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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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夕闇のなかで

先月24日に起きた駆けっこ仲間のMさんの遭難事故については昨日まで計4回にわたり報告しました。
うち一昨日、昨日分の記事では、雲取山・飛龍山を巡ってトレランをしてきたMさんの一行4人が、事故現場近くまでの行程の後半に通った「天平尾根」をたどって私が行った「慰霊登山」の様子を交え、一行の行程を追体験する格好でレポートをしました。

しかし、昨日の記事で書いた通り、一行が道に迷ったという集落跡からコースを踏み外すことは「あり得ない」という思いを私は抱き、その場所から一行が谷に突っ込んで行った過程は追体験できないままでした。
とはいうものの、一行のメンバーから話を聞かせてもらっているからには、その後の様子だけを書かないわけにはいきません。

ただMさんが亡くなってしまうという悲しい結末に至る過程については、この場で書きづらい内容もあります。
もちろん私自身が最後に起きた滑落事故の現場そのものを見ていないことから、関係者らに聞いた話だけをつなぎ合わせる作業をすることになり、記述に正確さを欠くおそれもあります。
ですから、この後の内容については、そうした事情を了承していただいたうえで、お読みください。

既にお分かりの通り、このサイトはランニングや山、写真などをめぐる私の個人的なサイトであるものの、このところMさんの悲運の死を悼む仲間や友人の方々に集っていただき、皆さんそれぞれが抱かれているMさんの思い出や悲しみの気持ち、そして遭難事故に対する疑問や感想などを語っていただく場にもなっています。

新聞のベタ記事や断片的な情報だけでは分かり得ない遭難の経緯について、Mさんの身近な方々をはじめなるだけ多くの方に知ってほしいと願って微力を注いでいる私としては、それはありがたいことです。
ですから、本当は現場を直に見ることなど、やり残していることを終えてから報告をまとめたいという気持ちもあるものの、こうして不十分な内容であっても、知り得たことは順次、話していくことにします。

※※※

長い前置きの後に、いましばらく多少の脱線をします。
Mさんの一行が道に迷って谷に突っ込んでいった、いわば運命を分けた2つ目の分岐点と言える集落跡なのですが、昨日の記事で書いた通り、ここを訪れた私も地元の人たちも、ここで道に迷うなどあり得ないと思っています。
ただ、自分の過去の山行を振り返ってみると、あり得ないような道の迷い方をしたことも、確かにあります。
しかも、印象的なケースの幾つかは、今回と同じように夕暮れのころに起きたのです。

まずは、遠く私が中学生だったころ。
中学時代から雲取山並みの中級山岳に、時には山小屋に泊まって友人同士で出かけていた「ませた子ども」だった私は、確か中3の夏休みに京都・滋賀・福井の府県境、日本海に注ぐ由良川の源流地帯にある広大な原生林「芦生の森」に友人2人と出かけました。ふもとの宿泊施設を利用して1泊2日の旅行でした。

「京都北山」の奥座敷に位置するこの森は、標高こそ900メートル程度と低いものの、クマも数多く生息する近畿地方有数の深い原生林で、京都大学の演習林として長らく守られてきています。
西日本の低山でありながら豪雪地帯でもある森には、北方系・南方系の動植物が入り交じって複雑な生態系が保たれ、ブナやミズナラの森の中に「北山杉」の祖先であり、雪で曲がって地面に着いた枝から新しい木が育つという「芦生杉」の大木も見られます。

深い森だけに、その核心部を蛇行して貫く由良川に沿った道は健脚の大人でも、たっぷり1日かかりますが、私たち3人は源流の最後の谷に沿って京都・福井の府県境にある峠まで登り、さらに分水嶺を越えて福井・小浜市側の渓谷に下りるというハードな計画を立てました。

人の臭いがする京都北山とは、まるで別世界の美しい原生林と渓谷の美しさをたんのうした私たちが峠までたどり着いたのは案の状、夕方のことでした。
それでも、計画通りに谷沿いの道を下れば、なんとか2日目のうちに帰れそうな時間だったと思います。
しかし、どんどん下って行った先の渓谷の景色は、ブナが生い茂る原生林のもので、植林地も広がっているはずの福井側の景色とは思えません。そこはまた、由良川の支流が流れる原生林の一角だったのです。

私たちは目を疑いながらも、自分たちに一体何が起こったのか、しばらく理解ができませんでした。
小学生のころから地形図に親しんで、そのころ既にいっぱしの山ヤのつもりでいた私ですが「なぜか」地形も方角も見誤っていたのでした。

その後、ようやく福井側の谷を見つけたものの、今度は道が不明瞭で、私を含む中学生3人は、ずぶ濡れのドロドロになりながら谷の中を下り、夕暮れ時にたどり着いた林道で、山仕事の車に乗せてもらって、国鉄の小浜駅に向かいました。列車を乗り継いで大阪駅まで来ると、乗り継ぎの電車は既に終わっていました。

※※※

そしてまた思い出すのは、3年前の9月、独りで韓国の名山・智異山(ちりさん)に独りで登ったときのこと。
主峰で、山脈の東端にある天王峰(チョナンボン)近くの山荘で1夜を明かした私は翌日、天王峰の日の出を見た後、西の端にある山・老姑壇(ノゴダン)まで、1泊2日コースを1日で小走りしました。

しかし途中で知り合った韓国の登山者と一緒に歩くなどした結果、老姑壇の手前、一般道路まで2、3時間もかかる山で夕暮れを迎えました。
それでも道はしっかりしていて、真っ暗になっても真っ直ぐ行けば道路まで出られることは分かっていました。

ところが、その山から木の階段を何百段と下りたとき、さっき見たのと同じ看板が目に入り、焦りました。
私はなんと、山頂の広場で一休みした後、元来た道を下っていたのです。
まさに「キツネにつままれた」ようで何が起きたのか分からず、さすがに焦って胸がドキドキしました。

地図によると、山頂は三叉路になっていて、私が通らない道は「登山統制」といって一定期間、立ち入り禁止になっていました。
私は、ロープにボードが下がって侵入禁止になっているルートに気をとられ、「ここはダメだ」とばかり思って、休憩後に元来た道を下り始めてしまったのです。
間違いに気づいた後、クタクタになって山頂広場に戻ってきたところ、行くべき道は、入口だけ草に覆われて見えにくくなっていたのでした。

その後は、ヘッドランプの明かりをたよりに、身体中の神経を敏感にさせて異国の夜の山道を歩きました。

そう、山の夕方には「信じられないような」誤りを起こすことがあるものなのです。
そして今、私自身の失敗談と、今回の遭難を合わせて容易に分かることは、いずれのケースも丸1日に及ぶハードな行程を経たうえで迎えた夕方だったということです。

道に迷うことはなくても、長い山の行程の終わりごろやレースの終盤、疲れたうえに少しだけホッとして気が緩み、転倒や捻挫をすることがあるものです。
私の失敗談でも、峠や山頂は分岐点ですから、慎重に行く先を見極めるべきだったところを、「峠に着いた」「山頂に着いた」という気の緩みが疲れを呼びさましてか、冷静な判断をし誤ったような気がします。

また夕方という時間帯は「まだまだ」明るいと思っていても、実は視野はぐっと暗く、狭くなっているものです。
オート露出で撮るカメラのシャッタースピードが、夕暮れの森の中ではガタっと遅くなることを考えると、人の目や脳もまた少ない光を受けるのに苦労し、明るさを「増感」して景色を眺めることにより、負担が大きくなることは想像できます。

そう考えると、Mさんたち一行が夕暮れ時に集落跡に着き、「やっと人里近くに下りて来た」などと思ってホッとしたことが、誰もが「信じられない」と言う標識や下山道の見落としにつながったのではないかと言えるような気もするのですが…。

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さて、ようやく先月24日にMさんたちが遭難した天平(でんでいろ)尾根からの下山道に戻ります。
最後の「エスケープルート」をやり過ごしたサオラ峠から、細長いテーブルのような緩やかな尾根上の山・丹波(たば)天平を経て、一行が標高約800メートル、国道の親川バス停までわずか約1キロの集落跡・高畑に来たのは午後6時ごろとみられます。

手前にあるもう1つの集落跡・後山から高畑に至る道は、天平尾根が北東側にある後山川の谷に落ち込む斜面の中ほどを、等高線とほぼ並行に「巻いて(トラバースして)」ついていて、後山の廃屋が見えるころは、左側の急斜面が杉の植林地になっていました(右)。

一行のメンバーが「電柱まであった」と証言している通り、電柱を支えるケーブルのカバーには道標代わりの赤いテープが巻かれていました。手前の後山に残っているのは屋根の落ちた家と石垣だけですから、一行がここまで来たことは間違いありません。

そして昨日も話したように、そのほんの数10メートル先にある家の石垣下に目的地・親川バス停を指し示す立派な道標が立っているのです(左)。

地形図を見ると、高畑の集落跡は天平尾根の北東斜面の途中が少し盛り上がる格好になった尾根状地の上にありますが、地形図を持たないメンバーは天平尾根の上にあるのだと思い込んでいたました。
そして、廃屋を結び、尾根状地を乗り越えて南に向かって急斜面を巻いて行く明瞭な道が「見つけられず」、道に背を向けて谷に向かったようです。

そこは初め植林地で、林業用の目印なのか、木の枝に幾つもつけられた真新しいピンクのリボンが、下山路を示すものだと思い込んで下って行ったということです。
地形図で集落跡と滑落現場を結ぶと、初め標高差80メートル、距離約200メートルほどは比較的緩やかな斜面ですが、その後は標高差約160メートル、距離約130メートルという、実に45度以上のガケが谷底に落ち込んでいます。

「谷が見えたので、ここを下って川沿いに下流に行けば国道に出られる」
ちょうど傾斜が変わるころに足下が見えたのでしょう。そんなふうにメンバーは思ったということです。

45度を超えるようなガケを目の前にすると、普通は尻込みして問答無用で引き返すはずだと思います。
しかし西の空を背に谷に近づいた樹林の中では、既に薄暗くなっていたようで、一行は時間的な余裕がないからなどとして戻るという選択肢を排除し、ガケに突っ込むことを決めたということです。
また丸1日のハードな行程を経て、もはや1歩も登りたくないといった気持ちもあったのではないでしょうか。

とにかく標高差約160メートルの急斜面を半分以上過ぎた後、Mさんは50~70メートルを滑落しました。

目の前にあったはずの道や道標を見落とし、「命綱」となるべき地形図を持たないまま、進路について誤った思い込みをした末に道に迷い、しかも山の定石に逆らって引き返すことをせず、ガケを下りて行った-。
ゴールまで約1キロ、10分のところまで来ながら、一行がこうしたミスがを重ねた結果、悲劇は起きました。

※※※

一行はガケを下り始めた当初、それぞれがあまり離れずにいたそうですが、3番目にいたMさんが滑落した瞬間、先の2人は既に谷底に下りていて、うち1人はMさんが石と一緒に落ちてくるのを近くで見ています。
つまりMさんは、数10メートル以上も引き離されていたということです。

山では普通、危険な場所を通過する際、パーティーのメンバーは離れずに行動するものです。
ガケを下りるとすれば、どの場所に足を置き、どの岩や木につかまるかなどについて、後ろの人は、前の人を手本にできるうえ、後ろの人が滑っても前の人が支えるなどできるからです。
また、急なガケで間隔を開けると、後ろの人が落とした石が前の人に当たる危険もあるからです。
しかし、前に居た2人は待っていても「休むところがないから」などととして、Mさんら2人を後に残しました。

しかも、当時は既に夜のとばりが下りて、ライトなしでは木も岩も見えづらくなっていたそうです。
Mさん以外の3人はヘッドライトをつけましたが、Mさんだけはライトを取り出すよう勧められたものの、余裕がないからと言ってライトを着けることができなかったということです。
バックパックを抱えてライトを探すこともできないような急斜面だったというなのでしょう。
そして、後ろのメンバーのライトを頼りに進んでいたというMさんは、とうとう滑落してしまいました。

先に下りた2人は斜面を左斜めに進み、そうすれば、なんとか谷底までたどり着くことができて、残った1人もMさんが落ちた後、そうするように指示されて無事に下りて来ました。
しかし先の2人は、下り立った場所の川岸が狭く休めなかったため、Mさんの真下まで移動していました。
その2人のライトが見えたことから、Mさんは斜めではなく真下に向かおうとして滑落したのではないかともみられています。

こんなふうにして、Mさんが突然、人生の幕を下ろされてしまう悲惨な事故は起きました。

谷底に落ちたMさんは、初めのうち言葉にならないような声を出すことができたようですが、地元関係者らが現場にたどり着いたころには、残念ながら手遅れの状態だったと聞いています。
しかし翌日、現地の近くで、だびに付される際には、家族らに、おだやかな表情を見せていたそうです。

※※※

間違うはずのない道を見つけられなかった時点で、既にメンバー全員が疲労などのために正常な注意力や冷静な判断力を鈍らせていたとも思えるだけに、最後の瞬間までに積み重ねられた幾つものミスについて、誰かの責任を問うということは難しいことなのだろうと思います。
それに、そんなことをしてもMさんは戻ってきませんので、意味がありません。

しかし胸が痛いのは、一行の中で最も体力的に弱く、疲れてもいたはずのMさんが結果的には守られることなく命を落としたということです。
私と同年代という年齢や女性であることを考えれば、いくらトレイルレースで年代別の入賞を果たす力があるMさんとはいえ、レース2日後にしてはハードすぎるこの日の行程の中にあって、最も注意深くいたわられるべきだったのではないでしょうか。

特にガケの上り下りには脚力とともに腕力が要求されるわけで、それをこなす際、女性はランナーであっても男性より格段に能力が落ちるのが当然です。ですから、これまた結果論ですが、ガケを下りようとした行為はまさに「自殺行為」だったと言わざるを得ない気がします。

事故を防ぐことができたはずの幾つもの時点で、メンバーの間で交わされた言葉の詳細までは、知ることができませんが、大人4人が一緒に行動しているわけですから、すべての選択は全員でなされたのでしょう。
それでも、負けず嫌いで頑張り屋のMさんが、最後の瞬間まで、しんどさや怖さを感じながらも、それをあまり口に出すことなく我慢していたのではないかと思うと、やりきれない気持ちになります。

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