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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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能郷白山を再訪

先月20日の「ぎふ清流マラソン」の写真は8回中2回目までを掲載したところですが、本日は、お休みです。
その代わりに掲載するのは、土曜の代休をいただいた本日、登ってきた能郷(のうごう)白山の写真です。

能郷白山は、中級山岳ではあるものの深い森に覆われた岐阜、福井の県境地帯に広がる「奥美濃」の山の盟主的な存在で、標高は1617メートルですが、春遅くまで雪をいただく、どっしりとした山容が特徴的な山。
私はテントを担いで、あちこちの山を独りで、ほっつき歩いていた大学生時代、1度だけ登ったことがあって、今回は約30年ぶりの再訪となりました。

京都にある大学に通っていた当時、私が山を歩くホームグラウンドのようなフィールドは、1000メートル以下の低山が連なる「京都北山」と、北山と琵琶湖に挟まれた最高峰が1200メートル余りの山脈「比良山」。
登山客が集まるアルプスのような高い山よりも人気(ひとけ)がない深い森にあこがれていた私にとっては、北山や比良山の向こうにあるのは、この奥美濃の山々であり、さらに深い東北の山々でした。

薄墨桜と大きな断層で知られる根尾谷や、村が丸ごと水没したことで知られる徳山ダムの奥にある能郷白山は、かつての私にとって、遠くはるかな存在でした。
当時の国鉄(今のJR)東海道本線からディーゼル車が走るローカルの単線・樽見線(今の樽見鉄道)に乗り換えて、薄墨桜のある終点の樽見駅からさらにバスに乗り、その後には長い林道歩きまで控えていましたので、テント泊は必至でした。
その遠かった山が、名古屋に住む今は車で2時間半ほど走ると登山口に達する日帰り圏内にあるわけですから、機会があれば、ぜひ再訪したいと思い、深い雪が解けるのを待って出かけたというわけです。

ぎふ清流マラソンの写真掲載もまだまだ続きますし、本日はさほど、たくさんの写真を撮りませんでしたので、ブログにライブ感を出す狙いもある能郷白山の報告は1回きりです。

BL120618能郷白山9P1010450  BL120618能郷白山8P1010378  BL120618能郷白山7P1010409

能郷白山に登ったルートは、根尾谷を流れる根尾川の支流の谷、能郷谷を詰めて、山頂から南東に延びる尾根に取り付くという往復コース。
標高差は約1200メートルですが、尾根の上で多少の上り下りがありますので、累積で登る標高差は、さらに100メートル以上あって、それなりに登りがいのあるルートでした。

往復コースということもあって、写真は時系列ではなく、適当に並べています。
まずは山頂近くの、残雪が消えたばかりと見える草場の「お花畑」に、ちょっとした群落をつくって咲いていたカタクリの花(中央)。
カタクリは早春の花ですが、高山ではないにしても豪雪地帯にある、この山の上は、まだ春が訪れたばかりだということです。

お花畑の花としては、ピンクのショウジョウバカマやイワカガミも見られたのですが、花がまばらに咲いていたことなどから、写真にまとめることが難しく、今回はカタクリの写真のみを掲載します。

山頂の近くで、つぼみと葉の形がきれいに見えたのは、ユリの仲間と思われる花(右)。

中腹の林床で行き帰りともに目を引いたのは、ツルっとした葉が、なぜか青っぽく光る背の低い草木(左)。
晴れた日の日影は、白いモノが青っぽく見えたり、写真に写ったりするものですが、この葉は、周囲にある葉が黄緑色をしているなかで、明らかに青く光っていて、不思議でした。

実際には、もっと濃いブルーでしたが、カメラの色補正機能が効いてか、写真の色は、物足りません。
仕方なく、編集ソフトで逆に少し補正をかけてみましたが、まだ実際よりも淡い色になっています。

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中腹を覆うブナやミズナラの森の林床では、春の花が咲き終えて、一気に伸びた感じの草木が、鮮やかな緑の草むらをつくっているところでしたが、そんななかで目についたのはナルコユリかアマドコロと思われるユリ科の植物の、細長い釣り鐘状の花(左、中央)。

登山道から少し入ったところで、私の背よりやや高い枝から下がっていた、やはり釣り鐘状の花は、クリーム色に濃いピンクの縦スジ模様が美しいツツジの仲間、サラサドウダンの花でした(右)。

BL120618能郷白山4P1010362  BL120618能郷白山5P1010364  BL120618能郷白山6P1010347

この時期のブナ林の林床で咲き誇る花といえば、白いビーズを散らしたように見えるマイヅルソウ(左)。
ハート形をした葉の形が、広げたツルの羽のように見えることから名付けられたということです。

マイヅルソウは、コケむした大木の根元にできた、くぼみにも、せり上がるようにして張り付くように広がって、咲き乱れていました(中央)。

中腹の尾根上には、樹齢数百年だったと思われる枯れた大木の、立ち残った幹だけが2カ所で見られ、そのうちの1本は、朽ちた幹から伸びる若い枝や葉から、ミズナラであることが分かりました(右)。

BL120618能郷白山10P1010433  BL120618能郷白山11P1010383  BL120618能郷白山12P1010427

能郷白山は、この周辺で最も高い山であることから、「三角測量」の1番の基準となる1等三角点が、頂上に設置されています(中央)。

山頂部は東西に長い、馬の背中のような形をしていて、登山道の途中から眺めると、右の方にある最高点には三角点がある一方、左の高まりには小さな祠があります(左)。
この山は古くから「白山信仰」の対象となってきたからです。

山頂近くの尾根からは、多くの残雪がある「ご本家」の白山(2702メートル)も遠くに眺められます(右)。

※※※

私が能郷白山に初めて登ったのは、大学2年か3年のころ、今から30年以上も前のことになります。
子どものころからボーイスカウトでキャンプなど野外生活を学び、中学時代からは友人らと山をほっつき歩き、高校ではワンゲル部で毎月のように山に入っていた私は、大学生になると独りで山に行くようになり、当時、出始めたばかりの軽量で自立式のドーム型テントを購入した後は、より深い山へと行動範囲が広がりました。

先にも書きましたが、当時の私のホームグラウンドは京都北山や比良山でしたが、北山の中でも最も奥深い京都、福井、滋賀の県境地帯にあって、日本海に注ぐ由良川の源流でもある芦生(あしう)の原生林や、能郷白山をはじめとする奥美濃の山々は、1段階グレードアップした山といえました。

それらの山に共通するのは、数メートルの雪が積もる豪雪地帯であり、ブナやミズナラなど亜高山帯の落葉広葉樹が生い茂る原生林が多く残されていたこと。
深いブナの森を追い求める気持ちは、その後、私を飯豊連峰、朝日連峰や白神山地などの東北の山々に駆り立てていったのですが、私にとってのブナの森の原点は、芦生や奥美濃の森でした。

雪深いからこそ春が訪れたときの生きものたちの息吹に勢いがあって、身体全体が、しっとりとした森の精気に包まれるようなブナの森は、今でも遠ざかっていると「禁断症状」を起こすほど魅力的です。
このところ、ブナの森はあるにはあっても太平洋側らしく乾いた感じのする鈴鹿山脈などに通っていた私は、そうした豪雪地帯のブナ林が恋しく感じて、能郷白山を目指したのです。

能郷白山を初めて訪れたのは、今回より少しだけ早い時期で、まだ谷間や日影に残雪があったころでした。
バスの終点に到着した昼下がりから、長い林道歩きをして、今回たどったのと同じ長い尾根に取り付き、山頂からほど近い尾根の上でテントを張って1夜を過ごしました。
尾根の上には水場がありませんし、当時の私は山の中でも米を洗って炊き、野菜を切って料理を作っていましたので、2日分の水も担いでいたはず。駆けっこはまだしも、重い荷物を担いで山に入る体力は残念ながら当時の方が上だったように思います。

奥美濃や琵琶湖周辺の山などで、そうして尾根の上にテントを張ったことは何度もあり、そのいずれかの夜、尾根に近い草むらがざわめく音と、大型の動物のものと思われる唸り声を聞いたことがあります。
それを思い出したのは今回、ちょうど以前にテントを張ったあたりで、全く同じようなざわめきと、大きな唸り声を聞いたからです。
「ガルルル」という声は何かに怒っているようにも聞こえて、さすがに一瞬、ヒヤッとしました。
ただ本州のツキノワグマは出合い頭に顔を合わせるなどしなければ人を襲うことはまずなく、フレンドリーなはずと聞いていますので、カメラの望遠レンズをセットしなければ、などと思い巡らし、そうするうちに声の主は気配がなくなりました。

私が大学生だった時代は山を切り刻む林道が、どんどん奥地に伸びて、ブナなどの森は見る見る消えていくところでした。
私が何かに憑かれたようにして深い森に入っていたのは、その時のうちに深い森を経験しておかなければ、遠からずなくなってしまうという危機感があったからでもあります。
そして、仕事を始めてからは、ブナの森の保全をはじめとする自然保護にかかわることを伝えようと努力した時期もありました。

しかし、高度成長の時期が終わり、安い外国産の木材が流入し、バブルも崩壊すると、森林の伐採やリゾート開発の勢いは一気に低調になっていき、山はうち捨てられたかのようになりました。
長い川の中を何日も歩いて核心部を味わうことができた白神山地のブナ林は、世界自然遺産に登録され、多くの地域が立ち入り禁止になりました。
また里山では、植林地の間伐が進まず、放置されたような所も増えて、歩かれていた山道や林道が荒れて廃道になっていくところも少なくありません。

ただ今回、能郷白山の頂上近くから見た景色は、以前と同じく、山また山が、「たたなずく青垣」となっていたものの、ブナの森は尾根の近くにシマ状に残っているだけで、相当の部分が伐採された後でした。
これが、全国的に奥山での開発の波が止まる前に起きたものなのか、それとも、この山のように国立公園の保護地区に指定されていない森では、まだまだ自然林の伐採が進んでいるためなのかは分かりません。
おそらくツキノワグマのものだったであろう唸り声は、寒くやせ細ってしまった森の状態に憤るものだったようにも感じています。

今回は能郷白山の頂上で折り返して、往復コースをたどりましたが、大学時代の私は頂上から深いヤブの中に分け入って、岐阜と福井の県境を越える国道の最高点である温見(ぬくみ)峠を目指しました。
川の中を歩く「沢登り」も既に楽しんでいた私は、地図さえ読めれば、道のないところでも突破できると思い込んでいたようで、ヤブをかきわける「ヤブこぎ」もまた山の技術の1つだとも思っていたからです。
また、今では往復コースも、違ったアングルから景色を楽しめると思っていますが、欲張りな若者だった私は同じコースを戻ることには抵抗があったようです。

能郷白山から温見峠までは直線距離なら、ほんの2、3キロですが、道のないヤブの急斜面を、標高差600メートルも一気に下らなければならず、そんな「暴挙」は、今の私なら100パーセントやりません。
(もう少し続きます。)

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