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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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分岐点

遅めのお盆休みをいただき昨日まで東京方面に滞在していた私は幾つかの所用を済ませたほか、明走会の月例会と東京夢舞いマラソンの実行委員会にも出席しました。
そのうち月例会では既に報告した通り、トレランの練習中に山で滑落事故に遭って亡くなったMさんの冥福を祈るため、集まった駆けっこ仲間が全員で黙祷を捧げました。

また夢舞いの会議では、Mさんが提案していた企画の幾つかを進めることが決まりました。
その中には東日本大震災の被災地に向け、走る仲間から元気を届けようという「パワーメッセージ」ボードの設置や、ランナーの多くが自宅に着ないまま持っているマラソン大会の記念Tシャツを贈る「Tシャツ宅急便」、使い捨ての給水用コップを減らすための「マイPetボトル」の推奨があります。
Mさんはまた、歩道を走る夢舞いならではといえる沿道地域の人たちとの触れ合いを深めるため、積極的にあいさつを交わそうという「ハロープロジェクト」も提案されていました。

建築家であって、活力みなぎる女性ランナーらしいクリエイティブで、優しさのあふれる企画ばかりで、仕事のほかに行うボランティアの活動でさえ、これほど真剣に力を注がれたMさんが、いかにまだまだ多くのものを生み出し、自分の周囲をはじめ多くの人たちを力づけてくれたはずだったかということが分かります。

そんなMさんが夢舞いの企画として強く推してくれていたのが、昨年の大会で私が撮影した写真の展示。
名付けて「夢追い○辰組」(辰は○の中に)。自分が与えてもらった元気を、ほかの人にも伝えたいという私の気持ちを、それほど深く付き合っていたわけでもないのに、一番よく分かってくれていた仲間がMさんだったというわけです。

※※※

Mさんの事故が、どんなふうに起きたかについては既に6回にわたる記事で書き尽くしたつもりでした。
トレランに同行した仲間のうち一部の方とは面会できたものの全員から話を聞かせてもらうことはかなわず、納得ができない部分が残っていることについては、どうしようもないと思っていました。
とはいうものの夢舞いの会議に出て、こんなに色んなことをたくさんしたかったMさんが今や、したくても何もできないということを思うと、事故の記憶が薄れるにまかせていることはできません。

仲間にとってでさえ、事故やMさんのことは記憶の水面下に沈んでいこうとしているのでしょうが、ご家族の悲しみや割り切れなさは、それとは反比例して膨らんでいくばかりでしょうし、Mさんご本人の悔しさは、いつまでも消えることはないのだと思っています。

そんな思いを胸に私は東京方面に滞在していた4日間のうち半日を使い、事故を調べた地元警察署の幹部に話を聞かせてもらったのに加え、昨日は現場となった山梨県丹波山村を3度目に訪れることにしました。

今回の出来事は事故であって事件ではありませんが、納得できない部分が残っている以上、事件を調べる際に定石である「現場100回」という言葉を思い出し、新たな気持ちで現場を訪れることで見えるモノもあるのではないかと思ったからです。
中でも一番大きな謎だった「なぜ道が分からなくなったのか」「なぜ危険な谷に下りていったのか」については現場を再び見ないで想像を膨らませていても何の解決にもなりませんし。

そして結論めいたことを先に言えば、それらの疑問はもちろん消えませんでしたが、少しだけ分かったように思えたのもまた事実です。
そんな今回の現地入りなどについて、本日から2回にわたって報告したいと思います。
(宿題になったままの中央アルプス・空木岳~越百山トレランの報告は、その後に続ける予定です。)
まずは写真9枚を掲載します。記事はこれから続けます。

BL110820高畑1-1R0015708  BL110820高畑1-2R0015822  BL110820高畑1-3R0015807

「こんなことをしていて何になるのだろうか」「こんなことに何の意味があるのだろうか」
これまで以上に大きくなる自分の中のもう1つの声を聞きながら、私はJR中央線の大月駅前で借りたレンタカーを飛ばし、小雨にけむるつづら折れの山道を飛ばしました。
そして、自分を納得させる言葉はこれまでと同じです。
「こんなことだけど、自分がやるしかないから」「自分自身が納得して、少しでも楽になりたいから」

警察署幹部の方は今回の事故について、Mさんを含む4人全員が理性的な判断をできる状態ではなくなっていたからこそ起きたのだということと、全員が被害者なのだということを強調してくれました。
そうした言葉を思い出しながら私はまた「全員が加害者なのだとも言えるのではないか」とも考えます。
どんなふうに、どれほどまでに理性的な判断ができなくなったのかを、知りたく思いもしました。

Mさんら一行が道に迷ったのは長い距離をこなして、ようやく国道に出るほんの1キロほど手前。
何10年か前までは人が住んでいたと思われる廃屋が残る、かつて「高畑」と呼ばれた集落の跡地です。
私が前回、現地入りをした際は、一行が踏んだルートの後半部分を同じ方向にたどりましたが、今回は国道から逆に集落跡を目指しました。
約20分後、早歩きして汗ばんできたころに国道のバス停を指し示す道標が現れ、集落跡に到着しました(左)。

一行がなぜ道に迷ったのかが全く分からず、背筋に寒いものを感じた前回は、時間の余裕がなかったこともあって集落跡の様子を詳しく見ることをせず、一行がどこから下りて行ったのかを調べてみようという気持ちすら起きないまま、私はそそくさと下山してしまいました。

そして今回まず気づいたのは、今も残る廃屋が3軒ほどあった思っていたのが、実は2軒だったということ。
最初の1軒の外側を山道がぐるっと巡っていたことから、その廃屋が2軒分だと勘違いしていたようです。
その廃屋の前には、前回も見た通り、お墓やお地蔵さまが並んでいました(中央)。
お地蔵さまは4人が道に迷うところを見ていたはずですが、そのとき声を出してくれたら良かったのになどと思ってしまいます。

「あそこまでならバイクでも行ける道がついている」
地元の救助関係者は、そんなふうに言って首をかしげていたものですが、その言葉通り、集落跡の一角には化石のように錆びて朽ちかけたバイクの残骸がうち捨てられていました(右)。

このバイクの残骸があったのは、1軒目の廃屋を過ぎて、標識のそばにある2軒目の廃屋に至る途中で道のわきにあったとみられる3軒目の家の跡地で、そこは石垣の陰になっていました。
一行が道なき道を下りて行ったのは、まさにこのバイクのある場所の先(写真では手前)とみられます。

BL110820高畑1-4R0015728  BL110820高畑1-5R0015712  BL110820高畑1-6R0015714

廃屋が残る高畑の集落跡は、急な斜面の途中に盛り上がった小さな尾根状の台地のような場所にあって、その先は再び急斜面に囲まれ、いわば断崖の途中にある要塞のような地形になっています。
下山してくる場合、山道はその前後で等高線とほぼ並行に斜面を横切る(巻く=トラバースする)「巻き道」になっていて、集落跡の台地の途中を通り、右にカーブを切りながら再び巻いていきます。
つまり一行は右にカーブを切らないまま台地の端まで行き、断崖のような急斜面を下っていったのです。

その理由は既に書いたように、山道が尾根上についていると「思い込み」、尾根状の台地の先に道が続いているはずだと勘違いしたこと、そしてそもそもが地形の読める地形図もコンパスも持っていなかったことから、その思い込みが生じることを防ぐことも正すこともできなかったことにあります。

とはいうものの、それでもなお踏み外すことがありえないと思えた道から外れたのは、どこなのか-。
それを検証するためのカギは「廃屋の広場から下りる道が見つからなかった」というメンバーの言葉でした。
そして、その「広場」とは、まさに台地の先端部分にあった3軒目の家の跡地以外にはありませんでした。

動画ではなく写真で、道から「広場」に入った場所を説明するのは難しいのですが、3枚を並べてみました。
まず、山道のわきから道を挟んで撮影した広場の様子は左の写真です。
手前に見えるブリキの箱のようなものは水道関係の設備のようで、内部で水が流れる高い音が「水琴窟」のように周囲に響いていました。
山道は画面の左上から下りてきて、2度ジグザグに折り返して、右下に続いています。一行は、この2つ目の折り返しをしないまま、その先に見える広場に入って行ったというわけです。

同じ場所を広場側から見たのが中央の写真。
今度は右上の石垣の上から下りてくる道が、やはり2度折り返して左の石垣と石垣の間に続いています。
2軒目の家や道標が現れるのは、ここからほんの数10メートル先です。

この2つ目の折り返し部分こそが一行の運命を分けた大きな「分岐点」となったわけで、その部分を近寄ってアップにして撮ったのが右の写真。
道は折り返した後、草に覆われてはいますが、踏み跡は明瞭にカーブして続いています。

明るい緑の草が芝生のように見える広場に気を取られて、そちらに進んで行ったことについては分かるような気もしますが、ここまで戻れば、いや、こちらを振り返りさえすれば、その先に続く道が見つけられないはずはないとしか思えません。

道が「下りる」という思い込みが、あまりにも強かったために、緩やかに下って行く道が視野に入らなかったということなのでしょうが、依然として理性的に考えてみても納得はいかないままです。

BL110820高畑1-7R0015751  BL110820高畑1-8R0015760  BL110820高畑1-9R0015762

ともあれMさんの一行は、ほんの20~30メートルほど戻って、実際にたどってきた道を確かめることもなく、この家屋跡とみられる広場の端から急斜面に足を踏み入れたようです。
その場所は見つけるのが難しいということはなく、樹林の海に突き出した岬のような格好をした広場の先端部分を越えると、ほどなく分かりました。
「ピンクのテープが幾つか見えて、それが道を示すものと思った」というメンバーの証言があったからです。

そのテープは樹林の中に突っ込むと、すぐに1つ目が見えて、さらに10メートルほどの間隔で2つ目、3つ目までがありました(左、中央、右)。
1つ目と2つ目のテープを撮った左と中央の写真では、それぞれ2つ目と3つ目のテープが右奥に、ごく小さく見えています。

樹林は、ご覧のように杉の植林地ですが、このテープが作業用の目印なのかどうかは分かりません。
ただ、枯れ葉や枯れ枝に覆われたこの場所が道などではないことは、すぐに分かりそうなものです。
3つ目のテープがある場所は、既に45度に近い急斜面で、すぐそばに行くことすらためらわれたほどです。
おそるおそる近づいてみると、足下で崩れた石がガラガラと音をたてて転がっていくほどで、普通なら、ここの手前で間違いなく「ここは道ではない」と判断して引き返すはずのところです。

ただ今回、私は「川が見えたので、下りようと思った」という証言通り、谷底の川面が見える場所までは行ってみたいと思っていましたので、この険悪な斜面を下りれるところまで、もう少し進んでみようとしました。

結果的には、川面まで100メートル足らずの場所までたどり着きましたが、そこはMさんが滑落した場所より上流の地点だったと思われます。
登り返せるかどうか、確実に安全に下りれるかどうかを慎重に確かめながら下った結果、一行が突っ込んで行ったより斜度のきつい斜面を避け、左にそれるようにして下りていったためですが、今から考えると、そんなことをしても何の意味もなかったわけで、自分のやったことも少し常軌を逸していたかもしれません。

さらに川に近づいた際、下りきって川を渡り、反対側にある林道まで登った方が楽かもしれないし、滑落現場にもたどりつけるかもしれない-などという考えが脳裏に浮かんできました。
結局のところは、最後の斜面を100%安全に下りきる自信がなかったことから、はるかに見上げる急斜面を再び登り返したわけですが、まさに理性を失う瞬間を体験しかけたとも言えます。
その詳細については、次回の記事で書くことにしたいと思います。

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