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天平を慰霊登山2

駆けっこ仲間で美人のウルトラ・トレイルランナーだったMさんが、雲取山の登山口近くで滑落事故に遭って以来、何人かの関係者に会ったり現場に出かけたりしながら断続的に報告を書き続けていて、本日は昨日、現地を2度目に訪れて行った慰霊登山についての記事の2回目を書きます。

美しくて知性にあふれ、活動的で生き生きとしていたMさんが、いかに大勢の人にとって大事な人だったかということは、私のブログを訪問してくださる方が、このところ倍増し、数え切れないほどの「拍手」や「コメント」をいただいていることからも良く分かります。

そうしてコメントなどをくださる方のほとんどは、私と同じく、Mさんが亡くなったことが残念でたまらなく、しかも事故の経緯がなかなか納得できないからこそ、私の報告を読んでくださっているようです。
また、Mさんを直接知らなかったらしい方からは、記事の内容が、「(当日のトレランに)一緒に行かれた方の批判をしているだけのように感じた」という意見もいただきました。

Mさんが戻ってこられない以上は、誰かを批判しても何も得ることはないと分かっているつもりの私ですが、自分の中で整理のできない気持ちを、何かにぶつけたい気持ちがあることも確かです。
ですから誰かを責めるのではなく、事故から何らかの教訓を引き出すことこそが大事なのだと分かっていて、客観的な立場を保とうとしていても、感情を隠しきれないのかもしれません。

ただ、尊い人の命が山の中で失われていながら、そこには「自然の猛威」のような不可抗力がほとんど見当たらない今回の事故については、Mさんご本人を含めて同行したメンバー全員に多かれ少なかれ、何らかの原因があったと言わざるを得ません。
だからこそ「遭難ですか。残念でした。仕方ありませんね」で終わらせることは、してはならないと思います。
それでは、まだまだ輝かしい人生が待っていたはずなのに突然、命を落としたMさんの死が無駄になります。

そして、一緒にトレランに出かけて一緒に事故に遭遇したメンバーがつらいのと同じように、一緒には行かなかった駆けっこ仲間や、そのほか大勢の友人たちも、つらくて割り切れない気持ちを抱えているのです。
それより何より、一番、無念で悔しいのはMさん本人であり、身内の方々であることも間違いありません。

ですから、身内や多くの友人の方々が、いまだに、その日に何が起こったのかについて納得をされていない以上、明らかにできる限りの事実を明らかにしたうえで、こうした悲劇を2度と起こさないようにするためには何ができるかを考え、議論することこそが大事だと思っています。

前置きが長くなりましたが、慰霊登山の報告を少しずつ書き進めたいと思います。

※※※

さて、雲取山、飛龍山を経て長い山旅をしてきたMさんの一行が、近道をして下山する「エスケープルート」をやり過ごしたサオラ峠から、私も一行が突き進んだのと同じ尾根づたいのルートをたどりました。
標高1400メートル余りのサオラ峠から西南西に数キロにわたって伸びる尾根は「天平(でんでいろ)尾根」と呼ばれ、その途中にある三角点「丹波天平」の標高は峠よりも低い1342メートル。
尾根は進行方向に向かって長らく、緩やかに下っていくのです。

この尾根は、雲取山の界隈をかなり歩き尽くしてきた私が、以前から訪れたいと思っていながら、その機会を逸してきた場所でもあります。

私がひかれていた理由は、細長いテーブルのように起伏が少なく広い尾根が続くという奥多摩の山では他に例を見ない地形と、「天上の別天地」を思わせる、その魅力的な地名でした。
昔から地形図を眺めて景色を思い浮かべるのが好きだった私は、2万5000分の1の「丹波山」の地図を、何度となく眺めて、長い時間、まだ見ぬ別天地の景色を夢想したものです。
そんな取っておきの場所に、こんな形で訪れることになろうとは、運命の皮肉を感じざるを得ません。

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まるで牧場のような平らな山頂部が広がる丹波天平の付近は、天気の良い日にゴロリと寝転がったら気持ち良いだろうと夢想していた場所ですが、私が足を踏み入れた昼下がりには、「涙雨」にけむっていました。
Mさんの一行がトレランをした日も、雨こそ降らないものの、コースの尾根はずっとガスに覆われて、視界はあまり良くなかったようです。

尾根の上には広場のような草原もありましたが、多くの部分は、広葉樹が優勢な自然林が広がっています。
しかし、樹林の林床にヤブはあまり発達しておらず、広い範囲を見通せるところが少なくありません(左)。

Mさんの救助に向かった地元の関係者が話していた通り、道は踏み跡が薄く、落ち葉や枯れ枝に覆われていて、明瞭とはいえません(中央)。
広く平らな尾根の上で道をたどっていくには、それなりに神経を使い、これ以上けむったり暗くなったりしては道に迷ってもおかしくないほどです。

もちろん、迷いやすい山道に良くあるように、ここにも木の幹や枝にくくりつけた道標代わりの赤いテープが所々に見えて、これによって、自分が迷っていないかを確かめながら進むことができます(右)。

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長いテーブル状の尾根が、いよいよ終わりに近づき急に傾斜を増すころ、道は尾根筋を外れて左にカーブし、植林地も交じる斜面を下りていきます。
登山地図では、このあたりに「迷(いやすい場所)」のマークがついていますが、実際には、斜面が急になってきた分、左右にそれることが難しくなるため、道の踏まれ方がしっかりしてきます(左)。

そして、いきなり目の前に現れるのが立派な岩垣や屋根が落ちて朽ち果てた廃屋の跡(中央、右)。
かつて炭焼きなどの人が住んでいたという「後山」の集落跡です。
道はこの先、傾斜とは垂直方向に、等高線とは並行に進みますが、ずいぶん以前とはいえ、人が住んでいた場所にたどり着いたとあって、踏まれ方もより、はっきりしてくる感じです。
ただ、右の写真を見ると分かるように、周辺の斜面は急勾配で、左の谷に向かって落ち込んでいきます。

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後山から10分ほど、等高線とは並行についた「巻き道」をたどると、次の集落跡である「高畑」に着きます。
ここでは、つい数10年前には人が住んでいたとみられる2階建て家屋を含む立派な廃屋が数軒、道沿いに並び、人里が近いということを思わせます(左、中央)。

Mさんの一行は実は、ここまでたどり着いていることが、目にしたものの内容などから確実なのです。
「下まで下りて来たという感じがして、ほっとした」などと一行のメンバーは話してくれますが、ここから続く道の入口が、どうしても見つからないまま、谷に向かって下りて行ったのだということです。

しかし、道に沿って次々に現れる廃屋の最後の1軒を過ぎるあたりに、下山先である「親川バス停」と書いた立派な道標があるではありませんか(右)。

私が背筋に寒いものを感じたのは、まさにこの道標を見た瞬間でした。
廃屋ごとの敷地の土台部分にある石垣の下に沿って明瞭に続く道の先に、この道標が立っていて、それは探して見つからないようなものでないばかりか、探さなくても目に入ってくるはずなのです。
中央の写真の左下、石垣の先に見える白い看板の左手前にも、道標が見えていて、ご覧の通りなのです。

私は当初、この集落跡から続く下山道の入口の分かりにくさを確かめたうえで、一行が間違えて下りて行ったルートの入口も見ることができればと思っていましたが、間違えようのない場所を探すことは不可能に思えて先を急ぎました。
ここに来る道すがら私は「本当に迷いやすいのなら、自分で道標をつくり、慰霊碑などとともに担いでこよう。そうすれば、少しは気がやすまるかもしれない」などと考えていたのですが、既に立派な道標があるのでは、そんな必要は、どう考えてもありません。なんという見事な肩すかしでしょうか。

ここからの道は、いっそう明瞭になってハイキングコースのような歩きやすさ。
下りきって国道のバス停に着くまで、わずか10分ほどしかかかりませんでした。

つまり、Mさんたちは、どう考えたところで間違いようのない場所から、わざわざ谷に向かって道なき道を突き進んで、夜のとばりが下りてしまったころ、最後のガケに行き着いたということになります。それも、ほんのあと10分で無事にゴールできたというのにです。これでは、本当に悔やむに悔やみきれないというものです。

私は、あまりに驚いて、前回の現地入りで会えなかった救助関係者を訪ねた際、このことを話しました。
「そうなんですよ。なぜあそこから谷に下りて行ったのか、分からないんですよ」
そう言って首をかしげる関係者はまた「あそこまではバイクでも登って行けるんですけどねえ」と付け加えて、絶句されていました。

※※※

メンバーの証言によりますと、立派な看板まで立っていた下山道の入口が目に入らずに、それに背を向けて谷に向かってしまった原因は、集落跡のある場所についての間違った「思い込み」にあったようです。
先に話した通り集落跡は天平尾根の尾根筋から左に外れた巻き道の途中にあるのですが、それがなぜか「尾根の上にあると思った」というのです。

確かに、集落跡は急な斜面の途中から少し出っ張った小さな尾根状の場所にあるのですが、その先は急に切れ落ちるようなガケになっていて、そこがまさに一行の突っ込んでいった場所なのです。
メンバーは最初、植林地の樹木の幹に真新しいピンクのテープがついていて、それが道標代わりのものだと勘違いをして、それに誘われるように急斜面を下りて言ったと証言してくれています。
そして、ガケまで来たときに足下に沢が見えたことから「下りて沢を下れば国道に出られる」と思ったのです。

では、そもそもなぜ、そんな誤った思い込みがなされてしまったのか。
それはまさに、迷った後の「命綱」にもなったはずの地形図を持っていなかったからだと言えます。
地形図には2つの集落跡も、はっきり描かれていて、地形図と登山地図の両方を持っていさえすれば、道に迷うはずもなく、そのまま谷に突っ込むこともしなくてすんだはずだと思えます。

地形図を見れば、このあたりの等高線は地図に描けるギリギリの狭い間隔でびっしりと並んでいて、明らかに滑落の危険があるガケが標高差150メートルもの高さで待ち構えていることが一目で分かります。
それに、道が等高線に並行に通っている「巻き道」であることも一目瞭然ですから、迷ったときに高いところを目指して戻って行けば、必ず道にぶつかるということも容易に想像がつくからです。

しかし、何を言っても始まりません。Mさんが戻ってこない以上、空しさがつのるばかりです。
それぞれの場面で、メンバーの間で、どんなやり取りがあったのかなど、知りたいことはまだまだありますが、ガケを下り始めて事故に至るまでの経緯や状況はデリケートな部分を含みますので、どの程度まで明らかにすべきか迷いもあります。

とりあえず慰霊登山と、それを軸にした道に迷うまでの経緯についての報告は、本日はこのあたりでいったん区切りをつけようかと思います。

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