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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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気仙沼大島へ

東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の、気仙沼湾と太平洋の間に浮かぶ気仙沼大島で明日、走って復興を支援しようというハーフマラソンなどの大会があり、私は本日、この「気仙沼大島ランフェスタ」でハーフを走るために現地入りしました。

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気仙沼大島は有人の島としては東北地方で最大の島で、面積は約9平方キロメートル、人口は約3000人。
昨年3月11日に起きた東日本大震災では、30人余りが死亡・行方不明となり、約300戸の住宅が損壊したということです。

震災発生の当日から4日間にわたって航空機で被災地をビデオ撮影するという仕事をした私は、この気仙沼大島を含む気仙沼の被災直後の様子を目にしています。
近くにある岩手県陸前高田市や大船渡市、山田町などと同じく、気仙沼も海岸近くの市街地が津波にのまれて広範囲に水浸しとなり、建物が壊滅状態になっていましたが、なかでも気仙沼では何隻もの船舶が陸地の奥へと流されて乗り上げていたほか、山間部であちこちから火の手が上がり、煙が立ち上っていて、あたかも空襲を受けたような光景が目に焼き付いています。

しかし、名古屋を足場に仕事をしている私が震災地と直接かかわることができたのは、そのときだけ。
目の前に広がっていた光景が、余りに想像を絶するほどだったため現実感がなく、まるで映画のスクリーンを見るような気分を味わっただけで、その光景の下で繰り広げられた被災地の人たちの、つらい生活や立ち直っていくために努力されてきた様子に、直に触れることはできないままでした。
そのことは会社勤めの身ではあるもののジャーナリストの端くれである自分にとって、大きな引け目というかコンプレックスを感じ続けてきた部分でもありました。

もちろん震災の後に、この国に生きる人にとって、すべての物事は震災抜きに考えることはできないわけですし、被災地や被災した人たちのことを頭の隅に置くことは、いやがおうにも誰もがしていることでしょう。
それでもなお、実際に、その現場に赴かないことには気が済まないというのは、野次馬根性で仕事をしてきた自分としては仕方のない、自然な気持ちであるわけです。

それでも会社の人間としては自分の持ち場を離れて、自分の心のままに動くことなど、ままなりません。
それじゃ、ボランティアとして被災地に赴いたら良かったようにも思えますが、やはりちょっと違いました。
自分にしかできないこと、自分だからこそできることがあるはずなのに、それについて考えることなく現地に出かけてボランティアをしたところで、それは私にとっては、自分への言い訳となるに過ぎないような気がしたのです。

そんなふうに考えることだって、格好を付けているだけじゃないのかと思いながら、それでも被災地を訪れる機会や大義名分を見いだせないなかで知ったのが、今回のランフェスタというランニング大会でした。
「楽しむことが支援になる」という大会のモットーが真実だとすれば、私にとっては、これほど都合の良い大義名分や言い訳はありません。

というわけで「被災地を訪れる」というには、あまりにも間抜けた1年以上も経った後ではありますが、このランニング大会に参加することで復興の進み具合を目にするとともに、ランニングのもつ「元気を伝染させる力」というようなものを実感してみようという思いに至ったのです。

私は27年前に仕事を始めた3年後から、2カ所目の地方勤務先として仙台に暮らしたことがありましたが、交通が不便で、むしろ岩手の三陸沿岸の地続きという位置にある気仙沼には、車で1度訪れただけでした。
その不便さは今も何ら変わることはなく、東北新幹線で岩手の一ノ関駅にたどりついた後、丘陵地帯を蛇行しながら走るローカル線の2両編成のディーゼル列車に、さらに1時間半近く乗って、ようやく気仙沼に着くのは名古屋を出てから6時間近くも経ってからです。

そして、被災して施設が復旧されていない気仙沼港のフェリーポートまで歩き、さらに船に30分近く揺られ、ようやく気仙沼大島に到着しました。
船の上では、乗客らが群がってくるカモメにエビセンを食べさせていました(左)。
仙台に住んでいたころ、訪問してくる家族や友人らを連れて出かけた、近郊の塩釜市と松島を結ぶ連絡船で、いつも見ていたのと同じ光景です。

震災後に、がれきを撤去するなどのボランティア活動に携わった人たちも、再びスタッフやランナーとして参加するという大会の受付会場は、市立の大島小学校(中央)。
スタッフらの明るさや元気さも、普通の大会より、一枚上手なように感じました。

気仙沼大島の北側にそびえる標高250メートル余りの亀山は、島や気仙沼市街を見渡す展望台です。
麓から山頂近くまで観光客を運んでいたリフトは津波で施設が壊れたため撤去中だということで、私は受付を済ませた後に、徒歩でこの山に登って、大展望を楽しみました(右)。
写真で見えるのは島の南西側で、右端の入り江がフェリーの発着する港。中央より少し左上に見える大きめの建物が学校の校舎。
左側の十字路は、港と反対側にある浜辺を結ぶ峠のような場所ですが、震災の際には津波が左右両側から時間差で押し寄せて、ここで水がつながったということです。

しかし、震災から2度目の初夏を迎えた今は、一見何ごともなかったように島は緑に覆われています。
「海はいのちのみなもと 波はいのちのかがやき 大島よ 永遠に緑の真珠であれ」
島出身の児童文学作家で詩人の故水上不二が、島をたたえる詩を書いたのは、ここからの景色を眺めてのことだったとされています。
一度は牙をむいた自然ですが、こうして再び島の景色と暮らしを、豊かに美しく包もうとしているのを、感じることができるようでした。

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