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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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名城・黒川・矢田川・東山1

正月休暇その2といえる3連休の最終日となった本日は、16日から始まる「韓流写真展」の準備のため上京して東京の某所に預けてある写真パネルのうち再び展示する20数枚を引き取って、今回も会場のデザインなどを手がけてくれる駆けっこ仲間の敏腕デザイナー・尚さんと打ち合わせをしました。

そして夕方に上京するのに先立ち、名古屋市内で5日前とほぼ同じ黒川、矢田川、東山をめぐる約28キロのロングジョグをしてきました。
前回、わきをかすめて通った名古屋城や名城公園も回り、東山の猫ヶ洞池もほぼ1周するなどしたことから、走行距離は2キロほど長くなりました。

本日は出かける時間の都合があり急がなければならなかったうえ、何度も休憩を挟んだ前回のような緩めのロングではなくて、もう少しきっちりとロングを走ろうと思っていたことから、たまに写真を撮るときや信号待ちなどでわずかに足を止める以外は休むことなく真面目に走りました。

しかし、走ってきてみると、やはりそれなりに写真は撮っていて、掲載する予定のカットは15枚に達します。
これらは明日まで2回に分けて掲載することにして、まずは、そのうち9枚をアップします。

BL120109市内ロング1RIMG9818  BL120109市内ロング2RIMG9828  BL120109市内ロング3RIMG9820

当初は鶴舞公園近くの自宅を出た後、ほぼ北上して名古屋城のわきを通り、江戸時代の運河・堀川の上流部分である黒川に沿った遊歩道に入る予定でしたが、できるだけ立ち止まらずに走るため信号待ちを避けて通勤ルートである北西方向に進み、会社の前を経て名古屋城の正面からお堀端を回ることにしました。
碁盤の目状に道路が交差している名古屋中心部では、対角線に進む場合、信号の四つ角で渡れる方を渡るようにしてジグザグに進めば、ほぼ信号待ちなしに走れるからです。

名古屋城の正門前にある能楽堂のわきに座っているのは、加藤清正の銅像(左)。
ブロンズの像は、背後に見える天守閣の屋根と同じ緑青色をしています。
今の名古屋市出身で、元は豊臣秀吉に使えていた清正は、のちに徳川家康に取り入って、肥後国熊本藩の初代の藩主になりましたが、名古屋城の築城にも携わって、高度な技術を要する天守台の石垣づくりを担当したということです。

名古屋城西側のお堀端にあるバス停近くのビュースポットからは、金のシャチホコをいただく天守閣を狙ってお決まりの絵はがき的な写真を撮りましたが、清正の築いた石垣に映る木々の影が、おもしろい模様を描き、同じアングルの天守閣の写真も季節や天候、時間によって表情を変えることが実感できます。

この天守閣は震災で元の建物が焼失した後に、名古屋復興のシンボルとして大急ぎで再建されたことから、肝心の骨組みは鉄筋コンクリートという、まさに換骨奪胎のシロモノ。
それに比べて清正ゆかりの見事な石組みは、もちろん江戸時代そのままの姿を残しているわけです。

それにしても、戦国武将として朝鮮半島の奥深くまで攻め入ったかと思えば、大規模な土木事業も行ったという清正を思うと、昔の傑出した人物の「人間力」というものは、今の私たちとは比べようもないほどの大きさがあったような気がします。

もちろん、いわゆる「朝鮮出兵」は、よその国の土地に土足で踏み込み、多くの人の命を奪った蛮行であり、現代の戦争と同様に、人間として決して許してはいけないものです。
ただ社会全体の価値観が偏っている場合、その中の1つのコマに過ぎない人間1人に罪をかぶせて済むというものでもないこともまた、古今東西のどこにあっても、確かなような気がします。

お堀端を走りながら城の裏側に来ると、前方で白い鳥が岸部近くに集まって舞い、アーアーという泣き声や、羽ばたきの音を響かせていました。
近寄ってみると白い鳥は「都鳥」ことユリカモメで、年配の男性がパンくずのようなエサを空中に放り投げては与えているところでした(中央)。

ユリカモメが勢い良く羽ばたく様子を、天守閣の背景とともに撮れるチャンスなど、なかなかないはずで、こうした出あいは町なかランならではの楽しみといえ、特をした気分になれるものです。

飛んでいる鳥がエサを目がけて群れる光景は、私がかつて仙台で仕事をしていたころに、郊外の塩釜港から松島に行く遊覧船に、いつも乗船客らが投げる笹かまぼこなどを目当てにカモメの群れがついてきたときの様子を思い起こさせます。
遠来の友人などが来るたびに連れて行く定番コースの1つだったその遊覧船は、大震災で大きな被害を受けながら再オープンを果たした、やはり定番スポットだった松島水族館とともに復興を後押しする平和で楽しい観光資源として今また行き交っていることでしょう。

そういえば、この後、「あ、辰巳さん」とトレーニングウエア姿で、耳にイヤホンをした若者から声を掛けられ、良く見ると、これまで走っているとは知らなかった職場の後輩でした。
私の職場では、隣にいる相棒が私に勧められるままに10キロほどの自転車通勤を続けたあげく、ランニングにものめり込み、1年間で見違えるほどシェイプアップしたうえに、先日のNAHAマラソンで初フルを完走。
やはり巨漢だった同期の友人も朝夕のランニングを続けて、ズボンがすべて使いものにならないほどに変心を遂げ、名古屋シティーマラソンのハーフに照準を合わせています。

ランニングのある楽しい生活について、私はさほど派手に「布教」活動をしているわけではありませんが、どうやら駆けっこ熱というものは明らかに伝染性があるようで、私はかなり強力な「病原」なのかもしれません。

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黒川の堤防には早春の訪れを告げる水仙の花が咲き誇っています(右)。
残念ながら水仙のほとんどは、U字溝のような運河の切り立った護岸の上に続く急斜面に植えられ、金網の内部にあって、近くで見て甘い香りを楽しむことはできず、対岸に咲く花を遠目に見ることしかできません。
ただ、遊歩道の高さが変わる部分の斜面わきで、辛うじて側面から見る水仙の花を撮ることができました。

5日前に黒川沿いを走ったときは、真新しい感じのペンキが塗られたトタン張りの住宅の前にサザンカの木が1本ポツンと植わっている写真を撮りましたが、本日はトタンが錆びて印象的な模様になった住宅の側面に、目を奪われました(左)。
こんな目立つ景色が、どうして前回は目に入らなかったのか、不思議でなりません。
光線の状態によって、景色の印象や目立ち方が変わるのかもしれませんが、いずれにせよ、同じコースでも走る度に目に飛び込むものが変わるというのも、お散歩的ランニングの楽しみです。

矢田川の河川敷は、太陽が傾いていた前回に比べ光線の状態が「トップライト」に近く、景色は平板な印象。
かつてカンボジアで駐在していたとき、企画記事の取材で東京の記者と一緒に来てくれたプロカメラマンが、熱帯の高い太陽に苦労して、陽が傾く夕方を待って外に繰り出していたことを思い出します。

前回は、矢田川に架かる名鉄瀬戸線の鉄橋の上を、真っ赤な電車が通るのを待ち構えて写真を撮りました。
より真面目に走っていた今回はもう足を止めて電車を撮ることはやめようと思いながら鉄橋にさしかかると、何とジャストのタイミングで今度はシルバーの電車が通りがかりました(中央)。
まさに「来るモノは拒まず」ということで、もちろんカメラを向けて「本日のテツ写真」をモノにしました。

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景色が単調で、光線もドラマチックでない矢田川の河川敷では、真面目に走る身にはありがたいことに撮るべきものがほとんどありませんでしたが、1枚ぐらいは証拠写真を撮っておこうと思ったところ、前回は撮影を見合わせたシロクマとアザラシのオブジェに食指が少し動きました(左)。

アザラシは白ではなくて黒でも良いところ、そろって真っ白というところが、ちょっと現代美術のようで、粋なのですが、2セットのシロクマとアザラシが、どうやらほとんど同じ形というところは芸がありません。
でも、4頭がともに白くて、同じ格好をしていたことから、遠くの空に浮かぶ白い雲もまた動物のように見えて、画面にちょっとしたリズム感が生まれました。

ときおり陰る太陽をふと見上げると、薄いまだら状の雲がかかっているところでした(中央)。
輪郭がはっきりと見えて、うっすらと濃淡の模様が描かれた白い太陽は、まるでオパールのよう。
子どものころ、セルロイドの下敷きで太陽を観察したときのようでもあり、皆既日食を真っ黒に現像した白黒のフィルムなどを目に当てて見上げる写真の中の人が、見ている太陽のようでもあるようで、こうして肉眼で昼間の太陽をはっきりと見られる瞬間も、そうそうないような気がします。

東山の北半分に当たる「平和公園」の一角にある猫ヶ洞池でも、今回は北側のほとりの雑木林につけられたトレイルを通るなどして池をほぼ一周するという遠回りをしたところ、前回には通らなかった池の西側の岸辺から公園の心臓部を占める墓地を眺めることができました(右)。

この平和公園は、戦後復興期の大規模な区画整理に伴って、名古屋の市街地にあった300近い寺の合わせて18万余基の墓を一挙に移転する先としてつくられた大規模墓地公園です。
「100メートル道路」を筆頭とする幅員の広い道路と相まって、戦後の名古屋の基盤をつくった大事業こそが平和公園の造成だったわけで、おかげで名古屋の町は、あちこちに大小の墓地が点在する東京などと比べ合理的な土地利用・町づくりが可能になったと言えます。

まあ東京の場合は街なかの大規模霊園が緑地ともなり、青山墓地のような花見の名所もできているわけで、それはそれで町に潤いをもたらしているとも言えるわけですが、都心のど真ん中にドーンと構えて一般市民がほとんど出入りできない皇居とともに、霊園の数々が合理的な再開発の足かせになっていると感じる向きも少なくないように思えます。

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