
本日は、京都にある出身大学の学科の卒業生らが集まる同窓会に出席しました。
卒業後は就職浪人をして、今の会社に入社後は地方や海外で勤務をしたほか東京暮らしが長かった私は、これまでゼミの同窓会にすら出席する機会は1度もなく、東京で仕事をしている一部の友人らとたまに会うほか、大学の同窓生たちとの接触はほとんどないままでした。
というわけで本日集まった約40人の恩師や同窓生のほとんどとは、なんと29年ぶりの再会となりましたが、その人たちの顔は会ったとたん、良く知っている顔であることが分かります。それもそのはず、私は学外のサークルに入るなどして、学科の同級生らにとっては付き合いの悪い仲間だったとはいえ、4年の間、授業などでしょっちゅう互いに顔を合わせていたわけですから。
そして、これは中学・高校の同窓生についても言えるのですが、当時はほとんど話すこともなかった仲間たちであっても、こうして長い年月を経て再開してみると、その距離が急に縮まるようで、いきなりだれもが懐かしく近しい存在に感じられました。
そんな不思議な体験をした本日は奇しくも七夕。天の川に隔てられた牽牛と織姫が年に1度の再開を果たす日です。
そこで本日の記事にのタイトルは「七夕」を冠したものにしていますが、掲載する写真は、土曜ながら仕事のあった昨日の昼休みに、職場近くの名古屋・円頓寺かいわいで撮ったもの。天の川ならぬ江戸時代の運河・堀川に架かる五条橋や商店街の七夕飾りなども写っていますが、実はこれは昨日が七夕だと勘違いをして、そんな被写体を狙っていた結果なのです。



卒業後は就職浪人をして、今の会社に入社後は地方や海外で勤務をしたほか東京暮らしが長かった私は、これまでゼミの同窓会にすら出席する機会は1度もなく、東京で仕事をしている一部の友人らとたまに会うほか、大学の同窓生たちとの接触はほとんどないままでした。
というわけで本日集まった約40人の恩師や同窓生のほとんどとは、なんと29年ぶりの再会となりましたが、その人たちの顔は会ったとたん、良く知っている顔であることが分かります。それもそのはず、私は学外のサークルに入るなどして、学科の同級生らにとっては付き合いの悪い仲間だったとはいえ、4年の間、授業などでしょっちゅう互いに顔を合わせていたわけですから。
そして、これは中学・高校の同窓生についても言えるのですが、当時はほとんど話すこともなかった仲間たちであっても、こうして長い年月を経て再開してみると、その距離が急に縮まるようで、いきなりだれもが懐かしく近しい存在に感じられました。
そんな不思議な体験をした本日は奇しくも七夕。天の川に隔てられた牽牛と織姫が年に1度の再開を果たす日です。
そこで本日の記事にのタイトルは「七夕」を冠したものにしていますが、掲載する写真は、土曜ながら仕事のあった昨日の昼休みに、職場近くの名古屋・円頓寺かいわいで撮ったもの。天の川ならぬ江戸時代の運河・堀川に架かる五条橋や商店街の七夕飾りなども写っていますが、実はこれは昨日が七夕だと勘違いをして、そんな被写体を狙っていた結果なのです。









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