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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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スーパーマン養成所

本日からは、いよいよ10月。
今月は9日に東京夢舞いマラソンがあり、20日からは写真展「走った!撮った!世界のマラソン OSAKA」を開く予定で、本日は写真展の準備などのため私の故郷である大阪を訪れました。

まず向かったのは、私が中学・高校時代の6年間を過ごした国立大学の附属学校。
高校時代の同級生が古巣に舞い戻って先生をしていて、写真展のポスターを3学年で計12クラスの教室内などに掲示してくれることになったため、夜なべして自家プリントしたポスターを抱え、懐かしい母校を久々に訪問したというわけです。

わが母校の教育方針と言いますか、当時の先生方からよく耳にした言葉が「スーパーマンを目指せ」。
これはどういう意味かと言いますと、勉強ができるのは当たり前で、スポーツや課外活動なども何でもできなければ一人前の生徒として胸を張れないのだということです。
入学試験を受けて中学に入れば、高校受験を免れてエレベーター式に進学ができて、のびのびとした学園生活を送りやすいという環境があってこそ、そんな悠長な教育方針が掲げられるとも言えます。

そして高校3年生になっても、クラブや課外活動に精を出して、がつがつと勉強をしなくても涼しい顔で大学に進学しなければならない-といった風潮が生徒の中にも浸透していたようです。
私もまた当然のように「スーパーマン」になろうと、山に登るワンゲル部のクラブをしながら、学園内の劇団を率いるというサークル活動もやり、生徒会の役員をして学園祭にも没頭しました。

おかげで、今から思うと信じられないほど一所懸命に、中身の濃い毎日を送ることができたのですが、勉強以外のことを頑張りすぎたためか大学受験には見事に失敗。
浪人してもなお当時の志望大学に入りそびれるという苦杯をなめました。スーパーマンになりそびれたというところでしょうか。

しかし、スーパーマンを目指すという思いだけは心身にしみついてしまったようで、私はこのように会社勤めをしながらもランニングを続け、会社以外の駆けっこ仲間たちと交流しながら、写真も撮り続けています。
とはいっても、ランニングでエリート選手になれたわけでも、プロの写真家になれたわけでもなく、会社で偉くなれたわけでも、やりたかった仕事をやれてきたわけでもありません。
やはり、スーパーマンには、なかなかなれないということなのです。

ですから、本当にスーパーマンになった卒業生たちが「故郷に錦を飾る」ようにして母校に迎えられるのとは違って、私は独りで静かに学校を訪れ、30年以上も流れた月日がなかったかのように自然な気持ちで正門を入って行きました。

ただ、「錦を飾れないのなら学校を再訪しても仕方がない」などと、なんとなく思っていた以前の「こだわり」のようなものが、いつしかなくなって、在校生だったころと同じような気持ちになれたのは不思議です。

華やいだ有名人ではなくても、いまだにスーパーマンを夢見てあがいているような、ヘンなオヤジの卒業生もいることだって、後輩たちに知ってもらうのも悪くないのじゃないか-。
そんなふうに開き直って思えるようになったことも、自分がこんなトシになって、少しだけ自分を変えることができた証のように思えます。

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学校時代に毎朝、満員の電車に揺られた大阪環状線に乗って寺田町駅を降り、記憶に染みついた風景と、なんら変わることのない駅前の児童公園を横切って、私は、やはり昔のままの校舎が建ち残る母校に「登校」しました。
変わってしまったのは、校門の前にガードマンが立っていて、検問所のような受付で自分の名前を記入しなければ校内に入れないこと。
大阪府内の別の場所にある同じ大学の附属学校で、以前に起きた凄惨な殺傷事件を機に、こうした厳重な警戒が敷かれるようになったもようです。

ただ校内に入ると、古い校舎も、同級生らと語り合ったり、あこがれの下級生の女生徒に心ときめいたりした藤棚も30年以上前のまま。高校時代の私は、今と同じぐらいの身長だったはずなのに、グラウンドや校舎の廊下が、やたら狭く感じて、ちょっとガリバーのような感覚になったのは不思議でしたが。

中学時代にバレーボール部だった私は、バスケットのゴールのリングによくジャンプしてタッチしていました。
そのバスケのゴールを、校舎を背景に撮影(左)。
コの字型の校舎の内側は、当時は中庭があって、全校集会や体育の授業に使われていましたが、今はその一部に小さな雑木林と池のあるビオトープがつくられています。

駆けっこ仲間であり、環境関係のコンサルタント会社で大阪支社長をしている、やはり同窓生のジダンさんがこのビオトープの造成にアドバイスをしたということです。
そのジダンさんとは、このあと、写真展会場のオリンパスギャラリー大阪で落ち合っていますが、その様子や、彼がビジネス誌のムックに大々的に登場している記事などについては、明日付の記事で紹介します。

土曜の本日は、中学の体育大会が開かれていて、校門を入ってすぐの所にある渡り廊下の下では、お母さま方が受付をするとともに、学校名や校章を印刷した鉛筆と消しゴムセットや、クリアファイルを販売していて、ついついジダンさんへのお土産にと買ってしまいました(中央)。

体育大会の会場は、以前と同じ大学のグラウンド(右)。
1学年4クラスが、学年をまたいだクラス対抗で得点を争い、クラスごとに色分けをした鉢巻きを締めるという体育大会の手法も、以前と同じもよう。A組からD組までがある中で、「B」と「D」を間違わないように「D」を「ダー」と発音するのもまた、30年以上前と同じでした。

私が3年生のときは、2人の担任を「ミロのビーナス」と「カニ」に仕立てて描いたノボリをつくり、当時の大学でまだ残っていた学生運動を真似て、ヘルメットとマスクを着け角材を持って恒例の「応援合戦」を派手に繰り広げたものですが、それに比べるとさすがに応援風景は、ずっと大人しくなっているようでした。

そして私が訪ねた同級生の「ヤンケ」(大阪の和泉弁の語尾からついたニックネーム)さんは、同窓会の際に会っているためか、風貌は高校時代のままに見えて、オジサンが目立つように思えた職員室の中に、生徒が交じっているようにも見えました。まあ、これは錯覚なのでしょうが。

そのヤンケ先生に託したポスターは、私が学校の出身者であるというプロフィールを盛り込んだ特製のもの。
今回もこのポスターやDM(ダイレクトメール)、会場のデザインを手がけてくれている明走会の駆けっこ仲間・尚さんも、実はこのあとギャラリーで合流。
特製ポスターは、尚さんに持ってもらった写真で、やはり明日付の記事で紹介いたします。

※※※

そうそう、本日から始まったFMヨコハマの番組出演は、事前収録した内容を生放送の中で流すのをスタジオで聞くことはできませんでしたが、番組スタッフが送ってくれた「同録」を先ほど聞きました。
収録の際に私は「かみ」まくったり言い違えをしたりと散々な出来だったと落ち込みましたが、実際には期待をした通りの「編集マジック」で、けっこう普通にしゃべっているように聞こえました。むしろ、ちょっとおしゃべりな人間だと勘違いされそうなほどでした。

この番組は土曜日夕方の「Route 847」で、駆けっこ仲間のDJ柴田聡(さとる)さんから、おこがましくも私が「ランニングアドバイザー」としてゲストに招かれているのは、午後6時過ぎから約10分間のランナー向けのコーナー「JOG STATION」。
9日の東京夢舞いマラソンでは柴田さんもゲストとして走られ、現場で収録する内容もその後、3回に分けて放映される予定です。ご期待ください。

番組のブログには早速、スタジオを訪ねた際の、柴田さんとの収録風景の写真などがアップされています。
http://blog.fmyokohama.jp/r847/2011/10/post-a657.html

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