうな傾斜です。
付近で1カ所だけ、やや斜面が緩く、辛うじて谷底まで行ける場所を聞いていた私は当初、現場まで下って、持ってきた花を捧げてこようと思いましたが、下り始めた途端、滑落の危険を感じて、あきらめました。

無理をすれば行けることは分かっていましたが、ここで無理をすることの意味は何もありません。
谷底に下りて、Mさんが亡くなった場所に立ってみたからといって彼女に会えるわけでもなく、万が一、自分がけがでもすれば、まさに元も子もありません。
私が偉そうに説いてみる「引き返す勇気」というほどのものではありませんが、すっぱりと「敵前逃亡」を決め込むことにしました。

持ってきた白い百合の花を路肩に置いて車に戻る途中、道路わきを見ると、一輪のホタルブクロがこうべを垂れていました(右)。
こんなに悲しい出来事が起き、その厳しさを見せつけてくれた山の自然ですが、それでもこうして美しい花は次から次へと咲き続けていくようです。

※※※

さて、ここからが救助に向かってくれた地元の関係者から聞いた話です。
どの方も、せっかく救助に向かっていただいたのに、なす術がなかったことを残念に思ってくれていましたが、それでも、今後こうした悲劇が繰り返されないようにと願う気持ちも込め、私の質問に対し、ていねいに応じてくださいました。

基本的には、前の記事で私が書いた内容を補強してくれるような内容が多いのですが、現場にも立ち会ってくれた地元の方々とあって、説得力がありました。

その中の1人で、自らシカの猟もして付近の山に精通している方は、①山をグループで走るのならば、1回は「登山的な感じで」、徒歩で状況を把握したうえで走った方が良い②迷ったときは戻るべきで、そのためには時間に余裕をもって行動を-という2点を強調されました。

そのうち、1点目について。
彼によりますと、Mさんの一行が下ってきた飛龍山から丹波山の親川バス停に続く尾根道は整備をされた「登山道」ではなく、東京都水道局の「管理道」であって、木の葉に覆われて不明瞭なルート。
「木の根が多いところや滑りやすいところもあって、走るということは、やめた方が良い」と言えるほどで、特に登りではなく下りで通る場合は、一歩間違えば元の道からどんどん外れていくため、要注意だということです。

中でも、「エスケープルート」としてとることもできた峠道が横切る「サオラ峠」から先の広い尾根は、通る人が少ない半面、シカが多く、「獣道が、人の通る道よりも整備されたように見えることすらある」というほど。
そんな獣道に入り込むなどして道に迷った人から電話が入り、誘導するなどして助けることが、1年間に3回ぐらいはあるそうです。
とはいえ、彼は「普通に歩けば、迷うような道ではない」とも言われます。

私は、少なくとも一行が、ゆっくり走って道標の代わりに木に付けられた赤いテープなどを注意深く見てくれていれば、と思っています。迷いやすいルートでテープが付けられている場合、たいてい1つのテープまでたどりつけば視野のどこかに次のテープが見つかるなど、ある程度は等間隔に付けられています。
ですから、それが見つからない場合、誤った所に足を踏み入れているのではないかと心配すべきなのです。

また、いくら一見、獣道の方が整備されているように見えても、「踏まれ方」を良く見れば、人が行き来している道かどうかは、たいてい分かるものです。
道というものは、起点から終点あるいは分岐点までは、踏まれ方が一定しているものですから、それが急に薄くなることはまずなく、そうなっているとすれば、やはり間違った所にいる可能性が高いのです。

つまり視野を広く保って、赤いテープや踏まれ方に注意することが重要なのですが、確かにそれは走ることに頑張り過ぎている場合には、疎かになってしまいがちです。

次に2点目です。
話を聞いた方々は私と同じく、一行が迷った後に元に戻ろうとせず、谷に下りていったことに驚いています。
「普通は下りるところではない」「普通では理解ができない」「下りるという判断は、猟師以外はしない」と。
山がさほど深くなく、昔から谷という谷に人が入っていた京都の北山では、極めて例外的に谷に下りるという選択肢はあり得ますが、「山ヤ」の間で「北山なら」と言われるということは、裏返せば北山以外の山では谷に向かって下りることは危険だということが常識なのです。

私はかつて渓谷づたいに沢を歩いていく「沢登り」を何度となく楽しんできましたが、沢登りでは山に向かって上っていく一方通行が普通で、その逆は普通は試みられることはありません。
沢でも道のない山の斜面でも、下る方が圧倒的に危険で難しいものだからです。
そのうえ、沢登りで滝や両岸の岸壁などに阻まれて進むことができなくなった場合には戻ることはできても、下って行って行き止まりになると、戻るには多くの時間や体力が要求されることになるからでもあります。

今回は断崖に近い急斜面を果敢に下っていった4人のうちMさんが滑落して亡くなりましたが、実は事故の後、救助を求めに行こうとした一行のメンバーは、林道が通る向こう岸に渡る場所を探し、対岸の斜面を再びはい上がって、ほんの数100メートル先にある民家に駆け込むまで1時間近くを費やしています。

なだらかな尾根とは対照的に、V字型にえぐれた深い渓谷は両岸がガケのように切り立っているだけでなく、川も水路のように深い急流になっているなどして、対岸に渡ることすら容易ではないのです。
さらに、谷の底は当然のことながら携帯電話の電波が届かない「不感地帯」で、電話で通報することも不可能です。ヘリコプターによる救助が可能なケースでも、深い谷底は近付けない場合が多いようです。

一行は迷った挙げ句、地図を見て、川や国道までの距離がほんのわずかであることを知り、「沢に下りれば国道に出られると考えたらしい」ということです。

しかし、地形図や登山地図に描いてあるのは水平方向の位置関係だけではありません。
同時に描かれているのは垂直方向の起伏であり、実はそれこそが大事で、だからこそ「地形図」と呼ばれているわけです。
1センチが250メートルを表す2万5000分の1の地形図を眺めると、現場付近では標高10メートルにつき1本の等高線がびっしりと並んでいて、冷静に考えるとやはり、そこに突っ込んでいくのは無謀以外の何ものでもありません。

前の記事でも書いたのですが、丸1日のハードな行程を経たことによる疲労、迷ったことによる動揺や焦りが冷静な判断を鈍らせたとしか思えません。
一行が道に迷った末に事故が起きたのは午後6時半ごろですが、「3時、4時なら(迷っても)余裕があって、戻るという考えも起きたかもしれない」と関係者が指摘する通り、時間的な余裕のなさが、「普通」の域をはみ出した無茶な判断の後押しをした背景にあることも間違いないと思います。

※※※

Mさんの一行は、トレランのレースで入賞するランナーなど健脚ぞろいで、山での練習も何度となく、こなしていて、ハイキング・トレラン歴も数年から10年近くに達しているということです。
しかし、地元の関係者の1人が「危険に遭わなければ、経験があるということにはならない」と指摘する通り、結果的には体力と山の経験・知識・判断力のバランスを欠いていたと言わざるを得ません。

「4人全員が落ちていても不思議はない」と言われるほどの場所に踏み込んだ一行ですが、もし全員が無事帰還できていれば、今回の遭難は本当の意味で「いい勉強」になったのかもしれません。

偉そうなことを話している私も、主に単独行で40年近くにわたる山の経験の中で、大けがに至ることはないまでも幾度となく小さな危険に遭遇してきて、自分が語る言葉の多くは、そんな幾多の場面を思い出しながら口にしていることが分かります。

かといって、小さな危険をすすんで呼び込む必要などありません。
周到な勉強と準備、無理や無茶をせず、危険が大きくなる前に引き返す勇気、そして人に頼ることなく冷静に判断する余裕を失わないようにすれば、山はいつも微笑んでくれるはずです。

私は山は決して裏切られることなく、行けば必ず楽しいところだと信じていて、行くたびにその思いが確かめられるがために、今も繰り返し山に入っています。

そんな私が今回の悲しい事故について、ある程度知ることができたうえでトレイルランナーの仲間らに言えることは、やはり山で楽しむことを第一にしてほしいということです。
トコトコとのんびり走れば、草木も花も良く見えますし、道も良く見えて迷うことも少なくなります。
それでも、山をゆっくりと走ったり歩いたりするだけで、下界でのジョギングなどとは比べようもないほど大きなトレーニング効果を期待することができるものです。

「トレイルランナーは山を知らずに、危険だ」という批判を最近よく聞きますし、今回の事故が、そんな批判を助長するおそれもあると思います。
しかし私は「トレイルランナーは」「登山者は」と短絡的に分けることはナンセンスだと思っています。
トレイルランナーから見れば、日ごろトレーニングを積まずに山に入ったため遭難する登山者が「軽はずみで危険」に見えることだって、あるでしょうし、私のように登山者でありトレイルランナーだと思っている者だって少なくないはずですから。

ですからMさんが2度と帰ってこない以上、彼女の無念をやわらげてあげることができるとすれば、残された仲間たちも、トレイルランナーも登山者も、できるだけ多くの人にこの事故のことを知ってもらい、その中からほんのわずかでも、こんな悲劇を繰り返さないための教訓のようなものを得てもらうことしかないと思います。

山に散った花

一昨日の午前中、私の携帯が鳴り、電話の向こうにいたのは明走会の駆けっこ仲間の1人でした。
いつもは夜中に楽しい電話をくれる彼から聞かされたのは、耳を疑うような悲しい知らせでした。
「Mさんが亡くなったんですよ。トレランに行った山で事故に遭って」

Mさんは、同じ明走会の仲間で、私と同じ年代の美しい女性ウルトラランナーであり、最近はトレランにも力を入れられるなど、いつまでも挑戦を続ける身も心も若々しいランナーでした。
バリバリのキャリアウーマンでありながら、数々の大会に出場するとともに、東京夢舞いマラソンのスタッフとしても活躍する、誰から見ても、ほれぼれするほどエネルギッシュに輝く女性でした。

最近では、私の写真展「走った!撮った!わが町マラソン」にも後輩を連れて来場してくれて、今年10月の夢舞いマラソンで、昨年の大会で私が撮影した写真の展示を会場などでするよう勧めてくれていました。
そして、私が言い出しっぺになって計画が動き出した、韓国・済州島での「漢拏山(ハルラサン)登山競走」の下見にも一緒に来てくれると約束してくれていました。

そんなMさんが突然、亡くなったと聞かされても、どうしても信じることができません。
仲間たちから送られてくるメールや、ネットで見ることのできる新聞記事を見ても、仲間と電話で話をしても、どうしても実感がわいてきません。
文字を見て言葉を聞き、冷酷な現実の証拠が積み重なってきて、その現実が夢であってほしいと願っても、その願いは空しいばかりです。

Mさんが亡くなったのは一昨日の夜。私がジダンさんと一緒に御嶽山に登り終えて乾杯をしているそのとき、信じることができないほどの悲劇が起こっていたのです。
2日前に富士登山競走の「5合目コース」に出場したばかりのMさんでしたが、その日は男性2人、女性1人とともに奥多摩にある東京の最高峰・雲取山に登り、丸1日のハードな行程を経て、ゴールの国道に出る少し手前で道に迷った末、谷底までの急斜面を50メートル以上も滑落して、その場で亡くなったということです。

あんなに輝いていたMさんの人生が、こんなにも突然、残酷な終わり方をするだなんて、どんなに無念だったことか、想像するだけでもつらくなります。

楽しく読んでもらうためのブログに悲しい話を載せるべきかどうか悩みましたが、駆けっこ仲間のことですし、この話題を飛び越えて、何食わぬ顔で、さらに御嶽山のレポートを続けることは不可能でした。
大震災当日のように、写真なしで記事を書こうとも思いましたが、Mさんに贈る気持ちを込めて、1、2年前に雲取山で撮影した花や木の写真を掲載します。

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掲載した写真は、Mさんが亡くなった現場に近い谷沿いで、5月に咲き誇っていたフジの花(左)。
6月に雲取山の尾根近くで根を張っていたブナの巨木と、雲取山の西方にありMさんが越えてきた飛龍山のシャクナゲです(中央、右)。
少女のように清楚で、はつらつとしていながら、しんはしっかりとしていて、あでやかでもあったMさんを思い起こさせるような花や木です。

Mさんと私とは、これまでは、特別に親しい間柄というわけではありませんでしたが、漢拏山行きなどを機に、ようやく、いろんなことを一緒にやっていけそうに思っていたところでした。
でも多くの駆けっこ仲間は、特に親しいわけではなくても、同じ趣味を持って、同じイベントに取り組むことで、ベタベタしなくても、適度な距離感を保ちながら、信頼し合えるものです。

そんな中にあってMさんは、どんな場もパッと華やがせてくれ、誰にとっても「一緒にいると楽しい」と思わせてくれる素敵な女性でした。

数年前、山口と防府、萩を往復して山越えの旧道「萩往還」を走る大会で140キロを走ったときのことです。
夜を徹して走った2日目の朝、萩の海岸沿いにあるレストハウスで、Mさんと一緒になりました。
カレーの朝食と一緒にビールの大ジョッキを注文してグビグビやっている私を見て、Mさんは言われました。
「そんなもの飲んでいちゃ、後が走れないわよ」

2回目の挑戦だったMさんは、後半のしんどさを良く知っていたからでしょうか、ビールなど一滴も飲まずに、根が生えたように大休止を決め込んでいた私を置いて先に出発されました。
足を痛めていて、ちょっとやけくそ気味になっていた私ですが、その後しばらくは元気を取り戻し、とうとう最後の山越えの途中でMさんをかわしてしまいました。
(さらにその後、鎮痛剤とビールの相乗効果で胃を痛めた私は、ゴールと同時に七転八倒したのですが。)

「なんで大ジョッキなんか飲んで追い着くのよ!」と、そのときのMさんは本気で怒り出しそうでした。
大会後も、私に会うたび大ジョッキの悔しさを口にするMさんは、まるで子どものようでしたが、その半面、ランニングに対して本当に真面目に取り組まれているのだということを感じました。
そんな風に考えたくはありませんが、その真面目さや負けん気の強さが今回の悲劇の要因の1つになったのかもしれないという思いを、ぬぐうことができません。

大人同士で一緒に行動した結果の事故ですから、一般的には、ご本人が「自己責任」を負うべきであって、「不運な出来事だった」とされるのでしょうが、この2日間、私の胸では「割り切れない思い」が大きくなって、濃縮されて重たくなるばかりです。

かといって、ご本人の話を聞くことはもちろん、同行していた人たちから、すぐに話を聞くことも不可能です。
それでも、Mさんの死を、そんなにはあっさりと受け入れることができない私としては、今の時点で、少しでも、この事故が語る教訓を引き出したいと焦る気持ちが小さくありません。
ということで、私が知り得た限りの情報を基に、思うことを、もう少しばかり書き連ねることにします。

※※※

Mさんたちは午前8時40分ごろ、雲取山の主要な登山口の1つである鴨沢を出発して標高2017メートルの山頂まで標高差1500メートル近くを一気に登りました。
山頂に着いたのは「昼ごろ」で、ここまでは5時間余りのコースタイムの7割程度の所要時間でクリア。

通常なら、山頂を往復するだけでも「健脚」でなければできないところを、一行はさらに奥秩父に連なる稜線を縦走して、雲取山よりもさらに高い飛龍山にも登り、鴨沢の少し上流まで延びる長大な尾根をたどり、ちょうど馬蹄形を描くようにして戻って来たところで道を見失いました。
鴨沢からのコースタイムは13時間余り。普通なら1泊2日でもきつい行程で、「快速登山」が楽しめるトレランでも、中級者以下のランナーは体力を使い切るほどの長丁場といえます。

一行はコースタイムの7割程度というペースを崩さずに進みましたが、それでも当然のことながら、事故現場に着いたのは6時半ごろ。夏とはいえ、谷間に下りていく樹林帯では薄暗くなるころでした。
しかも、この尾根は雲取山の周辺でも、さほど歩かれているルートではなく、主要な登山道に比べると、道は明瞭でなく走りにくいうえに、登山地図には現場の手前に黄色い丸に「迷」の印があり、「迷いやすい」とされている部分です。

こうした場所では縮尺の粗い登山地図は役に立たないことが多く、2万5000分の1の地形図とコンパスを持って、細心の注意を払いながら「読図」をする能力が要求されますが、それも地形が分かりやすく、視界が利く場合でなければ苦戦することもあるものです。
また迷いやすいとされる山道には、木に赤いテープが巻かれ、道標代わりになっていることが多いのですが、これとて、明るくて周囲が良く見えなければ頼りにはなりません。

すべては「結果論」なのですが、こうしたことを考えると、一行は、この行程の最後のところで、かなりリスクの大きい領域に足を踏み入れてしまったと言わざるを得ません。
わき上がる感情を抑え客観的に考えても、私なら尾根の途中で横断する峠道を右に折れて、より明瞭で早く国道に出られる下山路を選んだのではないかと思います。
この峠道を過ぎると、後は「エスケープルート」がなくなるからです。

ただ、この峠の先には「丹波天平(たばでんでいろ)」と呼ばれる広い山頂を持つ名前も地形も魅力的な山があり、以前に峠道を歩いたことのある私も、時間が許せば、そちらに行きたいと思って迷ったことがあります。
しかし、広い山頂を持つ尾根ということは、その先には谷に向かって急斜面が待っているということです。
登山地図では分かりませんが、地形図を見ると、尾根の先で一歩道を間違えれば、谷沿いや国道沿いには急坂や崖があるのが分かり、道を見失えば命取りになる可能性も予想できたように思います。

さらに言えば、下山中に道に迷ったとき、そのまま下って行くのは、普通の山では「御法度」です。
下れば下るほど元の道から離れてしまううえ、下れば危険な谷に向かうのが必至だからです。

こうしたことは山慣れた人には分かるはずなのですが、長丁場を経てきた一行には冷静に考えてみる余裕も勇気を持って引き返してみる余力も、あまり残っていなかったということなのでしょうか。
そして2日前に富士登山競走に出場しているMさんは、おそらく一行の中で最も体力を消耗していたはずで、滑落した際、踏ん張る力が残っていなかったのではないかと想像すると、胸が痛みます。

※※※

私は40年近くもの間、数え切れないほど山に入って、テントを担いで道のない所を地図を頼りに歩いたこともありますが、山行のほとんどは単独で行動しています。
いざというときに危険なことは承知していますが、そもそも山に行くのは、人から離れて自然の中に身を置きたいからであるうえ、独りの方が緊張して行動することができると確信しているからでもあります。

ほかの人と一緒だと、ついついお互いに頼り合って緊張が緩み、地図をきちんと見られなくなったり、時間の計算ができなくなったりするものです。
また、複数の人が一緒に行動する際、体力が劣る人は必ず無理をすることになります。
登山のパーティーを組むとき、体力が弱い人に先頭を歩かせるのはそのためですが、それでも後ろの人たちからプレッシャーを受けると完全にマイペースでは歩けないものです。

先日、ジダンさんと一緒に御嶽山に行った際にも、練習不足で体調も思わしくなかった私は、彼に着いていくのが精一杯で、写真を落ち着いて撮ることも、ままなりませんでした。そればかりか、ほんの少しのオーバーペースがどんどんボディーブローのように利いてきて、思いのほか体力を消耗したものです。

とはいっても女性の場合、むやみに単独行動するのは、はばかられます。
ですからグループ行動するときには、一番弱い人を思いやることが極めて重要なことですし、それがうまくいくには相当に良好なチームワークが要求されるものだと言えます。
今回のことは、すべて結果論ですから、こんな考察はインチキくさいと思われるでしょうが、それでも言わずにおれません。やはり尊い命を失ったという重大な結果には、反省すべき原因があるはずだからです。

※※※

また元々が「山ヤ」で、今はトレイルランナーでもある私が言うのは何ですが、それなりに深い山を、あまりに軽装で走っている人など、危なっかしいランナーを最近は良く見かけるのも確かです。
体力があって荷物が少ないことで、トレイルランナーの方が同じ時間内に長い距離を踏めるのも確かですし、「逃げ足が速い」という意味で、いざというときに危険を回避しやすい場合もあります。

ただ、いざというときの防寒具や非常用の食料が貧弱なことも少なくないうえに、やはり一番大きな問題は、自分の体力に対する過信や慢心だと思います。
さらに、「せっかくの山だから頑張って鍛えよう」として、歯を食いしばって、過重な負荷を身体にかけてしまうことも危険に直結するのだと思います。
やはり山に行くときには十二分な余裕を保って行動しなければ、自然はいとも簡単に「牙をむく」からです。

きつい練習をするなら、高尾山だの富士山だの、もっと危険の少ないところですべきなのでしょう。
それに、歯を食いしばって走っていると、花も木も見えたものじゃありません。
ランニングが、自分の身体という「自然」との「対話」を楽しむスポーツであるのと同じように、山に入るという行為もまた、本当の自然との対話こそが楽しいものだと思うのです。

それにそもそも、ランニングも山行きも、エリート選手以外にとっては、たんなる遊びに過ぎません。
確かに世の中には命をかけるような遊びも存在しますが、ランニングや山は基本的にはそんなものじゃなく、人生を豊かにするための遊びの中の遊びのはずで、こんなもののために大事な友人に命を落とされては、はっきり言って泣くに泣けないわけです。

「山は独りで行くものだ」「富士登山競走以外は一所懸命に走り過ぎない」と決め込んでいる私は、明走会のトレラン仲間と一緒に練習することも、これまでは極力避けてきました。
ただ今回の悲劇が起きる前に、山の経験が豊富なわけではなかったはずのMさんと、一度でものんびりと、本当に自然と対話して、自然を愛でるような山行きを一緒に経験できなかったことが、私が後悔しても後悔しきれない心残りです。

こんなに書いても、まだMさんに対して「めい福を祈ります」とは素直に言えません。
本当に何が起こったのか。ときがくれば、それをもっと知りたいものだと思っていますし、それを知って伝えることぐらいしか、Mさんの無念を和らげる手立てはないように思っています。