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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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走った!撮った!京都1

「走った!撮った!京都マラソン」の掲載を、いよいよ本日からスタートします!

東日本大震災から丸1年の3月11日に開かれた第1回の京都マラソンから、既に10日近くが経ちましたが、その後も実家に帰省したりトレランの大会に参加したりしたことから、京都の写真を選択して編集作業に取りかかる時間と気力がないままに時間が過ぎてしまいました。
しかし週半ばの休日となった本日、トレランで酷使した体を休める意味も込めて自宅に引きこもり状態となり、満を持して写真を見ることができたというわけです。

当日の記事で既に書いた通り、京都マラソンは国内のマラソンとしては3本の指に入れたいくらいすばらしいマラソンでしたが、狭い道路が多く他のランナーの邪魔にならないように立ち止まることが難しかったことなどから撮影した写真の枚数は少なめで、「これぞ」といえるナイスショットもあまりないような印象がありました。
そのことがまた、写真の選択作業にかかるのが億劫になった理由でもありました。

しかし時間をおいて写真を見てみると、狙った通りに撮ることができた楽しい写真が多く、選ぶのに苦労するほどで、感動したわりに写真はうまく撮れなかったという心配は杞憂に過ぎなかったことが分かりました。
そして掲載するために選んだ写真は、なんと132枚。これを11回に分けて毎回12枚ずつ掲載します。

ブログで掲載する写真の選択は、写真展を準備するときのように枚数の制限を気にしたりレイアウトの工夫をしたりする必要がありませんので、同じような絵柄のものがあっても、OKな写真なら何枚でも採用します。
要するに、写真展などで使う際の下準備をするようなもので、初めからかなり行き当たりばったりに選択していくのですが、それがちょうど3月11日にちなんだように11回分になるとは、ちょっと驚きです。

スタート前のごたくはこのへんにして、それではまず第1回目の12枚を掲載します。
西京極の陸上競技場から嵐山までに撮影したものです。

京都マラソン1-1RIMG0343  京都マラソン1-2RIMG0344  京都マラソン1-3RIMG0346

京都マラソンのスタート会場は、阪急京都線の西京極駅前にある西京極総合運動公園です。
駅伝発祥の地という京都では、この運動公園の陸上競技場兼球技場をメーン会場に、全国高校駅伝や都道府県対抗女子駅伝などが行われていますが、参加者が1万5000人に近い今回のマラソンでは、スタート前に整列するランナーが競技場の外にまで並ぶことになりました。

とはいうものの、競技場の外に並んだランナーも全員が場内のスタートラインを越えてから京都の街に駆け出していきます(左、中央)。

先の記事でも触れましたが、当日の朝には西京極の駅がランナーであふれ、ホームの端ぎりぎりまで人が立つことになったため電車が入線できなくなったり、仮設トイレがなかったため十分なトイレが確保されず、整列時間近くになっても長蛇の列ができたままだったりというトラブルもあり、次回以降の改善策が望まれます。

私は日本陸上競技連盟に登録しているために競技場内の前の方からスタートできたのですが、トイレ待ちをしている際に整列時間ぎりぎりになり「時間を過ぎると最後尾からスタートしてもらいます」というアナウンスをやきもきしながら聞きました。
トイレの列に並びながら、あと2人目となったとき、前にいた若い男性ランナーが「ボクは後ろの方のスタートですから、遅れても大差ありませんので、お先にどうぞ」と言ってくれたのには、ちょっと感動しました。

京都の街を東西に横切る通りの1つ、五条通の近くにある競技場を出ると、すぐに1本北の四条通まで走り、左折をして西に向かい、桂川を目指します(右)。
これも先の記事で触れましたが、京都マラソンは仮装が禁止されていますので、カラフルでファッショナブルなウエアが多いものの、着ぐるみなどの大がかりな仮装をするランナーは見えません。

コースが比較的、街の中心部を外れた地域を通るものの、それでも観光客も多い大都市・京都で大がかりな交通規制を敷いて「ノーマイカーデー」を呼びかけていることから、ふざけたように見える格好を控えてほしいというのが仮装禁止の理由だということで、そう言われれば分かるような気もします。
マラソンが今後、京都の年中行事の祭りとして定着していけば、仮装の規制も緩んでいくかも知れません。

京都マラソン1-4RIMG0349  京都マラソン1-5RIMG0347  京都マラソン1-6RIMG0357

京都マラソンのパンフレットによりますと、コースの途中の10カ所ほどで「沿道盛り上げ隊」と称して、高校や大学、地元のグループなどによるダンスや演奏などの応援パフォーマンスが繰り広げられました。
スタートして間もなく、最初に見かけたのは美女たちによるダンスで、京都外国語大学フラメンコ同窓会によるパフォーマンスと思われます(中央)。

四条通沿いでは、コース両側の歩道に地元の人たちによる応援が続いていましたが、こちらは派手な仮装やパフォーマンスは目立たず、京都らしくというのか、皆が同じように行儀の良い感じです。
また、ランナーの密度もまだまだ高いことから、立ち止まって沿道にカメラを向ける機会を逸しがちでしたが、民家の前で親子と孫の3代がそろって応援される家族のような老若男女の皆さんを撮らせてもらいました(左)。

京都市内には東西の山の近くに2本の川が流れていて、東の鴨川と対をなすのが西の桂川。
コースは4キロ過ぎで、この桂川の堤防に出て、川が山から流れ出てくる付近にある嵐山に向かいます。
川沿いの4.5キロ地点には最初の給水所があり、ここでは女子大生たちとみられる元気なボランティア美女軍団にカメラを向けさせてもらいました。
ボランティアの胸に張ってあるステッカーに書いてあるのは「絆」の文字。
「京都・日本の活性化」とともに「東日本大震災復興支援」を掲げた今回の京都マラソンでは、同じステッカーがランナーにも配られました。

京都マラソン1-8RIMG0362  京都マラソン1-7RIMG0359  京都マラソン1-9RIMG0363

桂川の堤防の内側にある大きな建物の壁いっぱいに、巨大なポスターのようなものが張られていると思っていたところ、近づいてみると、これも「盛り上げ隊」の応援パフォーマンス。
京都嵯峨芸術大学の学生らによる、写真を使っての「応援アートの展示」でした(中央)。
おどけた若者たちの明るくてヘンな表情、真面目な言葉のはずなのに吹き出したくなるような「吹き出し」。
スケールが大きく、はじけたアートは学生ならでは。こちらも大学生に戻ったような気分で力がわきました。

考えてみれば、大学生のアート作品が1万5000人に見てもらえる機会なんて、なかなかないわけで、学生の側にとっては、張り合いのある作品制作だったと思います。
しかも、それがこうして1万5000人にインパクトと元気を与えるというのは、すばらしいことです。
とはいえランナーが通り過ぎてしまえば、パフォーマンスが終了することを思うと、寂しい気もします。
というわけで、こうしてランナーの目から見た感動の場面を残させてもらいます。

大きな写真が掲げられていた建物の横を通ると、屋上で学生らが声援を送ってくれていました(左)。
また地上でも、学生によると思われる妖怪の仮装をした応援グループがランナーを迎えてくれました(右)。
そう、なんだか学園祭のノリです。
「市民マラソンは、お祭りだ」というのが信条の私としては、学生たちがこうして、お祭りのノリで応援を楽しんでくれることは、とてもうれしく、ちょっとシビレてしまいました。

京都で大学生をしていたころの私は、東京などと違って世の中の流れから少し離れたところにある地方の「学生の街」にいてこそ、独創的で地に足のついた勉強や遊びができるはずだなどと思っていましたが、その半面、現実社会との接点をあまり持てないことを、もどかしくも感じていました。
そんなことを思い出しながら、今こんなふうに学生たちがマラソンのボランティアや応援をすることによって、世の中とつながれることを、たのもしくも、うらやましくも思えます。

マラソンを走ることは勉強やほかの遊びにも忙しい10代、20代の若者にとっては難しいことですが、京都の学生たちがもっと大勢マラソンを走ったりボランティアや応援をしたりすることで、この街を、学生時代だけを過ごす場所としてではなく、自分の街として好きになってくれればと願います。

京都マラソン1-11RIMG0370  京都マラソン1-10RIMG0365  京都マラソン1-12RIMG0367

コースから見る桂川は真っ青に晴れた空の色を川面に映し、嵐山の山の手前にある名勝の渡月橋も見ることができました(中央)。

嵐山では、名所の数々を巡ることこそできませんが、沿道は暖かい拍手と笑顔にあふれていました(右)。

「辰巳さーん」と声を掛けてくれたのは明走会の駆けっこ仲間で、今は東京から大阪への転勤に伴って会の支部である関西明走会に所属している快足ランナーのアミーゴ。
抽選にもれて、走れなかったものの、応援に駆けつけてくれていました。

この後、明走会の仲間が何人も一緒に走っていたことを、次々に抜き去られながら知ることになりました。

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