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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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飛騨高山、完走のあかし

飛騨高山ウルトラマラソンの100キロを完走してから2日後の昨日は、大会後としては久々に脚の疲れと痛みで歩くのがしんどかった昨日に比べて、身体はずっと楽になり、夜の水泳教室も普段通りこなすことができました。年齢を重ねて、体力とともに回復力も落ちてきているのを実感していましたが、自分もまだまだ捨てたものじゃないかなあと思えるほどです。

そして、練習不足と体調不良になんとか打ちかって、制限時間ギリギリの完走を「もぎ取った」ことについての充実感は、つらかった道中の記憶の現実感が薄れていくにしたがって、ますます醸成されてきます。
高山市郊外の山の中を巡り、累積の獲得標高差が2700メートルという日本一厳しいコースに加え、気温も30度近くまで上ったという超長距離走には向かないコンディションだったこともあって、完走率はやはり去年を下回る72%台に過ぎなかったことを知ると、よくぞゴールに滑り込めたなあという達成感も膨らみます。

ということで、宮古島のトライアスロンを曲がりなりにも完走した2カ月前のように語っても語り尽くせないほどのストーリーがあるわけではなく、「完走記」を書くぞという意気込みが大きいわけでもありませんが、記憶が薄れていく前に、今回の長旅を振り返って思う「よしなしごと」を断片的にでも書いておこうかと思います。
といっても、例によってまずは書き始めておいて、少しずつ書き足していくという読者泣かせのスタイルをとることを許していただきます。

その前に、まずは「完走のあかし」などの写真を掲載しておきます。
といいましても、本当のあかしは木でできた「完走メダル」だけで、Tシャツはフィニッシャー用のものではなく全員に配られた記念品。受付会場でもらったパンフレットにはさみ込まれていたのは、完走を後押ししてくれた地元の小学生による手書きのメッセージカードです。描かれている顔のない人形のようなものは、知る人ぞ知る飛騨地方の民芸品「さるぼぼ」です。

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さて、ここからは記事の日付より5日も過ぎてから書き続けます。
飛騨高山ウルトラマラソンを走りながら撮った写真の掲載もまだ始められていませんが、完走記のような内容を書きとめるというように言ってしまったうえ、これを期待してくださる方々もいらっしゃいますので、再スタートすることにします。

既に話しています通り、大会が近付いても、十分な練習を積めてこなかったことから、緊張感が高まるわけでもなく、「なるようになるさ」という、ちょっと投げやりな気持ちで本番を迎えました。
しかし、この大会のコースは、そんないい加減な気持ちで完走できてしまうほどヤワなものではないことは、去年70キロの手前で事実上タイムアウトのリタイアを喫していることもあって、承知していました。

去年は4月後半に知多半島で100キロの大会に出場し、まあまあのパフォーマンスで完走していましたが、その後はゴールデンウイークに韓国・済州島にトレラン大会の調査のため出かけた際に転倒し、ひどい打撲を負ったため、5月中はほとんど練習にならず、4月までの練習の「蓄え」は消えてしまっていたことが分かりました。

今年の大会前の状況も去年と似ていました。やはり4月後半に宮古島のトライアスロンに挑戦し、それまでは3月だけでラン200キロ、バイク900キロ、スイム20キロという猛練習をこなしたものの、5月はトレーニング以外のプライベートで忙しくなって、ゴールウイークはほとんど走らないまま。その後も思うような練習を積めないままでした。また、宮古島の前からの食道炎や胃の不調の症状は一向に改善せず、「胃腸で走る」と言われるほど消化器の役割が大きいウルトラマラソンに臨むような状態とは思われませんでした。

とはいえ、かといって完全に「武装解除」して何もしないまま「不戦敗」となったり、みっともない2回連続のリタイアを喫することは避けたいと思って、5月中は3度だけ、一応のロング練習をしておきました。
そのうち1度は皇居で25キロを、残り2度は大阪と奈良の府県境にある生駒山地でトレイルを含む25キロと35キロをそれぞれゆっくり走るというもの。

生駒を練習の場に選んだのは、プライベートな都合があったうえ、飛騨高山のコースを想定して少しでも坂に慣れておきたいと考えたからでしたが、かつてサロマ湖の100キロに連続出場していたころは40キロ~70キロといった超ロングを平気でこなしていたことを考えると、今回の練習はまさにギリギリ最低限でした。

※※※

マラソンにおいては「練習はウソをつかない」と言われる通り、スタート地点に立ったときには既にある程度はパフォーマンスを予測できるものです。
もちろん、その日その日の体調の良し悪しが影響する部分もありますが、よほどのことがない限りは、スタートラインを越えるとアドレナリンが分泌されるなどして、不思議と練習よりも良く走れるものです。

しかしウルトラマラソンの場合には事前の準備や、その日のコンディションや体調の変化への対応など、経験を重ねるにつれて会得する臨機応変な身のこなしがモノを言うことも少なくありません。
先の記事で「経験を総動員して」ギリギリの完走にこぎ着けたと書きましたのは、そういうことです。

とは言いましても、それは何も格好のいいことなどではなく、超スローペースで地にはいつくばるようにしてトコトコと歩み続けたというだけのことですし、ゴールの瞬間は飛び上がるほどうれしかったものの、そこに行き着くまでは泣きたくなるほどしんどくて、何度となく「やめたい」という誘惑にも襲われています。
そんな身体や心の動きの断片を、ありのままに書きとめておこうと思うのです。

大会に臨む際、かつては3日前の木曜あたりから炭水化物を多めにとる「カーボローディング」を試みたこともありましたが、歳をくって自己ベストの更新が望めなくなったころからは、そうした特別な準備はしなくなって、普段通りの食事で体調を維持するようにしています。
もちろん大量の飲酒は、肝臓など身体へのダメージが明らかに実感できますので控えますが、今回は食道や胃の不調から飲むに飲めない身体になってしまいましたので、前日に少々いただいたものの、この点の心配はありませんでした。

ただ大量のエネルギーを使うウルトラだけに、前日の夜には炭水化物をしっかりとるように心がけ、外食した際にご飯をおかわりして3杯いただきました。胃が不調なため、当日の朝や給食所で、たくさん食べて補給をすることは望めないと思っていたこともあって、なおさら前の日のエネルギー補給が大事だと思ったのです。
多くの観光客を迎える「小京都」の高山とあって、町の人たちは「もてなしの心」にあふれ、ウルトラマラソンのことも良くご存じで、店の人もまた、たらふくいただいた私に「頑張ってください」と声をかけてくださって、それもまた大事なエネルギー補給になりました。

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