
本日は「月刊ランナーズ」を発行する「アールビーズ」社のスポーツ財団が主催する「ランナーズ賞」の授賞式が開かれ、式に出席するため上京しました。
ランニングの普及・発展に貢献したとして今年のランナーズ賞に選ばれたのは3個人と1団体。そのうちの1人が長年、懇意にしていただいているライターの夜久弘さんだったこともあって、何年ぶりかの授賞式に大阪から出かけることにしました。
自らもベテランランナーである夜久さんは、ウルトラマラソンなどをテーマに市民ランナーの人間模様を描く多くの著書があるほか、去年この賞を受けた東京夢舞いマラソンの活動にも参加されたランニングの大先輩。このところは闘病生活というマラソンを続けられていることから、多くの仲間がお祝いと励ましの言葉をかけようと駆け付けました。

夜久さんと初めてお会いしたのは12年前、第2回の東京夢舞いマラソンをテレビ局の取材としてビデオを持ちながら走った後、夢舞いの母体となった明走会の打ち上げに参加したとき。
夜久さんを含めて3人だけの2次会を経て私は夢舞い・明走会に引き入れられました。
その後、初めてのウルトラマラソンとなるサロマ湖の100キロを走ったのも、ウルトラの魅力を描いた夜久さんの著書に影響されて。足を痛めたまま出場した初サロマは最後の10キロほどを足を引きずって歩き、12時間近くかかりましたが、「辰巳さん、感動した!」という夜久さんの言葉は今も宝物です。
夜久さん、本当におめでとうございます!頑張ってくださいね!
ランニングの普及・発展に貢献したとして今年のランナーズ賞に選ばれたのは3個人と1団体。そのうちの1人が長年、懇意にしていただいているライターの夜久弘さんだったこともあって、何年ぶりかの授賞式に大阪から出かけることにしました。
自らもベテランランナーである夜久さんは、ウルトラマラソンなどをテーマに市民ランナーの人間模様を描く多くの著書があるほか、去年この賞を受けた東京夢舞いマラソンの活動にも参加されたランニングの大先輩。このところは闘病生活というマラソンを続けられていることから、多くの仲間がお祝いと励ましの言葉をかけようと駆け付けました。



夜久さんと初めてお会いしたのは12年前、第2回の東京夢舞いマラソンをテレビ局の取材としてビデオを持ちながら走った後、夢舞いの母体となった明走会の打ち上げに参加したとき。
夜久さんを含めて3人だけの2次会を経て私は夢舞い・明走会に引き入れられました。
その後、初めてのウルトラマラソンとなるサロマ湖の100キロを走ったのも、ウルトラの魅力を描いた夜久さんの著書に影響されて。足を痛めたまま出場した初サロマは最後の10キロほどを足を引きずって歩き、12時間近くかかりましたが、「辰巳さん、感動した!」という夜久さんの言葉は今も宝物です。
夜久さん、本当におめでとうございます!頑張ってくださいね!
スポンサーサイト

コメント:0
