
本日の夕方、仕事は終わったものの夜に職場関係の飲み会があったため、会社のある名古屋城の外堀近くから用事のあった名古屋駅の近くまで、夕立の雨上がりに軽いジョギングをしてきました。
その際に、このブログでは何度となく紹介している堀川や四間道、円頓寺(えんどうじ)商店街などで撮影した写真6枚を掲載します。

会社を出て、まず向かったのは、名古屋城と港を結んで江戸時代に掘られた運河、堀川に架かる五条橋。
今や、よどんだ水が、どす黒く濁った、ほとんどドブ川の堀川ですが、五条橋からの風景は意外にも、その時々によって違った表情を見せてくれます。
本日は、夕方の曇り空が、建物や木々の影とともに水面に映り込んで、墨絵の世界のようでした(右)。
五条橋の向こうを左に折れたところに江戸情緒の町並みを残す四間道(しけみち)では、先月、お祭りに誘われて路地を入ったところにあった「子守地蔵尊」を、のぞこうとすると、参道に当たる路地のわきに、白地に黒い文字のノボリが並んでいました(中央)。
軒下に電灯がともる地蔵尊の隣には「江戸着物」などの文字が書かれた看板が掛かった風情のある家が(左)。
ここはかつて芸者長屋で、今は着物の仕立て・販売をするとともに小唄や日本舞踊のレッスンなどに使う貸し座敷もある江戸文化の発信スペースになっているそうです。

円頓寺商店街のアーケードを入ってしばらくの右手にある小さな、こんぴらさん(金刀比羅神社)では、路地に面して並ぶ灯ろうに明かりがともされていました(右)。
アーケードをいったん出て大通りを渡る交差点では、手を取り合って歩く高齢のご夫婦を見かけ、そのほほえましい姿に引かれて、後ろ姿を撮らせてもらいました(中央)。
地元では「名駅(めいえき)」とも呼ばれ、それが地名にもなっている名古屋駅の駅前には、1965年に完成し、長らく駅前のシンボルだったオフィス・商業ビルの「大名古屋ビルヂング」があります(左)。
時代がかった「ビルヂング」の言葉は、所有する三菱地所による登記上の正式な名前通りのもの。
今や高層ビルの足元にありながら、この看板だけは目立つ大名古屋ビルヂングには、私はこれまで足を踏み入れたことがありませんでしたが、そうこうしているうちに昨日、この歴史ある建物も高層ビルに立て替えるため閉館式が行われ、今月いっぱいで閉館することになりました。
ただ、市民らに親しまれた「ビルヂング」の表記は、新しい高層ビルでも使われるということです。
その際に、このブログでは何度となく紹介している堀川や四間道、円頓寺(えんどうじ)商店街などで撮影した写真6枚を掲載します。



会社を出て、まず向かったのは、名古屋城と港を結んで江戸時代に掘られた運河、堀川に架かる五条橋。
今や、よどんだ水が、どす黒く濁った、ほとんどドブ川の堀川ですが、五条橋からの風景は意外にも、その時々によって違った表情を見せてくれます。
本日は、夕方の曇り空が、建物や木々の影とともに水面に映り込んで、墨絵の世界のようでした(右)。
五条橋の向こうを左に折れたところに江戸情緒の町並みを残す四間道(しけみち)では、先月、お祭りに誘われて路地を入ったところにあった「子守地蔵尊」を、のぞこうとすると、参道に当たる路地のわきに、白地に黒い文字のノボリが並んでいました(中央)。
軒下に電灯がともる地蔵尊の隣には「江戸着物」などの文字が書かれた看板が掛かった風情のある家が(左)。
ここはかつて芸者長屋で、今は着物の仕立て・販売をするとともに小唄や日本舞踊のレッスンなどに使う貸し座敷もある江戸文化の発信スペースになっているそうです。



円頓寺商店街のアーケードを入ってしばらくの右手にある小さな、こんぴらさん(金刀比羅神社)では、路地に面して並ぶ灯ろうに明かりがともされていました(右)。
アーケードをいったん出て大通りを渡る交差点では、手を取り合って歩く高齢のご夫婦を見かけ、そのほほえましい姿に引かれて、後ろ姿を撮らせてもらいました(中央)。
地元では「名駅(めいえき)」とも呼ばれ、それが地名にもなっている名古屋駅の駅前には、1965年に完成し、長らく駅前のシンボルだったオフィス・商業ビルの「大名古屋ビルヂング」があります(左)。
時代がかった「ビルヂング」の言葉は、所有する三菱地所による登記上の正式な名前通りのもの。
今や高層ビルの足元にありながら、この看板だけは目立つ大名古屋ビルヂングには、私はこれまで足を踏み入れたことがありませんでしたが、そうこうしているうちに昨日、この歴史ある建物も高層ビルに立て替えるため閉館式が行われ、今月いっぱいで閉館することになりました。
ただ、市民らに親しまれた「ビルヂング」の表記は、新しい高層ビルでも使われるということです。
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