
本日は、私が所属する東京のランニングサークル「明走会」で初夏恒例のイベントとなっている駅伝大会に参加しました。
「織田フィールド」の愛称で知られるエリート市民ランナーのメッカ、代々木公園陸上競技場を借り切って開かれた駅伝には子どもたちも含めて約50人が参加。6チームに分かれて1時間余りの間、400メートルトラックを疾走してタスキをつなぎ、周回数を競ったほか、2人3脚や400メートル徒競走などの恒例の余興も行われました。
レースへの参加と違って、仲間同士が互いに走る姿を見るのが醍醐味のこの駅伝は今年で8年目を迎え、第1回から数回は私が幹事を務めて盛り上げてきたイベント。そのため今年は職場が忙しい日で泊まり勤務明けとなりましたが、退社した足で新大阪駅に向かい、新幹線で駆け付けました。
チームは4位、徒競走は2位に終わりましたが、わきあいあいとした雰囲気のなか、広々としたグラウンドを皆が子どもになったように駆け回り、楽しいひとときを過ごすことができました。

紹介する写真は、駅伝の終了後にセルフタイマーで撮った記念の集合写真と、クールダウンの体操代わりに行われたピラティスのミニ講習会。そして、会場からほど近い 国立オリンピック記念青少年総合センターの中のレストランで開かれた打ち上げの際の記念写真です。
ピラティスの講習会は、元エリートランナーで現在はプロのランニングコーチ・ピラティス講師をされている明走会メンバーの市河麻由美さんが指導してくれました。
市河さんは、明走会・東京夢舞いマラソンと韓国のコチャン・コインドルマラソンの間で私が中心になって続けている相互交流企画で去年、コチャンツアーに参加してくれています。本日のピラティス講習は駅伝の前にも行われましたが、大阪からギリギリに駆け付けた私は、前半の講習には参加できず、残念な思いをしました。
打ち上げの食事はビュッフェスタイルで飲み放題でしたが、ランナーの食欲とビールを飲むスピードに店側の対応が遅れ気味で、途中から冷えたビールがなくなってしまうほどでした。それでも一緒に走った後とあって、この場も最高に盛り上がり、日が高いうちにスタートしたのが、お開きのときには外は暗くなっていました。
泊り明けで駆けつけ、慣れない全力疾走をしたためか、私は打ち上げの1次会ですっかりくたびれて満足してしまい、上京時には恒例となっている2次会、3次会には参加を見合わせ。かつては飲み会となるとエンドレスで仲間を引っ張り、「妖怪もう1軒」とまで呼ばれた私ですが、さすがにちょっと年を感じてしまいました。
「織田フィールド」の愛称で知られるエリート市民ランナーのメッカ、代々木公園陸上競技場を借り切って開かれた駅伝には子どもたちも含めて約50人が参加。6チームに分かれて1時間余りの間、400メートルトラックを疾走してタスキをつなぎ、周回数を競ったほか、2人3脚や400メートル徒競走などの恒例の余興も行われました。
レースへの参加と違って、仲間同士が互いに走る姿を見るのが醍醐味のこの駅伝は今年で8年目を迎え、第1回から数回は私が幹事を務めて盛り上げてきたイベント。そのため今年は職場が忙しい日で泊まり勤務明けとなりましたが、退社した足で新大阪駅に向かい、新幹線で駆け付けました。
チームは4位、徒競走は2位に終わりましたが、わきあいあいとした雰囲気のなか、広々としたグラウンドを皆が子どもになったように駆け回り、楽しいひとときを過ごすことができました。



紹介する写真は、駅伝の終了後にセルフタイマーで撮った記念の集合写真と、クールダウンの体操代わりに行われたピラティスのミニ講習会。そして、会場からほど近い 国立オリンピック記念青少年総合センターの中のレストランで開かれた打ち上げの際の記念写真です。
ピラティスの講習会は、元エリートランナーで現在はプロのランニングコーチ・ピラティス講師をされている明走会メンバーの市河麻由美さんが指導してくれました。
市河さんは、明走会・東京夢舞いマラソンと韓国のコチャン・コインドルマラソンの間で私が中心になって続けている相互交流企画で去年、コチャンツアーに参加してくれています。本日のピラティス講習は駅伝の前にも行われましたが、大阪からギリギリに駆け付けた私は、前半の講習には参加できず、残念な思いをしました。
打ち上げの食事はビュッフェスタイルで飲み放題でしたが、ランナーの食欲とビールを飲むスピードに店側の対応が遅れ気味で、途中から冷えたビールがなくなってしまうほどでした。それでも一緒に走った後とあって、この場も最高に盛り上がり、日が高いうちにスタートしたのが、お開きのときには外は暗くなっていました。
泊り明けで駆けつけ、慣れない全力疾走をしたためか、私は打ち上げの1次会ですっかりくたびれて満足してしまい、上京時には恒例となっている2次会、3次会には参加を見合わせ。かつては飲み会となるとエンドレスで仲間を引っ張り、「妖怪もう1軒」とまで呼ばれた私ですが、さすがにちょっと年を感じてしまいました。
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