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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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飛騨の酒

ストックしていた「走った!撮った!」の写真を編集・掲載する作業が一段落し、8月の写真展に向けて展示する写真の選択作業もようやく第1段階を終えることができました。このブログもようやく公開日記らしく、極力その日や直近のネタを扱えるようになったところなのですが、本日は、さっそくネタ切れになりました。

夕方までの仕事をこなしたあと写真展の準備作業など所要が重なり、新しい写真を撮ることができなかったからです。正確に言いますと、短い昼休みにカメラを持って外に出たのですが、時間もなかったことから珍しくカメラを向けたい被写体に出会うことができなかったのです。

ただ考えてみると、カメラに仕込んだままのSDカードには、掲載するつもりで撮影しながら、そのままになっている写真も数多くあって、その中で目にとまったのは、先月の飛騨高山ウルトラマラソンの遠征時に、高山で仕入れてきて、すでにいただいてしまった美味しい飛騨の酒。
ウルトラマラソンは痛恨のリタイアとなって、その際に撮った写真はブログにアップしたものの、今回の写真展の展示からは外れる予定なのですが、その代わりと言ってはなんですが、高山行きの思い出をよみがえらせる酒の写真を掲載して、その忘れがたい味も思い描こうというわけです。

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飛騨高山と呼ばれる岐阜県高山市には日本酒の醸造所が6カ所もあって、小さな町として他に例を見ないほどの密集ぶりで、それらの醸造所をめぐるなどして高山の酒の味もかなりたんのうしてきたのですが、本日紹介するのは、そうした高山の酒でも、高山から帰る際に立ち寄った白川郷の酒でもありません。
高山の町で地元や岐阜県内の酒を多数扱っている酒店で仕入れた下呂市のメーカーの2種類です。

そのうち「どぶ酒 龍の瞳」は、下呂の水田で新種が見つかって栽培が始められた大粒のコメ「龍の瞳」を使って仕込まれた発泡性で生の濁り酒(左、中央)。
そのコメやそれを使った商品を開発して販売する種苗メーカーが、岐阜・大垣市で濁り酒をつくる酒造メーカーに醸造を依頼して生まれた酒です。

実は濁り酒にも目がない私は、あちこちの濁り酒を飲みあさってきてもいますが、この酒はそのなかでも最もお気に入りの1つです。
ごらんのように器に注ぐとブクブクと表面に泡がたち、口にしても、そのクリーミーな泡が、やわらかい口当たりを演出してくれます。そして、ドロドロすぎず、淡泊すぎもしない絶妙な「濃さ」の酒は、甘すぎず、少し酸味がきいていて、採りたての果物のようなフレッシュな香りは筆舌に尽くせないものです。
商品化されているマッコリのなかではピカ一に美味しい日本産の「虎マッコリ」と、ちょっと似た感じがします。

そして普通の日本酒の方は、やはり下呂の酒造メーカー「天領」が醸す「吟醸純米生貯蔵酒」。
かつて私が仕事で白黒フィルムを自ら印画紙に焼き付けてプリントしていたころ、引き伸ばし機にフィルムをセットする際、誤って裏表を逆にすると、その像は鏡に映ったモノのように左右が逆になりました。
絶対にやってはならない、その「裏焼き」のようなラベルは、もちろんデジタル処理したものではありません。
その名も「裏天領」というのが、この酒の正式な呼び名なのです。

これを仕入れた高山の酒店が、天領に特別につくってもらっているというこの「裏天領」は、「どぶ酒」同様に、店のお兄さんが、私が頼んだ味や値段などについての要望を聞いて、ドンピシャで選んでくれたもので、激戦区といえる4合瓶で2000円前後の少し高級な酒のなかでは出色の出来。
さわやかな香りや、苦みや酸味がマッチして、後味をかみしめながら幸せな気持ちになれるお酒でした。

※※※

写真では、形や模様が良く分かりませんが、どぶ酒を入れた器はミャンマー製の漆器。
16年前、カンボジアを足場に仕事をしていた際、長期出張で出かけたミャンマーで、会社の仕事をしていただいていた地元ジャーナリズム界の大御所の方にいただいたか、その方に紹介していただいたかして入手したものです。
漆器とはいっても、土台の木は薄く薄くつくられていて、両端をつかむと縁がたわんで、少しひしゃげるほど。
表面に施された精緻な模様の漆は、そんなふうにひしゃげさせても、ひび割れたりしません。

長い長いトンネルを抜けるようにして、ようやく民主化への道を歩み始めたミャンマーですが、私が現地に赴いたのは、その暗い時代の一時期ではあったものの、最近になって軟禁状態を解かれ、軍事政権との和解を果たした民主化運動の指導者、アウンサン・スー・チーさんが軟禁状態に置かれる直前で、毎日、自宅前で本人による演説が行われていました。

私は約1カ月のミャンマーでの滞在中、寺院群で知られるバガンや中国国境地帯の都市、マンダレーなどを訪ねたほか、関係者に電話で取材を依頼してスー・チーさんと2度、1対1のインタビューもしました。
観光ビザで入国した私が、スー・チーさんと面会していることは、彼女の自宅前に「監視小屋」を設けていた政権側も承知していたはずですが、何のおとがめもなく、逆に政権の幹部から夕食への誘いを受けて、たっぷりレクチャーを受けるという経験もしました。

スー・チーさんから民主化運動の大義名分を聞く一方で、多民族国家を治めるために強権的な体制も必要とする軍事政権側の事情も聞くことができたという、軍政下とはいえ、まだ少々おおらかな雰囲気が残っていた時期のことでした。

ほんの1カ月ばかりを過ごしただけでしたが、ミャンマーという国は、実に懐かしいところです。
熱帯とはいえ少し北に位置する国だけに、当時はまだ首都だったヤンゴンも、私が訪ねた雨期には、どんよりとした気候で暑さも和らぎ、整備された街路などのたたずまいは、(当時から)少し前の日本を思わせました。
何といっても驚くのは、人々の洗練された感じの人柄の良さといいますか、細やかに気遣いできる優しさで、日本人の感性に極めて近い、懐かしい感じがします。
まったく、遠く離れたところにあるパラレルワールドというか、次元を踏み外してウラの世界に迷いこんだとでもいうか、不思議な感じさえするほどです。

また、ミャンマーの言葉も、文字はタイやカンボジアのものと同様、インドのサンスクリット語の流れをくむもので、知恵の輪か丸めがねのような外見は暗号のようですが、言語の構造は日本語や韓国語と同じ膠着語で、単語と単語を結び付ける膠(にかわ)の役割を果たす「てにをは」があって、前から順番に逐語訳して日本語に直せるようになっています。

さらに、男性でもロンジーというスカートと、革製で鼻緒のついたスリッパをはき、それが正装だというのですから、まさに日本の羽織はかまを思わせます。
実は、北朝鮮と同じく、ミャンマーの独裁的な政権も、統治スタイルは、それぞれの地を植民地としていた旧日本軍の流れをくんでいるという指摘もあります。

いずれにせよ、民主化の進展によって、高い文化と教育水準を誇る潜在力豊かなこの国が、本当に力強い発展を遂げていってほしいものですし、仕事で行くことはないでしょうが、遠からず、再び訪問してみたいと思っています。
個人的に願うのは、海外にも開かれた市民マラソンが開かれることですが、これはもうしばらく待たなければならないかも知れません。

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