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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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6月1日の昼休み

本日は大阪で、中学・高校時代の恩師を囲んで先輩・後輩らも集まるちょっとした同窓会が開かれて、これに出席してきましたが、紹介する写真は昨日、6月1日に撮ったものです。

昨日は土曜日でしたが、ほぼ2度に1度の仕事の日に当たり、私にとって仕事のある土曜の定番のようになっている外でのランチの行き帰りに撮った写真を掲載します。撮影場所も、これまた定番の五条橋や円頓寺(えんどうじ)商店街、それに四間道(しけみち)などですが、不思議なことに、こうして定点観測的に同じ場所で写真を撮ってみると、その場所がその時々に見せる表情の違いがかえって良く分かることもあります。

※※※

昨日付の記事「また河童家で乾杯」も、なんとか最後まで書き上げています。ご覧ください。

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掲載する写真はまず、堀川に架かる五条橋を渡った左手のたもとにある「屋根神」さま(左)。
今年では2月7日の記事でも紹介している通り、屋根神さまは古い2階建ての木造家屋の1階のひさし部分の屋根の上などに設置される小さな祠で、火災や疫病などの厄よけのためにまつられてきたもの。四間道のかいわいには大きな屋根神さまが2つ残っていて、その1つは町屋づくりの家屋の屋根に載ったままですが、もう1つが元々あった屋根の上から下ろされて五条橋のたもとに移設されているこの祠です。

2月7日の記事で掲載した写真は2月1日に撮影したもので、今回と同じく屋根神さまの扉が開いて、ひさしから提灯がつるされています。毎月1日と15日の祭礼の日に当たったためで、中には榊や供え物が並んでいました。

次の写真は、昭和の薫りを残すアーケードの商店街が名前を冠しているお寺、円頓寺の門や寺の名前を彫った石柱などを撮ったもの(中央)。
手前に写っている掲示板には、雨傘に斜線が入った印が見えますが、これは雨のかからないアーケード内で傘をさすと迷惑になると注意する意味なのでしょう。

でも、私が心に引っかかってカメラを向けたのは門柱のわきにある張り紙に書いた言葉でした。
「人の命は一呼吸の間にあり」

高校時代から約35年が過ぎて、同窓生の仲間たちや恩師の先生に会ってみると、ぱっと見たところでは皆の懐かしい顔はいずれも、ほとんど何も変わっていないようですが、よくよく見てみると自分も他の人たちも、それぞれの顔には、それなりの年齢も刻まれているのが分かります。そのギャップは、ほんのわずかなのですが、その間に流れた年月の長さを考えると、時間の経った速さにがく然としてしまいます。
まさに人生なんて一瞬の夢のようだと思えるようになったこのごろにあって、この張り紙の言葉は、最近ここを通り過ぎるたびに胸を刺すように感じていたのです。

調べてみると、この言葉は釈迦と弟子の対話について語られている講話の中に出てくるものだそうです。
釈迦があるとき、弟子に対して「人生は、どれだけの時間の間にあるのか」とたずねたところ、1人目の弟子は「数日の間」と答え、2人目の弟子は「食事をしている間」と答えたものの、それらの答えは正しいものではなく、「一呼吸の間」と言った3人目の弟子の答えが仏の道を理解している言葉だとされたということです。

つまり、今やるべきことを数日先や数分先に延ばしてもよいというような気持ちで修行をしていては、修行が成就することはないという戒めのようですが、修行でなくても、人生の物事すべては、「そのうちに」と思っているうちに時はあっという間に流れて、その物事を成す意味すらなくなっていくということなのでしょう。
まさに、今はやりの「今でしょ」というフレーズは、人生の根源を鋭く突く言葉なのだと思います。

また、今はの時に生と死を分けるのもまた「一呼吸」であって、最後の呼吸をしている瞬間は生のうちにあっても呼吸をしなくなった瞬間には死の世界に沈んでいるわけで、そう思うと、走っているときも含めて普段は意識をすることがない呼吸の1回1回が、とても貴重なものに思えてくるものです。

円頓寺の前を過ぎて、やはりアーケード街に面した小さな金毘羅さんの前を通ると、歩道わきに置かれた植木鉢から、ひょろりと伸びた草に、細い花びらの薄紫の花が1輪ついていました(右)。
1度は通り過ぎたのですが、どうしてもちょっとだけ気になって、戻って行ってシャッターを切りました。
私のカメラに撮られたからといって、それがこの花にとって何らかの意味があるとは思えませんが、ここで戻らなければ、私にとってこの花は、あっという間に記憶の底に沈んでいきます。
まあ、これもまた一期一会。仏の道どころかランニングの道すら、きわめるにはほど遠いことは分かっていますが、1つ1つの出あいを大切に、まだまだ欲張って生きていきたいものだと思うわけです。

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白壁の土蔵などが並ぶ四間道では、梅雨の合間の薄曇りとあって、自転車が通り過ぎていました(左)。
並んで歩く女性2人がさしていたのは雨傘なのか日傘なのか区別がつきませんでしたが、いずれにしても梅雨空には傘がお似合いなのだと思います。

四間道の端にある浅間神社の狭い境内には、社務所の前に置かれたベンチに近所の人でしょうか、女性2人が腰かけて、狛犬たちに囲まれて談笑されていました。
木々の葉が茂り、その陰とともに香りもまた濃くなっていく梅雨の季節は、雨さえ降らなければ命の息吹を感じながら外で過ごすのが楽しい時期でもあります。

そして、職場に戻る前、大通りから1本内側に入った御園通で、カラフルな傘のように咲きそろってきていたのは梅雨の花のアジサイ(中央)。
梅雨入りが早かった今年は、アジサイの花も早く咲きそろってきているということで、このあたりのアジサイも1、2日間があると、その姿はどんどん変わってきています。

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