
今月中旬から開く写真展「走った!撮った!韓流マラソン」の準備などのために昨日の夕方、帰省先の大阪から名古屋に戻った私は、自宅に着くやいなや、伊勢神宮に次いで由緒正しいとされる「熱田さん」こと熱田神宮に初詣を兼ねた「走り初め」のランニングに出かけました。
久々に少し真面目に走ろうとしている今月下旬のフルマラソンに向けて先月から走り込みをしているものの、昨日は実家で昼間からお酒をいただきすぎて元旦の走り初めをすることができなかったため、いくらなんでも2日続けて休養日とするわけにはいかなかったからです。
実は本日も「お伊勢さん」こと伊勢神宮の裏山を15キロほど走って、お伊勢参りをする「トレラン初め」をしてきたのですが、その報告は明日の記事で紹介するとして、まずは熱田さんの境内で撮影した写真6枚を掲載します。
とはいうものの、脚を止めると急激に身体が冷えていく真冬の夕暮れどき。かなり快調なスピードで自宅から約4キロの往路をとばして、なんとか身体を温めた後に熱田さんに到着したものの、やはりあっという間に寒くなってきたため、じっくりと撮影した写真はありません。

日本武尊が亡くなった後、彼が持っていた「三種の神器」の1つ「草薙の剣」を祀ったのが始まりとされる熱田さんは「熱田の大神」こと天照大神を「祭神」とするという由緒正しい神社。
樹齢数100年以上ものクスノキが生い茂る境内は、大都会にあるとは思えないほどの、うっそうとした林に囲まれていますが、夕暮れに来ると、さらに奥深い感じがします(左、右)。
去年の1月4日に初詣ジョグで熱田さんに来た際は、正月三が日が明けた後だったためか、人出は心なしか少なめに思えましたが、昨日はかなりの参拝客が押し寄せていました。
本殿の前では、大浴場の風呂桶のような横長で広々とした、お賽銭受けのスペースが設けられて、真っ白な布で覆われたその囲いの底には多くの硬貨やお札が投げ込まれ、特にお札は風に吹かれて舞うようにしながら片隅に吹き寄せられていました。
その前では、列をなした参拝客が次々に柏手を打ってお祈りを(中央)。
大震災の明くる年とあって、皆が自分のことと同時に、被災者らの幸いも祈っていたことだと思います。

広い境内を右回りに1周するように設けられた参拝の順路のうち、駅に近い出入り口の近くには多くの夜店がテントの軒を連ね、赤々とした電球に照らされて縁日のような様子です。
復路もまたとばして帰ろうとしていたことから、買い食いをすることもなく、そんな夜店を眺め、買わないのに撮らせてもらうのは気が引けましたが、「広島焼」の上にズラリと並んだ目玉焼きや(左)、ホルモン焼きの網の上で宙に燃え上がっていた炎(右)には目を引かれて、カメラを向けさせてもらいました。
そしてまた、晴れ着の着物美人を見かけると、考える間もなく声をかけてしまったというわけです(中央)。
久々に少し真面目に走ろうとしている今月下旬のフルマラソンに向けて先月から走り込みをしているものの、昨日は実家で昼間からお酒をいただきすぎて元旦の走り初めをすることができなかったため、いくらなんでも2日続けて休養日とするわけにはいかなかったからです。
実は本日も「お伊勢さん」こと伊勢神宮の裏山を15キロほど走って、お伊勢参りをする「トレラン初め」をしてきたのですが、その報告は明日の記事で紹介するとして、まずは熱田さんの境内で撮影した写真6枚を掲載します。
とはいうものの、脚を止めると急激に身体が冷えていく真冬の夕暮れどき。かなり快調なスピードで自宅から約4キロの往路をとばして、なんとか身体を温めた後に熱田さんに到着したものの、やはりあっという間に寒くなってきたため、じっくりと撮影した写真はありません。



日本武尊が亡くなった後、彼が持っていた「三種の神器」の1つ「草薙の剣」を祀ったのが始まりとされる熱田さんは「熱田の大神」こと天照大神を「祭神」とするという由緒正しい神社。
樹齢数100年以上ものクスノキが生い茂る境内は、大都会にあるとは思えないほどの、うっそうとした林に囲まれていますが、夕暮れに来ると、さらに奥深い感じがします(左、右)。
去年の1月4日に初詣ジョグで熱田さんに来た際は、正月三が日が明けた後だったためか、人出は心なしか少なめに思えましたが、昨日はかなりの参拝客が押し寄せていました。
本殿の前では、大浴場の風呂桶のような横長で広々とした、お賽銭受けのスペースが設けられて、真っ白な布で覆われたその囲いの底には多くの硬貨やお札が投げ込まれ、特にお札は風に吹かれて舞うようにしながら片隅に吹き寄せられていました。
その前では、列をなした参拝客が次々に柏手を打ってお祈りを(中央)。
大震災の明くる年とあって、皆が自分のことと同時に、被災者らの幸いも祈っていたことだと思います。



広い境内を右回りに1周するように設けられた参拝の順路のうち、駅に近い出入り口の近くには多くの夜店がテントの軒を連ね、赤々とした電球に照らされて縁日のような様子です。
復路もまたとばして帰ろうとしていたことから、買い食いをすることもなく、そんな夜店を眺め、買わないのに撮らせてもらうのは気が引けましたが、「広島焼」の上にズラリと並んだ目玉焼きや(左)、ホルモン焼きの網の上で宙に燃え上がっていた炎(右)には目を引かれて、カメラを向けさせてもらいました。
そしてまた、晴れ着の着物美人を見かけると、考える間もなく声をかけてしまったというわけです(中央)。
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