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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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天平を慰霊登山1

駆けっこ仲間のMさんが山の遭難で亡くなって以来、割り切れない思いがつのるばかりで、そのほかのことがほとんど考えられなくなった私は、昨日、Mさんが一緒にトレランに出かけたメンバーの一部から話を聞いたのに続いて本日は、先月24日に行われたトレランの行程の後半部分だった山梨県丹波山村のサオラ峠から西に伸びる「天平(でんでいろ)尾根」をたどる慰霊のための登山に出かけました。

「どう考えても、あり得ない事故」という印象が強くなるばかりの今回の遭難は、あり得ないような判断ミスが幾つも重なった末に起きているようです。普通は夏場に遭難して死に至るなど考えにくい山域で起きた事故ですから、それは当然のことなのです。

事故というものは本人たちの意図しないままに遭遇する災難ではありますが、今回の事故は自然がもたらす大震災やランニング大会中に突然倒れる事故、山に行く途中で遭遇する交通事故などとは全く違います。
滑落することが初めから予想される沢登りやロッククライミング、危険な岩場を通るような登山中の遭難事故とも、やはり性格が異なります。

どんな事故であっても、幾つかの原因や不運が重なって起きるもので、かけがえのない人間の命が失われる事故はそんなものなのでしょうが、今回の事故は、防ごうとすれば防げたはずの判断ミスが重なって起きているだけに、あまりにも信じられず、悔やんでも悔やみきれません。
だからこそ、こんなことが2度と起こることのないように、この事故が語る教訓のようなものを引き出したうえ、明らかにすることが大事だと思うわけです。

Mさんが最後の瞬間に抱いたはずの無念を少しでもやわらげて、自分自身の割り切れない思いを飲み込むために私はできるところまでは事故のことを整理したいと思っています。
そしてMさんたちが通った道を独りでたどった本日の慰霊登山では、「なぜ道に迷ってしまったか」について、ある程度の答えを得られるのではないかと期待をしながらルートを観察しました。
「ああ、ここなら迷っても仕方なかったよな」と思うことができれば、重たい気持ちの一部が少しでも軽くなるのではないかと期待したのです。

しかし、結論を先に言えば、そうした私の期待は見事に裏切られました。
「ここで迷うなんて、どう考えても、あり得ない」というのが正直な感想であり「客観的な印象」でした。
そのことが分かった瞬間、あまりに驚いて、背筋が寒くなるのを感じたほどでした。
なぜそんなふうに感じたかについては、たぶん次回の記事で詳しく整理して話すことができると思いますが、本日はとりあえず、サオラ峠までの様子を簡単に報告することにします。

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Mさんら一行が登った雲取山は標高2017メートルで東京都の最高峰ですが、山頂は山梨県との都・県境に位置しています。
雲取山の東京側にある登山道はいずれも良く整備されていて、季節が良ければハイキング気分で足を踏み入れても大丈夫な道がほとんどです。

それに対して雲取山の山梨県側は、奥秩父の山々に連なる長大な稜線をたどる縦走路をはじめ、どの道も訪れる人が少なめで道の良くない部分が多いうえ、アプローチも長くて、完全に登山の対象となる領域と言えます。
一行が雲取山に登った後にたどったのは、奥秩父の最初の主な山・飛龍山(2069メートル)までの縦走路、そこからサオラ峠を経て、事故現場に近い青梅街道沿いの親川バス停付近まで伸びる10キロ以上もの長い尾根です。

その尾根の途中にあるサオラ峠は標高1400メートル余り。
丹波山村の中心地で、多摩川の上流部・丹波川に沿った標高650メートルほどの丹波の町から、雲取山と飛龍山の山懐に抱かれた鉱泉の湧く山小屋「三条の湯」に至る道の途中にも当たります。
この道は雲取山の山梨県側にある主要ルートであるだけに良く踏まれていて、サオラ峠で交差する飛龍山~親川の尾根道とは対照的です。

私は以前、雲取山の東京側の登山口の1つ、日原から山頂を越えて三条の湯を経由し、サオラ峠を越えて丹波に降りたことがあり、今回は逆方向からサオラ峠に登ることになりました。
丹波の町から峠道に入ると、ぐんぐん高度が上がり、間もなく山に囲まれた町並みを望めます(中央)。

道が畑地を横切るところでは、シカやクマの侵入を防ぐために金網の扉が設けられています(左)。
「熊出没注意」とありますが、各地で増えているシカに出あうことは、奥多摩や丹沢の山では、ごく普通であるもののクマに出くわすことは多くないようです。
私も以前、東北地方の山で沢を隔てた反対側の斜面でクマを見たことがあるものの、それ以降クマにであう「幸運」に恵まれることはありません。クマはそれほど生息密度が低く、臆病でもあるようなのです。

そんなクマにであうことよりも、今回の事故で一行が最後に下ることになった急斜面のガケに突っ込むことの方が、はるかに危険ですし、防ぎようのあるはずの危険だった-。
クマへの注意を促す注意書きを見ながら、私はそんなふうに思いました。

樹林の中に入ると、大きくて真っ赤なキノコが道のわきから生えていて、ここが都会から遠く離れた別世界であることを感じます。

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丹波の町から見上げると天平尾根の上部は白く低い雲に覆われていました。
雲の中に入っていくと雨粒が落ち始め、沈んだ心にはむしろ心地よい、まさに「涙雨」でした。
そもそも雨の山は、自然の度合いが深まる感じがして、風や寒さが伴わない限り気持ち良いものです。
土や樹木が香り立って、山の「気」が肌にまとわりつき、身体に染み込んでいくような感じさえするのです。

たとえ道に迷って夜になったとしても、さらに雨が降ったとしても命が奪われることなどないはずの夏の中級山岳で、山を脱出することに焦って谷に突っ込んでいったという暴挙は、やはり信じることができません。

そんなふうに何かにつけて事故のことが思い起こされ、それで頭を満たしながら淡々と小走りで峠道を登っていくと、道ぎわの落ち葉の上で、ゴソッと音をたてて動く影がありました。
見事な保護色で、すぐに何かは分かりまんでしたが、それは巨大なガマガエルでした(左)。
そう、当たり前のことですが、山という場所は無数の生きものに満たされていて、人もまた自然に逆らうようなことさえしなければ、生きものたちの生命力を感じながら「山の精気」に浴することができるのです。

峠道の両側は初め、針葉樹の植林地が多かったものの、次第に自然林に覆われるようになり、峠が近づくと「ブナ帯」の広葉樹の深い森になります。
木々の幹や頭上を覆って茂る葉は白い「ガス」にけむって幻想的なシルエットを描き、大きな葉のトチノキは、幾つもの手をかざしたように見えていました(中央)。

本日の行程は登山のコースタイムで4時間、実際の所要時間は3時間ほどのミニ山行でしたが、人があまり多く入らない地域であり、ほんの1週間前に4人が迷っているとあって、私はいつも持ち歩く超軽量・撥水性のコンパクトなウインドブレーカーに加えて山用の防寒具を兼ねた雨具を担ぐなど、万全を期して臨みました。
名古屋から持ってくるのを忘れた磁石も、レンタカーを借りたJR中央本線の大月駅前で、文房具屋に寄って調達して行きました。

雨具のズボンをはいてプラスチック製のポンチョをかぶるなどした時間もあり、サオラ峠に着いたのはコースタイム1時間40分のところを1時間20分ほど経過してからでした(右)。
「サオラ峠から降りるべきだった」などと一行のメンバーが振り返る通りで、ここはMさんをはじめとする一行の運命を分けた最も大きな分岐点となりました。

4つの方向を指す道標の大きさは、いずれも同じですが、交差する道の整備のされ方は相当に違いますし、何よりも絶対に安全な国道に出るまでの時間が峠道ならコースタイムで1時間、尾根伝いなら2時間20分と大きく異なります。
そして、ここで「エスケープルート」の峠道を降りるべきだったと言える理由は、既に幾つもあったのです。

※※※

ここからはメンバーに聞いた話の骨の部分で、詳細については追って書き加えたいと思いますが、とりあえず数点を挙げることにします。

まず一行の4人のうちMさんを含む男女2人は、2日前に富士登山競走の5合目コースに出場していること。
Mさんの出場については前の記事で触れましたが、Mさんだけではなかったのです。
このレースは来年の頂上コースの出場権を得るためのもので、ギリギリの走力だったMさんも、さらに走力のある男性も同じように自分の限界に近い頑張りをしたはずなのです。
標高差1500メートルを2時間半の目標で駆け上がるレースは、ハーフマラソンよりもずっとハードで、ロードなら30キロレースほどの負荷が身体にかかっていたはずです。

そして驚くことに、男性の方は飛龍山を越えたあたりで捻挫をして、ほとんど走れなくなっていたのです。
捻挫をした場所は、ちょうど本格的な下りに差しかかって道が悪くなったところ。
一行の中で最も走力があったとされる男性の捻挫は、やはり富士登山競走の疲れが背景にあったはずだと思えます。

ケガや病気の多くは、無理をしている身体に対する警告のようなもので、それを素直に受け止めて、一層の養生に心がけることこそが大切です。だからこそ「一病息災」といった言葉もあるのでしょう。
しかし今回は、せっかくの警告を無視する格好で無理を重ねた結果、さらに重大な悲劇を呼び込みました。
過酷なレースの直後に、これまで以上にきついコースで練習をした結果、2人のうち1人が命を落とし、1人がケガをしたということです。
1人がケガをしていれば、全員に危険が及ぶ可能性があるわけで、ケガを押してさらに進んだという判断は、どんな説明を受けても私には理解ができません。

次に、そのケガのため、その後のペースは登山のコースタイムと同じぐらいに落ちた結果、一行がサオラ峠に到着したのは午後5時前だったということ。
コースタイム通りに進めば、それでも、なんとか真っ暗になる前に下れる可能性があったかもしれませんが、それはあまりにも無茶な「冒険」と言わざるを得ません。

私も暗くなるまで歩いたり走ったりしていることはありますが、それは絶対的に安全な場合に限ります。
以前に来たことのある場所か、道が完璧に整備されていたり林道だったりして、ヘッドライトを頼りに進んでも危険でない場合か、万が一に迷ってもリカバーできるような地形の条件か-など。
そうしたことを考え、細心の注意を払った上でなければ夕暮れ以降の山での行動は命にかかわるからです。
ところが今回は、男性の捻挫ひとつをとっても、悪化しないとは限りません。

そして、それに関する問題であり、極めて重大だった誤りは、このコースが一行の全員にとって初めての場所だったにもかかわらず、誰1人として「命綱」とも言える地形図を持っていなかったことです。

前にも話したように、登山地図というものはコースタイムや施設などの情報が細かく記されていて、便利なのですが、縮尺が粗い場合がほとんどで地形を見るには不適当です。
ですから、山に行くときは登山地図がある場合は登山地図と地形図を併用することが望ましく、さらに今ではネットで山行記録を調べれば、さらに詳細な情報を事前に得ることすらできるのです。

それでも、道が完全に整備され道標も完備されているハイキングコースや、アルプスの主要ルートなどでは、登山地図だけでも行けてしまうものです。

しかし、道が分かりにくく「ルートファインディング」の能力が必要となるような場所では地形図なしに行動することは、まずあり得ません。
特に道に迷った場合に地形図がなければ、リカバーや危険の回避は、ほとんど不可能と言えるでしょう。

それなのに一行が持っていたのは登山地図のカラーコピーだけ。
元々、詳細な地形が分かりにくい登山地図だというのに、コピーしたために等高線は薄れるなどして、さらに見づらくなり、ほとんど「概念図」程度の、役に立たないものだったのです。

既に話した通り、そのコピーの登山地図にも「迷(いやすい地点)」の印が、これから進む先の道に付けられていて、こうしたもろもろのことを合わせて考えると、サオラ峠の分かれ道が運命の分かれ道になり得ることは常識的には予想されてしかるべきだったと思います。

何度も言うように、疲れによって冷静な判断力が鈍ってしまっていたのか、ケガをしている仲間がいてもなお夕暮れに向けて難度の高いルートに踏み込んでいくほど自分たちの体力を過信していたのか-。
「魔が差したとしか言えない」とメンバーは語ってくれますが、やはり理解に苦しむことに変わりありません。

そうして一行は、さらに幾つものミスを積み重ねて、暗くなった谷底で起きた悲劇へと導かれていきました。

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