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“走るマラソンカメラマン”辰巳郁雄写真展 走った!撮った!世界のマラソン

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比叡山で修行体験6

比叡山延暦寺で参加した修行体験の研修は今月13日から2泊3日で行われ、あれよあれよという間に、それから1週間がたとうとしていますが、体験のレポートの方は実際の日数よりも多く本日分の記事が6回目となります。

今回と一応の最終回となる次回は、お伝えしていたとおり、研修のメーンイベントとなった山中を巡る3日目の「回峰行」体験の写真を紹介します。とはいうものの、行程の半ばまでは暗い夜の間ですし、2日目の山内巡回とは違って、厳格な修行体験の一部ですから、みだりに写真を撮ることははばかられ、アップできるのは今回も次回も9枚ずつです。

今回は夜明け前までに撮った写真ばかりですが、記事を見てくれている参加メンバーも少なくないようですので、前回と同じくまずは取り急ぎ写真をアップすることにします。

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延暦寺で最も厳しいとされる「百日回峰行」「千日回峰行」は、比叡山の山中を中心とした約30キロ(実際には約20キロ)を連日歩く修行です。
そのうち千日回峰行は、毎年3月28日から100日間を3年間歩いたあと3年間は200日を歩き、終了する「満行」までは7年間を要します。さらに700日を達成したときには9日間お堂にこもって飲まず食わず、眠っても横になってもいけないという「堂入り」の行も加わり、とても人間業とは思えない荒行に思えます。

私たちの回峰行体験は、その実際の修行で歩かれるコースをほぼたどるもので、研修の拠点となった居士林を起点に尾根伝いを北に向かって比叡山の3つの地域の1つ「横川(よかわ)」を訪ね、そこから南東に向かって琵琶湖岸にある麓の町・坂本まで下ったあと、再び山道を登り返しました。
前半までの山の中は夜明け前に歩くことになりますが、そこまではコースはドライブウエーに沿ったハイキングコースや林道のような幅の広い道でがほとんどで、勾配がやや厳しくなる山道は明るくなってからの後半になるため、山慣れた者にとっては、きついものではありません。

そのため、中学生時代から山が好きで、夜明け前や日暮れ後の山道も数えきれないほど歩き、夜通し走る日本山岳耐久レース(ハセツネカップ)や萩往還マラニックも経験している私は、この1日だけの回峰行体験には、さほど緊張することもなく臨むことができました。

午前1時半に起床して居士林の前に集合した私たちは、座禅の道場ともなった西塔地域の本堂である釈迦堂まで移動しました(中央、左)。
そこで般若心経を唱えたあと、引率のお坊さんに従って準備運動のストレッチをしました(右)。
そういえば座禅の前後にもストレッチをさせてもらっていました。回峰行や座禅とはいえ身体を使う修行ですから、いわば現代的なストレッチを組み入れるのはミスマッチにも見えますが、理にかなっていると思えます。

BL140915比叡山回峰行体験1-4DSCF5608  BL140915比叡山回峰行体験1-5DSCF5594  BL140915比叡山回峰行体験1-6DSCF5601

回峰行の行者は白装束にわらじ履きで、かつては中にろうそくをともした提灯を下げていたということですが、私たちはとれランやハイキングの格好でトレランシューズやトレッキングシューズを履き、ヘッドライトやコンパクトな懐中電灯で足元を照らしながら、1列になって夜の山道に繰り出しました。

私はトレランの格好で、いつもと同じくヘッドライトと非常に高性能な懐中電灯の二刀流でしたが、1人で走るときと違って前に仲間がいて、明るい懐中電灯をともすと前の仲間のウエアに反射してまぶしくなるため、急な下りなどで足元がおぼつかないところ以外ではヘッドライトのみで歩きました。
そもそもコースのほとんどは良く踏まれたハイキングコースなうえ、わずかながら月明かりもありましたので、薄暗いヘッドライトでも十分です。むしろ前方の仲間が明るいライトで地面を照らしていると眩惑されて、足元が見えにくくなりました。

私は大学時代、比叡山に近い大文字山の大の字の部分まで、夕暮れの京都の大展望と夜景を見るため缶ビールを持って出かけることが良くありましたが、そのときから暗い中でも人間は意外と安全に歩けるものだということを実感しています。それは歩き慣れたところに限らず、山道をつけたのが同じ感覚を持つ人間だから、次にどんなふうにカーブするかなどを体で予測できるからだと思え、また暗い中では視覚を超えた知られざる感覚が研ぎ澄まされるからだとも思えています。そして今回も、そうした考えが、あながち間違いではなさそうだと思いながら、薄暗い地面を1歩ずつ踏みしめていきました。

標高600メートルを超える延暦寺の境内では、朝夕は冷え込むように感じていましたが、回峰行体験に出たこの夜は風もなくて意外にも肌寒さを感じず、下は薄手のタイツとランパン、上はTシャツとアームウオーマーというウエアで快適でした。いつもは山道を走ったり早歩きしたりしているため、息が上がってしまうこともありません。
高校時代、学校が合宿所として借りていた紀伊半島の山あいの小学校跡でワンゲル部の追い出し合宿を開き、友人と2人で夜行列車を降りた海岸の駅から、夜通し歩いたのを思い出しました。そのときもやはり風ひとつなく、疲れも感じないまま、いつまでも歩いていられるように感じたからです。

私語は慎むことになっていたため、自分や仲間が地面を踏む音だけが聞こえてきます。またときおり、先導してくれたお坊さんが立ち止まって小声でお経を唱えられ、その度に数珠を素早くすり合わせる「ジャッ」という音が響きます。お経の言葉はわかりませんが、私たちもそれに習って一瞬立ち止まり、手を合わせます。
実際の修行では、基本コースの約20キロを歩く間に、寺のお堂や、ご廟所、石仏のほか自然の物に対しても約600カ所で立ち止まって礼拝をすることになっているのです。

アップした写真のうち仲間がヘッドランプを歩いてくる様子と、杉木立のこずえの間から、まだらな雲越しに見える月は、京都市内を遠くに見下ろす尾根の上で撮ったもので、この場所は京都御所を望みながら天皇や国の安泰を祈って礼拝するポイントだということでした。
「南都六宗」と言われて大きな勢力を誇った奈良時代の小乗仏教の各派に対抗する形で、平安時代に伝来して比叡山で開かれた大乗仏教の天台宗は、当初から京都の天皇の後ろ盾を得ていたこともあって、今日まで皇室とのつながりが深く、麓にある日吉大社など神道の神社とも良好な関係を保っているもようです。

京都の街を望むポイントを過ぎてしばらく行ったところで、先導のお坊さんがこう言われました。
「ここからは魑魅魍魎(ちみもうりょう)が多く出るところです。過去に犯した罪を思い浮かべながら歩いてください」
私はたんに「野生生物をよく見かけるという意味なんだろうなあ」と思っていましたが、「過去に犯した罪」が、どうしても頭にひっかかります。結局のところ、学生時代のことをあれこれと思い出したように、「あのとき、あの人には悪いことをした」「あのときは、こうすべきだった」などと、心にひっかかっていた事どもが次々に脳裏をよぎりました。
視覚から入る情報が遮断された暗やみのなかを人と話もせず無心に歩くと、真空になっていく心のすき間に、印象的な過去の記憶が噴出してくるようです。「罪を思い浮かべて」という言葉が、ちょうどその引き金になったのだろうと思われます。

ともあれ、私たちはそんなふうに歩き続けました。
ふと思い出して、腕時計のわきのボタンを押して文字盤のイルミネーションをつけるたび、そこに現れる時刻のデジタル表示は確実に進んでいました。
そしてほどなく比叡山の奥ノ院ともいえる横川の地域に入り、落雷で焼けたあとにコンクリートで再建されたという、地域の本堂、横川中堂に着きましたが、ここは真っ暗で写真はありません。もう1枚の写真は、そこから少し下ったところで、私たちのために暖かいお茶が用意されていた四季講堂(元三大師堂)の門前で、明るい蛍光灯に照らされていたカエデの葉を撮ったものです(左)。

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四季講堂の門の下に出された小さなテーブルには、プッシュ式のポット2つと湯呑の入ったトレイが置かれていて、湯呑に注いだ熱いお茶をいただくと、ほっとして我に返るような気分になれました。
「修行体験には飲食物の持ち込みは禁止」と言われながら、私は「万が一はぐれたら自己責任でサバイバルするため」と思って、こっそりペットボトルに居士林からお茶を入れて持っていたほか、シリアルバーも小型のバックパックにしのばせていましたが、こうした「エイド」があったことから、それらを取り出すことは1度もありませんでした。

引率のお坊さんたちは、薄暗い明かりがともっていたお堂の中に入られたようで、私たちはしばらくの休憩時間のあいだ、小声で話をしたり記念写真を撮りあったりしました。
空を見上げると、月にかかっていたまだら状の雲はいつしか消えていましたが、うっすらとしたもやはかかったままでした。

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