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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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大阪・ちとり家再訪!

出版されたばかりの写真集「走った!撮った!世界のマラソン」で、「大阪マラソン」のページの写真に写っている大衆食堂を昨日、訪ねてみました。

この大衆食堂は、大阪マラソンの27キロ近くで店の前を走る大阪市西成区長橋2丁目の「ちとり家」さん。
店の人たちが総出で応援してくれている写真は、写真集で大阪マラソンを紹介する2ページのなかに収められている4枚のうちの1枚で、沿道の風景としてはメーンのカットです。

被写体になる人たちには必ず声をかけて了解を得たうえ撮影している私の写真ではありますが、その際には場合によって写真展で展示したり、こうして写真集に掲載させてもらうことまでは説明できませんので、被写体が誰なのか分かれば、事後であっても了解をとりたい気持ちはいつも持っています。

しかし多くの場合、そうした被写体探しは困難な作業となるうえ、写真展やブログで自分が写っている写真を見つけてくれる人はみな大喜びしてくれるものですから、ついつい努力を怠ってしまいます。
でも今回は、写真の中でキロ表示が掲げられていることから店を見つけるのは容易であるばかりか、写っている皆さんの楽しげな雰囲気や店のたたずまいを見ていると、店を訪ねて店内を見てみたいという気持ちも大きくなっていました。
そこで会社の用事に続いて、出版元である東方出版にあいさつに行ったあと、大阪マラソンのコースなどを歩いて、ふらりと店を訪ねてみました。

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ちとり家さんに入ってみると、ガラスケースに入った美味しそうな惣菜の数々が目に入ります。
なんと260円均一というリーズナブルな値段の惣菜はサバの煮つけ、ゴーヤチャンプルー、ミンチカツ、卵焼き、五目ひじき-と定番の家庭料理が並んでいて、まさに大阪の大衆食堂です(左)。

なかでもサバの煮つけと、ケースには入っていませんが、天然のだしにこだわったカレーうどんが、この店のイチオシだということです。しかし、お昼を抜いたままでお腹が減っていたものの、そのあとの予定もあって、ゆっくりできなかった私は、ざるそばを注文しました。
その直後、やっぱり大阪だから、きつねうどんにすれば良かったかなあと思って店の人にうかがったところ、既にそばをゆで始められているということで、そのスピーディーな手際に関心してしまいました。

だしにウズラ卵が浮かんだざるそばは、ひんやりとしたノド越しも快く、美味しくいただきました。
ワンカップのお酒のガラス容器をコップに再利用して出された冷たい緑茶も美味しかったのですが、次回はカレーうどんやサバの煮つけなどのお惣菜、それにガラスケースの上などにズラリと瓶が並んでいた本格焼酎などもいただいてみたいものです。

昨日のところは、写真集をお見せして写真を使わせてもらったことを事後承諾してもらったうえ、1冊を贈呈させてもらうのが目的でしたので、そばをいただいたあと、給仕のおかあさまと調理場にいらした料理長さんに、本を差し出しました。

「去年の大阪マラソンを走っていて、お店のみなさんを撮らせてもらったんですが、覚えてられませんか?」
「そうでしたっけ、写真を撮ってくれたランナーさんは何人もいましたけど」

おかあさまは残念ながら私のことを覚えてくださってはいませんでしたが、写真集のページを開いてお見せすると、「まあ!ほんま、これうちらやわ!」と驚いて、調理場から出てらした料理長さんと一緒に大喜びしてくれました。
「これ、うちの社長も写ってはるわ。社長も見たら、喜ばはりますわ!。こんなに載せてもろて、宝物ですわ」

そんなわけで私は何度もお断りしたにもかかわらず、いただいたおそばのお代を支払うことを許されず、勝手に写真を掲載したことでおわびを言うつもりが、感謝感激していただくことになりました。

印刷物といえば、これまでに署名入りの新聞記事や雑誌の記事なら数えきれないほど書いてきている私ですが、世に出ても、すぐに読み捨てられ、古くなっていく新聞や雑誌の記事は、読んでくれた人の記憶の底に沈んで忘れられていくものだと覚悟しています。

たしかに本も何10万、何100万という様々な内容のものが次々に出版され、その多くは絶版となって消えていくもののようですが、それでも少なくともしばらくは形として残り、入手しくれた人の手元には置かれ続けるもので、ペーパーレス、ネット社会の時代にも、その存在感は新聞や雑誌とは比べものにならないほど大きいようです。

そして、1人の読者であっても、私がつくらせてもらった本を「宝物」と呼んでくれる人がいてくれれば、それだけでも本をつくった意味はありますし、著者みょうりに尽きる感じがするものです。

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