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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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応援した!撮った!大阪1

昨日は第1回の「大阪マラソン」が開かれましたが、私は抽選で落ちたため、沿道での応援を楽しみました。

私が加わった「応援部隊」は、かぶり物などで仮装をしたことなどから、沿道で最も目立つ存在となり、応援をしたい仲間たちが皆こちらを先に見つけてくれたほか、一般の応援の人たちから逆に応援してもらったため、走る仲間らも応援の様子も数多く写真に収めることができ、その数は「走った!撮った!」をする際と互角の500枚以上に達しました。

というわけで本日、掲載する写真は「さわり」だけなのですが、それでも12枚におよびます。
今回もまずは写真のみをアップして、追って説明などを加えることにします。

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さて、ここから追加分です。
第1回目の大阪マラソンは、その開催を盛り上げようと写真展の開催を決めたにもかかわらず、私の心意気が届かなかったようで、抽選に漏れて走ることはできませんでした。
しかし、写真展の準備中や開催中にたまった疲れもあって、当初は応援する元気がなかったものの、写真展を自分のイベントのように応援してくれたジダンさんが仮装して走るなど多くの駆けっこ仲間が参加することから、再び大阪に出てくるべきではないかという心の迷いはありました。

その気持ちを後押ししてくれたのは、写真展で受付の手伝いをしてくれたうえ、3晩にわたって一緒に美酒を飲んでくれた美人ランナーのゆきてぃさん。
仲間の「ナイトラン」チームで仮装の応援部隊を組むため「ぜひぜひ来てください!」と彼女にせがまれては、「喜んで!」と返事する以外にはありません。

前日までに聞かされていたのは「エルモになるから」「真っ赤なシャツだけ用意してきてね」ということ。
手持ちの赤シャツは色の鮮やかさがイマイチだったことから、前日の仕事の後、自宅近くの大型スーパーに最近入ったユニクロで、いかにもエルモ色の長袖Tシャツを新調して出掛けたところ、渡されたのは、フワフワの毛足が長いエルモのかぶり物。
そう、この「エルモ応援部隊」は赤いウエアできめて、「セサミストリート」のキャラクターであるエルモに扮したランナー軍団でした(左、右)。

この立派なかぶり物は、実は大阪市内の大型テーマパークに勤務されるゆきてぃさんがゲットしてくれた由緒正しいもので、「とにかく目立つこと」を目指し、真っ赤なエルモが仮装のネタに選ばれたということでした。

エルモ応援部隊の「紅2点」は(といっても、みな真っ赤なのですが)ゆきてぃさんと、やはり美人ランナーの、ゆずさん。
驚いたことに、このゆずさん、大阪の写真展で展示した去年の東京マラソンの写真の中で、バナナに扮していたランナー3人のうち、会場を訪ねてくれたお2人に続く、3人目のランナーでした(26日の記事参照)。
写真展がもたらしてくれた奇遇は、まだまだあったということです。

ただのエルモではなく、かぶりものの下には、チアガールの衣装を着けているというセクシーな美人コンビを目の当たりにして、気合を入れて応援しようというパワーが一気にわき上がりました。

中央の写真は、イチョウ並木で有名な大阪一の目抜き通り、御堂筋を疾走するエリジャ・サング選手(優勝)や川内優輝選手(4位)などのトップ集団。
この後に、3万人のランナーが延々と続きました。

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私たちはまずスタートから約2キロのコース前にある「大阪城ランナー」御用達の「玉造温泉」に荷物を預け、その前でランナーを待ち受けました。
何千人ものランナーが通り過ぎた後、ゆったりとした足取りで近づいてきたのは「ドラゴンボール」の「亀仙人」に扮したジダンさん(左)。

調整不足や写真展の手伝いで忙殺されたことから、早々に「今回は仮装して、ゆっくり走る」と宣言したうえ、「ジダン」に扮するのでは「仮装にならん」として、やはり輝く頭をいかして亀仙人になったということ。
応援部隊の近くに長居をして、あめ玉を配ってくれました。

私が子どものころに住んでいた住之江区の競艇場近くからゴール前までは、私たちは沿道を小走りしながら応援しました。
その途中、30キロも過ぎた後半でありながら、バドガールの衣装を身に着けて、さっそうと走ってきた長身のランナーは実は男性で、ナイトランのチームから唯一出場を果たした俊彰さん(右)。
先週末には、私に付き合って明け方まで深酒をしたにもかかわらず、こうして目立ちながら3時間15分台の好タイムでゴールまで突っ走られました。

私たちは立ち止まっては声援を送り、また走りながら声援を送りしながら移動して、ゴールのある「大阪南港」地区に来ました(中央)。
ここは今やフェリー乗り場や大規模団地、それに大型商業施設などがあるいわば大阪の臨海副都心ですが、私が子どものころは「南港埋立地」と呼ばれ、新しい地図ができるたびに陸地が増えていきました。
ママチャリで遠方までサイクリングに出かけるのが大好きだった小学校のころの私は、荒野の果てのような埋立地の先端部分で、透き通った小さなエビを採ったり野犬に追いかけられたりしたもので、ここを3万人のランナーが走るなどとは想像もつきませんでした。

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大阪城に近いJR玉造駅近くから、つい先日まで写真展を開いていた会場のある地下鉄本町駅前の御堂筋沿いへ、さらには私が子どものころを過ごした住之江へと、私たちは、ひとしきりランナーを応援をするごとに地下鉄に乗って移動。
もちろん、その間も、真っ赤なウエアを着てエルモのかぶり物をしたままで、注目度満点でした(左)。

御堂筋で応援をしている際に首をかしげてしまったのは、私たちが陣取る歩道からランナーらが走る車道の車線までの間に、立ち入ることができない1車線と分離帯があったこと(中央)。

駆けっこ仲間を探したりランナーに間近で応援を送ろうとしても、こんなに間を隔てられてはままなりません。
あまりに解せなかったため、がらんどうの車線を歩くスタッフに、その理由を聞いたところ、「ここは緊急用車両が通れるように空けてある」との答えでした。

確かに緊急用車両の通り道を確保することは大事なのでしょうが、ランナーと応援の人たちを、こんな具合に隔ててしまうマラソンなんて、国内でも海外でも見たことがありません。
どうも、交通規制など管理のしやすさばかりを考えて、都会で開かれる市民マラソンの本質が分かっていないといいますか、ランナーや応援する人の気持ちが分かっていないような主催者サイドの運営に、少々ずさんなところがあるのを感じました。

しかも、よりランナーに近いところにいるスタッフたちは、ただ応援する人に背中を向けて立っているだけで、たまに歩道の切れ目に張ったテープがはずれるのを直しにくるもののランナーを応援する様子がありません。
これには、さすがにこちらも熱くなって何度も叫んでしまいました。
「そんなふうに、突っ立てないで、一緒に応援しましょうよ!」と。

南港地区に入り、ゴールが近づくと、また再びランナーの通る車線に近づけなくなり、しかも反対側へと横断もできなくなって、その先に進むのをしばらくあきらめ、強引に道路の中央まで入って応援しましたが、その先に進むのをさえぎるガードマンの人たちは、やはりブスっとされたままでした。
しかも、その先はゴールエリアに近づくことがままならないばかりか、ようやく反対側の歩道に渡れる歩道橋の上では大勢のランナーを見渡せたものの(右)立ち止まらないように注意され、追い出されてしましました。
つまりは応援する人や、ランナーを迎えに行く人のことは、あまり考えられていないということです。

※※※

大阪、神戸、京都と、関西の「3都」で次々と市民マラソンが誕生するというのは、東京マラソンの実現ですら長年の間、待ち焦がれて、なけなしの力を注いで実現に向けた努力を続けた市民ランナーにとっては、まさに夢のようなことです。

しかし、東京マラソンが行政と競技団体によるトップダウンの形で実現したとはいえ、その背景には私たちの東京夢舞いマラソンなど市民ランナーらによる活動が大きな土台になったのに比べて、関西の3大マラソンは「柳の下のドジョウ」を狙って、やはり行政と競技団体、そして大広告会社とメディア、スポンサー企業などが、さらに完全なトップダウンで始めたものと思われます。
しかも、広告会社が3つのマラソンを一手に仕切っていると言われることからみても、3大マラソン誕生の第1の理由は「もうかるイベント」だからということなのでしょう。

それはそれで、この国の社会の仕組みを考えると、ある程度は致し方がないと言えますが、一流選手やタレントランナーを集めることに力を傾けている半面、運営サイドに市民ランナーの感覚を代弁できる人たちが、あまりかかわっていないことが、今回のような主役であるはずのランナーや応援の人への気遣いが足らないという不備の背景にあるように思えてなりません。

そして今回、主催者メディアやスポンサー企業による利権・特権の「囲い込み」といいますか、他の企業などを排除する傾向が顕著であると、ささやかれているのを耳にすると、やはり解せない思いがつのるわけです。

つまり、これまでも何度も繰り返していますが、公共の道路を使って大勢のランナーが主役となるマラソンは、そもそもが一流選手から障害者までが一緒の舞台に上がれる唯一のスポーツで、そこには実力の差別も、男女や国籍の差別もなく、さらにはランナーと応援の人、そしてボランティアの誰もが主役になれるという意味でも、極めてユニバーサルですばらしいイベントなはずなのです。

そんなマラソンに、のっけから、お金もうけに基づく差別をあからさまに持ち込んでいることが、そもそもの最初からのボタンの掛け違いなのだと思われるということです。

「まあ、そんなカタイこと言わんで、楽しみましょや」と考えるしかないわけですし、東京マラソンがランナーやボランティア、沿道の住民の人たちの盛り上げにより命を吹き込まれるようにして「成長」してきたのと同じく、大阪マラソンもまた、こうした真の主役が頑張って、みんなのお祭りとして育てていくしかないのでしょう。

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今回、一般の応援グループの中で、見た目でも声援のボリュームもダントツに目立っていたと自負できるのが私たちのエルモ隊でしたが、コースで最も目立っていたガイジンは、上半身ハダカで走っていた男性(右)。
この人こそ、私が名古屋から応援に出てきた一番の理由で、マラソンを通じての長年来の親友であるニューヨーク在住のアレックスことアレクサンダー・マツケビッチさんです。

彼の話をすると、ただでさえ長ーくなったこの記事が、さらに止めどなく長くなりますので、とりあえずはできるだけ手短に紹介することにします。

彼と出会ったのは10年近く前、ニュージーランドの温泉リゾート地で開かれるロトルアマラソンの前夜祭。
海外からのランナーらを招待して行われた前夜祭でアレックスは、大都市マラソンの草分けとなった最高の大会・ニューヨークシティマラソンの開催地から来たという理由からランナー代表としてあいさつし、アカペラで映画の主題歌「ニューヨーク・ニューヨーク」を披露しました。

私はちょうど、こんな場で各国のランナーに「次は東京に来てくれ」と言いたいがために東京での市民マラソン開催を熱望していたことから、歩道を走りながら市民マラソンの開催を訴える東京夢舞いマラソンを取材し、その活動に足を突っ込み、特集記事を書くためにニューヨークも走りに行ったばかり。
そんな話をアレックスにしたところ、世界のマラソンを片っ端から「めぐり走る」彼と意気投合。

それ以降は、夢舞いマラソンの英語版ホームページを書いていた私の文章を彼が監修するばかりか、夢舞いの理事長である大島幸夫さんのメッセージを、その魂をくむ形で英訳してくれるなど、彼は夢舞いのスタッフ以上に夢舞いに入れ込んで、東京マラソンの実現に向け、まさに国境を越えた無私の協力をしてくれました。

そうしたことから、東京マラソンの開催を最も喜んでくれた外国人であるアレックスは第1回の東京マラソンも走りにきてくれて、私たちは、ともに長らく「3万人で走ろう」と夢見た銀座を多くのランナーとともに走ることになりました。

その1週間後の、おきなわマラソンも、それに先立つ長野マラソンも一緒に走って、写真展「走った!撮った!世界のマラソン」でもメーンとなるニューヨークの写真を撮りに行った5年前には、自宅に泊めてもらい、やはり一緒に走ったアレックスと、今回は一緒に走ることはできなかったものの、こうして私の故郷・大阪でも再会がかなったことは、最高にうれしいことです。

夢舞いのホームページを一緒につくっていたころは何百通ものメールをやりとりして、特別な関係を疑われるほど仲良しだった私たちも、このところは彼のメールサーバーの不調などから、しばし連絡が途絶えていたのですが、そんなおりに今回の来日を知らせてくれたのは、夢舞いのスタッフで明走会の駆けっこ仲間でもある松っちゃん(左)。

アレックスの日本人の奥さまと松っちゃんの奥さまが繁く連絡を取り合っていてくれたことから、大阪マラソン直前になって、アレックスの来日を知らせてくれたというわけです。
マラソンの後、松っちゃんのご家族と私は、アレックス夫妻が滞在するウイークリーマンションを訪ねて、東京マラソン以来で、一堂に会することができました(中央)。

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