
昨日、東京から駆けっこ仲間の雄ちゃんが出張のついでに訪ねてきてくれたのに続いて、本日は関西から、やはり駆けっこ仲間のジダンさんが出張のついでに連絡をくれて、夕食をともにしました。
なんと2日続けて東西から駆けっこ仲間が名古屋に来て、2日連続で男2人の飲み食いになったのです。
というわけで、すみません。東京夢舞いマラソンの報告は、またまた先延ばしになってしましました。

昨夕から続く雨の中、突然の出張で名古屋に泊まることになったというジダンさんと待ち合わせをしたのは、名古屋で最大の飲み屋街がある錦(にしき)の一角。
昨日出掛けた「ソウル家」に続いて、本日も別の韓国料理屋に行こうかと思っていたところ、「毎日韓国料理やのうても(なくても)ええやろ」と言うジダンさんとネオンの中を歩いていて見つけたのは、2時間飲み放題で10品の料理が並ぶという中華料理屋さんの看板。
「本当は4人様からなんですけど」
カウンターに陣取った私たちに美人のママはそうおっしゃったのですが、客足の少なめな雨の日とあってか、2人でもOKということにしてくれて、本日もまた「2時間1本勝負」的に2人で食べに食べて、ビールや紹興酒を(ジダンさんは日本酒を)飲みに飲みました。
ご存じの通りジダンさんは私の中学・高校の同級生で、お互いにオヤジになってからランニングを趣味にしていることが判明して急接近したという「くされ縁」の仲。
先日も紹介しましたがノーベル賞を受賞した山中伸弥教授は、大阪にある私たちの出身校の2年後輩です。
当然のことながら、本日の酒の席では山中さんの話題がひとしきり持ち上がり、テレビや新聞などの取材で、私たちの恩師の先生方や、やはり同級生で現在は高校の教頭をしている友人が登場したことなどが酒の肴になりました。
「(山中さんの受賞は)すごいことで鼻が高いようにも思うけど、自分と違い過ぎて恥ずかしい方が大きいわ」
私がそんなふうに言うとジダンさんも同感してくれはしましたが、そう言いながらジダンさんは立派な会社の役員さんで、私の方は万年ヒラ社員の身。そういえば昨日一緒に飲んだ雄ちゃんも立派な会社の社長さん。
やはり、この話題が持ち上がると一番、恥ずかしいのは私のように思えてきます。
ただ、そうはいっても「まあ、おれたちの学校からノーベル賞の受賞者が出ること自体は不思議じゃないわな」というジダンさんの言葉はその通りで、同級生を見渡しても優秀な医師や研究者、国の省庁のキャリア官僚などの畏敬の友人・知人がウヨウヨいることは確かで、そんな学校で学んだこと自体は、ありがたいことだったように思います。
数日前に韓国在住の知人からいただいたメールでは、「自由な校風」「自由な生き方」の良さが山中さんと私とに共通するかもしれないといった指摘があって、その点については、そうかもしれないと思えるような気もするからです(去年の10月1日付の記事参照)。
私の母校のことは、これまでの記事でもあれこれ書かせていただきましたが、「生徒の自主性を重んじる」という気風を示す、ちょっと珍しいかもしれないエビソードを、もう1つだけ紹介します。
それは、私たちの学校では中間試験、期末試験といった校内の試験が行われる際に、先生らが試験監督をすることがなかったという話です。
つまり「カンニングをしたい者は好きにしろ」という、まさに自由放任主義で、「カンニングをして良い店数を取っても、実際に力がないことを分かっているのは自分自身だから、納得できるはずがないだろう」と言われているようでもあり、不思議と誰もカンニングをする気にはならなかったようです。
今から振り返れば、あれはたんに先生方が楽をしようとしていただけのようにも思えますが、誰でもを信じてかかってしまい、他人の良いところばかりを見ようとする私の能天気な性善説的な性格は、あの学校でも培われたような気がしてきます。
ついでに言えば、試験勉強をさぼったために答案用紙の回答欄を埋めることができずに、試験時間が余ってしまったときには、用紙の裏に作文や詩などを書いて提出すると、オマケで何点かを付けてくれる先生もいたため、そういう意味でもカンニングをする気や時間はなくなっていたのかもしれません。
もちろん、クラブも生徒会も趣味もやりながら、涼しい顔で試験勉強もできるという「スーパーマン」の養成所を掲げる母校の中で、山中さんは、まさに典型的なスーパーマン、私は他の事=遊びの方をやり過ぎて勉強が追いつかなかった平凡な人間だったことは間違いなく、その違いはその後も、それぞれの人生の中でも何ら変わることはなかったようです。
なんと2日続けて東西から駆けっこ仲間が名古屋に来て、2日連続で男2人の飲み食いになったのです。
というわけで、すみません。東京夢舞いマラソンの報告は、またまた先延ばしになってしましました。



昨夕から続く雨の中、突然の出張で名古屋に泊まることになったというジダンさんと待ち合わせをしたのは、名古屋で最大の飲み屋街がある錦(にしき)の一角。
昨日出掛けた「ソウル家」に続いて、本日も別の韓国料理屋に行こうかと思っていたところ、「毎日韓国料理やのうても(なくても)ええやろ」と言うジダンさんとネオンの中を歩いていて見つけたのは、2時間飲み放題で10品の料理が並ぶという中華料理屋さんの看板。
「本当は4人様からなんですけど」
カウンターに陣取った私たちに美人のママはそうおっしゃったのですが、客足の少なめな雨の日とあってか、2人でもOKということにしてくれて、本日もまた「2時間1本勝負」的に2人で食べに食べて、ビールや紹興酒を(ジダンさんは日本酒を)飲みに飲みました。
ご存じの通りジダンさんは私の中学・高校の同級生で、お互いにオヤジになってからランニングを趣味にしていることが判明して急接近したという「くされ縁」の仲。
先日も紹介しましたがノーベル賞を受賞した山中伸弥教授は、大阪にある私たちの出身校の2年後輩です。
当然のことながら、本日の酒の席では山中さんの話題がひとしきり持ち上がり、テレビや新聞などの取材で、私たちの恩師の先生方や、やはり同級生で現在は高校の教頭をしている友人が登場したことなどが酒の肴になりました。
「(山中さんの受賞は)すごいことで鼻が高いようにも思うけど、自分と違い過ぎて恥ずかしい方が大きいわ」
私がそんなふうに言うとジダンさんも同感してくれはしましたが、そう言いながらジダンさんは立派な会社の役員さんで、私の方は万年ヒラ社員の身。そういえば昨日一緒に飲んだ雄ちゃんも立派な会社の社長さん。
やはり、この話題が持ち上がると一番、恥ずかしいのは私のように思えてきます。
ただ、そうはいっても「まあ、おれたちの学校からノーベル賞の受賞者が出ること自体は不思議じゃないわな」というジダンさんの言葉はその通りで、同級生を見渡しても優秀な医師や研究者、国の省庁のキャリア官僚などの畏敬の友人・知人がウヨウヨいることは確かで、そんな学校で学んだこと自体は、ありがたいことだったように思います。
数日前に韓国在住の知人からいただいたメールでは、「自由な校風」「自由な生き方」の良さが山中さんと私とに共通するかもしれないといった指摘があって、その点については、そうかもしれないと思えるような気もするからです(去年の10月1日付の記事参照)。
私の母校のことは、これまでの記事でもあれこれ書かせていただきましたが、「生徒の自主性を重んじる」という気風を示す、ちょっと珍しいかもしれないエビソードを、もう1つだけ紹介します。
それは、私たちの学校では中間試験、期末試験といった校内の試験が行われる際に、先生らが試験監督をすることがなかったという話です。
つまり「カンニングをしたい者は好きにしろ」という、まさに自由放任主義で、「カンニングをして良い店数を取っても、実際に力がないことを分かっているのは自分自身だから、納得できるはずがないだろう」と言われているようでもあり、不思議と誰もカンニングをする気にはならなかったようです。
今から振り返れば、あれはたんに先生方が楽をしようとしていただけのようにも思えますが、誰でもを信じてかかってしまい、他人の良いところばかりを見ようとする私の能天気な性善説的な性格は、あの学校でも培われたような気がしてきます。
ついでに言えば、試験勉強をさぼったために答案用紙の回答欄を埋めることができずに、試験時間が余ってしまったときには、用紙の裏に作文や詩などを書いて提出すると、オマケで何点かを付けてくれる先生もいたため、そういう意味でもカンニングをする気や時間はなくなっていたのかもしれません。
もちろん、クラブも生徒会も趣味もやりながら、涼しい顔で試験勉強もできるという「スーパーマン」の養成所を掲げる母校の中で、山中さんは、まさに典型的なスーパーマン、私は他の事=遊びの方をやり過ぎて勉強が追いつかなかった平凡な人間だったことは間違いなく、その違いはその後も、それぞれの人生の中でも何ら変わることはなかったようです。
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