“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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応援した!撮った!大阪1

昨日は第1回の「大阪マラソン」が開かれましたが、私は抽選で落ちたため、沿道での応援を楽しみました。

私が加わった「応援部隊」は、かぶり物などで仮装をしたことなどから、沿道で最も目立つ存在となり、応援をしたい仲間たちが皆こちらを先に見つけてくれたほか、一般の応援の人たちから逆に応援してもらったため、走る仲間らも応援の様子も数多く写真に収めることができ、その数は「走った!撮った!」をする際と互角の500枚以上に達しました。

というわけで本日、掲載する写真は「さわり」だけなのですが、それでも12枚におよびます。
今回もまずは写真のみをアップして、追って説明などを加えることにします。

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さて、ここから追加分です。
第1回目の大阪マラソンは、その開催を盛り上げようと写真展の開催を決めたにもかかわらず、私の心意気が届かなかったようで、抽選に漏れて走ることはできませんでした。
しかし、写真展の準備中や開催中にたまった疲れもあって、当初は応援する元気がなかったものの、写真展を自分のイベントのように応援してくれたジダンさんが仮装して走るなど多くの駆けっこ仲間が参加することから、再び大阪に出てくるべきではないかという心の迷いはありました。

その気持ちを後押ししてくれたのは、写真展で受付の手伝いをしてくれたうえ、3晩にわたって一緒に美酒を飲んでくれた美人ランナーのゆきてぃさん。
仲間の「ナイトラン」チームで仮装の応援部隊を組むため「ぜひぜひ来てください!」と彼女にせがまれては、「喜んで!」と返事する以外にはありません。

前日までに聞かされていたのは「エルモになるから」「真っ赤なシャツだけ用意してきてね」ということ。
手持ちの赤シャツは色の鮮やかさがイマイチだったことから、前日の仕事の後、自宅近くの大型スーパーに最近入ったユニクロで、いかにもエルモ色の長袖Tシャツを新調して出掛けたところ、渡されたのは、フワフワの毛足が長いエルモのかぶり物。
そう、この「エルモ応援部隊」は赤いウエアできめて、「セサミストリート」のキャラクターであるエルモに扮したランナー軍団でした(左、右)。

この立派なかぶり物は、実は大阪市内の大型テーマパークに勤務されるゆきてぃさんがゲットしてくれた由緒正しいもので、「とにかく目立つこと」を目指し、真っ赤なエルモが仮装のネタに選ばれたということでした。

エルモ応援部隊の「紅2点」は(といっても、みな真っ赤なのですが)ゆきてぃさんと、やはり美人ランナーの、ゆずさん。
驚いたことに、このゆずさん、大阪の写真展で展示した去年の東京マラソンの写真の中で、バナナに扮していたランナー3人のうち、会場を訪ねてくれたお2人に続く、3人目のランナーでした(26日の記事参照)。
写真展がもたらしてくれた奇遇は、まだまだあったということです。

ただのエルモではなく、かぶりものの下には、チアガールの衣装を着けているというセクシーな美人コンビを目の当たりにして、気合を入れて応援しようというパワーが一気にわき上がりました。

中央の写真は、イチョウ並木で有名な大阪一の目抜き通り、御堂筋を疾走するエリジャ・サング選手(優勝)や川内優輝選手(4位)などのトップ集団。
この後に、3万人のランナーが延々と続きました。

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私たちはまずスタートから約2キロのコース前にある「大阪城ランナー」御用達の「玉造温泉」に荷物を預け、その前でランナーを待ち受けました。
何千人ものランナーが通り過ぎた後、ゆったりとした足取りで近づいてきたのは「ドラゴンボール」の「亀仙人」に扮したジダンさん(左)。

調整不足や写真展の手伝いで忙殺されたことから、早々に「今回は仮装して、ゆっくり走る」と宣言したうえ、「ジダン」に扮するのでは「仮装にならん」として、やはり輝く頭をいかして亀仙人になったということ。
応援部隊の近くに長居をして、あめ玉を配ってくれました。

私が子どものころに住んでいた住之江区の競艇場近くからゴール前までは、私たちは沿道を小走りしながら応援しました。
その途中、30キロも過ぎた後半でありながら、バドガールの衣装を身に着けて、さっそうと走ってきた長身のランナーは実は男性で、ナイトランのチームから唯一出場を果たした俊彰さん(右)。
先週末には、私に付き合って明け方まで深酒をしたにもかかわらず、こうして目立ちながら3時間15分台の好タイムでゴールまで突っ走られました。

私たちは立ち止まっては声援を送り、また走りながら声援を送りしながら移動して、ゴールのある「大阪南港」地区に来ました(中央)。
ここは今やフェリー乗り場や大規模団地、それに大型商業施設などがあるいわば大阪の臨海副都心ですが、私が子どものころは「南港埋立地」と呼ばれ、新しい地図ができるたびに陸地が増えていきました。
ママチャリで遠方までサイクリングに出かけるのが大好きだった小学校のころの私は、荒野の果てのような埋立地の先端部分で、透き通った小さなエビを採ったり野犬に追いかけられたりしたもので、ここを3万人のランナーが走るなどとは想像もつきませんでした。

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大阪城に近いJR玉造駅近くから、つい先日まで写真展を開いていた会場のある地下鉄本町駅前の御堂筋沿いへ、さらには私が子どものころを過ごした住之江へと、私たちは、ひとしきりランナーを応援をするごとに地下鉄に乗って移動。
もちろん、その間も、真っ赤なウエアを着てエルモのかぶり物をしたままで、注目度満点でした(左)。

御堂筋で応援をしている際に首をかしげてしまったのは、私たちが陣取る歩道からランナーらが走る車道の車線までの間に、立ち入ることができない1車線と分離帯があったこと(中央)。

駆けっこ仲間を探したりランナーに間近で応援を送ろうとしても、こんなに間を隔てられてはままなりません。
あまりに解せなかったため、がらんどうの車線を歩くスタッフに、その理由を聞いたところ、「ここは緊急用車両が通れるように空けてある」との答えでした。

確かに緊急用車両の通り道を確保することは大事なのでしょうが、ランナーと応援の人たちを、こんな具合に隔ててしまうマラソンなんて、国内でも海外でも見たことがありません。
どうも、交通規制など管理のしやすさばかりを考えて、都会で開かれる市民マラソンの本質が分かっていないといいますか、ランナーや応援する人の気持ちが分かっていないような主催者サイドの運営に、少々ずさんなところがあるのを感じました。

しかも、よりランナーに近いところにいるスタッフたちは、ただ応援する人に背中を向けて立っているだけで、たまに歩道の切れ目に張ったテープがはずれるのを直しにくるもののランナーを応援する様子がありません。
これには、さすがにこちらも熱くなって何度も叫んでしまいました。
「そんなふうに、突っ立てないで、一緒に応援しましょうよ!」と。

南港地区に入り、ゴールが近づくと、また再びランナーの通る車線に近づけなくなり、しかも反対側へと横断もできなくなって、その先に進むのをしばらくあきらめ、強引に道路の中央まで入って応援しましたが、その先に進むのをさえぎるガードマンの人たちは、やはりブスっとされたままでした。
しかも、その先はゴールエリアに近づくことがままならないばかりか、ようやく反対側の歩道に渡れる歩道橋の上では大勢のランナーを見渡せたものの(右)立ち止まらないように注意され、追い出されてしましました。
つまりは応援する人や、ランナーを迎えに行く人のことは、あまり考えられていないということです。

※※※

大阪、神戸、京都と、関西の「3都」で次々と市民マラソンが誕生するというのは、東京マラソンの実現ですら長年の間、待ち焦がれて、なけなしの力を注いで実現に向けた努力を続けた市民ランナーにとっては、まさに夢のようなことです。

しかし、東京マラソンが行政と競技団体によるトップダウンの形で実現したとはいえ、その背景には私たちの東京夢舞いマラソンなど市民ランナーらによる活動が大きな土台になったのに比べて、関西の3大マラソンは「柳の下のドジョウ」を狙って、やはり行政と競技団体、そして大広告会社とメディア、スポンサー企業などが、さらに完全なトップダウンで始めたものと思われます。
しかも、広告会社が3つのマラソンを一手に仕切っていると言われることからみても、3大マラソン誕生の第1の理由は「もうかるイベント」だからということなのでしょう。

それはそれで、この国の社会の仕組みを考えると、ある程度は致し方がないと言えますが、一流選手やタレントランナーを集めることに力を傾けている半面、運営サイドに市民ランナーの感覚を代弁できる人たちが、あまりかかわっていないことが、今回のような主役であるはずのランナーや応援の人への気遣いが足らないという不備の背景にあるように思えてなりません。

そして今回、主催者メディアやスポンサー企業による利権・特権の「囲い込み」といいますか、他の企業などを排除する傾向が顕著であると、ささやかれているのを耳にすると、やはり解せない思いがつのるわけです。

つまり、これまでも何度も繰り返していますが、公共の道路を使って大勢のランナーが主役となるマラソンは、そもそもが一流選手から障害者までが一緒の舞台に上がれる唯一のスポーツで、そこには実力の差別も、男女や国籍の差別もなく、さらにはランナーと応援の人、そしてボランティアの誰もが主役になれるという意味でも、極めてユニバーサルですばらしいイベントなはずなのです。

そんなマラソンに、のっけから、お金もうけに基づく差別をあからさまに持ち込んでいることが、そもそもの最初からのボタンの掛け違いなのだと思われるということです。

「まあ、そんなカタイこと言わんで、楽しみましょや」と考えるしかないわけですし、東京マラソンがランナーやボランティア、沿道の住民の人たちの盛り上げにより命を吹き込まれるようにして「成長」してきたのと同じく、大阪マラソンもまた、こうした真の主役が頑張って、みんなのお祭りとして育てていくしかないのでしょう。

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今回、一般の応援グループの中で、見た目でも声援のボリュームもダントツに目立っていたと自負できるのが私たちのエルモ隊でしたが、コースで最も目立っていたガイジンは、上半身ハダカで走っていた男性(右)。
この人こそ、私が名古屋から応援に出てきた一番の理由で、マラソンを通じての長年来の親友であるニューヨーク在住のアレックスことアレクサンダー・マツケビッチさんです。

彼の話をすると、ただでさえ長ーくなったこの記事が、さらに止めどなく長くなりますので、とりあえずはできるだけ手短に紹介することにします。

彼と出会ったのは10年近く前、ニュージーランドの温泉リゾート地で開かれるロトルアマラソンの前夜祭。
海外からのランナーらを招待して行われた前夜祭でアレックスは、大都市マラソンの草分けとなった最高の大会・ニューヨークシティマラソンの開催地から来たという理由からランナー代表としてあいさつし、アカペラで映画の主題歌「ニューヨーク・ニューヨーク」を披露しました。

私はちょうど、こんな場で各国のランナーに「次は東京に来てくれ」と言いたいがために東京での市民マラソン開催を熱望していたことから、歩道を走りながら市民マラソンの開催を訴える東京夢舞いマラソンを取材し、その活動に足を突っ込み、特集記事を書くためにニューヨークも走りに行ったばかり。
そんな話をアレックスにしたところ、世界のマラソンを片っ端から「めぐり走る」彼と意気投合。

それ以降は、夢舞いマラソンの英語版ホームページを書いていた私の文章を彼が監修するばかりか、夢舞いの理事長である大島幸夫さんのメッセージを、その魂をくむ形で英訳してくれるなど、彼は夢舞いのスタッフ以上に夢舞いに入れ込んで、東京マラソンの実現に向け、まさに国境を越えた無私の協力をしてくれました。

そうしたことから、東京マラソンの開催を最も喜んでくれた外国人であるアレックスは第1回の東京マラソンも走りにきてくれて、私たちは、ともに長らく「3万人で走ろう」と夢見た銀座を多くのランナーとともに走ることになりました。

その1週間後の、おきなわマラソンも、それに先立つ長野マラソンも一緒に走って、写真展「走った!撮った!世界のマラソン」でもメーンとなるニューヨークの写真を撮りに行った5年前には、自宅に泊めてもらい、やはり一緒に走ったアレックスと、今回は一緒に走ることはできなかったものの、こうして私の故郷・大阪でも再会がかなったことは、最高にうれしいことです。

夢舞いのホームページを一緒につくっていたころは何百通ものメールをやりとりして、特別な関係を疑われるほど仲良しだった私たちも、このところは彼のメールサーバーの不調などから、しばし連絡が途絶えていたのですが、そんなおりに今回の来日を知らせてくれたのは、夢舞いのスタッフで明走会の駆けっこ仲間でもある松っちゃん(左)。

アレックスの日本人の奥さまと松っちゃんの奥さまが繁く連絡を取り合っていてくれたことから、大阪マラソン直前になって、アレックスの来日を知らせてくれたというわけです。
マラソンの後、松っちゃんのご家族と私は、アレックス夫妻が滞在するウイークリーマンションを訪ねて、東京マラソン以来で、一堂に会することができました(中央)。

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がんばれ大阪マラソン

本日は第1回目の「大阪マラソン」が開催されます。
この大会を盛り上げようと写真展を企画したものの、自分自身は抽選に漏れて走ることができずに、くさっていたことから、当初は応援する気になれませんでしたが、写真展を手伝ってくれたジダンさんをはじめとする駆けっこ仲間のほか、東京や海外からも仲間たちが参加することが分かり、これから応援に出かけます。

ちょうど、大阪マラソンを応援する気持ちを込めて写真展を開いたことについて、駆けっこ仲間であって新聞記者のむうさんが書いてくれていながら、見そびれていた記事が届きましたので、やはり紹介しそびれていたカメラ・写真雑誌「CAPA」の誌上でのギャラリー紹介欄とともに紹介します。

注目度ナンバーワンの目立つ仮装の応援部隊に参加して、沿道で応援しながら記念すべき第1回の大会の様子を撮影する「応援した!撮った!大阪マラソン」のレポートは31日付以降の記事で掲載する予定です。
ご期待ください。

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晴れた秋の日に

写真展の準備や開催によって楽しい日々を過ごすことができた半面、自らの元気の源であるはずの駆けっこが疎かになり、酒の飲み過ぎと慢性的な睡眠不足も重なって身体が悲鳴を上げてきたところ、仕事が入った本日は昼休みに食事に出る際、職場の近くにある名古屋城をぐるっと回って軽いジョギングを敢行しました。

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うららかな日差しが降り注ぐ屋外に駆け出してみると、お城周辺の景色はすっかり秋が深まった様子。
青く高く晴れた空には、すじ状の雲が粋な絵柄を描いていました(左)。

お堀端から天守閣を望むビュースポットまで来て、写真を撮ろうと思ったところ、歩道のわきに陣取ってられた先客は近くのホテルで結婚式を挙げたばかりとみられる婚礼用の着物姿のカップル(中央)。
カメラマンを従えて、名古屋城をバックにした記念写真を撮ろうとしていたところでした。
そこで「おめでとうございます!」と声をかけ一足先に写真を撮らせていただくと、お2人の表情は、さわやかな秋晴れに負けないほど晴れやかでした。

食事を済ませた後、歩道脇の植え込みや植木鉢などがきれいな御園通りを小走りで通り過ぎる際、じょうろを持った女性に声をかけられました。
「お久しぶりです。以前にも走っているところを、お見かけしましたんですが、お声かけしそびれて」
植え込みの前の店の看板を見てみると、しばらく前、名古屋に仕事に来た兄や知人らと一度だけ食事に来たことのある洒落た日本料理屋さんでした。

少し上等なお店であることなどから、その後、おじゃまする機会を逸していて、しかも小さな門構えの玄関は、看板の灯りが消える昼間には、ほとんど目立たなくなることから、昼休みにここを通るときにも気づかないまま通り過ぎていたのです。

花壇に植わっていた花の中で目を引いたのは水引きでしたが、写真にはなりづらく、黒格子にかかって色づいた葉が鮮やかだった南天を撮らせてもらいました(右)。
はからずも、どちらの花・木も、祝い事に似合うものでした。

もつ鍋と美女の夕べ

大阪での写真展「走った!撮った!世界野マラソンOSAKA」が一昨日に閉幕し、名古屋での日常に戻った私は、本日は相当に忙しい仕事の1日を過ごしました。

仕事が忙しく感じるのは祭りのように楽しかった「ハレ」の日々に身体と心がなじんでしまったためでしょうが、いったん日常の時間に戻ってみると、写真展の会場に通った毎日は遠い夢のように感じるものです。
そんな夢の毎日を振り返る落ち穂拾いの記事を、もう1本だけ掲載します。

そのネタは、もしかすると独りで打ち上げをしそうだった写真展の閉幕後、乾杯に付き合ってくれた美女たちと乾杯の「その2」をしに出かけた、もつ鍋のお店です。
もつ鍋の店は既に写真展の初日にも出かけていたことから、さわりを紹介済みですが、実は3日目の夜にも行っていて、これがなんと3回目。何度も足を運びたくなるほど美味しかったということですが、3回も訪れた理由はそれだけではありませんでした。

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写真展の最終日は、展示の入れ替えのためギャラリーの閉館時間が、普段より早い午後3時。
祭りの名残を惜しんだり余韻を楽しんだりするヒマもなく、写真パネルは一気に壁から外されて、ギャラリーは元通りのガランとした部屋に。
パネルを箱詰めした荷物を東京の預け先に発送した私は、撤収作業を手伝ってくれた美女2人とともに、ささやかな打ち上げをしに出掛けました。

その2人は、初日にも来場したほか4日目には飲み会にも参加し、それに先だって自らの番組の中で写真展について、たっぷり紹介してくれたKBS京都ラジオの走る美人パーソナリティである「若ちゃん」こと若林順子さんと、名古屋から貴重な休日を使って駆けつけてくれた駆けっこ仲間の美人ランナー・七保子さん(中央)。

私たちは2日目の同窓会と3日目の祝賀会の会場となったギャラリー近くのお洒落な居酒屋「hako」の1階にあるカフェで、ビールをいただき乾杯「その1」をしました。
この後、夕方から仕事があるという若ちゃんでしたが、さすが走るのもお酒も強いランナーとあって、ビールを付き合ってくれ、番組に出演させもらった記念として、若ちゃんファン垂涎の「若ちゃんバッジ」を進呈してくださいました(左)。

乾杯「その1」を終えて、若ちゃんを見送った私と七保子さんが「その2」に向かったのが、本題のモツ鍋屋。
大阪・天満の駅前から放射状に伸びて、飲み屋が軒を連ねる狭い路地の1つに面した「福福福(ふくみ)屋」です。
既に写真展初日の記事で紹介しているこの店は、関西明走会・チームジダンに所属されている駆けっこ仲間のゆきてぃさん推薦の店で、料理が美味しいばかりか、量もたっぷり気前が良く、お値段は破格の安さ。
長らく大阪を離れて暮らす私が、名古屋からいらした七保子さんに紹介できる「これぞ大阪」という店は、ここぐらいしかありませんでした。

そして、3回目も訪問を繰り返したもう1つの理由が、店の看板娘ならぬ「看板美男子」の孝介さん。
写真展の初日に初めて店を訪れた際、優柔不断な私は迷いに迷ったあげくに、2種類の日本酒から1種類を選んだのですが、「こちらも味見してください」と孝介さんが茶わんに注いでくれたお酒の量は、なんと1人前の半分ほどという気前の良さ。

しかも、「ボクも写真を見るのが好きなんです」と言ってくれた孝介さんは翌日の午前中、本当にギャラリーを訪ねてくれたのです。
店に近い自宅からママチャリをこいでギャラリーに来てくれた孝介さんは、写真展のチラシやDMを自転車の前かごに入れて帰っていかれ、その後、店のトイレなどにはチラシなどが目につくように掲示されていました。

そしてそして、七保子さんをお連れしたこの日、写真展が無事に閉幕したことを告げると、孝介さんは今度は「お祝いをどうぞ」と言って、スパークリングワインを開けてグラスに注いでくれました(右)。
しかも、いただいたのは1杯だけではなく、1本まるごと!
この後、孝介さんに一緒に乾杯してもらったのは、言うまでもありません。

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大阪の駆けっこ仲間らに、何度も飲み会に付き合ってもらうのは気が引けていたものの、もつ鍋をいただくとあっては、この店を紹介してれた美人ランナーのゆきてぃさんには声をかけざるを得ません。
ゆきてぃさんは初日、3日目と私がこの店に来たときには毎回付き合ってくれていて、祝賀会の2次会として来た前回は、さらに明け方近くまでエンドレスに続いた3次会にもいらしたのですが、この日も結局のところ、仕事終わりに合流してくれました(中央)。

さらに夜も更けてから、名古屋に戻る七保子さんとバトンタッチするようにして合流してくれたのは、写真展を紹介するコラムを書いてくれた、むうさんと同じM新聞に勤める美人記者のナンシーさん(右)。
数年前、中国と北朝鮮の国境にそびえる長白山(韓国・朝鮮語は白頭山=ペクトゥサン)に登るなどした取材旅行で同行して以来の友人で、その後も何度となく楽しい「同窓会」でご一緒をしていたものの、大阪に転勤されてからはお会いする機会を逸していて、久々の再会となりました。

こんなふうに自分が仲の良い友人たちを、駆けっこ仲間であれ、走り始めていない人であれ、相手の気持ちを気遣うことなく強引に引き合わせてしまうのは、私のいけないクセなのですが、自分の身体は1つしかないため、こんな機会には、お許しをいただくしかなかったというわけです。

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孝介さんや店の料理を紹介するために加えた写真は、1日目(中央)と3日目(左、右)のもの。
左の写真で野菜がてんこ盛りになっているのは、もつ鍋の1人前で、1000円を切る安さですが、2、3人で満足できるほどの量。
あっさりしたスープは具の味を引き立ててくれ、口溶けが良いトロトロのもつは、脂肪がたっぷりなのに、しつこさがなく、まさに絶品です。

中央の写真は、もつ鍋が煮立つまでにツナギの役割を果たしてくれる代表的なつまみの3種類。
もつ塩(焼き)と、キュウリのたたき、そして絶品キムチで、いずれ劣らず美味で量がたっぷりで値段もリーズナブルと3拍子そろっています。

というわけで、OSAKA写真展の締めくくりとなる記事は期間中、夜の宴を支えてくれた「そとのお店」の紹介となりました。
これまでの記事で抜けている写真説明などの文章は、このあと順次、さかのぼって加えていくことにします。

OSAKA祝賀会

今月20日から昨日まで故郷・大阪で開催した写真展「走った!撮った!世界のマラソン OSAKA」を、盛況のうちに終えることができた私はけさ、名古屋に帰って仕事に復帰、日常の生活に戻りました。

今回の写真展でも連日、多くの出会いや再会に恵まれて、私は会場にほぼ立ちっぱなしで、来場してくれたみなさまをお迎えし、昼食をとるヒマすらほとんどありませんでした。
しかし、夜のとばりが降りると連日、仲間や友人らに囲まれながら高揚した気持ちに包まれて楽しく美味しいお酒をいただく宴を繰り広げ、付き合ってくれる相手の生活も考えないまま何度となく午前さまにも。
まさに、楽しく42キロ余りを走り続けるマラソンと同じように、ノンストップで祝祭の喜びにひたりました。

この間に取った年休は、いわば遅い夏休みでしたが、そんな具合では身体を休めることなどはできません。
分刻みで写真展の準備を進めた開幕前の日々も加えると、長らく身体も心も張り詰めっぱなしだったと言えます。
それでも、大勢の人たちと触れ合う時間がもたらしてくれた実りは何ものにも代えがたく、「こんなことをして、自分は一体、どこに向かって何をやっているのだろうか」と、いつもながらの自問を繰り返しながらも、充実感をかみしめることができています。

そんななか、今月9日の東京夢舞いマラソンのレポートも中断したままですが、写真展のネタの落ち穂拾いを少しばかり続けます。
それは22日の夕刻に、大阪の駆けっこ仲間たちが盛大に開いてくれた「祝賀会」の様子の紹介です。

とりあえずは22枚もの写真を一挙に公開しますが、これらの写真を見ながら振り返って分かるのは、仲間らの中で女性の占める割合が圧倒的に多く、しかも誰もが美女ぞろいだということ。
こんなハーレム状態は、幹事役を務めてくれたジダンさんの力によるところがほとんどなのですが、一応の「主役」としては、思い出すだけでも、ほおが緩んでしまいます。

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写真展3日目の22日(土)、大阪の駆けっこ仲間らによる祝賀会の会場となったのは、ギャラリーにほど近いお洒落な居酒屋の「hako」。
実はこの店、前日に開かれた写真展をサカナにしての中学・高校のミニ同窓会でも会場となりました。
ギャラリーの「下見」で訪れた際も含めると、なんと3回も同じお店に来ることになったのですが、その最大の理由はと言えば、お店の女性が、そろいもそろって超美人だということ。

両方の宴会で、ともに幹事を務めてくれたジダンさんは、自らが率いるトレランサークル、「チームジダン」の会員募集に当たって、男性に対しては「自分より目立ち過ぎないこと」「脚が速過ぎないこと」-などの厳しい条件を課しているのに対し、美人の女性は無審査で歓迎していることからも分かるように、キレイな女性にはめっきり弱いという分かりやすい性格。
その点については、ジダンさんと似ていなくもない私は、彼のお店選びに無条件で賛成したというわけです。

そのジダンさん、関西明走会の長身ランナー・俊彰さんと並んだお店の女性は、ご覧の通りの美人(左)。
お似合いの前掛けに社名が書かれた日本酒メーカーは、なんと俊彰さんの勤務先でした。

祝賀会は、関西明走会やチームジダンら、ジダンさんを通じての仲間が主に参加してくれましたが、私のツテで集まってくれた女性たちも。
その中で数年前の久米島マラソンで出会って以来のおつきあいで、去年の銀座での写真展にも来てくれたのは美人ランナーコンビの明日香ちゃんと奈々っち(右)。
初日には会場に花を届けてくれたうえ、祝賀会に先立ってギャラリーにも立ち寄ってもらっていたのですが、終盤に大混雑となったことなどから、会場では記念写真を撮りそびれてしまいました。

そのお2人や、前日の同窓会では都合がつかず、その代わりに祝賀会に合流してもらった同窓生の女性らも含め参加者が総勢20人に達した宴は、ジダンさんの乾杯でスタート(中央)。
私が後ろに引ききれず、全員に写っていただくことはできませんでしたが、ご勘弁を。
また、後方までストロボの光が十分に届かず、ジダンさんのアタマをのぞいて、その周囲の皆さまが暗く小さくなってしまったこともまた、ご勘弁を。

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写真の多くがリバイバル展示となったことなどから、今回の写真展では派手なオープニングを控えたことは、既にお伝えした通りで、祝賀会でも格式張ったあいさつなどはないものと思っていたのですが、それでも私は一応、主役に当たるということで乾杯後しばらくして、おもむろに一言話すよう司会役のジダンさんから促されました(左、中央)。

6日間の写真展で3日目までを無事に終えて折り返しを過ぎ、ホッとした気持ちと多くの美女を含む仲間たちに囲まれたことによる浮かれた気分から、私はシドロモドロで、気の利いたあいさつはできませんでした。
ただ、今回も多くの仲間たちに盛り上げてもらったことに対する感謝の気持ちを述べるとともに、仲間同士を結び付けてくれるランニングと同様に、写真もまた、こんなふうに写真展などを通じて、多くの人を結び付けるコミュニケーションの道具になることを実感する-といったことを話そうとしたように覚えています。

写真展の準備期間から私を全面的に応援してくれたうえ、2日続きの宴会の手配までを一手に取り仕切ってくれたジダンさんは、祝賀会では事実上の主役のようなもの(右)。
楽しい雰囲気が盛り上がり、飲み放題の杯が数えられないほど重ねられるに従って、私以上にハイになったジダンさんは、自らのチームの美女たちが勢ぞろいするなかで若いころの「武勇伝」などを臆面なく披露され、はたから見ている私の方が冷や汗で酔いがさめる思いをするほどでした。

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さて、ここからは、私に続いて自己紹介を兼ねた一言あいさつをいただいた皆さまを手短に紹介いたします。
写真の中には、私の気分が乗ってしまったことなどから画面が斜めに傾いたものもありますが、ご勘弁を。

まず最初に紹介する4人は左の写真から、美人ばかりの女性が中心というチームジダンの練習会で、ジダン監督に続いて参加率が高い男性というカッピコさん。
続いては、関西明走会の重鎮である恒平さんと深雪さんのご夫妻。

「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」の記念のTシャツを誇らしげに見せてくれたのは、フランスで開催されるその世界一過酷なトレイルレースを完走し、凱旋された関西明走会トレラン部の部長、徹さん。

そして、写真展の初日から受付の手伝いや打ち上げに付き合ってくれた美人ランナーのゆきてぃさんです。

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次なる4人の美女のうち、左から2番目は、ジダンさんや私の中学・高校の同級生で、今回の駆けっこ仲間による祝賀会に私の「特別招待」で合流してもらった美人2人のうち1人のサナさん。

残る3人はいずれもチームジダンの美女軍団で、左からやまぴーさん、O(オー)ちゃん、パインさん。
Oちゃんは、写真展の会場下見に来てくれたのに続いて、受付も手伝ってくれました。

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さらに続く4人のうち左端は、関西明走会きっての快足ランナーであるアミーゴさん。
去年、私と同じ時期に転勤で東京を離れ、大阪に勤務されていて、もうすっかり大阪のカオのもようです。

残る3人はやはりチームジダンの美女軍団で、左からノゾミールさん、YASUKOさん、かおる姫さん。
ノゾミールさんとYASUKOさんは、この日を含めて2度ずつ写真展に来場してくれました。

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最後に紹介する3人のうち、左から2番目のYUKAさんは、やはりチームジダン美女軍団の一員で、最近になってトレイルに脚を染めるようになったとのこと。
YASUKOさんとともに、下見にいらしたのに続いて、この日の受付美女コンビを組んでくれました。

残る2人のうち左端は、東京から駆けつけてくれた脚本家の尚美さん。
今年6月から7月にかけて東京・日本橋のギャラリー遊で開いた写真展「走った!撮った!わが町マラソン」では、ほぼ連日受付をしてくれたほか、明走会のイベントには5月に開かれた仲間うちの駅伝と、7月に富士北麓公園で開かれた「24時間駅伝」に参加するなど、本格的に走り始められているところです。

そして中央の右側は、サナさんと同じく私が特別招待した同窓生のクマさん。
明日香ちゃん、奈々っち同様に、去年2月の写真展では、大阪から駆けつけてくれています。
3人とも当時、私から「無理してでも来なきゃ、損をするからね」と脅かされて上京してくれたのですが、展示写真の多くを大阪で再展示することが分かっていれば、無理をなさることはなかったわけで、皆さん、ごめんなさい。といいますか、それにもかかわらず、またまた来場してくれたうえ、祝賀会にも来てくれて、ありがとうございました!!!