
本日は午前中に息子を連れて散歩に出かけ、自宅近くにある由緒正しいお社の蹉跎(さだ)神社で、娘が無事に生まれたことへの「お礼参り」をしました。散歩で立ち寄るお決まりの場所とあって、息子はいつも通りに本殿の階段前で靴を脱ぎ、ひさしの内側から垂らされた綱の先の鈴を、私と一緒に鳴らしました。
以前にも紹介しましたが、菅原道真を祭神とする蹉跎神社は、道真が大宰府に左遷されて京都から九州へと旅立った際、都を振り返って懐かしんだ小山「菅相塚」の近くにあり、父を見送るために後を追った道真の娘、苅屋姫が一足違いで道真に会えず、足摺りして(蹉跎して)悔やんだという丘の上に建てられています。
私はこれまで、この鎮守の森に抱かれた神社に散歩やランニングで立ち寄った際、つつがない娘の誕生を、お祈りしていたのです。

以前にも紹介しましたが、菅原道真を祭神とする蹉跎神社は、道真が大宰府に左遷されて京都から九州へと旅立った際、都を振り返って懐かしんだ小山「菅相塚」の近くにあり、父を見送るために後を追った道真の娘、苅屋姫が一足違いで道真に会えず、足摺りして(蹉跎して)悔やんだという丘の上に建てられています。
私はこれまで、この鎮守の森に抱かれた神社に散歩やランニングで立ち寄った際、つつがない娘の誕生を、お祈りしていたのです。



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