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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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わかれ、これから

去年7月、雲取山にトレランに出かけて、下山中に滑落して亡くなった駆けっこ仲間、Mさんの事故を振り返る報告会が本日、東京で開かれ、私は名古屋から上京して会に参加させてもらいました。

実のところ本日はまたプライベートで、私にとって人生で最も世話になった方と、おわかれをする儀式も東京方面であったために、報告会には途中までしかいることができず、中座した後の様子は事後的に参加者から伝え聞くなどすることになりました。

というわけで本日は、ひととのわかれに絡む、心の重たいイベントが2つあったのですが、プライベートな話題は控えさせていただき、報告会についてのみ、少しばかり触れたいと思います。
報告会はもちろん写真を撮るようなイベントではなく、その前後も、とても写真を撮ろうという気持ちにはなれませんでした。
また、このところ撮っていながらアップしていない写真を掘り起こして「埋め草」にしようとも思ったのですが、それはあまり意味のあることとは思えず、話題にもそぐわないことから、本日は東日本大震災が発生した日以来となる写真なしの記事を書くことにします。

といいましても、Mさんの遭難事故の内容については既に、トレランに同行した3人のうちの1人の方から話を聞くなどして何本もの記事で書かせてもらっているうえ、本日の報告会を経ても、把握することができた事実に大きな変わりはありませんので、その詳細を繰り返し書くことはしません。

報告会には、Mさんとトレランに同行した3人の仲間全員がそろって来てくれたほか、Mさんが所属していたサークルのメンバーや仕事仲間、それに学生時代からの友人など、Mさんを慕っていた人たちが20人以上も集まりました。

事故からほぼ半年が過ぎた今、あらためてその日に何が起きたのかを当事者の人たちから直接聞き、それぞれの心のひっかかりやわだかまりを解くとともに、事故から学ぶべきものを整理して、こうした事故の再発防止に結び付けよう-というのが報告会の趣旨です。
それぞれにとって、これから生きていくうえでの頼りとなる、こんな機会を設けてくれたサークルの中心メンバーの方々には頭が下がる思いがしますし、重たい事実を背負い続けなければならない同行の仲間たちが、自らの言葉でつらい記憶について話してくれた勇気にも、感謝します。

報告会では、取り返しのつかない結果を招いてしまった今回の事故を振り返って、Mさんと同行した3人とは別の友人の中にも、それぞれ自分が事前に何かできたのではないかと悔やむ人が少なくありませんでした。
頑張り屋のMさんがトレランに夢中になったり、ハードな富士登山競争に出場した2日後に今回のトレランに参加したりするのを知って、「気をつけるように」「無理をしないように」と声をかけるべきだったと自分を責める人さえいました。

一方で、まだまだ多くのやりたいことや、できることを残しながら突然、人生に幕を下ろさざるを得なかったMさんの分まで一所懸命に生きよういう思いを抱いていることは、報告会の参加者全員に共通しています。
同行した人たちのショックは特に大きかったわけですが、かれらもまた、いつまでもくよくよしていては「Mさんから叱られそうな気がする」などとして、彼女の走る予定だった大会や走りたいと話していた大会に積極的に参加するようにしているということで、彼女と一緒に撮った写真を身に着けて走るという人もいます。

それほどMさんは多くの人たちから愛されていたわけで、彼女がいなくなったことは、それほど多くの人の胸を揺さぶり、生き方にさえ影響を与えているということなのでしょう。
私もまた、事故の直後に現場に何度か足を運んだり、同行した方の話を聞いたりして何が起きたのかを必死になって知ろうとしましたが、今から思うとそれも彼女のパワーが乗り移って私を動かしてくれたようにも思います。

もちろん、そうし行為は一言でいえば、私自身ができることや、やるべきことをやることで、自分が後悔しないように、楽になれるようにと思ってやったことですが、私を突き動かしてくれたパワーは、彼女が残してくれた「気持ち」のようなものにも源があるような気がします。

私は先に話したプライベートで世話になった方にも、最後にお会いすること、お礼を申し上げることができないままになりました。それは悔いても悔いきれないほど無念なことで、私の人生における大失態の1つとなるのですが、Mさんに対して直接には何もしてあげられないことと同じく、永遠に取り返しのつかないことです。

人というものは、自分以外の多くの人の命を糧にして生きていくものですが、そうした命は自分の命を含めて当たり前のことながら限りがあります。
まさに、この世は無常だということですが、かといってすべてが変わらず永遠に続くとすれば、人生の楽しみもまたなくなることになるでしょうから、無常であることを無情だと言って嘆くよりは、無常であることを前向きに受け止めながら生きていくしかないのでしょう。

そのためには、そのときどきを一所懸命、後悔しないよう精一杯に頑張ったり楽しんだりするしかありません。
月並みな言葉ですが、そんな思いを新たにするばかりです。
そして取って付けたように言えば、人の命が奪われる危険が常に伴う登山やトレランでは、町でいるとき以上に周到な準備と細心の注意が必要ですし、仲間と一緒に行動するのであれば、いつもより以上に、お互いに対する思いやりを忘れてはならないのだと、あらためて思わざるを得ません。

大地震や大津波のような天変地異であっても、後々から思えば当たり前の備えさえしていれば、もたらされる被害は大幅に小さくできるものと思われます。
ましてや、自ら接しようとするときの山の自然は、山に対する接し方の作法さえ守れば、滅多に牙をむくものではありません。むしろ人を優しく包んで、心を豊かにしてくれるものですし、仲間たちと一緒にいれば、互いの関係をも豊かにしてくれるものだと思います。

Mさんのことと同じく、Mさんの身に起こったこともまた、忘れることができませんし、忘れてはならないと思いますが、半年が経ったことを1つの区切りに、彼女の分までさらに前向きに生きていきたいと思います。
同行された仲間たちのつらい心情は、本人たちでしか分からないものだとは思いますが、やはりそんなふうでいてくれればと願っています。

なんだか、取り止めもなく当たり前のことどもを書きつづってしまったようですが、報告会を開くことに尽力してくれたみなさんに、重ねて、ありがとうと申し上げたいと思います。

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