
昨年の第1回大会に出場して、途中でリタイアを喫した飛騨高山ウルトラマラソンの100キロの部に今年も出場し、見事に完走してリベンジを果たすことができました!!!
この大会の100キロの部は、登り坂の「累積獲得標高」が2700メートルにも達する「日本一過酷なウルトラマラソン」で、練習が不足し、体調も良くないなかでの出場となったため、完走できる確率は2、3割程度と踏んでいました。さらに好天に恵まれたのは良いものの、気温が30度近くに上がるというコンディションは去年よりも悪く、極めて厳しいレースとなりました。
しかし、宮古島のトライアスロンに向けて積んだ猛練習の成果が何とか残っていたようだったことに加えて、ウルトラマラソンやトライアスロンなどに数多く出場してきた経験を総動員して「完走」だけを目指して走った結果、完走率は去年の77%余りより低かったと思われるなか、14時間の制限のところを13時間49分台でゴールにすべり込むことができました。
あまりに長くつらい道中を経て、ゴールに飛び込んだ瞬間は、久々に感極まって、涙が出てくるほどの感動を覚えることができました。
本日はベタベタに疲れていることから、写真の説明は追って加えることにします。
また去年と比べると、極めてシリアスに走ったものの、超軽量のカメラも持って、最小限の写真も撮りました。
最小限とはいえ、100枚以上に上る写真についても、後日、順次掲載したいと思います。

飛騨高山ウルトラマラソンの100キロのコースは激しくアップダウンを繰り返し、平坦なところがほとんどないほどですが、「コース高低図(プロフィール)」を見てみると、おおまかに5つの山を越えるのが分かります。
その1つ目の山を超えて下りきったあたりに、1カ所目の大きなエイドステーションである19.3キロの「道の駅ひだ朝日村」があります。去年は、ここで早々に大休止をとってしまいましたが、ことしはここでの「名物」である「よもぎそば」をかきこんで、ほとんどロスタイムをつくらないまま再スタートしました。
とはいえ、その前に美女たちが応援している前で写真を撮らせてもらい、勧められるままツーショットも撮ってもらいました(左)。
その後、コースの最高地点で、2つ目の大きなエイドがある36.9キロ、標高1345メートルの飛騨高山スキー場までは約600メートルを、ほぼ登り続けます。
去年と同じく、この間でお会いしたのは、FMヨコハマの番組「ルート847」のDJ、柴田聡(さとる)さんと、柴田さん専属の「鬼コーチ」を務められているエリート・ウルトラランナーの有美(なおみ)さんのコンビ(中央)。
去年、なんと初ウルトラマラソンの挑戦を、この飛騨高山の難コースで試みて、見事完走された柴田さんは、なんと今年は82.7キロの関門前で、惜しくもタイムアウトのリタイアとなられました。
お2人には夕食を共にした際、私の「完走祝い」として、おごっていただいたうえ、柴田さんは、私から出来立てのホヤホヤの写真集を手渡されて、番組で「分厚く紹介」してくれると約束してくださいました。
ありがとうございます!次に一緒に走る機会があれば、今度はぜひ一緒にゴールしたいものです。

次なる大きなエイドは54.6キロと82.7キロの関門が設けられる「丹生川支所」で、ここを1回目と2回目に通過する間では、約28キロのうちにスキー場の次に大きな山を越えてくる周回路を走ります。
去年はこの周回路の山を登りきる少し手前にある68.4キロのエイドで、次の関門の通過が不可能だとしてリタイアを決断しました。そして、決して万全ではないコンディションのなか臨んだ今年は、このエイドを通過して「未踏の領域」に入ることが第1目標でした。
ここで迎えてくれたボランティアの美女軍団に、そのことを話すと、全員が喜んでくれ、一緒に写真に納まってくれました(右)。
「途中で失速して、関門に引っ掛かるかもしれませんが、ここを越えるだけで満足ですよ」
そんなふうに話すと、美女たちは「そんなことを言わず、ぜひ完走してくださいね」などと励ましてくれました。
このあと、私は実際に相当の大失速をしてしまい、2回目の丹生川支所の関門は、なんと10分前に通過。
その後には、とんでもない急坂を越える最後の山が待ち構えていることから、完走はかなり厳しく思われて、先に進むべきかどうか、今度は本当に悩みましたが、「行けるところまで行こう」と決心して再スタート。
山越えのあとに、信じられないくらいのスピードアップをするなどして、ゴールにたどりつきました。
ウソのような展開に、身体は最高にきつかったものの、満面の笑みでゴール。
しかし出迎えてくれた高山市の市長さんにガッチリと握手をしてもらった瞬間、涙がこみ上げてきたのは、上に書いた通りです。
首に木製の「完走メダル」をかけてもらい、撮ってもらった写真でも、私の両目はうるんだままですが、ご覧のとおり、Vサインは1つでは足りず、カニのように両手ともVサインになりました(中央)。
その後、握手を求めてくれたのは後半、抜きつ抜かれつを繰り返した、私と同じ愛知県の高久さん(左)。
「良いペースメーカーになって、引っ張ってもらいました。おかげで完走できました!」
去年4月の知多半島1周の100キロマラソンでも、このブログに度々コメントをしてくれる、やはり愛知のウルトラランナー・たっきーさんが、ちょうど同じように言ってくれました。
こちらは去年の知多半島も今回も、他のランナーの方を見る余裕もなく、ただただ自分のペースで黙々と走っていたのですが、どうもそのためにペースを大きく変えることなく走れた時間が長く、ノッポで目立つことから知らず知らずペースメーカー的な役割を果たしていたのかもしれません。
目立つといえば、流行りのロングタイツや長めのハーフパンツをはくランナーが多いなかで、私は暑さ対策から短いランパンをはき、上は前半のうち、東京夢舞いマラソンのTシャツを、後半は明走会の黄色いランシャツを下着の上に着て、そうした格好も、さらに目立っていたものと思われます。
この大会の100キロの部は、登り坂の「累積獲得標高」が2700メートルにも達する「日本一過酷なウルトラマラソン」で、練習が不足し、体調も良くないなかでの出場となったため、完走できる確率は2、3割程度と踏んでいました。さらに好天に恵まれたのは良いものの、気温が30度近くに上がるというコンディションは去年よりも悪く、極めて厳しいレースとなりました。
しかし、宮古島のトライアスロンに向けて積んだ猛練習の成果が何とか残っていたようだったことに加えて、ウルトラマラソンやトライアスロンなどに数多く出場してきた経験を総動員して「完走」だけを目指して走った結果、完走率は去年の77%余りより低かったと思われるなか、14時間の制限のところを13時間49分台でゴールにすべり込むことができました。
あまりに長くつらい道中を経て、ゴールに飛び込んだ瞬間は、久々に感極まって、涙が出てくるほどの感動を覚えることができました。
本日はベタベタに疲れていることから、写真の説明は追って加えることにします。
また去年と比べると、極めてシリアスに走ったものの、超軽量のカメラも持って、最小限の写真も撮りました。
最小限とはいえ、100枚以上に上る写真についても、後日、順次掲載したいと思います。



飛騨高山ウルトラマラソンの100キロのコースは激しくアップダウンを繰り返し、平坦なところがほとんどないほどですが、「コース高低図(プロフィール)」を見てみると、おおまかに5つの山を越えるのが分かります。
その1つ目の山を超えて下りきったあたりに、1カ所目の大きなエイドステーションである19.3キロの「道の駅ひだ朝日村」があります。去年は、ここで早々に大休止をとってしまいましたが、ことしはここでの「名物」である「よもぎそば」をかきこんで、ほとんどロスタイムをつくらないまま再スタートしました。
とはいえ、その前に美女たちが応援している前で写真を撮らせてもらい、勧められるままツーショットも撮ってもらいました(左)。
その後、コースの最高地点で、2つ目の大きなエイドがある36.9キロ、標高1345メートルの飛騨高山スキー場までは約600メートルを、ほぼ登り続けます。
去年と同じく、この間でお会いしたのは、FMヨコハマの番組「ルート847」のDJ、柴田聡(さとる)さんと、柴田さん専属の「鬼コーチ」を務められているエリート・ウルトラランナーの有美(なおみ)さんのコンビ(中央)。
去年、なんと初ウルトラマラソンの挑戦を、この飛騨高山の難コースで試みて、見事完走された柴田さんは、なんと今年は82.7キロの関門前で、惜しくもタイムアウトのリタイアとなられました。
お2人には夕食を共にした際、私の「完走祝い」として、おごっていただいたうえ、柴田さんは、私から出来立てのホヤホヤの写真集を手渡されて、番組で「分厚く紹介」してくれると約束してくださいました。
ありがとうございます!次に一緒に走る機会があれば、今度はぜひ一緒にゴールしたいものです。



次なる大きなエイドは54.6キロと82.7キロの関門が設けられる「丹生川支所」で、ここを1回目と2回目に通過する間では、約28キロのうちにスキー場の次に大きな山を越えてくる周回路を走ります。
去年はこの周回路の山を登りきる少し手前にある68.4キロのエイドで、次の関門の通過が不可能だとしてリタイアを決断しました。そして、決して万全ではないコンディションのなか臨んだ今年は、このエイドを通過して「未踏の領域」に入ることが第1目標でした。
ここで迎えてくれたボランティアの美女軍団に、そのことを話すと、全員が喜んでくれ、一緒に写真に納まってくれました(右)。
「途中で失速して、関門に引っ掛かるかもしれませんが、ここを越えるだけで満足ですよ」
そんなふうに話すと、美女たちは「そんなことを言わず、ぜひ完走してくださいね」などと励ましてくれました。
このあと、私は実際に相当の大失速をしてしまい、2回目の丹生川支所の関門は、なんと10分前に通過。
その後には、とんでもない急坂を越える最後の山が待ち構えていることから、完走はかなり厳しく思われて、先に進むべきかどうか、今度は本当に悩みましたが、「行けるところまで行こう」と決心して再スタート。
山越えのあとに、信じられないくらいのスピードアップをするなどして、ゴールにたどりつきました。
ウソのような展開に、身体は最高にきつかったものの、満面の笑みでゴール。
しかし出迎えてくれた高山市の市長さんにガッチリと握手をしてもらった瞬間、涙がこみ上げてきたのは、上に書いた通りです。
首に木製の「完走メダル」をかけてもらい、撮ってもらった写真でも、私の両目はうるんだままですが、ご覧のとおり、Vサインは1つでは足りず、カニのように両手ともVサインになりました(中央)。
その後、握手を求めてくれたのは後半、抜きつ抜かれつを繰り返した、私と同じ愛知県の高久さん(左)。
「良いペースメーカーになって、引っ張ってもらいました。おかげで完走できました!」
去年4月の知多半島1周の100キロマラソンでも、このブログに度々コメントをしてくれる、やはり愛知のウルトラランナー・たっきーさんが、ちょうど同じように言ってくれました。
こちらは去年の知多半島も今回も、他のランナーの方を見る余裕もなく、ただただ自分のペースで黙々と走っていたのですが、どうもそのためにペースを大きく変えることなく走れた時間が長く、ノッポで目立つことから知らず知らずペースメーカー的な役割を果たしていたのかもしれません。
目立つといえば、流行りのロングタイツや長めのハーフパンツをはくランナーが多いなかで、私は暑さ対策から短いランパンをはき、上は前半のうち、東京夢舞いマラソンのTシャツを、後半は明走会の黄色いランシャツを下着の上に着て、そうした格好も、さらに目立っていたものと思われます。
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